ニキシーとクランの誘い(前)
「ここはどこだ……」
湖でルッシーと戦ってから数日後。ゲームにログインしたニキシーは、見覚えのない光景に思わずつぶやいた。
ログインまで数日空いたのは、また現実で頭痛と倦怠感に襲われていたからだ。
気になってそういう症状が他にもないかネットで調べてみるも、有用そうな情報は見当たらないばかりか、ドロクサーガのVRとしての完成度や、酔いのなさを絶賛する記事ばかり見つかる。
ニキシー個人の体質の問題かもしれないと、とりあえずそう結論付ける。
さてそうなると体質と相性の悪いVRMMORPGは敬遠したくなるものだが、スマホを通じてフレンドチャットでセレリアから連絡を受けると、やはりこのまま一人脱落するのは申し訳ない気がする。
それに、SPを使わなければいいのだ。
そう思い直して、現実での用事を片づけてログインして──
見慣れない砂浜に立っていた。
「いや……待て、思い出そう……」
湖底でルッシーを倒した後。スキル効果で割れた湖が元に戻り、その流れに巻き込まれた。
SPの枯渇により思考力の低下していたニキシーは、そのまま無抵抗に流されて……流れが止まったところで意識の糸が切れ、強制ログアウトしたのだった。
「流れが止まった、のではなく、打ち上げられた、というところだな? やれやれ、これだから思考が鈍るのは困る」
明晰な状態にある頭脳こそが生き抜く術だと心得るニキシーは、SP枯渇状態に嫌悪感を抱く。
ペナルティが発生するぐらいなら、ひらめかないようにしてほしい、と切に願う。
「湖の沿岸か。北の方に漂着したなら、北へ進めば首都という話だったが……」
セレリアとディーザンは、すでに首都で活動を始めているらしい。できれば合流したい。
が、方角の分かるアイテム、コンパスはディーザンだけが持っており、ニキシーには正確な方角は分からなかった。
『アーシャ、相談があるのだが。送信』
『やっほうニシキー、送信ってなに?』
『気にしないでくれ……』
なかなか思考だけでチャットを飛ばすというのは難しかった。
ニキシーは簡単に、北ルーシグ湖の沿岸にいて現在地がわからないことを伝える。
『砂浜ね。ゲーム内時間でそろそろ夕方だから、影が向いてる方が北東なんだけど、影はどっち向いてる?』
『湖の方だな。つまり、ここは湖の西側か』
『西の砂浜……』
『? どうかしたか?』
『ごめん、ちょっと悩んでるわ。親友を助けに行くか、己の身の安全を取るか』
『……強いモンスターでも出るのか?』
セレリアから口を酸っぱくして聞かされている。アーシャはこのゲーム世界ではトップレベルの有名人なのだと。知名度だけでなく、実力も実際トップらしい。あのホタルドラゴン山のある場所は魔界と呼ばれ、行くだけでも相当な年月がかかり、活動するには高位のスキルや魔法が必須とされているという。
ニキシーの中では、アーシャは現実でのイメージがまだまだ強いのだが……ともかく、そんなアーシャが悩んでいると聞いて、ニキシーは周囲を警戒した。
『まあ、出ることは出るんだけど……危険なのが……いや、見つからなければ? ……うーん』
『わかった。ならば迎えは不要だ』
たとえ死ぬことになっても、ニキシーの財産はゼロに等しい。ゲームとはいえ、親友に危険を冒してまで助けてもらうほどのものではない。ニキシーはそう結論づける。
『見たところ何もない砂浜のようだが、気をつけて進むことにする』
『……気をつけてね』
親友は、いままで聞いたことのない真剣な声で、そう言うのだった。
◇ ◇ ◇
北ルーシグ湖。その幻想的な透明度の湖を、南ルーシグ方面から北へ進むには、3つのルートがあるように見える。
ひとつめは、まっすぐ湖を突っ切る方法。船で渡れそうだが、それは途中でモンスターに襲われてしまう。しかし、サービス開始後一年以上経ってから『見えない足場』が発見されることで、時間はかかるが確実に横断できるルートとなった。
ふたつめは、湖の沿岸を東側に進んでいくルート。が、これはしばらくして切り立った山にぶつかってしまい、引き返すことになる。
みっつめは、逆に西側を進んでいくルート。西側は砂丘が北側まで続いているため、問題なく進めそうに見える。
だが、それはある理由から、サービス開始当初は誰にもできなかった。
それから三年経って、別の理由から誰も選ばなくなってしまった。
砂丘を歩き始めて、ニキシーは早々に、その両方の理由に遭遇することになる。
◇ ◇ ◇
「きゃ……っ!」
砂に足を取られて、ニキシーは頭から転倒すると、斜面を滑るように落ちていった。数秒して底に到達し、慌てて身を起こして左右を見渡す。
「くっ……これは……」
どちらを向いても上り坂。すり鉢状の地形の中心にいると知って、ニキシーは歯噛みする。
さらに耳が、パリン、というゲーム的な破壊音を聞きつける。
「なんだ? 何が壊れた? ……服か」
いわくつきの中古品、『農家の服(女)』の耐久度が尽きていた。服系装備は耐久度が尽きても破壊されることはないが、裾はボロボロにちぎれ、ところどころ穴が空くなど、服として機能していないような見た目になる。血まみれで、ボロボロ。これで人前に立つのは勘弁してほしい。
「……気にしている場合じゃないな」
落ちてきた方を見上げる。砂の縁から、ゆっくりとそれが姿を現した。
大型犬ほどの大きさの石が連なって、ヘビのように身をくねらせて動く化け物。発見者に石蛇と名付けられた、この砂丘に住まう強力なモンスターだ。
見た目通り防御力が高く、足場の悪い砂丘を滑るように移動する石蛇は、初心者が勝てるような相手ではない。強力な魔法を習得するか、防御力を無視する類の攻撃スキルがなければ、ダメージを与えることすらできないのだ。
それが、一匹ではない。夕焼け空を背に、二匹、三匹、ぞろぞろと姿を現す。
「これまでか……」
追いかけられ始めた時点で、普通に逃げていては必ず追いつかれると分かっていた。人の体は砂をうまく蹴るようにできていないが、石蛇はこの場所での移動に特化している。その速度の差は圧倒的だ。
それでも一縷の望みをかけて逃げ回っていたのだが、こんな場所に落ちてはもう逃げられない。
棒は湖を漂流する際に落としてしまったらしく、手持ちにはない。一応他にも武器が残ってはいるのだが、石の体を持つ相手との相性は最悪に見える。
それにまた変な運を発揮してひらめいたとしても、相手は複数だ。一匹を相手にしている間にやられてしまうだろう。
「──だが、無抵抗に殴られる趣味はない」
一撃でも入れれば、ひるんで逃げ出すとか、そういう可能性だってあるかもしれない。
ニキシーはバックパックに手を伸ばし──
「ッ!?」
ドバッ! 目の前で砂柱が上がる。
「地下を……!?」
砂に潜って近づいた四匹目の石蛇。距離は至近。もたげた鎌首が、ニキシーめがけて突き出される!
「【流星槍】!」
「!?」
ドオォン! 派手な音を立てて、石蛇が横に吹き飛ぶ。
槍ごと横っ飛びにやってきたその人物は、砂を巻き上げながらさらに追撃。
「【楔槍】! デリャアァ!」
研ぎ澄まされた一閃が、石蛇の急所を穿つ。石がこすれあうような悲鳴を上げて、石蛇は動かなくなる。
「【石割】ッ!」
「【岩砕き】ィ!」
「【パイルバンカー】!」
すり鉢の縁にいた石蛇たちも、次々にその場に現れるプレーヤーたちによって屠られていく。いずれも石のような物質に特攻があるか、防御力を無視する上位のスキルだ。
「お怪我はありませんかな、小さなお嬢さん?」
急な展開にニキシーがぽかんとしていると、砂煙の中からプレーヤーが声をかけてくる。
いつの間にか日は落ち、空には星が出ている。そのため、砂煙の中に集まっていく四人のプレーヤーたちの姿は輪郭しか見えなかったが、声から男だと推測がついた。
「あ……ああ、はい。助かりました」
助けられた。ニキシーはホッと息を吐く。
そうだ、これは一人用のゲームではない。多人数が同時に遊ぶMMORPGなのだ。こういう展開があることだってある。
「ぜひ、お礼を」
命を救ってもらったのだ。恩を返さないわけにはいかない。
「はっはっは、義理堅いお嬢さんだ」
「弱きを助けるのがここでの掟。礼など不要」
「いえ、そういうわけには……」
借りっぱなしというのは、ニキシーの信条にもとる。
金も物も持っていないが、何かしら礼はできることはあるだろう。
そう思って、一歩踏み出す。砂煙が晴れていく。
──ニキシーは、踏み出した足を戻した。
砂煙が晴れて、四人の姿がはっきり見えてしまったので。
「おや、どうされたのかな?」
「PKと誤解されてしまったかな?」
「とんでもない、我らは人を殺めることなどしない」
「そうとも、我ら『スターカーズ』の掟にそむくことになる」
砂煙の中から現れた、四人の男たちは──
「この一点も隠すところのない我が身に誓って」
全裸であった。
いや、正確には『ふんどし』と揶揄されるデフォルトのクソダサ下着は履いていたし、頭は動物の骨を加工した鎧をかぶっていた。
だが、それ以外は全裸だった。
「へ……」
ニキシーの頭の中で、二文字の漢字がチカチカと点滅する。
変態。
変態、変態、変態だ!?