ニキシーとナメクジ(前)
VRの黎明期、まだまだ映像投影型だった時代、VRはプレーヤーを没頭させることに専念していた。ヘッドセットを外さなければVR以外のことは何もできない……そんな不便さは、徐々にVR側が没頭を諦めることで緩和されていった。
ドロクサーガもその流れの例に漏れず、スマホと連携して没入中でもスマホの機能が使えるようになっている。チャット、通話、Webの閲覧、なんならゲームだって可能だ。VRの世界とスマホは切って離せない関係にある。
そんなわけで、ドロクサーガでフレンドとなった相手とは、リアルでもスマホを通じてやり取りできる。
『ニキシー、こんばんは。どうかしら、調子は』
その夜、フレンドチャットを通じてコンタクトを取ってきたのはセレリアだった。
『ちょうどログインしようとしていたところです』
『そうなの。あたしはちょっと遅れるわ。だッ……ディーが風邪を引いて、その見舞いに行ってたから』
セレリアとディーザンはリアルの友人同士だと聞いている。
『仲がいいんですね』
『腐れ縁よ。あいつ、あれで今日もログインするって言うんだから、ベッドに叩き込んできたわ。まあそれはいいのよ。本題はあんた。首都にはついたの?』
『もう少しです』
昨日は首都に到着する前に、眠気が来てログアウトしてしまった。
『そう? 本当に? うっかり死んで南ルーシグまで戻ってるとかなら、正直に言ってちょうだい。責任持ってディーに迎えに行かせるから……って、風邪だったんだわ。あんな大変なルートを提案した張本人のくせに』
『いえ、本当に目の前まで来ているので、大丈夫ですよ』
『ならいいんだけど。じゃあ、後で首都で合流かしら? そしたら、町を案内してあげるから』
『ええ。到着したら連絡します』
チャットを終えると、ニキシーはてきぱきとヘッドセットをつける準備をした。アーシャがその様子を見たら、『ウキウキしている』とでも評されたかもしれない。ニキシーも多少は認めてもいい。ひらめかない戦闘はそれほど楽しかった。ああいう戦闘が待ち構える世界なら、好きになれそうだった。
◇ ◇ ◇
ログインすると、目の前に全裸がいた。
しゃがんで座って、スマホをいじっている。
「あっ」
全裸が気づいて、顔を上げたところで、ニキシーは――
ログアウトする。
◇ ◇ ◇
「いかんいかん。気が昂ぶりすぎていたようだな。コーヒーでも飲むか」
ニキシーはヘッドセットを外してキッチンへ行き、コーヒーカップに粉末をドサドサと入れる。
コーヒーが1。ココアが9の割合。注ぐのはホットミルク。砂糖は2杯。
「ふう」
じっくり時間をかけて飲み干し、念のためトイレも済ませてから、ヘッドセットをかぶる。
◇ ◇ ◇
「こんばんはぁ」
ログインすると全裸がいた。
「はぁ……」
ニキシーは溜め息を吐く。
「あの、もう護衛は不要だと、昨日伝えたと思うんですけど」
首都の近くまで来たところで、全裸たち――クラン『スターカーズ』から派遣された護衛には別れを告げていた。そのまま町に入ったら変態の一員と勘違いされかねなかったからだ。
「あぁ、そですねぇ、自分は護衛じゃなくてぇ」
全裸はモタモタとした声で喋る。女性の全裸だ。いや全裸ではない。クソダサ下着は上下身に着けている。
顔は――顔は被り物だ。〈・x・〉という感じの顔が描かれた、コンビニのレジ袋のような……ネズミのような造形のかぶり物。着ぐるみの頭?
「あっ、これは課金装備の、キャラものの頭装備でぇ……」
「いえ、それはどうでもいいです」
「あぁ、はぃ、そですよね、自分の話なんかどうでもいいですよね……」
「……わたしに何の用ですか」
早く済ませたい。そう思って、ニキシーは本題を切り出すように促した。
「は、はいぃ、あのぉ!」
女全裸は、もじもじ、と背の高い体を縮めながら指先を突き合わせたあと――見たこともない速度で頭を下げて土下座した。
「弟子にしてくださいぃ!」
「えぇ……」
「あの戦い! グンダル様に一歩も引かずに全裸を断る態度! 感激しました! ぜひぜひ、自分を弟子に! このクズナメクジにお導きを!」
内心顔をしかめていたニキシーだが、発言の内容にひっかかりを感じる。
「あなたはスターカーズの一員ですよね。それなのに、全裸を断る態度に、感激したんですか?」
「はいぃ! そうなんですぅ!」
女全裸はグワッと立ち上がると、〈・x・〉をかぶった頭でぶんぶんと頷いた。背が高いし、頭装備で顔が大きく見えるので、コミカルな動きに見える。
「自分、本当は全裸になんてなりたくないんですぅ!」
その叫びに、ニキシーは――
「でも全裸ですよね?」
冷たく指摘した。
「それはその……服を着てると制裁を受けるし、服を買いにもいけなくってぇ……」
女全裸は身の上を話し始める。
半年前にゲームを始め、うっかり砂丘ルートを通ってしまい、スターカーズに無理矢理加入。それからずっと砂丘で活動していたのだという。
「本当はイヤだったんですよぉ……でも仕方なくて……」
「……でも、全裸集団の中で生活しているんですよね?」
「それは……このゲーム、難しいじゃないですかぁ。クランと一緒じゃないと、すぐに死んじゃうんですよぉ。かといって全裸のひと以外と協力しようとしても、自分の姿を見ると避けていっちゃうしぃ……」
なるほどなかなか納得できそうな話だった。だが、ニキシーはまだ疑っている。一点、どうしても違和感がある。
「それなら、ゲームをやめればいいのでは?」
VRは現実ではない。全裸でいるのがイヤなら、ゲームをやめればいい。
「それでもやめずにいるというのは……変態……」
「ちっ、ちが、変態とかじゃないです! 事情が、事情があってですねぇ……そのぉ……」
女全裸は指を突き合わせる。
「お父さんにすっごいおねだりして買ってもらったのに、すぐやーめた、とか、申し訳ないじゃないですかぁ……かといって、他のゲームに課金するお金もないしぃ……」
「………なるほど」
価値観の違いだった。
ニキシーはなんなら今すぐやめたって、責任を感じる相手はいない。アーシャが残念がるだろうがそれぐらいだ。
が、人に買ってもらったのなら――ひと財産するこのヘッドセットを使わないわけにはいかないだろう。
「でも、ログインしても回りは全裸だから、怖いし……」
女全裸は〈・x・〉の下で涙声になる。
「だから、やることって、スマホをいじってることぐらいでぇ……」
「……ゲームにログインして、スマホ」
「はいぃ……自分、コミュ力もないクソナメクジなんでぇ……」
ペアリングしたスマホはドロクサーガ内で操作できる。わざわざVRにログインしてスマホをいじって時間が経過し、ログアウト――そういう人種もいる。いるが、なりたい状況ではない。
「……境遇については、理解しました。辛かったでしょう」
「あぁ……! ありがとうございますぅ! 一生ついていきます、師匠ぅ!」
「弟子入りはお断りします」
「あぅぅ、そのキッパリっぷりがまぶしいですぅ……」
女全裸はニキシーをありがたがるかのように拝む。
「お願いですぅ。このダメナメクジが変態クランから抜けられるよう、ご指導くださいぃ……」
「クランから抜ける……?」
「はいぃ、そうなんです! 抜けたいんですぅ!」
「……抜ければいいのでは?」
「それが簡単にいかないんですよぉ……着衣したものには死を! って感じなので」
「忍者か何かですか……」
「あ、近いですぅ。抜け忍ならぬ、着る人と書いて着人って呼ばれるらしいです」
無駄に語感が良くて、ニキシーは頭が痛い。
「クランの所属から外れるとバレるので、こっそり服を着て生活したいんですぅ」
服は堂々と着るものだろう。全裸こそ、こっそりしてほしい。
「では着てください」
「着る服がないんですよぉ……」
クラン加入の儀式で服をすべて処分し、その後ずっと砂丘生活だったため、入手する機会がなかったという。
「弟子入りは諦めますぅ。そのかわり、せめて首都まで一緒に服を買いに行ってくれません? 道案内もしますし。お願いですよぉ、このザコナメクジを救うと思ってぇ……!」
「……まあ、それぐらいなら」
どのみち自分も服を買わなければいけない。ボロボロ血まみれの服で出歩くのは恥ずかしい。
「やった! 助かりますぅ! あ、名乗ってませんでしたね!」
〈・x・〉な頭の女は、手を差し出しながら言った。
「ヒメ・スタスタです。ヒメちゃんでいいですよぉ」
「………」
ニキシーは悩んだ。
ニキシーは、本名は西姫である。姫とついていることで、幼少の頃からさんざんからかわれてきた。だから一時期のキラキラネームのブームも、白い目で見てきた。子は親を選べない、なんてかわいそうにと。
で、ヒメである。ゲームを開始するときに、自分で名づけた名前だ。
自分で選んだ名前なのであれば、遠慮なくそう呼んでいいと思う。ヒメ以外なら。
「……よろしく、スタさん」
「あれ……あ、はいぃ」
ニキシーはスタと握手する。手だけ見れば全裸は関係ない。
「あ、あのぉ、ニキシーさん、フレンド登録しても」
「嫌です」
「ですよねぇ……こんなゴミナメクジの自分なんて……」
ちょっと心が痛んだが、スタはまだスターカーズの一員なのだ。うっかりフルネームを教えたら、変態クランに筒抜けになる可能性がある。
スタは変態ではないかもしれないが、まだ油断はできない。
ニキシーはそう考えていた。