ニキシーとクランの誘い(後)
納得できない、と言って近づいてきたのは、全裸の男だった。
……一応、周りと区別をつけるとしたら、体格がかなり大きく、バケツに覗き穴をつけたかのような雑なデザインの兜をつけていることだろうか。ニキシーの倍ぐらいは身長がありそうだ。
「我らがクランの聖地に足を踏み入れて全裸にならないばかりか、クランの思想そのものに誠意のかけらもない態度。とうてい我慢できるものではありませんぞ!」
「うむ、しかしだな、彼女は看板を見ていないと言っている」
「陸路で来る以上、看板は見ていて当然。湖から来た? 不可能だ。ルッシーはそんな甘いモンスターではない。つまり――」
バケツ男は、ニキシーを指して告発する。
「彼女はウソをついている。何も悪くない我らが、せっかく他のプレーヤーに配慮して活動しているというのに――彼女はそれを踏みにじり、笑いものにしにきたのだ!」
おおっ、そうだそうだ! と囃し立てる声がいくつか上がる。
「掟に従い、全裸を! さもなくば死を!」
「死――?」
ニキシーは警戒の度合いを上げる。
ただのおちゃらけ全裸集団かと思っていたが、どうやら狂信的な部分もあるらしい。
「……わたしは、笑いものにしにきたわけではありません」
表だって不平を述べているのはバケツ男だけが、どうやら潜在的にはグンダルの方が少数派らしい。高い地位にあるから反対されないだけで、グンダルが庇ってくれなければバケツ男のような輩が殺到したのだろう。
ここは、騒いでいるのが一人だけの間に、なんとかするしかない。
ニキシーはバケツ男を真っ向から睨みつけた。
バケツ男は目を逸らした。シャイかよ、とニキシーは気を削がれる。
「わたしを全裸にしたいみたいですが、女性の裸が見たいだけでは?」
端的に言うと変態では? とニキシーが問いかけると、バケツ男は鼻で笑った。
「全裸なら見飽きている」
堂々と胸を張って言う。――確かに、周囲には女性プレーヤーも多くいた。全裸で。中身はどうか知らないが。
「むしろその服装のほうが性的だろう」
「な――」
ふざけるな、と言い返そうとして、ニキシーはハタと自分の体を見下ろした。
ボロボロになった血染めの農民の服。裾が千切れてふとももが覗いていて、左袖は肩口からほつれている。
たしかに、ひどい。だが。
「……裸よりはマシです」
「全裸のほうがマシ、の間違いだろう」
平行線だった。交差したいとも思えなかったが。
「掟に従って全裸になるか、あるいは――」
バケツ男は筋肉で皮膚がぱっつんぱっつんになっている胸を叩いた。
「決闘かだ」
おおー、と観衆から声が上がる。そしていつしかその声は、ひとつの掛け声となっていった。
「ヌード・オア・ダイ! ヌード・オア・ダイ! ヌード・オア・ダイ! ヌード・オア・ダイ!」
全裸か死か。
ニキシーは助けを求めてグンダルを見たが、グンダルは肩をすくめた。どうやら信者たちの反対を買ってまで止めるつもりはないようだ。
「さあ、おチビちゃん。全裸か決闘か?」
ニキシーは、深く溜め息を吐いて、応えた。
「……決闘で」
◇ ◇ ◇
「では決闘のルールを規定させてもらう」
立会人はグンダルとなった。ニキシーはバケツ男と向かい合って立つ。その周囲を、戦闘に十分な広さを空けて男女が輪になって取り囲んだ。全裸で。
「ニキシー君は、【手加減】スキルは持っているかね?」
「……? いえ、なんの武器のスキルですか?」
「ああ、やはり、知らないか」
全裸なこと以外は親切なグンダルが説明する。
「トレーナーから修得できる数少ないパッシブスキルでな。これをオンにしておくと寸止めがしやすくなるのだよ」
寸止めしやすくなるだけである。
致死ダメージを超える時に自動的に寸止めするとか、ダメージを与えても相手が死亡しないとか、そういう効果ではない。そういういかにもゲーム的な効果は、ドロクサーガではあまり見かけない。
ちなみに所持していなくても技量さえ伴えば寸止めできるのだが、スキルがあるほうが安全とは言えた。
「……殺すな、ということですか?」
「グンダル様、自分は構いませんぞ。負けるわけがないですから」
バケツ男は自信満々に言う。
「おチビちゃんも、負けたら全裸になるというなら【手加減】してやりますが?」
「死を選びます」
ニキシーは即答した。グンダルはやれやれ、とでも言いたげに溜め息を吐く。
「ではどちらかが死亡、または降参の意志を示した場合、および勝敗が明らかな場合に、決着を宣言させていただく。レギュレーションは、武器はひとつ、防具は自由、魔法とアイテム使用はなし」
ニキシーはバックパックに手を当ててインベントリーを開くと、最後の武器を取り出した。
初心者用の細剣。数ある初心者用の武器の中でも、比較的攻撃力の高いほうだった。身の刃を潰されるが、細剣の切っ先は鋭いままである。
対するバケツ男は――
「ちょっと待って」
「なんだ?」
「いや、その……」
バケツ男は股間に――デフォルトのクソダサ下着に手を突っ込んでいた。
そしてニキシーが口ごもっている間に、股間から武器を取り出す。身長ほどもある両手用のハンマー。
アーシャがやっている、胸の谷間にインベントリーを仕込むのと同じテクニックである。課金で手に入るこの伸縮自在のインベントリーは、特にスターカーズのメンバーに人気であった。
「最低だな……」
ニキシーの呟きは、バケツ男の仲間たちの歓声で聞こえない。
「あー、いいかね、ニキシー君。それは初心者用の武器のようだが?」
「そうですが……」
例によって中古、2カッパーの激安商品である。
「馴染みの武器なのかね?」
「はじめて使います」
「……ということは、使用可能なスキルもない?」
グンダルの言葉に、ニキシーは頷く。
「それは……悪いことは言わない。高品質の武器ぐらいなら貸し出しするから、スキルのある獲物にしたまえ。このゲームでスキルが使えないのは、致命的だ」
グンダルは全裸だが紳士だった。
このゲームを愛しているし、初心者には根付いて欲しいと願っていた。
だから、懇切丁寧に教えてしまう。
「対人戦闘ではひらめきにも期待できないからね」
その仕様を。
「……ひらめきに、期待できない?」
「やはり、仕様を知らなかったか。対人戦では、『絶対に』ひらめかないのだよ。上級者をカカシにして素振りするだけでスキルをひらめく、なんてことがないように、という配慮だとは思うがね。とにかく絶対にひらめかない以上、その武器では通常攻撃のみで戦うことになる。それは……」
「わかりました」
ニキシーは、晴れやかな笑顔で言った。
「武器はこれで結構です」
◇ ◇ ◇
ひらめかない。
ニキシーにとって、それは福音だった。
ひらめかないということは、SPが枯渇することもないのだ。なんてストレスのない戦闘なのだろう!
「はっはっは! この自分を? 鍛えた鋼鉄の肉体を? 初心者用の武器で、通常攻撃だけで戦うとは! 服を着た獣ながら、なかなか面白いことを言う」
バケツ男はハンマーを使ってポージングをし、筋肉を誇示しながら言った。
ニキシーはそれをげんなりした目で見る。ストレスの原因はこちらに存在しているようだった。
「ならばこちらもハンデが必要かな? スキルを使わないようにしようか? はっはっは」
輪になった全裸たちから笑いが起こる。その中で、ニキシーは少し考えてからグンダルに質問した。
「スキルを使うと、すごい動きができるんですよね。あれって、いつも決まった動きなんですか?」
「ああ。例えば刀スキルに【真っ向唐竹割り】というものがあるが、これは上から下に切り下ろすスキルだ。熟練度が上がればいくらか動きに自由度はつけられるが、横に切り払うようなことはできないな」
「なるほど」
考えていたとおりだった。
ニキシーは顔を上げてバケツ男を睨みつける。
バケツ男は目を逸らした。……あんなに煽るならせめて毅然と睨み返してほしい。
「ではひとつ、ハンデの提案があります――」
◇ ◇ ◇
『ハンデ』のために、しばし時間が割かれた後――
「では、両者構えて」
ニキシーは細剣を持った手を伸ばし、半身を引いて構える。
対するバケツ男は、ハンマーを地面について、柄に両手を載せたまま悠然と立っている。
「――はじめ!」
グンダルが開始の合図をして――それでもバケツ男は動かなかった。
「……どういうことです?」
「なに、おチビちゃんに実力の差を分からせてやろうと思ってね」
バケツ男は全身の筋肉に力をこめる。
「遠慮せず、三回ぐらい攻撃してみたまえ。反撃はしないと約束しよう」
「……それでいいというなら、遠慮なく」
ニキシーはトコトコと歩いて近づき、軽く突きかかる。
「!?」
弾かれた。もう一度。弾かれる。力をこめて、もう一回――ようやく、肉に少し突き刺さる。
ニキシーは驚愕していた。
本当に、ひらめかない! いつもならこんなに攻撃したら声が聞こえるのに!
「はっはっは、これが封印代償の力だよ」
その驚きを、真っ当に防御力についてだと勘違いしたバケツ男が自慢げに言う。
「封印代償……?」
バケツ男は親切ではないが、己の力を誇ることには遠慮がなかった。
「ひらめいたスキルを封印することで、パッシブスキルを強化する力だ。自分はスキルをおよそ20封印して、すべて防御力の強化に割り当てている」
――というと強力そうに思えるが、プレーヤーの評価は『ないよりマシかもしれない』程度だった。実際のところ、バケツ男も封印前と封印後で、違いを実感できたことはない。九割ぐらいただのやりこみ自慢だった。残り一割は格好付けである。
「さあ、分かったところで試合再開といこう」
「ああ、はい……」
ニキシーが元の場所に戻ったところで、バケツ男はハンマーを持ち上げる。
「ハンデは忘れていませんね?」
「ああ、もちろんだとも」
バケツ男は頷く。
「通常攻撃はしない。そちらの希望通り、スキルだけを使用して――速攻で終わらせてやろう!」
◇ ◇ ◇
通常攻撃しかできないニキシー。
スキルしかつかわないバケツ男。
全裸の観衆はみな、すぐに決着がつくだろうと思っていた。バケツ男が勝つだろうと。それほどまでに、このゲームでスキルというのは圧倒的な力を持っていた。
だから、三度目。
「【脳天割り】!」
バケツ男が振りかぶって叩きつけた一撃をニキシーが回避すると、観衆はざわめき始めた。
ニキシーは横に跳んでかわした後、まっすぐな動きで一度突いて、離れる。
「ええい、ちょこまかと。その足、叩き折ってくれる! 【かかと砕き】!」
「ッ!」
巨大なハンマーは、かかとというよりも足全体を砕きそうな勢いで振り下ろされる。
ニキシーは向かってくるハンマーに向かうようにショートジャンプ、攻撃を飛び越えて、距離をとる。
「ぬぅ……【金剛双打】!」
ニキシーはスキル名を途中まで聞いたところで、右へ跳ぶ。ハンマーが振り下ろされた頃には、ニキシーの姿はそこにない――すでに左に跳んでいる。次の一撃を回避するために。
「くそぉ!」
二連撃したバケツ男が吼えてハンマーを構えなおす間に、二度突きを入れる。そして深追いせず、また距離をとった。
「本当に初心者か……?」
一番近くで二人の戦いを見ているグンダルは、それを見て小さく呟く。
ニキシーがやっていることは単純だった。
スキルのコマンドを聞いてから動きを予測して回避する。それだけだ。それだけだが、対人戦の上級者には必須のテクニックである。
バケツ男に課したハンデはふたつ。ひとつは、決闘では通常攻撃を使わないこと。そしてもうひとつは、使うスキルを事前に披露すること。
この二つのおかげで、ニキシーはなんとか立ち回れていた。数が絞られたスキルを、かるたの要領で必要な文字数だけ聞いて判断し、見て覚えた動きを回避する。
男の使う武器が両手用の大きなハンマーだったのも味方した。とにかく動きが大きいのだ。
「このゲームは初心者ですが」
調子の出てきたニキシーは、細剣をくるりとひるがえし、ニヤリと笑って呟きに応える。
「パターンの決まっているボスが出てくるアクションゲームは、得意ですから」
ニキシーはゲームが不得意というわけではない。操作が難しいゲームが苦手なだけだ。
「ほう……例えば」
「魔界村とか」
グンダルは首をかしげる。
「……聞いたことがないな」
「……忘れてください」
「ええい、ごちゃごちゃとお!」
バケツ男が距離をつめながら雄たけびをあげる。
「【ハリケーンハンマー】!」
「ッ……」
ハンマーを振り回して回転しながらの、対象を追尾する移動攻撃。移動速度が速く、逃げたところで追いつめられるだろう。ならば。
ニキシーはスライディングして、バケツ男の足元に入り込んだ。
「ぬおおおおおおおお!」
頭上でハンマーがぶん回されているが、その近くでかがんでいるニキシーには当たらない。目標を見失ったバケツ男は、スキルをキャンセルして回転をやめた。
「ぐぬっ」
ニキシーはその隙に、一度突いて飛びのく。
「どうしました? 速攻じゃなかったんですか?」
「くっ……」
今になって、バケツ男も自分のミスに気づいた。
無限の自由が利く通常攻撃を捨て、スキル攻撃のみという条件を飲んでしまったことに。
「この調子なら、いくら攻撃力が低くても、倒せてしまうかもしれないですね」
ドロクサーガの装備品は、すぐに頭打ちする。言い換えれば、高級な装備がなくてもある程度スキルでなんとかなるゲームである。
くわえて、バケツ男は全裸である。防御力は皆無に等しい。彼にしか見えないHPゲージはわずかながら着実に減っていた。
焦りとニキシーの言葉が、バケツ男を猛攻に駆り立てる。
「【激震】!」
ハンマーが地面を叩く。その瞬間、ニキシーは短く後ろに跳んで地震の影響を回避する。
「【スイングアッパー】!」
ハンマーが孤を描いて天に振りぬかれる。ニキシーが真上へのジャンプを選択していたら当たっていただろう。だがそう来るであろうことは事前に予測していた。ハンマーはニキシーの鼻先をかすめるだけにとどまる。
「くッ……うおおおおあああっ!」
そして、バケツ男は判断を誤る。
「【憤龍玉砕】ッ!」
「ッ……!」
バケツ男の姿が常識を超えて加速する。槌スキルの高位スキル、神速神威の三連撃。
ニキシーは足を動かす。
スキルを使っていなくても、ゲームの中の自分は、ゲームのように動いてくれた。
一撃目。左から右へ打ち下ろす移動攻撃。ニキシーは飛び込むように転がり込んでかわす。
二撃目。瞬時に体勢を立て直して右から左へ打ち下ろす移動攻撃。だが最初の攻撃を飛び込んでかわしていたため、初動はニキシーの頭の上。ニキシーが動かずともかわせる。ハンマーが地面を叩く。
三撃目――バケツ男の姿が消える。
初見なら見失っている間に攻撃が決まるだろう。だが、ニキシーは知っている。
バケツ男は跳んでいた。ニキシーの頭上から、最後の一撃を振り下ろす。
ニキシーはそれを――さらに、転がり込んでかわした。ハンマーが叩いたのは、ニキシーの脇の下。轟音が鳴り響き、びりびりと地面が震え、ニキシーは身動きが取れなくなる。
だが、それで十分だった。
「……勝負、ありましたよね?」
「ああ……そうだろうな」
地面に倒れたニキシーに問われ、グンダルは頷く。
「もう彼にスキルを打つSPはない」
「ぅ……ぅぅ……」
SP枯渇状態に陥ったバケツ男は、フラフラと膝を突いて、がっくりとうなだれる。
ニキシーの狙いは最初からこれだった。いくらなんでも集中力は無限には続かない。ちまちま突いたところで、バケツ男のHPをゼロにできるとは思っていなかった。そうなるまえに一撃食らって死ぬのがオチだ。
だから、SP切れを狙った。事前のデモンストレーションでだいたいの検討はついていたとはいえ、【憤龍玉砕】の次を打つSPがもし残っていれば――負けていただろう。もうあそこからは避けようがない。
しかし──充実した戦いだった。
ひらめかない戦闘が、これほど爽快だなんて!
「これで、もう誰も文句はありませんね?」
「決闘の結果に異議は挟まない。全裸者であればそう心得ているさ」
「あ、はい……」
そうだった、全裸だった。急に全裸の要素を思い出させてくるな、とニキシーは頭が痛くなった。
「彼は大丈夫でしょうか?」
SP枯渇のつらさは自分で身に染みて知っている。ニキシーはバケツ男を気遣った。
「なに、ただのSP切れだ。身動きは取れないだろうが、自然回復でそのうち立ち上がるだろう。なんならSP回復薬を使えば、すぐに元通りになるさ」
「ああ……」
スキルのデモンストレーション中にも使っていた、SPを回復させる薬だ。ニキシーは機会があったら、絶対にそれを買おうと決意する。
「ただ、今起こすと面倒だろうからね。急ですまないが、ニキシー君はすぐ出発したまえ。護衛隊も、いいな?」
グンダルの言葉に応じて、全裸が数名、サッと集まる。
この集団に囲まれて移動するのは地獄のような気がしたが、砂蛇がいる砂丘を抜けるには仕方がない。
「すばらしい決闘を見せてもらった。有望な初心者がゲームを始めてくれて、ひとりのプレーヤーとして嬉しく思う」
グンダルが握手を求めてきて、ニキシーは――しぶしぶそれを握った。
手だけ見れば、全裸かどうかは関係ない。
「出発の前に、改めて名前を聞いてもいいかね?」
「……ニキシーです」
「はっはっは」
グンダルは手を離して笑う。
「さらばだ、ニキシー君。クラン『スターカーズ』の門戸はいつでも開いている。貴殿ならばいつでも歓迎だ」
次回はちょっと時間がかかりそうです。