ニキシーと通常攻撃(前)
「久しぶり。見ない間にずいぶん装備が整ったんじゃない?」
定期試験が終わったというセレリアと首都で合流すると、彼女はニキシーの格好を見て感心した声で言った。
「ついこの間まで血まみれでボロボロだったのに、ずいぶん白くなって」
血まみれなのはセレリアが買ってきた時からだというのに。
「や、やあニキシーさん、ひさしぶり」
「ディーザンさんも、ひさしぶりです」
「……あの、後ろにいる人は知り合い?」
「ヒメ・スタスタですぅ。よろしくお願いしますぅ!」
相変わらず〈・x・〉な覆面を装備しているスタに、ディーザンは半歩引いた。
「ああうん、よろしく……じゃなかった! そんなことしてる場合じゃない! ニキシーさん、学者ギルドに行って登録しよう!」
「はい? 学者ギルドって――」
「来れば分かるから! すぐ済むから! ちょっとだけだから!」
ディーザンは強引にニキシーの手首をつかむと、そのままずんずん歩き始めた。
「ちょっと待っ――」
待たれない。ディーザンはすぐに小走りになり、駆け出していく。ニキシーは転ばないようについていくので精一杯だ。
「いてっ!?」
「うわっ!」
「なんだ!?」
通行人をものともせずに突き進む。ディーザンはうまく避けているつもりでも、後ろをついていくニキシーはそうはいかない。ぶつかってぶつかってぶつかりまくる。
「すみませんすみませんすみません」
後ろを向いて頭を下げて――そんなことをしているから、さらにぶつかる。
「痛ぇ! って……ああああ! ハイキューのケーキがあああ!?」
屈強な体格の男だ。ぶつかった拍子に、手に持ったアイテムを落としてしまったらしい。
「どうしてくれるんだよ!?」
「ご、ごめ――」
「そんなことどうでもいいから、こっちだよ、速く!」
謝る暇もなく引っ張られる。怒って声を荒げる男の声が遠くなっていく。
「ディーザンさっ、ちょ、止まって――」
「ほらもう見えてきた!」
ディーザンはひとつの建物を指す。塔のような円筒形の建物で、蔦が壁を覆っている。どこに扉があるのか一見分からないが、ディーザンは迷うことなく扉を開いて中に入った。ようやく手を離されたニキシーも、つんのめりながら後に続いた。
「ここが学者ギルドさ!」
ディーザンはくるりと振り返って両手を広げる。
そこは壁がすべて本棚で埋め尽くされた空間だった。窓はなく、魔法の照明があちこちにつけられている。本棚に入っているのはきちんと製本された本だけでなく、書類の束や、だらしなく紐が解かれた巻物など、あらゆる書物が雑多に詰め込まれている。
その中心にいるのが、ギルド職員だった。いかにも学者っぽい四角い帽子に、学校の制服のような緑のローブを着たメガネの女性。それが机の上にこれまた大量の書物を積み上げて待ち構えていた。
「いらっしゃい――学者ギルドへようこそ」
◇ ◇ ◇
「今日はどのようなご用向きで? 図鑑がご入用ですか?」
「ああ、そういえばニキシーさんはまだ買ってなかったよな――じゃなくて! それより先に、登録がしたいんだ!」
「登録……?」
「ニキシーさん、こっちこっち!」
テンション高く呼びつけられて、ニキシーは周りをきょろきょろ見回すのをやめて近づく。
「このニキシーさんが新スキルを発見したんだよ! 今日はそれを登録しに来たんだ!」
「なるほど。承りました」
職員はディーザンのテンションに気圧されることなく、にこりと笑ってニキシーを見た。
「当ギルドのご利用は初めてですね? 簡単な説明をしてもよろしいですか?」
「はぁ……お願いします」
登録しよう、としか聞かされていない。ニキシーとしても詳細が知りたかった。
「学者ギルドでは、冒険者のみなさまの発見をサポートさせていただいております。新しく発見したモンスター、アイテム、スキル、魔法の図鑑登録、名称登録を受け付けるのが主な仕事です。こちらで登録されたものは、図鑑アイテムを購入していただくと、閲覧が可能になります」
スキル図鑑、とか言われていたものか。とニキシーは思い当たる。
「図鑑はどれぐらいの周期で改版されるんですか?」
「えーと」
ニキシーの質問に、職員は苦笑いする。
「見た目は印刷された書籍ですが、実態としては電子書籍のようなものですので、登録や変更があれば随時更新されます」
「ああ……そうですか」
ニキシーは顔が赤くなるのを意地でも押さえ込んだ。
学者ギルド。プレーヤーの発見を重視するドロクサーガの特徴的なシステムのひとつである。
特にモンスターやアイテムに『名前がない』というのが一番大きなところだろう。それらは学者ギルドで報告・登録したときに初めて、プレーヤーが名前をつけるのだ。初報告者は永久に図鑑に名が残るため、新発見を目標に冒険するプレーヤーも少なくない。本格的に学者ギルドに所属しているプレーヤーは、そのまま『学者プレイ』と呼ばれている。
悪用するプレーヤーもサービス開始当初は多かった。『真鍮』を発見したプレーヤーがそのアイテムに『金』と名づけて詐欺を働いてひと財産築いた事件を、当時のプレーヤーたちは皆覚えている。
いまは『真鍮』は『真鍮』である。学者ギルドに所属するプレーヤーたちの多数決で名前を変更することができるのだ。かならずしも新発見をした者の意見だけが優遇されるシステムではないのである。
――多数決である以上、学者ギルド内でも多数の派閥が生まれてしまい、現実の学会よりめんどうくさい魔窟になってしまっているのは、また別の話であるが。
「――と、いうのが我がギルドの概要です。それで、本題はスキルの登録でしたね」
「そうそう、そうなんだよっ!」
ディーザンが横から割り込んでくる。動じないギルド職員が頼もしく見えた。
「珍しいですね。もう新しいスキルの申請なんて、一ヶ月に一回あるかどうかですが、それを初心者の方がなんて……」
「しかも二つだよ! 二つあるからね!」
「それはすばらしい」
ギルド職員は動じない。
「では、ニキシー様。申請ウィンドウを出しますので、登録したいスキルを一覧から選択してください」
「わかりました」
ニキシーの目の前にウィンドウが表示される。
「………」
「どう!? できた!?」
「少しは待ちなさいよ」
「ようやく追いつきましたぁ……」
ニキシーが宙に手をやって固まっている間に、セレリアとスタが建物内に入ってくる。急かすディーザンをセレリアは呆れて静止するが、彼の興奮は止まらない。
「待てないし、もう待ちくたびれたよ! 風邪に邪魔されて定期試験に邪魔されて――ようやくやっとここに来たんだ! これでやっとオーナインの証明ができるんだから、テンションだってあがってしかたない――」
「登録できないですね」
「えっ!?」
ニキシーの発言に、ディーザンが目を剥く。
「で、できない!? なんで!?」
「何かメッセージが表示されて」
「なんてさ!?」
ニキシーは眉をひそめて、赤い文字で表示されるメッセージを見た。
「『完全封印したスキルは、スキル図鑑に登録することはできません』――だそうです」
沈黙。
「……は?」
ディーザンが動き出すまで、どれだけの時間が経っただろうか。
「は? え? 何?」
「『完全封印したスキルは、スキル図鑑に登録することは――」
「かんぜんふういんんんんんん!?」
ディーザンの悲鳴がギルド内の本棚をビリビリと揺らす。
「えぇ!? はあ!? なんで? え? 【天ノ崩雷】も【次元斬】も、封印したの!?」
「はい」
「なんで!?」
「使わないので」
「うえええええぇぇぇえぇええええええ!!」
ディーザンは突然床に倒れたかと思うと、頭を抱えてごろんごろんと転がった。
「なぜ、なんで!? 使わない!? や、確かにまだSP足りなくて運用できないかもだけど!? どうみてもチートスキルの【次元斬】を!? オーナインの【次元斬】をぉ!? 一時封印じゃなくて完全んんん!? うそだあああああああ」
「やかましい」
「ぐえッ!」
セレリアが容赦なく、ディーザンの腹を踏み抜いた。一撃で、ディーザンの勢いが消えうせる。
「わーぉ……痛そうですねぇ……」
「よく分からないけど、別にいいじゃない、図鑑に名前が載らないだけでしょ? ニキシーが使わないっていうなら、あんたが口を出すことじゃないわよ」
「でっ……でも! オーナインの証明……」
「うっさい。それとも騒いだらなんとかなるものなの?」
「……ならない……」
「だと思ったわ」
セレリアが足をどけると、ディーザンはよろよろと立ち上がった。
「……ごめん、取り乱した。けどさ、ボク、二つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「構わないですけど」
ディーザンは咳払いをして、頬をピシャピシャと叩いて、深呼吸をしてから口を開いた。
「まず、【天ノ崩雷】と【次元斬】を完全封印した……ってことで間違いないんだよね」
「はい」
「そもそも完全封印って何よ?」
「ああ、スキルの封印っていうのは」
首をかしげるセレリアに、ディーザンはスキル封印の説明をする。
「――てことで、完全封印は二度と使えなくなるわけ」
「なるほど、思い切ったことしたわね」
「本当だよ……あのレベルの敵を即死させる【次元斬】をなんで……いや、うん、わかってる。もうやっちゃったのは仕方ない、だよね。だけど――だけどさ?」
ディーザンは今度は、ギルド職員に向き直った。
「二つ目! 完全封印したら図鑑に載せられないって、いったいどういう仕様だよ!?」
「私に言われましても」
「いーや、言うよ! 君は運営の一員だろ!?」
「正確には違うのですが……」
ギルド職員は眉を下げ、咳払いしてから説明を始める。
「あまり完全封印をされる方もいないので説明する機会がないのですが、図鑑には『任意に使用可能なスキル』のみ登録できることになっております。完全封印は『任意にスキルを使用できなくなる』ため、条件から外れているのですね」
「納得できない! 発見したのはニキシーさんじゃないか!」
「それを証明できますか?」
「は?」
ディーザンは固まる。
「いや――証明って?」
「今ここでスキルを使って見せる、とかですかね」
「いや『ですかね』って……いやいや。確かに完全封印しちゃったから使えないし、スキルリストを人に見せるとかもできないけど、でもログを見れば明らかなわけじゃん?」
「ログは見れませんよ」
ログ。ほぼすべてのゲームで実装されているであろう、過去の挙動の記録。
会話ログ、戦闘ログ――そのすべてが、ドロクサーガには存在しなかった。プレーヤーから何度も要望に上がっているにもかかわらず、実装される気配さえない。
「……君なら見れるんじゃないの?」
「私はゲーム内のデータを閲覧できませんので」
すべてのNPCを操る人工知能ゾチは、その采配にこそかなりの権限を与えられているものの、内部データへの干渉は基本禁じられている。その職務に許された――例えばスキルを封印するなどの、限られた権限しかもたないのだ。
「というか、証明する先は私ではなく、他のプレーヤーにですよ。証明できるものだけが、図鑑に永遠に名を残す――道理でしょう。アイテムなら現物を、魔法なら写しを、モンスターなら生体か死体を、ギルドで保管していますからね」
「……いや、やっぱりおかしい。図鑑に登録した後完全封印したら証明できないだろう?」
「ええ。ですから図鑑に登録したスキルは完全封印できませんよ」
「えっ」
「できませんよ」
「……図鑑に登録した人は、証明する義務がある。だからダメだ、と……はぁ、なるほどね……」
「と、私は思いますね」
ギルド職員はにこりと笑う。
「開発者から聞いたわけではありませんので。仕様をつなげて考えるとそういう意図だと思いますがいかがでしょう?」
「……なんか、もう、いいよ……いつもの理不尽でプレーヤーいじめの運営だよ……」
ディーザンは深く溜め息を吐いて、机の上に突っ伏した。ギルド職員は迷惑そうに椅子を引く。
「あぁ……ちなみにさ」
ディーザンは首だけ上を向いて、ニキシーに尋ねた。
「ニキシーさんは何の封印代償――パッシブスキルが欲しかったのさ? チートスキルを封印してまで……」
登録する前に封印しておいてよかった、と考えていたニキシーは、ディーザンに得意げに答える。
「【通常攻撃強化】です」
「な ッ ん で だあああああああああああああああ!」
その日二度目の悲鳴が、学者ギルドに響くのだった。
◇ ◇ ◇
「そもそもさ、パッシブスキルの効果はめちゃくちゃ渋いんだよ」
しばらくして。ようやく落ち着いたディーザンが、腹をさすりながら解説を始めた。
「一番効果がわかりやすく増えるのが【運搬重量強化】なんだけど、これでどのぐらいの割合で運搬できる重量が増えると思う? たとえば――10個のスキルを一時封印したとして」
「10個もですかぁ……うーん、30%ですかねぇ?」
「50%でしょうか」
「二人とも甘すぎない? 一個1%として10%でしょ」
出揃った回答に、ディーザンは首を横に振る。
「0.7%」
「……一個0.7%よね?」
「10個一時封印して0.7%だよ。30個で3%、100個で15%。そういう検証結果が出てる」
「……渋いわね」
「渋いなんてもんじゃないよ。戦闘スキルの修得数で100に行った人なんて、一人しかいないんだ。今トップにいるプレーヤーでも、60あるかないかだと思うよ」
「「えっ」」
ニキシーとスタがそろって声をあげる。二人して顔と覆面を見合わせて、首をかしげた。
「……そういうものなんですか?」
「ひとつの武器系統ごとに30ぐらいスキルがあるらしいから、サブ武器とか含めて50個ぐらいまで、っていうのが一般的なビルドだよ。30超えるとだいぶひらめきづらくなるらしいし」
「さきほど話にあった、100個というのは?」
「たくさんの武器で少しずつスキルとっちゃった人が昔いてさ、ぜんぜんひらめかなくなっちゃったから引退したんだけど、引退する前に封印を検証しようって話になって、で出てきた結果さ。まあ似たようなプレイをしても100に到達した人はいないらしいから、相当運が良かったんだと思うよ。……その運、普通に武器を絞ってたほうがいいスキル手に入ったんだろうに」
ディーザンは溜め息を吐く。
「ニキシーさんも気をつけてよね。もう20個以上あるだろ?」
「はあ……そうですね」
30を超えてもぜんぜんひらめきづらくなったという印象はなかったのだが。
「まあ【次元斬】がなくても【虚空斬】があるなら、やっぱりニキシーさんが極めるべきは斧だよ。そろそろ最大SPも増えてきただろうし、斧に絞って――」
「それも封印しました」
「……ボクさ、嫌な予感がするんだ」
ディーザンはにこりと笑った。
「ニキシーさんはいったい、いくつスキルを封印したんだい?」
「全部です」
ディーザンはウンウンと頷いて――天を仰いで――そのまま後ろから地面に倒れて転がった。
「だからなんでだよおおおおおおおおおッ!」
「やかましい」
本日三度目の踏み付けが、容赦なく発動した。
2017/07/20 図鑑の仕様について加筆しました。