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ニキシーとルッシー(前)

 初心者町の東にある町、南ルーシグ。

 ここから先に進む冒険者のひとつの指針は、その町名であった。


 南ルーシグがあるなら北ルーシグがあるだろう。


 ひねくれ者以外はそう考えて北に進んだ。そして返り討ちにあう。北に待ち構える墓地、その霊廟の中には強力なボスが潜んでいたからだ。なまじそれ以外はスケルトンやゾンビという弱いモンスターしか出ないのも、被害者を増やす一因であった。


 とはいえ、『初心者殺しの沼ワーム』やましてや『羊公爵』ほどの強さではない。三十人ほどで殴り込めばなんとか全滅寸前で勝てる相手だった。それに霊廟に入りさえしなければ、追われることもない。


 ボスを倒すなり、墓地の外周を迂回するなりして通過し――そして、プレーヤーたちは引き返すことになる。


 北ルーシグはあった。確かに存在していた。

 ただし、それは過去のことだ。

 北ルーシグという名の町は、もう地上にはない。


 その町は、空よりも透き通った湖の底に沈んでいるのだ。


 ◇ ◇ ◇


「助かりました」


 さんさんと降り注ぐ太陽。湖面からその底まで透明な湖。

 自分の影を、はるか湖底に映しながら、ニキシーは『湖面』に立っていた。


「いやいや、困ったときはお互い様さぁ」


 応えて笑う女も、湖面に立っている。


 すらりと伸びた白い手足、上はビキニ、下はホットパンツ、頭に麦藁帽子、目にはサングラス。ツインテールにした髪は、右が金で左が茶色。


 夏っぽいな。トウモロコシが食べたい、とニキシーは思った。


 ビキニの柄が黄色の格子で、ホットパンツが緑色だったのがいけないのだろう。


「しかし、北ルーシグに初心者が来るなんてねぇ。このゲームで初心者ってだけで珍しいのに、このルートを通るだなんてさぁ! えっへっへ」


 女はにったにったと笑う。やけに大きくて厚い唇といい、ギュウッと細くなった腰といい、ゲームならではの外見だなとニキシーは思う。


「湖面を歩いてくるのは大変だったっしょ? アタシはフライア、よろしくなぁ」


 北ルーシグが沈む、恐ろしく透明度の高い大きな湖。そこにはひとつ秘密があった。

 湖岸から少し沖の方へ行くと、『見えない足場』があるのだ。


 この足場が発見されるまで、北ルーシグは攻略対象としてはまったく無視されていた。

 船を使うことで首都へのショートカットが挑戦されたものの、沖に船を出すと強力なモンスターが登場して丸呑みにされてしまう。そんなことから、ただの観光用の場所だと認識されていた。


 足場が発見されたのはサービス開始から一年後。初めて飛行魔法を修得したプレーヤーが、テスト飛行の場所にこの北ルーシグを選択した。初の飛行魔法の披露ということで、空と水の境のない幻想的な空間で飛行する様を見学しにたくさんのプレーヤーが集まった。


 結果的に、その初飛行は失敗する。湖の少し沖――町が沈んでいる場所の上空にさしかかったとき。速度を出していた飛行魔法使いは突然、何かに叩きつけられたかのように空中で死亡し、湖面に落ちたのだ。

 死体は沈まなかった。ふつうの地面に倒れ伏したかのように、いつまでも沈まなかった。


 こうして足場は発見される。

 なお、飛行魔法の書き込まれたスペルブックは騒ぎのどさくさで死体から盗まれていた。


「ニキシー・ノウミィです。よろしくお願いします」


 ニキシーとセレリア、ディーザンはこの足場を利用して、首都へのショートカットを目指している。


「よろ、ニキシーちゃん。てか、ホント初心者だねぇ。苗字はフレにだけ教えたほうがいいよぉ?」

「? それはなぜ、ですか?」

「フルネームが分かると、申請爆撃とか食らっちゃうしぃ。有名人は大変さぁ。オプションで防げはするけど、そうすると不便なこともあるし」

「しんせいばくげき……?」

「うーん、常にサイン攻めに会う感じぃ? ほら、申請ウィンドウが出っぱなしになって?」

「なるほど……」


 あの申請ウィンドウは目の前にデンと出るので、確かにたくさん出ると邪魔そうだった。


「勉強になりました。ありがとうございます」

「いやいや、いいってことよぉ。んじゃ、後ろついてきてねぇ」


 女――フライアは見えない足場をスタスタと、かかとの高いサンダルで歩いていく。


「10カン棒は使わないんですか?」

「もー暗記しちゃったよぉ」


 見えない足場にはいくつか特性がある。そのひとつは、適正重量だ。

 軽すぎるものは乗らない。重すぎるものは乗らない。足場の上に適当に石を投げても発見できず、船で行っても足場にぶつからない。人間一人分前後の重量でないと、乗れないのだ。


 透明な上、複雑に入り組んでいる足場を確認しながら歩くには、適正重量の鉄棒で突きながら進むのがよい、とプレーヤー間では結論付けられた。棒が足場を叩かなかったら、水面に落ちる前に急いで引き戻すのだ。


 急いで引き戻せないと、鉄の棒なので湖面へまっしぐらである。ニキシーのように。


 そもそもなぜニキシーが一人で湖面に立っていたかというと、迷ったからである。


 見渡す限り透き通った湖面ではあるが、見えない足場が存在する。足場は先ほどの『飛行魔法事件』で登場したように、『壁状』のものもある。


「あれ……消えた!?」

「っとー、ごめんねぇ、ここの壁の角曲がるから注意して」


 空中でフライアの生首が笑う。


 見えない壁は風景は透過しても、それ以外の物質と音を透過しないので、曲がり角では体が切れて見える。

 これがあるため、足元に気を取られたニキシーはうっかり曲がりそこねて、セレリアたちを見失ってしまった。フレンドチャットを駆使して合流しようとしたもののよけいに迷い、さらには棒を湖に落とし、途方にくれていたところ。


 そこに現れたのがフライアだった。


「これが壁……なるほど、見失うわけです。それにしても、暗記ですか。こんなに広い、目印もない湖で?」

「すごいっしょ? ……えっへっへ、ウソウソ。目印ならあるよぉ、ほら、下にさぁ」


 フライアが指し示した湖底には、北ルーシグが沈んでいる。さすがに湖底は少し青みがかっているが、町並みはハッキリとわかる。


「仲間から聞いてない? あの廃墟の通路とか建物が足場とリンクしてるって」


 そういえば言っていた気もする。ディーザンの話は長くて難しいので、最近聞き流しがちなニキシーだった。


「ここはキレイなのに、下を見ると不気味ってか、背筋の寒くなる光景だよねぇ。ニキシーちゃんのこと、最初は亡霊かと思っちゃったし」

「すいません、変な格好で」


 買い物をして気づいたら鎧どころか服も新調できなかったニキシーは、いまだに血まみれの服のままだ。


「あ、ここ狭いからちゃんとアタシの後ろ歩いてねぇ。落ちたら二度と足場に復帰できないから、助けられないしさぁ」


 足場の特性その三。水に濡れたものは適正重量でも足場に乗れない。そのため泳いでも足場は発見できない。


「空の塔で合流っしょ? さくさく行こうかぁ」

「はい、お願いします」


 風がないため湖面は揺れず、水と空気の境界が分からないため、空を歩いているような気分になる。

 ニキシーは異常を訴える感覚を押し殺しながら、フライアの後を追いかけていった。


 ◇ ◇ ◇


 空の塔。それはこの湖のほぼ中央にある、見えない足場が一番せりあがった場所のことだ。かつて飛行魔法使いが激突したのもこの塔である。

 湖底を見下ろせば、同じ個所に半ばで折れた塔があるのがわかる。たしかに足場は、廃墟とリンクしているようだった。


「仲間はまだみたいだねぇ。ま、そりゃそうか。向こうは重たい棒をつつきながら歩いてて、こっちは手ぶらだったし、えっへっへ」


 フライアはにたにた笑いながら、見えない塔の端に座ってニキシーを手招きする。ニキシーはすり足で進んで、おそるおそる腰を下ろした。

 透明度が高いせいで正確な高さがわからないが、湖面まではおよそ五メートルといったところだろうか。見えない階段を上るというのは、なかなか神経をすり減らす作業だった。


「仲間が来るまで暇っしょ? 道具貸すから、釣りでもする?」

「釣り……ですか? ……やったことがないです」

「リアルのはなし? あ、両方? そっか、初心者だっけかぁ。生産系スキルって知ってる?」


 知らない。ニキシーは首を横に振った。


「戦闘スキルは攻撃すればひらめくじゃん? 生産スキルは、トレーナーに教えてもらうか、スキルもちのプレーヤーから教えてもらえば使えるようになるのさ。釣りとか、鍛冶とか、裁縫とかねぇ。なりたい生産職がなければ、一次生産スキルで小遣い稼ぎするのがオススメだし、釣りオススメ」

「なるほど……」


 ニキシーは考える。

 スキルがあればあるほどひらめきづらいという話だった。ならば、釣りスキルを覚えればひらめきづらくなるだろうか?


「教えてください」


 結局、そういう事情は置いておいても暇であったので教えてもらうことにした。


「えっへっへ。んじゃ、フレ申請するねぇ。用が済んだら、削除してくれていいからさぁ」


〈フライア・フライングからフレンド登録の要請がありました。受理しますか?〉


 承認。するとさらに続いてメッセージ。


〈フライア・フライングが【釣り】スキルの伝授を提案しています。受理しますか?〉


 承認。


〈【釣り】スキルを習得しました〉


「え、これだけで?」


 いろいろレクチャーが始まると思っていたニキシー、思わず拍子抜け。


「えっへっへ。新鮮だなぁ、そゆ反応。まあ楽でいいじゃん? はい、これ釣り竿」

「はぁ……ありがとうございます」


 ニキシーは竿を受け取る。


「あれ?」

「ん? なになに?」

「いえ、フライアさんが使ってる竿の方が、ぼろ……年季が入っているなと」

「えっへっへ。初心者には気持ちよく釣ってもらいたいじゃん? だからニキシーちゃんがいいやつ使ってよ。アタシは予備のボロの釣り竿でも、熟練度高いから釣れるからさぁ」

「けど、素人がいいものを使っても……」

「ここはゲームだからねぇ。いいもの使えばいい結果が出るのさぁ」


 そういうものなのか、とニキシーは納得する。

 なまじ世界がリアルに見えるから現実的な考えをしてしまうが、ゲームにはゲームの都合があるのだ。


「好きなところに竿を降ろしなよ。足場は貫通しちゃうから気にしなくていいよぉ」


 見えない足場の利点のひとつであった。釣り針は適正重量に満たないので足場に乗らないのだ。


「じゃあ……【釣り】」


 ニキシーは言って体が動くのを待った。


 ──が、動かない。


「えっへっへ。ニキシーちゃん、基礎スキルは道具を使えるようにするものだから、コマンドはいいよぉ」


 ニキシーは顔を赤くしながら、竿を振って湖に糸を垂らした。


「ま、装備の補正があればじゃんじゃん釣れるからさぁ。アタリが来たら上げるだけで、難しいことないし」


 フライアはにたにた笑いながら竿を上げる。さっそく一匹釣りあげていた。


「よし」


 それを見て、ニキシーは気合いを入れる。


 釣りをやったことはない、と言ったが、正確なところは少し違った。現実でも、釣り堀になら行ったことはある。一人で意地になって、その日は釣り堀が閉まるまで粘ったものだ。


 だから、正確には『釣ったことはない』なのだ。


 けれど、どうだろう? どうやらここでのニキシーはとんでもなく運がいいらしい。

 宝くじの一等を何枚も当てているレベルなのだ。

 ということは、大漁になったっておかしくはない。


「ふふ……」


 あの日のリベンジだ。ニキシーの竿を握る手に、ぐっと力が入るのだった。 

誤字修正しました。ご指摘ありがとうございました。

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