ニキシーとナメクジ(後)
やっぱり変態だ。
ニキシーはその光景を見て確信した。
「ひゃあぁ、だっ、だめぇ、うひぃ! くすぐったぁ……ぁぅっ!」
ニキシーはどうしてこうなったのかと、遠い目で記憶を振り返った。
◇ ◇ ◇
スタに案内され、ニキシーは地下にやってきていた。
「暗くて何も見えませんね」
「ああ、明かりをつけますねぇ」
スタは〈・x・〉のかぶり物に手を突っ込むと、スペルブックを取り出した。
胸や股間よりはマシだが、それでも見てギョッとする光景である。
「【フォローライト】」
スペルを唱えると、野球のボールほどの光の玉がふわりと浮かんで辺りを照らす。サイズにしてはかなり明るく、視界の端までよく見えた。
「明るいですね」
「昔は範囲も明るさも小さかったそうですよぉ。ほら、今って、夜でも明るいじゃないですか? 昔は夜は本当に真っ暗だったって聞きましたしぃ」
「確かに、夜なのにしっかりと物が判別できますよね……」
ドロクサーガのゲーム内時間は、1日が現実世界での23時間になっている。夜の時間は6時間。
そうするとどうなるか? 毎日決まった時間にログインして3時間遊ぶとして、23日周期のうち6日間は半分以上が夜になる。完全に視界が闇にふさがれてしまい、松明や魔法のわずかな明かりでは満足に行動できない――さすがにプレーヤーたちの不満が爆発した。
結果、珍しく運営側が譲歩する。夜でも屋外では物が見える程度――現実での夕方程度の明るさに抑えられ、光源系のアイテムや魔法は範囲と光量が強化。さすがにダンジョンに入るときは光源が必要だったが、屋外で行動する分には問題がなくなったのだ。
「こっちです、こっち。首都にはここから入るんですよぉ」
入り口の様子から予想は立てていたが、やはり下水道だった。全面が石を積んでできたトンネルで、真ん中のくぼんだ部分ではドブドブと汚水が流れている。点検用に設けられているのであろう、左右にわずかな通路があって、それをさっさとスタは歩いていく。
「臭い……」
その後を追いながら、ニキシーは何よりその下水の不快さに驚いていた。
臭いし、じめじめしている。ハエのような虫が何かにたかってブンブン言っている。
それらの不快さを再現できる技術にも驚いたし、だからといって再現するゲーム側にも驚いている。
「まぁ、少ししたら慣れますよぉ」
「そういうものですか……」
「大丈夫ですよぉ、体とかに臭いが移ったりはしないですし」
そういう問題でもないが、と口の中で呟きながらも、ニキシーは下水道を歩いていく。
「なぜ下水に入れるのでしょう……こういう施設は、普通は閉鎖されているはずでは」
「昔は入れなかったらしいですよぉ」
先導しながらスタは説明する。
「サービス開始一周年で、大型アップデートが入ったときに解放されたエリアだって言ってましたねぇ」
「なぜ、下水なんかを?」
「ここから魔界に行けるんだそうですよ」
「えぇ……」
なぜ首都の下水が魔界につながっているのだ。
「その時のアップデートで、いろんな下水道の入り口が追加されて、おかげさまで町の外から、下水経由で首都に入れるようになったんですよぉ」
……ん?
「それでは、アップデート前は、誰も首都に入れなかったんですか?」
「え、そんなことないですよぉ?」
「でも下水の入り口が追加されて入れるようになったって……」
「そうですけど?」
「……それより前は、どうやって首都に?」
スタは腕を組んで首をかしげた。
「いや、普通に城壁にある城門からですよぉ?」
………。
「……今は、城門からは入れないのですか?」
「あっ」
スタは足を止めて、ゆっくりと振り返り――
「て、てへ、ぺろ?」
と言って自分で頭を小突いた。
「はぁ……」
「あぁぁ、ごめんなさいぃ、ゲロナメクジな自分がテヘペロなんておこがましかったですぅ!」
「いえ……そこはどうでもいいんですが」
「はぃぃ、そうですよねぇ! 自分なんてどうでもいいですぅ! えっと――そう、地下、下水を通る理由はぁ……」
理由は簡単である。スタはそのルートしか知らなかったからだ。
全裸集団『スターカーズ』の悪名は高い。そのため城門を通ればたちまち自警団に通報され、追い返されてしまうのだ。そのため大型アップデートまで、スターカーズは首都に足を踏み入れられなかった。
だが、アップデート後は下水経由の出入りが可能な箇所が無数に増えた。そこでスターカーズは地下を調べつくして、下水から首都に入り込み、自警団が到着するまでに目的の設備を使う術を生み出したのである。
「研修で一度だけ首都に来ていてぇ……」
「……一度だけ?」
「だ、大丈夫ですぅ! 道はちゃんと覚えてますからぁ!」
ニキシーは疑いの目でスタを見る。
「ほ、本当ですよぅ!? いっ、いいですかぁ、下水にはモンスターも出るから、ちゃんとしたルートを通らないと危険なんです。だから、置いて一人で戻ったりしないでくださいお願いしますぅ……」
「……ここまで来たんですから、戻りませんよ」
戻りたくても、すでに何度も分岐路を曲がっている。ニキシーには帰れる自信がなかった。
「案内、しっかりお願いしますよ」
「はいぃ! このヘボナメクジめにお任せくださいぃ……!」
そうして、スタの先導で歩くこと数十分。
「……あの、スタさん」
ニキシーは不安になって声をかけた。
「だいぶ歩きましたが、あとどれぐらいで首都に出るのですか?」
「あぁ、ええぇと、たぶん、もう少しだとぉ……」
「――スタさん」
ニキシーは、声を一段大きくした。
「迷いましたね?」
「………」
ゆっくりと振り返るスタの〈・x・〉を、まっすぐ睨みつける。
「迷いましたよね?」
「ニャー」
「ごまかさないでください」
「ちっ、ちがっ! 今のは自分じゃないですぅ!」
スタが必死に否定するのを疑いの目で見ていると、再びどこかから「ニャー」という声がした。
「確かに……猫でも迷い込んでいるのでしょうか?」
「いや、これは――危ないっ! 下がって!」
スタが〈・x・〉から武器――メイスを取り出し、ニキシーの前に出る。
猫のような鳴き声とともに、ズルッズルッと何かが這いずるような音が近づき――ソレが姿を現した。
「ニャー」
ニキシーは困惑する。
「猫……ナメクジ……?」
「ナメクジネコですぅ!」
豚ほどのサイズの大ナメクジ。体にはトラ模様がついていて、顔はデフォルメされた猫。それがウゾウゾ這いずりながらニャーニャー言っていた。
「見た目どおり、凶悪なモンスターなんですぅ!」
二人を視界に入れても、襲い掛かってこない。ノンアクティブモンスターである。
スタは敵意をむき出しにしてそれと対峙しているが、ニキシーは――
「意外とかわいいですね」
「え゛っ!?」
「太った猫みたいじゃないですか。足が体に埋まったデブネコと思えば……」
高評価だった。
「まあさすがに触りたくはな――」
「ゆっ」
スタが、震える。
「ゆるせない」
「は?」
「自分はこんなにニキシーさんから距離をおかれてるのに、同じナメクジのクセに、一発で気に入られるなんてぇ……ッ」
スタは恨みの炎をメラメラと〈・x・〉の中に灯した。
「ゆるせない……ぶっつぶしてやりますぅ!」
「えぇ……」
なぜモンスターと自分を比べて燃えているのか、ニキシーには良くわからない。
かわいいけど触りたくないモンスターと、全裸を比べたら、前者の方に好感を持つのは仕方ないと思う。
「ノンアクティブ? だし、わざわざ倒さなくてもいいんじゃないですか」
「ウジナメクジとして負けられないんですぅ!」
何ナメクジでも構わないが、ナメクジに対抗意識を燃やすのはどうかと思う。
「それにこいつは雑魚なんですよ。クランの人たちがお小遣い稼ぎだって、移動ついでに一撃で倒してましたからねぇ! ふ、ふふひぃ!」
聞く耳持たないスタは、メイスを振り上げる。
「見ててくださいぃ! そして自分の株もアゲてくださいぃ! せーの、【渾身撃】!」
全身の力を使って、スタはナメクジ猫にメイスを叩きつけ――
「ブニャア!?」
「あれぇ!?」
そのぐにゃぐにゃした体に受け流されて、バランスを崩してすっ転んだ。
ドロクサーガには属性がある――ということが、プレーヤーの検証の結果判明している。
オフィシャルのガイドには一切記載されていないし、ゲーム中で正確に判別する方法もないが、属性による有利不利が確かに存在していた。例えば金属鎧は刺突属性に強いが、打撃属性に弱い、という具合に。
特にモンスターの中には極端な属性を持っているものがおり、ナメクジ猫もその一匹だった。打撃属性に極端に強いのだ。スタの一撃をものともせず、攻撃に反応してアクティブとなる。
「ウニャーッ!」
「あっ、あれっ、ひぃやああ!?」
転んだスタにナメクジ猫がのしかかり、その身の自由を奪う。
「やっ、だっ、くすぐったぁ! うひっ、ひいぃぃっ! あっ、あぅっ」
ナメクジ猫の下で、スタは悶絶する。
「だっ、だめだめ、ひいっ!」
不幸な事故だった。
ナメクジ猫の攻撃力は低い。普通なら、まとわりつかれても動きが疎外される程度である。
服を着ていれば。防具を装備していれば。
あるいは攻撃をしかけなければ。一撃で倒してさえいれば。
ナメクジが素肌を這う、妙にリアルな感触に悶えてしまうこともなかったのだが。
「たっ、たしゅっ、たすけてぇ! ニキシーさっ、あっく……たすけぇ……んぅっ……くださぃぃ」
「えぇ……」
その様子にドン引きしていたニキシーは、助けを求められてゲンナリする。
「自分でなんとかできませんか?」
「らっ、らめで……ひぅっ! これ以上、うごいたっ……はうぅっ……おかしくなっ……」
「えぇ……」
「そ、それにっ! HPもっ! っく……減ってぇ……んぅっ……く……し、しんじゃう……」
微量の酸によるダメージが、スタのHPを削っていた。これも全裸でなければ無視できるものなのだが。
「……気が引けるんですが」
ニキシーは溜め息を吐いて、インベントリーから初心者用の細剣を取り出した。
見た目はかわいいがモンスターで、全裸とはいえ同行者が襲われている。助けるべきだろう。とは思う。
が、それでもニキシーはナメクジ猫を倒すのに気が引けた。猫派なのだ。
「少しつついたら、離れてくれる……か?」
びっくりして飛びのくかもしれない。猫とはそういうものだ。
ニキシーはなるべく穏便に追い払おうと、細剣の先端でナメクジ猫を軽く突いた。
《示せ》
「あ」
脳裏に声が響く。体が自身の意図を外れて動き出す。
「【スラスト】」
細剣技の初期スキル。まっすぐな突きが、ナメクジ猫の表皮を切り裂く。
「ヴニャア!?」
痛みと悲鳴でナメクジ猫の動きが止まる。
《示せ》
ニキシーは、止まらない。
「【ダブルシェイド】」
ニキシーの姿が二つになる。分身から繰り出される同時攻撃。ナメクジ猫は傷口から白い粘液を流しながら、スタの上から転がり落ちる。
その姿を目で追いながら――ニキシーは呪った。
《示せ》
SPが空になる。どッと思考に霞がかかる。それでも体は勝手に動いた。
「【ソードダンシング】」
ニキシーの姿が六つになる。演舞のように正確に迷いなく、六つの剣が対象を次々に切り裂く。
そしてようやくニキシーは止まった。
寝起きのような重たい頭で、細切れになってドロドロに崩れたモンスターを前にして。
「……て」
「うへぇ……ドロドロ……た、助かりましたぁ、もう残りHP、1ミリでしたよぉ」
「……ひらめき、なんて……よけいな、おせわだ……」
「え? なに? なんです? 何か言いましたかぁ?」
スタは助けた。それはよかった。モンスターを倒したのも、それしか方法はなかったのかもしれない。
だが、それが自分の意志ではないというのが、なんとも気に食わなかった。
「……ねる」
「えっ?」
それだけ言うと、ニキシーはゲームからログアウトした。
下水道に一人残されたスタは、ニキシーが消えた辺りをただ困惑して見つめるのだった。