ニキシーとホタル(後)
二人は顔を見合わせて――アーシャは吹き出し、バンカズは肩を落として頭をかいた。
「ふふっ、ふつー、ふつーはね、神経バイパスされてるから現実の体は動かないんだけど。うふっ、ふふふ……」
「なぜ……んで、笑っているんです?」
「ふふっ、うふふ、それはね、この、バンカズがねっ」
「ああー! もー、やめてくれよ! からかわれるぐらいなら自分で言うって!」
バンカズは顔を赤くして言う。
「いや、そのな。ひらめきにもレアなのがあってな。スキルを使うとひらめいて、連続で自動的にそのスキルを使うんだけど、まれにその自動発動したスキルの実行時にも、ひらめくんだよ。すげー低確率なんだけど! すっげー低確率! 二連は一年もやってりゃ一回はあるけど、三連とか、マジ全プレーヤーあつめて片手で数えられるレベルなの!」
「はぁ」
「でさあ、出たわけよ。オレに。三連ひらめきが。岩の巨人っていうボスみたいなやつがいてさ、もう全員死にかけで絶体絶命ってときに! 三連! もうひらめきでた時からテンションあがって、二連でウオオオオ! って感じで、それが三連でドゥオオオオオオ! よ! んで――警察呼ばれたんだわ、リアルで。ピンポン鳴って、警察がこんにちわーどうしましたかーって……」
「えぇ……」
「ふっ、うふふ……あまりに強い意思は、デバイスの制御を抜けてリアルの体をうごかしちゃうことがあるのよね。念のため手足を軽くテープで止めてるのも、そういうことがあるからなの。とはいえ、ほとんどないのよ。バンカズはレアケース中のレアケース。普通はないから安心して」
「……アーシャは、経験は?」
「ないわよ。ほんとレアなんだから。ニュースサイトで記事になるぐらい」
「やめろぉぉ! オレにその話はだいぶ効く!」
ともかく知りたかったことを知ったニキシーは、だいぶ安心した。
現実では鉄面皮とも呼ばれている。たかがゲームで機械の制御を振り切るほど興奮はしないだろう。
「さ、そろそろ先を急ぎましょ。綺麗なのは夜にしか見れないんだから、日が昇ったら台無しよ」
アーシャが言い、ニキシーはその後を追う。
アーシャの使用している魔法でたいていのモンスターは避けられるとのことだったが、そのあたりはニキシーはさっぱりわからなかった。
「ニキシーちゃんは、武器何使う? あのさ、オレは太刀オススメ! あ、それとも魔法系? 遠隔目指す?」
「よくわからんぁいです」
「ん?」
「まだ、続けるかどうかも、よくわからないです。とりあえず今日は、アーシャに言われて遊びに来ただけで……でも、もし続けるなら、簡単なのがいいです。魔法とか、コンボとか、難しくてよくわからないので」
「う、うーん……物理はスキルゲーだし、魔法はめちゃくちゃ種類あるしなぁ……簡単っつわれると」
「あら、コンボならわかるんじゃないの? この間ベヨネッタ3クリアしたって言ってたじゃない」
「あれは攻撃、オートモードがあるから……」
最近のアクションゲームには通称「おかんモード」がついている。ワンボタンを連打しているだけで華麗に攻撃・回避を自動でやってくれるので、実際操作するのは移動、ジャンプ、攻撃ボタンの3つだけだったりするのだ。そして実際、ニキシーはそれだけでクリアした。
「このゲームにもそういうのないの……んですか?」
「ないわねぇ。スキルも魔法も、自分で選んで使うしかないわ。VRだから通常攻撃は自分の体を動かすだけでできるけど」
「じゃあ、通常攻撃で戦えばいいの、かな?」
「いやいや、そりゃ無理だよニキシーちゃん。通常攻撃って、マジ普通の腕力分の攻撃だから。このゲーム、そういう素の部分の強化ってほとんどねぇんだ。序盤はいいけど、すぐスキルを使わないとまともにダメージが出なくなる」
「そう……なんだ」
「あ、いや、多少はさ、成長とか武器で補えるんだけど!」
「ところでなんでホタルドラゴン山って言うんですか、この山」
ニキシーが話題を急転換し、バンカズはずっこけてつまずく。
「ああ……ホタルドラゴンっていう、やべえのが出るんだよ。このゲーム、地名ってほとんど設定されてねえからさ、プレーヤーが話し合って自然と決まっていく感じ? なんだ。だからここはホタルドラゴン山。だせぇだろ?」
「わかりやすくていいです」
「あ、あぁ、そう……」
「補足すると、ホタルドラゴンっていうのもプレーヤーの命名ね。この辺のホタルなんとかっていうのは、最初に発見したプレーヤーがつけたのよ。学者ギルドの間じゃ大顰蹙だったわ」
わかりやすくてよい、とニキシーは心の中で評価した。ホタルドラゴン、いいじゃないか。
「まだリポップしてないはずだし、ホタルドラゴンのことは忘れといていいわ。ああ、目的地が見えてきたわよ。あそこあそこ、あの見晴らしのいいとこ、崖なんだけど」
ずいぶん山道を歩いたはずだが、疲労はそれほどない。現実でなら足にマメができているかもしれない。ゲームでよかった、とニキシーは思う。
「ほらっほらっ! いい眺めでしょう!?」
崖から見た光景は、確かにゲームとは思えない展望だった。
緊張感のある風が吹き、崖の下の森を揺らす。きっとホタルイノシシのようなものがいっぱいいるのだろう、森のあちこちで光が、同じタイミングで明滅していた。都会の夜景と似ているようでまったく違う。
それはどこまでも遠く透き通っていて、赤い月がくっきりと見える。そしてきらめく星々。みたことのない星座。
「ほらっ――あそこ! 今!」
森の木々がぽっかりと空いた穴。真っ黒だった湖面が、緑がかった黄色の光を放ち始める。
「わぁ……」
光は天にあふれていき、まるで光の柱のようになった。
ゲームの中のことと分かっていても、ニキシーは素直にその美しさに感心する。
――そんなことだから、誰も気がつかなかった。
《ヴオオオオオオオオオオオオォォォォッ!》
「!?」
激しい咆哮と共に、姿を現した獣に。
全身に生えそろった強靭な鱗の隙間から光を明滅させる、小山ほどもありそうな竜の姿に。
「げっ、ホタルドラゴン!? ウソだろ、この間討伐されたはずだぞ!」
「報告よりリポップ早かったってこと!?」
ベテランプレイヤー二人は、とっさに戦闘体勢を整える。けれど。
「あっ」
特にスキル効果のない、ただの威嚇だと知らない初心者は。
その響きに身をすくませてしまった、ニキシーは。
「……あッ」
思わず後ろに下がってしまい、崖から足を、踏み外す。
「【バブルクッション】!」
とっさにアーシャが魔法を発動し、落ち行くニキシーの体がシャボン玉の膜で包まれる。が、落下のスピードは変わらない。着地の衝撃を和らげる魔法だからだ。
「待ってろニキシーちゃん、今行くぜ!」
「馬鹿! あんたとあたしはここで足止めよ!」
崖下の森に消えたニキシーを追おうとするバンカズを、アーシャが止める。
「追いかけたらホタルドラゴンもついてくるでしょ。そしたら範囲攻撃に巻き込まれるかもしれないし。ならここで倒しちゃうのが正解よ。ニキシーもじっとしてれば、そうすぐにエンカウントしないはず。それとも――自信ない?」
「チッ……言ったな? やってやろうじゃんか」
バンカズはニヤリと笑って太刀を構える。
「惚れちゃっても知らないぜ?」
「ないわね……」
「………」
「ないわよ……?」
「……もててぇなぁ……コンビで狩ったとか自慢したら、ひとりふたりぐらい……」
バンカズがつぶやいたそのとき、ホタルドラゴンも動く。息を大きく吸い込み、牛を丸呑みできそうな口が、がばりと開く。
《【閃光暗黒ノブレス】》
声にならない竜のスキル発動が、二人の脳裏に響き――
崖の上は、ほとばしる光の奔流と、それを切り裂く闇に包まれた。
◇ ◇ ◇
「いた……くない」
一方崖下に落ちたニキシーは、目を開くと体に傷ひとつついていないことを確認した。
「死ぬかと思ったが……いや、ゲームだから、落下では死なないのか?」
結論から言うとVRMMORPG『ドロクサーガ』はシビアに落下ダメージを設定している。アーシャの魔法がなければニキシーは即死だった。が、さすがに落下の恐怖から目を閉じてしまっていたニキシーは、なぜ助かったのかよく分からない。
「ほっ」
よく分からないので、ちょっとジャンプして背中から落ちてみる。
「ぐぇっ……!」
痛かった。が、鈍い痛みはすぐに引いていく。
「コントローラの振動みたいなものだな……」
仕様的にはどんなにひどいダメージを受けても、こぐわずかな刺激を一時的に感じるだけだ。が、人間の錯覚とは怖いもので、痛みを自分で勝手に増幅して感じてしまう。あまりに強い刺激を与えると、増幅の結果現実で気絶しかねないため、そのように制限されているのだ。――制限されてなお、錯覚による増幅はリアルに痛みを感じさせるのだが。
「とはいえ、痛いものは痛い」
死んでもゲームだから安全は確保されている。チュートリアルでしっかり説明された。
が、だからといって、痛くなりたいわけではない。なるべくなら死にたくない。
「武器ぐらい装備しておくか」
後ろ手にバックパックを触る。が、意外と体勢が辛かった。
「これは……胸の谷間のほうが楽かもしれん」
ゲーム的には『入れ物』に触りさえすればインベントリメニューが開き、中のアイテムを取り出せるので、バックパックでもわざわざ背中からおろしたり、袋を開ける必要はないのだが、とにかく後ろに手を回すのが辛かった。
「初心者の剣……いかにもゲーム的な名前だな」
何が初心者かというと、軽いし、刃が潰してある。うっかり自分を切らないように、ということだ。きちんと取り扱いに慣れてから刃のある武器を買う。自身の身体感覚を使うVRMMOならではの配慮だ。
崖の上では戦闘が繰り広げられているのだろう、激しい地響きが聞こえる。
「おっと……あぶない」
それだけではなく、ぱらぱらと石も降ってきた。腕に当たって、痛い。ダメージがある。
「もしかして崩れたりするのか? ……少し離れたほうがいいな」
果たしてその判断は、失敗だった。
数メートル離れたところで、木の上からモンスターが降ってくる。
「ホタルイノシシ、ホタルドラゴンときて、こいつはさしずめ……ホタルイカか」
宙に浮くその姿を見て、ニキシーはつぶやき。
「いや待て。ホタルイカなら現実にいるぞ。そもそもエンペラの部分が光っているがそこは尻か?」
その容姿にツッコミを入れずにはいられなかった。それゆえ、攻撃に反応できない。巨木とひとしい太さの胴体が空中でくるりと横向きになり、ひとつに束ねたゲソがムチのようにしなってニキシーを叩きつける。
「きゃあ!?」
全身に激しい痛み。ゴロゴロと無力に地面を転がる。
本来なら。ゲームを始めたばかりのニキシーは、この一撃で即死するはずだった。そうならずにHPゲージが1ドットで踏みとどまっているのには理由がある。
「ぐ、うう……」
戦闘チュートリアルをスキップしたからだ。アーシャとの合流のため、最低限の操作説明しかしないクイックチュートリアルでゲームを始めたニキシーには、初回戦闘に限っての死亡保護がかかっていた。このゲームにおけるほんのわずかの良心――
「く、そ……」
だがそれがなんだというのだろう。視界の隅にいまさら戦闘と死亡についてのチュートリアルテキストが表示される。が、この状況で見る暇はないし、見て何が変わるわけでもない。
このままなら、もう一撃を食らって死ぬだけだ。
このままなら。
「うああああっ!」
ニキシーは悲鳴のような雄叫びを上げて、剣を抱えるようにして突撃した。痛みが心の奥底から本能を呼び覚ます。怒り、恐怖、普段の生活ではまるで感じないそれに衝き動かされる。
狙うは剥き出しの眼球。眼さえ潰せば逃げられるかもしれない。
「ああああああっ!」
ガツッ!
──鈍い音と共に、ニキシーの動きが止まる。
その剣は、ホタルイカの眼球を貫くことはなかった。剣は眼球な触れたところで、その弾力にすべての勢いを殺されていた。
「ああ……」
ニキシーの顔が、思考が、絶望に染まりかけた──そのとき。
《示せ》
脳裏に、何者かの声が響く。
《示せ、力を》
無意識のうちに、ニキシーは叫んだ。
「【大切断】!」
三つのことが起きる。
ニキシーの体がひとりでに動き、振り上げた剣がホタルイカのゲソを打つ──が、弾かれる。初心者が初期武器でダメージを与えられるようなフィールドではないのだ。
続いて、凄まじい倦怠感に思考力が低下する。ひらめき放ったスキルによる消費で、スキル使用に必要なSPが0になり、ペナルティを受けたのだ。寝起きよりひどく頭が働かない。
そして、三つ目。
《示せ》
連続しての、ひらめき。
「【微塵切り】」
ニキシーの剣が縦横無尽に走る。高速の連撃──だが、弾かれる。三年間鍛えたアーシャ達でさえ気を抜けば死にかねないこのフィールドで、中位のスキルを使った程度では。
《示せ》
スキルをひらめいたときに限り、SPが必要量に達していなくてもスキルは発動する。
「【分解剣】」
防御力を無視して部位破壊を狙った連撃を繰り出す高位スキル。現時点で上位にいる片手剣使いの奥の手として放たれるそれは、初めてホタルイカの皮を切り裂いた。だが、浅い。ゲソの切断には至らない。
《示せ》
四連続のひらめき。前人未到のそれは、プレーヤー間で「システム的に三回までが限度ではないか」と諦められていた。三連続でさえプレーヤー総数と報告数から、宝くじの一等に等しいと予測されていた。連続してひらめくほど確率が下がることも、初期キャラにエンドコンテンツのドラゴンを殴らせる検証を積み重ねて判明している。ひらめいたあとそのスキルを普通に使用すれば99%ひらめくスキルが、二連続では0.1%を切るのだ。
四連続はプレーヤー予想では、0.0000000001%ともいわれる。
「【分子分解】」
剣が光輝き、振り抜かれる。その軌跡にあったゲソと、ニキシーの剣が、光の粒子となって消えていく。防御力無視、攻撃力無視で触れたものを武器ごと消滅させるスキル。
ホタルイカは死んでいない。ゲソの半分を失っただけだ。まだ動ける。眼はニキシーを追う。
《示せ》
ニキシーも、動く。その手に剣はない──
「【ブルーレーザーブレード】」
振り上げた手の中に、眩く煌めく青い光の剣が出現する。光は天を貫き、森の中は真昼のように青く染まる。
青い光が閃いたあと、森の一角には何者も存在しない空白地帯が生まれていた。