ニキシーと空気
「ああ、いたいた。ニキシー、こっちよ」
人ごみの中で手を振るセレリアを見つけて、ニキシーはそちらに駆け寄った。
「すいません。遅くなりました」
「別にいいわよ――って」
セレリアはニキシーの様子を見て、顔をしかめる。
「……なんか、服が血まみれでボロボロなんだけど、何かあったの?」
「……血まみれなのはセレリアさんが買った時点からですけど」
ニキシーは己の姿を見下ろす。
もう数日この格好なので見慣れてしまったが、やはり人前に立つ格好ではない。
「まあ……いろいろありました」
砂丘でのことはあまり言いたくない。
「そういうわけで、首都ではまずは――服屋を案内してもらえませんか?」
◇ ◇ ◇
VRMMORPG『ドロクサーガ』で、プレーヤーが冒険することになる国の名は、ドロシア王国。その首都の名をドロクという。サービス開始当初から三年後の今に至るまで、プレーヤーたちで賑わう街だ。
三年経過しても、初めて訪れた首都が大部分のプレーヤーの拠点になっているのにはいくつか理由がある。だがその最も大きなところは、この世界の構造だろう。
現状公開されている地上マップは、ドロシア王国のみが存在し、首都ドロクがその中心となっているのだ。移動に膨大な時間を費やすドロクサーガにおいて、アクセスのよさと施設の充実度は重要だった。
もちろん他にも様々な町があり、それぞれ特色があるのだが、そこはMMORPGである。地方でしか買えないようなアイテムは、プレーヤーが首都まで持ってきて転売している。首都ドロクは名実共に経済と物流と冒険者の中心なのだ。
「あたしのオススメはここね!」
なので、セレリアもNPCが経営している店舗ではなく、大通り――通称、露店通りを案内した。
通りの左右を、プレイヤーが販売員NPCを雇用して開いている露店が埋め尽くしている。その中でも特に広くスペースを取っているのが、色とりどりの服をマネキンに着せている露店だ。
「これは……すごい」
「現実みたいよね、デザインも豊富だし」
物によって装備可能な部位が決まっているため、現実と同じようなファッションは楽しめないのだが、そこは不自由から工夫を生み出すのがプレーヤーである。マネキンに着せられた渾身の組み合わせは、ゲーム内で独自の文化を生み出しており、それがニキシーにはとても斬新で目新しく見えた。
「こういうのとかどう? 似合うと思ってたのよね」
「ちょっと幼すぎませんか? それならこっちのほうが……」
「そういうアバターじゃない。そっちはなんか中性的って感じが強くない? それならこっちと合わせて~」
あれこれとっかえひっかえ服を見て回って出た結論は――
「とてもいい、と思うんですけど……手持ちが足りないです」
「そうね……」
資金不足だった。
なにせドロクサーガはサービス開始から三年が経過している。となれば、初期から参加しているプレーヤーはそこそこ資産が貯まっている。そうなると生産品も高品質のものしか売れなくなり、高品質以外のものは店に出さなくなってしまう。
これがもう少し優しいゲームであったら、採算度外視の赤字店などもあったりするのだが、ドロクサーガで赤字とは死を意味するに等しい。どの店もきっちり利益を確保している。
後ろ髪引かれる思いをしながら、ニキシーたちはNPCが構える店舗へと向かい、必要な買い物を済ませた。
「まあ、いいんじゃない?」
胡桃色の長そで、ベルト、黒い長ズボンに革のブーツ。『騎士見習いの服』を着たニキシーをセレリアは評する。
「スマートな感じよね。もうちょっと女の子っぽい服でもよかったと思うけど」
「動きやすいほうがいいと思って。男女共用の服みたいですし」
確かに『騎士見習いの服』に『(男)』や『(女)』の表記はないが、共用装備というのは正確ではない。ドロクサーガでは『農民の服(女)』であっても、男性型プレーヤーが着用できる。性別によって着れない服というのはないのだ。
「そういえばもうひとつ買ってたけど、予備かしら?」
「いえ……ああ、もうこんな時間。すいません、ついてきてもらっていいですか」
今度はニキシーが先にたち、首都の町並みを歩く。
「それにしても人が多いですね。こんなにプレーヤーがいるだなんて」
「通行人とか住人の大半はNPCらしいわよ」
「……そうなんですか」
店舗のNPC以外は全員プレーヤーだと思い込んでいたニキシーである。
「見分ける方法ってあるんですか?」
「NPC同士は分かってるらしいけど、プレーヤーが見分ける確実な方法はないって話だったわ」
NPCはAIが操作している。技術の進歩により、その動きや会話は、本物の人間となんら変わらないレベルに達していた。なんなら、AIの方が人間らしいとまで評する人たちもいる。
「ああ……殺してもゴーストにならないのがNPCらしいけど、確認してみる?」
「そういうのは遠慮します。――っと、ここです。少し待っててください」
「いいけど……ん?」
通りから離れた路地に入ると、ニキシーは道の端のほうで座り込み、四角く切られた蓋――マンホールを開く。そして、インベントリーから服を取り出して投げ入れた。
「……何してるの?」
「まあ……お金を出してもらったので……」
ニキシーはマンホールの蓋を閉める。
「ですが、これで義理は果たしました。さあ、着替えているうちに――」
「ちょ、ちょっと、ニキシーさん! なんで閉めるんですかぁ!」
マンホールの蓋が開くと、地下からニョキッと、スタが姿を現した。
首から上は、これまでと同じ〈・x・〉のかぶり物。首から下は『シスターの服』。黒を基調とした聖職者の服だ。とはいえ、ゲーム風にアレンジされていて、静謐というよりはかわいい感じである。
「ああー、都会だ! 街だ! 服だー! くぅぅ、ジミナメクジな自分も、ようやく着人にっ。それもこれもニキシーさんのおかげですよぉ……!」
「ああ……うん……はい」
あわよくば置いていこうと思っていたニキシーは、失敗して空ろな顔で応じる。
着替えに時間がかかると思い込んでいたが、ここはゲーム内なのでインベントリーから装着するのは一瞬なのであった。
「なに、この……コンビニ袋かぶった人。ニキシーの知り合い?」
「こっ、コンビニ袋じゃないですよぉ! これは課金アイテムでぇ……そのぉ……」
スタの声がだんだん小さくなり、その姿はニキシーの小さい背中の陰に隠れる。
「あのぅ……ニキシーさん、お、お知り合いですかぁ……?」
「わたしに隠れないでもらえますか」
「いぇその、自分、コミュ力ヘボナメクジなんでぇ……」
「わたしにはそれなりに話してたじゃないですか」
「師匠ってポジションだからでしょかねぇ、なんか安心して」
「やめてください」
師匠になんてなる気はない。ないが、とりあえず紹介しないと場が収まりそうになかった。
「こちらはセレリアさん。初心者町から同行している、旅の仲間です」
ニキシーはまずセレリアを紹介する。
「それで――こちらは、スタさん。首都への道すがら知り合って、首都に入る道を教えてもらいました」
「ど、どもぉ、ヒメ・スタスタです。へへぇ……」
「よろしく――えーと」
セレリアはじろじろとスタを見る。
「ゴミ袋姫?」
「だっ、だからこれ〈・x・〉は、ゴミ袋でもなくてぇ!」
「冗談よ。けど、ヒメ、ヒメね……いや、キツいわね……」
「き、キツい!?」
「だって、ヒメよヒメ。お姫様気分か! って感じよ。自分でそんな名前つけるなんて、ちょっとどうかと思うわ。シスター服でヒメとか、もう……狙いすぎだと思うわよ?」
「が、がーん!」
セレリアがズバズバ言う内容に、ニキシーも頷きたかった。
だが、ヒメなのだ。同じ名前をもつニキシーは複雑な気持ちである。
「まあ、それぐらいにしましょう、セレリアさん」
「そうね……じゃ、あたしもスタって呼ぶことにするわ。いいわよね?」
「はいぃ……ドベナメクジな自分は、どんなあだ名でも呼んでもらえるだけで十分ですぅ……」
スタは背中を丸めて指を突きあわせると、上目遣い? でセレリアを見た。
「あの、その、フレンド登録しても?」
「いくらニキシーの知り合いでも、覆面の変人はちょっと」
「へ、へんじん……!? はうぅ……ショックですぅ……」
「脱げばいいじゃないですか」
ニキシーは至極まっとうなことを指摘した。
そう、脱げばいい。もうかぶり物を脱いだからといって、完全な全裸になるわけではないのだから。
「それは……恥ずかしいじゃないですかぁ」
スタが身をくねらせて答え、ニキシーは疑念を深くする。
では、全裸のほうが恥ずかしくなかったんだろうか……? と。
◇ ◇ ◇
「すっかり時間が経ってしまいましたね」
「ああ、本当ね。いつもの時間にログアウトするの?」
「そのつもりです」
服屋につかまっていた時間が長すぎた。ログアウトして就寝するまで、中途半端に時間が残っている。
「お金を稼がないといけない、とは思うんですけど……今からできることはあるでしょうか?」
「街から出て、狩場まで行くとなるとちょっと時間が足りないわね」
首都は大きい。南ルーシグの何倍もの広さがある。施設の数も桁違いで、見て回るのにどれだけ時間がかかるかわかったものではない。
「広いんですねぇ、首都って」
「そうすると……少し街を見学しておしまい、でしょうか……」
「あ、それなら」
ぱん、とセレリアが両手を合わせる。
「ちょっと付き合ってほしいところがあるんだけど、いいかしら? あたしがお金は出すから。ね?」
「いいですよ」
「自分もご一緒しますぅ」
特にすることも思いつかなかったニキシーは、セレリアの提案に乗る。
一行はセレリアを先頭にして、大通りを歩き出した。
「それで、どこに行くんですか?」
「ニキシーと、あとついでにスタも、このゲームで食べ物って食べたこと、ある?」
セレリアの問いかけに、ニキシーとスタは顔を見合わせる。
「そういえばないですね」
「自分もないですぅ」
よく考えればニキシーというキャラクターは何日も飲み食いしていないことになるが、特にそれで飢えや渇きを感じたこともない。
「そう。あたしもないのよね」
セレリアは、「ディーから聞いたことなんだけど」、と前置きしてから続ける。
「このゲームにおいて、食事って空気らしいのよ」
「空気……?」
「自分も空気ってよく言われますねぇ」
「ああ……まあ、そういう意味の空気だと思うわ」
「あぅぅ。そこは否定というか慰めをくださいよぉ……」
「実際、料理とかはスキルとして存在するし、食べ物もアイテムとして存在するのよ」
セレリアはメソメソとするスタを無視して続ける。
「でも、食事しなくてもゲーム的に不便はないし、食事したところで何の影響も受けないんですって。だから、空気なんでしょうね」
「なるほど……」
この泥臭いゲームのことである。きっとそんな何の効果もない食べ物も、それなりの金額がするのだろう。懐が寂しい冒険者にとっては、他に買うべきものはたくさんあり、食べ物は空気扱いされる。納得の流れだった。
「でも、効果がないからって楽しみを捨てるのは、もったいないと思わない!?」
二人を振り返って、セレリアは問いかける。だが答えは待っていなかった。
「ということで、ここよ!」
セレリアはひとつの店舗を指し示す。大通りに向けてオープンテラスを備えた、雰囲気の良いカフェだ。
「見たのよね、すっごいおいしそうなケーキ食べてるところ。それからずっと行ってみたくて。さあ、入って入って」
「ケーキ! 自分、大好きですよぉ!」
ニキシーだってケーキは好きだ。是非もない。三人はぞろぞろと店に入り、店員の案内で席に座る。
おごるんだから自分に選ばせろ、というセレリアがぽんぽんとケーキセットを三つ注文。
「おおおぉ……!」
「す、すぎょぃい……!」
しばらく待って到着したケーキが到着すると、セレリアとスタは感嘆の声をあげる。
羽根の形に細工されたホワイトチョコが飾られるシンプルなガトーショコラ、パリパリの皮と黄金色のクリームが重なったミルフィーユ、色とりどりのフルーツの乗ったタルト。
「これは……すごい」
どれも本物にしか見えなかった。いや、本物以上だ。唾液が出て仕方がない。サイズも大きめで頼もしい。
「現実ならこんな贅沢できないわね……太りそうだわ」
「いやぁ、ゲームでよかったですよぉ。なにこれおいしそうぅ……!」
そうだ、ゲームなら太らない。いくら食べたって太るわけがない。
「いい? 交換だからね。一口食べたら交換!」
「わかってますよぉ! ああもう我慢できないぃ……!」
「……では」
三人はフォークを手に、一斉に獲物に取りかかる。
おお、フルーツを覆うナパージュの輝きよ!
ぱくり。
「………」
もぐ、もぐ。
「………」
ごくり。
「――これは――」
最初に口を開いたのは、セレリアだった。
「空気、ね」
おそらく責任を感じているのだろう。率先して、そう結論付ける。
「えぇ……そですねぇ……空気、ですねぇ。ミルフィーユ、切るの大変かなって思ったんですけどねぇ……」
「フォークを刺したときから、嫌な予感はしていましたが……」
フォークを突き刺すのがもったいないほど、かわいくておいしそうなケーキ。
それに意を決してフォークを突き刺すと――ケーキはひとかたまりのブロック状になって、フォークの先端にくっついた。ちょうど三分の一程度の部分で、くっきりと切り取られて。
疑念を抱きながらも、その大きな塊に口をつけた瞬間。
ケーキはフォークの先端から消え、口の中に圧迫感が広がる。
膨らましていた風船の空気が、急に逆流してきた――そんな感じだ。だが、空気と違って口をあけても圧迫感はなくならない。
ひと噛み、ふた噛み。顎を動かすと、圧迫感が喉元へ移行する。それを飲み込む――圧迫感が消える。
それだけ、だった。
「味も匂いもしなかったわね……」
「食感もですよぉ……」
ドロクサーガが提唱する、安全規定のひとつである。
VR以前から、ゲームに没頭して食事を忘れてしまう、というのはひとつの社会問題となっていた。
寝食を忘れてゲームをし続けて、ついには死亡してしまった、というレアケースも存在する。
小難しい話をすれば、没入型VRの開発当初、食事の再現技術は摂食障害の治療目的で研究されていたし、高いレベルで再現が可能になったのだが――逆にそれが現実での食事から乖離してしまう症例を引き起こした。
VRでおいしい食事をしてしまうと、現実での食事に意欲が沸かなくなったり、VRで満腹感を得て無理なダイエットをしようとしてしまう、という危険性が出てきたのだ。
そのためドロクサーガでは、食事で味覚や満腹感を覚えることがないようになっている。
何を食べても、何を飲んでも、ただの空気である。
だが。
「――こんなにおいしそうなのにぃ……」
ビジュアル面だけは、恐ろしいほどこだわって作り上げられていた。
ドロクサーガの料理は、どれを見ても食欲をそそられる、グラフィック職人の珠玉の一品である。かつてのゲームでおにぎりに狂気的なリソースが注ぎ込まれたように、テーブルの上のケーキは精細でどこから見ても本物以上である。担当者の熱意と狂気を感じてならない。
だが、空気だ。
「これって……もう、あれよね」
そしてドロクサーガのプレーヤーたちは、その狂気にもうひとつ名前を与える。
「飯テロよね」
ニキシーとスタは、深く頷く。
――ゲームからログアウトした後、ニキシーはベッドに向かわず、ケーキを買いに出かけるのだった。