ニキシーとクランの誘い(中)
ドンドコドンドコドンドコドンドコ。
太鼓の単調な音が鳴り響く。円を描くように篝火が焚かれ、その炎が揺らめいて夜を照らす。
ニキシーはその中心で、正座していた。
「ウォオオー!」
「ヒューヒュー!」
そしてニキシーを取り囲んで、老若男女、たくさんのプレーヤー達が踊り、叫んでいる。
全裸で。
「全裸万歳!」
「教祖様万歳!」
ドンドコドンドコ。
「己を解放できる喜びを!」
「肉体に祝福あれ!」
ドンドコドンドコ。
「我ら『スターカーズ』の、あらたな一員に祝福あれ!」
ニキシーは中心で、死んだ目をしたまま正座している。
全裸ではない。
人前に出るのははばかられると自分で評した、血まみれでボロボロの服を着ている。全裸よりはマシだから。
『アーシャ』
周囲の狂乱を必死に意識の外に追い出しながら、ニキシーはフレンドチャットで呼びかけ続けた。
『アーシャ』
『アーシャ』
『アーシャ』
返事はない。
『お前、知ってたな?』
返事はない。
『許すと思うなよ』
アーシャ・マオドラゴン(オフライン)
『許すと思うなよ?』
◇ ◇ ◇
その起源は一つの架空の島だったと言われている。
古今東西、あらゆるMMORPGには、システムがそれを許すのであれば、必ずそれが存在していた。
裸族の集団、宗教。
もちろん、成人指定のゲームでもない限り下着は脱げない。だから厳密には全裸ではない。
だが、ゲーマーの間では慣習的に、防具を一切身に着けていない状態を『全裸』と呼んでいる。たとえグラフィックが服を着ていようと、『布の服』が防具として装備できる以上、何も装備していなければそれは全裸なのである。
そしてVRMMORPG『ドロクサーガ』にも、裸族の集団は存在した。
それがプレーヤーズクラン、『スターカーズ』である。
北ルーシグ湖の西の砂丘を通るルートが敬遠された理由は、サービス開始当初は単純に、生息するモンスターの石蛇たちが強力だったため。
そして現在の理由は、スターカーズのためである。
彼らは首都に近いこの砂丘に、独自の生活圏を築いていた。テントという野外で安全に生活することが可能なアイテムを多数持ちより、町として機能させている。そして複数人で徒党を組んで石蛇を狩り、生計を立てていた。
スターカーズに遭遇せず砂丘を抜けることは不可能と言われている。
そのため、スターカーズを除くすべてのプレーヤーたちが西の砂丘の通行を諦めているのが現状だった。
◇ ◇ ◇
「よくぞ来られた、あらたな同胞よ」
太鼓と踊りが静まった後。ニキシーの前に、一人の男が現れた。全裸で。いや仮面はつけているが、たくましい肉体を覆うものは(デフォルトの下着以外)何もない。
「私はスターカーズのサブマスター、グンダル・ラプサーン。貴殿の参加を快く受け入れよう」
「……参加……?」
「そのために来たのであろう?」
グンダルは首をかしげる。
ニキシーは全力で首を横に振る。
「しかし、この砂丘に来た」
「はあ、来ました」
「それはスターカーズに加入するということ」
なんでそうなる。ニキシーは頭が痛くなった。
「さあ、服の束縛から解き放たれよ。肉体を白日の下に晒し、自然を受け入れるのだ」
「脱ぎません」
「な、なぜだ!?」
なぜだもなにも。ニキシーは周囲がざわつくのにますます頭を痛めながら質問した。
「なぜ、は、わたしが聞きたいです。どうして、砂丘に来たらストーカーにならないといけないんですか」
「スターカーズだ。そこは間違えないでいただきたい」
変態に何の間違いがあるというのか。
「この砂丘に訪れるものは、我らスターカーズに参加する決まりとなっている」
「そんな決まり、知りません」
「ふむ、確かにこの地に我らが拠点を構えたときは、そう主張する輩が多かった」
グンダルは顎を撫でながら言う。
「もちろん我らも不幸なすれ違いは避けたい。ゆえに、砂丘の入り口に看板を設置して告知している」
看板。簡単なメッセージを表示できるアイテムである。設置すると一定期間で耐久度を失い破壊される。
それをスターカーズは、砂丘へ入るルートにずらりと並べて維持していた。
「砂丘へ足を踏み入れるならば、看板を目にしないはずがない。この先砂丘に踏み入れる者、古き衣を脱ぎ捨て全裸となり、スターカーズの同胞となることを受け入れる、と」
「見てません」
「今更何を言う」
周囲でくすくすと笑いが起きる。照れているのだと勘違いされいるらしい。ヒューヒューと囃し立てられる。
「一時期クレームがきたから、看板はバリケード状に設置してあるのだぞ」
結果、砂丘に出入りするには、北と南で一箇所だけ開けられた隙間を通るか、看板を乗り越えていくしかなくなっている。
「見てないと言うなら、いったいどうやって我らスターカーズの本拠地へ入り込んだというのだ?」
「湖からきました」
「ほう、なんと、北ルーシグ湖から?」
「そうです。湖で嵐にあって、ここに漂着しました。だから看板は見ていません」
「ふむ……」
グンダルは再び顎をなでる。
「確かに、陸路にしか看板は設置していないな。まさかあの湖を渡ってここまで来る者がいるとは思っていなかったが……ルッシーには襲われなかったのかね? あの湖に棲む厄介なモンスターだが」
「たお」
待てよ、とニキシーは口を閉じた。
倒した、と言って信じてもらえるだろうか。自分はこんな格好だし、上級者のフライアも早々に逃げていった。グンダルの口ぶりからして、ひとりで倒せるようなモンスターではないのかもしれない。
「……船が襲われて、難破しました」
結局、一番納得できそうなストーリーを考えてみる。
「北ルーシグ湖を船で渡ろうとするプレーヤーがいたとはね」
「わたしたちはゲームをはじめたばかりで、あんなモンスターがいるとは知らなかったんです。嵐になって、船が壊されて、それで漂着しました」
「確かに数日前に嵐はあった……」
グンダルは腕を組む。
「ルッシーも漂着者までは襲わないのかもしれん。貴殿を発見したチームも、湖方面で活動していた。なるほど筋は通っているか」
「なら」
「看板を見なかった、それは認めてもいい」
助かった。
ニキシーはホッと息を吐いて安堵した。
全裸でいるような変態集団の仲間になんて、とてもではないが――
「それはそれとして、そろそろ服を脱がないか」
な ん で だ。
「……わたしは、看板を見ませんでした」
「ああ、認めよう。掟では看板を読んでいない者、我らスターカーズのことを知らない者は、たとえ砂丘に踏み込んでも、脱衣と帰依を強制してはいけないとされている」
「いや、いえ、いま、服を脱げと言いましたよね?」
「ただの勧誘だよ」
グンダルは仮面で覆われていない口元を、ニヤ、と笑いで形作る。
「ところでまだ名を聞いていないね」
「ニキシー……です」
フライアにフルネームの仕様を聞いていてよかった、とニキシーは心から感謝した。こんな変態集団とフレンドになるなんて、たまったものではない。
「ふむ。ニキシー君。つまりだね、掟では我らのクランへの加入の強制を禁じてはいるが、勧誘を禁じてはいないのだよ」
「クラン……?」
「ああ。初心者だったか。すまないね、しばらく初心者に接触する機会がなかったものだから」
意外に親切な裸の男は、クランの説明を始める。
「他のゲームではギルドだったりキンシップとも呼ぶことがあるがね、要するにクランはプレーヤーが運営する組織だよ。クランに加入すると、その組織の一員であることが証明できるようになる」
「はぁ……他には?」
「他のゲーム的な利点はない」
「えぇ」
「ゲーム的な利点はないのだよ。組織の一員である証明ができること、それのみだ。他のゲームなら専用の設備が使えたり、クランチャットがあったりするのだがね」
ドロクサーガは古臭いゲームと呼ばれるが、最初期のゲームであってももう少し特典はあった。たがグンダルの言うとおり、ドロクサーガは組織の一員であることを証明できるだけで、他には何もない。
メンバー全員とつながれるチャット、なし。メンバーだけがアクセスできる倉庫や家、なし。
「強いて言うならば、結束、団結力だ。この泥臭いゲームでの何よりの力となる。大きな組織に所属すること、それ自体がメリットだと言わせてもらおう」
「……デメリットは」
「正直なことを言えば、我がクランメンバー以外からは白い目で見られるな」
駄目だろう。
「我らがクランの掟は、第一に全裸だからな」
「自覚しているなら、服を着たらいいのではないでしょうか」
「ニキシー君。貴殿は私たちがただ趣味で全裸でいると思っているんじゃないだろうね?」
違うのか。ニキシーは少し考えた。
そういえばここはゲーム世界なのである。もしかしたら、裸でいることに何かメリットが――
「その疑問はまったくそのとおり、ただの趣味だ」
ニキシーはじっとりした目でグンダルを睨みつけた。
「全裸であること、それはただの趣味だ。全裸になることが好きだから、全裸でいるのだ」
変態だ。
「そして趣味のつながりであるからこそ、強い。我らがクランの結束はどこのクランにも負けないだろう」
オオーッ! と全裸の集団が呼応する。
ニキシーは頭が痛くなってきた。
「どうだねニキシー君。貴殿も脱がないか」
「お断りします」
「俗物的なことを言えば、我らがクランに所属することは初心者にとって有益だと言える。なにせ、クランの規模では上位に入っているからね」
「うそぉ……」
このゲームのいったい何割が変態なんだ。ニキシーは寒気がした。
グンダルの言葉は間違っていない。サービス開始から三年が経過したこのドロクサーガで、これほど熱意を持って活動しているクランは珍しい。そういう意味でも、メンバー数でも、確かにスターカーズは上位に入っていると言ってよかった。
「よい狩場の知識、武器や消耗品の手配、初心者支援には事欠かない」
「……防具は?」
「兜までは許そう」
「そもそも、兜をかぶったら全裸ではないんじゃないですか……?」
「はっはっは、ニキシー君。日本のことわざには『頭隠して尻隠さず』という言葉があるだろう」
「ありますが……」
「たとえ頭を隠したとしても、それ以外を見せていれば全裸と同じことなのだよ」
「ちがう……」
ニキシーは頭が痛い。
「正直なことを言うと、シャイな人間が多くてね。仮面の力を借りなければ、まともに目も合わせられない体たらくさ。笑ってくれ」
笑うよりも服を着ろとツッコミたかった。
「ただ自分に正直になるだけでいい。さあ――クランの一員になる気はないかね?」
「ありません」
「そうか……縁がなかったとあきらめよう」
「絶対ありま……あれ?」
勧誘が続くと思っていたニキシーは、拍子抜けする。グンダルは筋肉を揺らして笑った。
「クランの掟で強制できない以上、今の話はただの初心者支援だ。貴殿が全裸に目覚めたとき、あらためて我らがクランの門戸を叩いてくれたまえ」
「目覚めません……」
「はっはっは。さて、誰かニキシー君を首都に送ってくれるかね? この装備では道中護衛が必要だろう」
グンダルの呼びかけに、数名の手があがる。
ニキシーは今度こそ安心して――
「納得できませんな!」
――安心できなかった。