ニキシーと金策(後)
「そろそろ目的地ですよぉ」
「あれですかね」
首都ドロクの東にある、山ともいえない小さな丘。背の高い木々が生い茂り、朝日を遮る薄暗い中を、ニキシーとスタが歩いていた。バンカズからの指示メールをスタが読み、ニキシーが指差した先には、人の大きさほどの茶色い球体が、木の幹に張り付いていた。
バンカズから教えてもらった金策は一人でも可能なものと聞いて、セレリアは別行動である。さすがに三人でやると売値的に非効率だと判断したのだ。
「あぁ、そですねぇ……うん、ハチが飛んでないから、これですね」
ニキシーとスタが探しているのは、蜂の巣である。それもハチが周囲を飛んでいない、通称『枯れた巣』だ。
「うーん……これを採取するとハチミツが出る、というのも不思議ですねぇ。どうみてもスズメバチの巣なのに……」
「スズメバチは肉食だから、ハチミツ作りませんものね」
ミツバチの巣は、巣板という構造をとる。あの六角形の部屋が連なった板が、木のうろの中や木の枝に縦にぶらさがっている形だ。対してスズメバチは巣板ではなく巣盤と呼び、横方向に作る。それをいくつも重ねて鱗のような外皮で丸く包み込む。
ニキシーたちの目の前で木の幹にくっついているのは、後者のタイプだった。
「メール読みますねぇ。えーと、『触ると採取扱いになってしょぼい量のハチミツしか手に入らないから、触らないこと』っと……」
「ハチノコが手に入るならわかるのですが……」
「まあこの世界のハチはそういうものかもですよぉ」
いまいち世界観に納得のいかないニキシーである。
「えぇと、ステルスをかけるっと……【フェイド】」
スゥ……とスタの姿が半透明になる。
モンスターに察知されなくなるタイプの効果を持つ魔法はいくつかあるが、プレーヤーたちはまとめて『ステルス』と呼んでいる。【フェイド】は術者にステルス効果のある魔法であった。
「でぇ……『ステルスをかけたら、巣を武器で叩き続ける。しばらくすると大物が出るから、そいつを確保だ』……と。あとは『モンスターに注意。ステルスしてれば大丈夫だぜ』……だそうですぅ」
「モンスターというと、道中見かけた、熊でしょうね」
ハチミツ好きというイメージからか、この丘には熊が出没する。並大抵のモンスターよりよほど強い大型の動物で、もちろん初心者がかなう相手ではない。
「うぅん、ステルス中の人が叩かないといけない、ですかねぇ? ニキシーさんは見張りしてもらってもいいですかぁ?」
「わかりました。とりあえず、やってみましょう」
時間がなかったのか、バンカズのメールにも詳しいことは書いていない。やればわかるだろう、という精神で二人は作業を進める。スタが巣をメイスでコツコツ叩き、ニキシーは周囲を回って警戒する。
「なかなか出ないですねぇ、大物」
「もう少し強く叩いたらどうでしょうか」
「わざわざ武器、って指定だし、力が必要なのかもですねぇ。やってみましょお! えい!」
どすっ。どすっ。
「ふんっ! ふんっ! これは、なかなか……!」
スタの声に疲労が出てきたのを感じたニキシーは、交代を申し出ようかとそちらを振り返り――
「あっ! 出ましたよぉ! 大物!」
その『大物』が出てくる場面を目撃した。
「なるほど……確かに、大物ですね」
それは間違いなく大きかった。ニキシーはインベントリーから両手斧を取り出す。
「これを確保する、と」
「って書いてありますねぇ……」
それは――どこからどう見ても『大物』だった。
人の背丈ほどもある、スズメバチの姿となれば。
「書いてあるけど……ぇえと……倒せるでしょうか……?」
「簡単だって話でしたし、意外と弱いのかもしれませんよ。とにかく、やってみましょう」
「……ですねぇ!」
カチッカチッと大物スズメバチは歯をかみ鳴らす。
ニキシーが斧を握る手に、ぐっと力が入った。
◇ ◇ ◇
それはいくつもの誤解が重なった結果であった。
バンカズが紹介したのは本当にただの『採取』なのだ。『狩り』ではない。ハチの群がっていない『枯れた巣』は、採取を行うとわずかなハチミツをドロップして壊れるのだが、ひとつギミックが隠されていた。攻撃を与え続けると、より高価な『ロイヤルゼリー』というアイテムを落とすのだ。これが、バンカズが採取させたかった『大物』である。
ニキシーとスタが勘違いした『大物』は、巣の奥底で眠っていたモノが目覚め、出現したものである。ロイヤルゼリーを食べて女王として成長する、『次代の女王蜂』だ。『枯れた巣』はまるごとひとつ、この時代の女王蜂のために残された揺りかごなのだ。
巣に攻撃を与えると、ロイヤルゼリーか女王蜂のどちらかが先に出現する。女王蜂は巣を攻撃した相手にヘイトを持つ。だが、ステルス状態であればやりすごすことができた。だからバンカズも勧めたのだが――
二つ目の誤解は、スタの使えるステルス魔法の【フェイド】が、術者のみを対象にするものであったことだ。ニキシーが対象から外れているため、女王蜂のヘイトはニキシーに向く。
他にも二人がバンカズの言うモンスターを、女王蜂ではなく熊と勘違いしたなど、細かな誤解の積み重ねはあるが――最大の誤解は。
「ニキシーさんなら大丈夫ですよねぇ。強いスキル持ってるし」
スタのニキシーについての誤解だった。
通常攻撃だけでクランメンバーを圧倒しただけでなく、下水道でナメクジネコへの容赦ないスキルコンボ攻撃。あれを見てスタの中でニキシーは、猛者として認識されていた。
なんか強そうなモンスターだけど余裕だろう、と。そう思っていた。
◇ ◇ ◇
「重いっ……!?」
先手必勝とばかりに斧を振り回したニキシーだったが、バランスを崩して地面を叩く。
あわてて持ち上げなおして振り上げるも、羽で宙に浮く女王蜂はすばやい動きで回避した。
「くっ……」
なんとかもう一度斧を構えなおすが、ニキシーはSPゲージを確認して目を剥いた。わずかながらゲージが減っているのだ。
「……重過ぎるから、か?」
バンカズから貰った斧は、これまでのどんな武器よりも重かった。武器は重いほど強い。だが、分不相応な重さの武器を使えば、SPが減少する仕組みである。
攻撃に回れる回数に限りがある。さらに、敵との相性は最悪だった。羽を使って飛行できる女王蜂は、ニキシーの攻撃をひらひらと回避する。そして。
「きゃっ!?」
隙を見て仕掛けられた体当たりを食らって、吹き飛ばされる。鎧などのまともな防具さえあれば軽傷で済んだだろうが、ニキシーは服しか着ていない。HPゲージは勢いよく減った。
「く……だが」
まだ、生きている。それに光明も見えた。
体当たりのモーションに合わせれば、カウンター気味に攻撃が当てられる。そう判断して、ニキシーは立ち上がる。
「ニキシーさん、危ない! 【ライトヒール】!」
だがその想定どおり事は運ばない。
ニキシーの様子を見て、スタが動いた。ニキシーに回復魔法を飛ばす。
「ギチチッ!」
「――あれ?」
ヘイトが、動いた。
いや、正確にはヘイトは動いていない。巣を攻撃し続けたことで、女王蜂の敵意は一等にスタを向いている。それなのにニキシーを攻撃したのは、スタがステルス状態にあって発見できなかったからだ。
回復魔法をつかったことで、ステルス状態が解ければ――女王蜂のターゲットは、自然とスタに切り替わる。
「ひっ、ひぇっ! に、ニキシーさぁん! たすけてぇ! 自分、ハチダメなんですぅ!」
「えぇ……」
「いや、ホント、ダメで……いぎゃっ! ひぃぃいいい!」
ドンッ! 女王蜂がスタに体当たりをし――そのまま地面へ組み伏せる。
「だめっ、だめっ! ひぃっ! ひぇぇえ!」
ガチッ、ガチッ。女王蜂の顎がスタを狙って噛み合わされる。必死に首を振って避けるスタだったが、限界は近い。
「しっ、しぬっ! しんじゃうぅっ!」
「しかし攻撃が当たらな――あ」
女王蜂はもう飛んでいない。ニキシーに背を向けて、スタに噛み付こうとしている。
無防備だ。いける。
「そのままでお願いします」
ニキシーは斧を振り上げて、じりじりとその場に近づく。
「え? 何? ふぎゃあ! いたっ! いたいぃっ! 噛まれたぁああああ!」
「あ、そのままで」
「ひぃぃ……!」
ニキシーは斧を振り下ろす。狙ったのは背中の中心。だが重さに引きずられて打点がずれ、右後ろの羽根を切り落とすにとどまった。
「ギイッ!?」
とはいえ、有効打だ。後数回で飛行能力を奪って、それからトドメを――
《示せ》
脳裏にひらめく声は、そんな悠長なことは許さなかった。
「【マキ割り】」
すばやく振り上げられた斧を、再度振り下ろす。今度は打点を違えない。背中の中心を打ち据え、ぱきりと外郭を割る。
《示せ》
「【マキ割りマキシマム】」
なんだマキシマムって。
とニキシーが心の中でツッコミを入れている間に、三度振り下ろされた斧は、ぐしゃりと背中に食い込んだ。女王蜂の手足が痙攣する――だが、まだ生きていた。
生きているなら、追撃が必要だ。
《示せ》
SPゲージが空になる。思考に霞がかかる。
「【マキ割りアルティメイタム】」
ニキシーが闇のオーラを背負う。振りかざした斧が、生き物かのように鼓動する。
「ちょ……ちょ、ニキシーさん!? なんかそれっ! それっ、じ、自分巻き込みませんかっ!?」
言われても止めようがない。
「に、にぎゃあああああああ!?」
轟ッ! 何もかも切り裂いて斧は突き進む。
振り切った先の地面をも裂き、衝撃波が周囲の木々を揺らす。
女王蜂は真っ二つになって身動きを止め――
「は……はわゎ……」
スタは――無事だった。足の間に斧が突き刺さっているので、間一髪だったようだが。
「あぁ……ふひゃあ……た、助かりましたぁ……あ、ドロップ回収しますね」
根は図太いのか、あっさり立ち直ったスタは解体用ナイフを使って女王蜂からドロップを回収する。
「へぇ。いくつか素材が出ましたけど、これが高く売れるんでしょかねぇ……ニキシーさん?」
「………」
ニキシーはのそのそと斧をしまう。SP枯渇によるペナルティで眠くないのに寝起きのようにぼんやりとさせられていて、体の動きも鈍い。
「えっとぉ……早速、売りにいきます?」
「……そう……する」
「あ、歩けますかぁ?」
「だい……じょぶ……」
ふらふらとしながらも、ニキシーはスタと共に丘を下り始めた。
それを見て、スタはぽつりとつぶやく。
「……ニキシーさん、そうしてるとなんか、かわいぃですねぇ。舌ったらずな感じっていうかぁ」
「………」
SP枯渇状態になりたくない理由がまたひとつ増えるニキシーだった。