ニキシーとホタル(前)
西暦2025年。能見西姫はついにVRMMORPGに手を出すことになった。
数年前から『完全にゲームの中に入り込める』ことを売りにしたゲームが流行っているのは知っていた。ゲームが嫌いというわけでもない。最近はむしろ、3Dアクションゲームだってやる方だ。VR酔いしない自信はある。
それでもVRMMORPGに手が出なかったのには理由があるのだが――どもかく。
VRMMORPG『ドロクサーガ』にログインした西姫は、簡単なチュートリアルを終えて初めの町に降り立った。
そして、周囲を見てひとこと。
「誰もいないじゃないか……」
現実の町並みよりもやたら広くスペースがとられた町には、誰もいなかった。
見渡す限り、広場には誰もいない。
かろうじて、何らかの施設の店員はいた。だが、すごく暇そうだ。
「チュートリアルを終えたら、メッセージを飛ばせとのことだったが……これか?」
メニューを操作し、メールを作成する。が。
「宛名は――なんだったっけ?」
肝心の宛名を忘れていた。スマホのメールの方に書いてあるのだが、完全没入型のVRゲームでは現実に帰還するのにも時間がかかる。
ペアリングしておけばVR内でもスマホが使えるのだが、面倒くさくてしていなかった。
「アー……アーシャ……マンドラ……マンドラゴン……マオドラゴン……うん」
アーシャ・マオドラゴン宛にメール送信。即時に返信がある。
『メール馬鹿丁寧すぎない?』
苗字に自信がなかったので時勢の挨拶から長々と書いてしまった。
〈アーシャ・マオドラゴンからフレンド登録の要請がありました。受理しますか?〉
システムメッセージが浮かぶので、Yesを選択。フレンドチャットで直接話せるように。
『おー、やっときたねーニキシー! どうよ、VRってすごいっしょ!?』
「ああ。すごく、人がいない」
『ああ……そりゃあ、サービス開始して三年ぐらい経つし、初心者町に人なんていないわよ。ご新規さんなんてほとんど来てくれないし。とにかく、位置確認したからそこに飛ぶわ。動かないでよ』
とりたてて動き回る気もなかった西姫は、空を見上げて待つ。
「おまたー……って何、空見上げてるの?」
「いや、飛ぶというから、ゲームだし、空からくるのかと」
現れたのは黒いアオザイのような服に、翡翠をふんだんに使った宝飾品をじゃらじゃらまとった長身の美女だった。
猫のような目、陶磁器のような白い肌、ぷっくりした赤い唇を見て、西姫は言う。
「うわぁ……引くな」
「何がよ」
「いや……盛りすぎだろう? いろいろと」
背丈とか、胸とか、腰とか尻とか、西姫が知っているアーシャの中身とはとても。
「ゲームなんだからいいじゃない! ていうか、ニキシーの方が変えなさすぎでしょ。背も小さいままだし」
「身長と体重をいじると、現実のほうで支障が出るという警告があったから」
「声もそのままだし」
「現実のほうで支障が出るという警告が」
ゲーム内での背格好に慣れると、現実でもその間合いで動こうとして転倒する、という事故が実際に報道されている。そのあたり、西姫は慎重であった。
「あら、でも肌年齢はだいぶ」
「うるさい」
そこは警告が出なかったのだ。
まさかゲーム側だって「現実とのギャップで死にたくなりますがいいですか?」という警告を出したくないだろう。
というわけでちょっと、ほんのちょっと、肌とか髪色とかは変えてみたのだった。金髪なんて現実ではできやしない。
「お前がしつこく誘うから、わざわざ一式買ってきたというのに」
「先にはじめたのはニキシーじゃーん。まあいいけど。あ、あとアーシャね、アーシャって呼んで」
「分かってる」
「もー、せっかくアバターかわいいのに、その固い口調やめたら?」
「別にいいだろう」
「そーぉ? そう思う? ほんとに?」
「現実でもこういう口調だし、人に怖がられるのは慣れてる」
「でもさぁ、ニキシー。ここはゲームだよ?」
それがなんだ? という西姫に、アーシャはいたずらに笑った。
「てことはアバターが女の子でも、中身が男か女か、分からないわけじゃない? でもそんな怖い口調をしてると……」
「していると……?」
「幼女趣味のおっさんが中身だと思われるわよ」
西姫は衝撃を受けた。それはつまり、変態だと誤解されるということかと理解する。
「……人に会うときは、努力しよう」
「えぇ? あたしは今からでもいいんだよ? 馬鹿になんてしないよ?」
「うるさい。帰るぞ」
「あーん、やだやだ、帰らないで」
何が「あーん」だ、と白い目で見る西姫に、アーシャは咳払いする。
「とにかく、せっかく来てもらったわけだし! ニキシーにはこの世界のすばらしさを体験してもらいたいのよ!」
「閑散としてすばらしい町だな」
「だから初心者町はもう誰もいないんだって……ゲームデザインがちょっと古いのよねぇ、後の町がとにかく便利すぎて、ここは来る価値がないって言うか……」
「なんだ、ではしばらく二人だけか」
「いやいや、そんなのんびりしてても楽しくないし」
アーシャは胸の谷間から本を取り出す。西姫は目を剥いた。
「どこに入っていた……?」
「課金アイテムの、通称透明インベントリよ」
インベントリは通常、西姫が背負っているようなバックパックなど、袋系のアイテムからアクセスできる。初期装備のバックパックのほか、ポーチなどの小さなものもゲーム内で購入・装備が可能だ。
アーシャが使ったのは追加の課金で手に入る、サイズ可変、装備位置自由のインベントリ。それを表示サイズを極小にしたうえで、胸の谷間に設置していた。
「この世界の巨乳の八割は買ってるわね。そして女アバターはだいたい巨乳」
「その方式がメジャーとか頭がおかしくなりそうだ」
「そんなもんよ。さて、移動するわよ。【バブルゲート】!」
アーシャの手のひらからしゃぼん玉があらわれ、急に膨らむ。
直径2メートルほどのしゃぼん玉は、その薄い膜にこことは違う場所の絵を映していた。
「はい。これを通ったら今あたしがホームにしてる町につくわ。今日はそこを案内したいの」
「なるほど……ワープか」
アクションゲームではよくあることだ。西姫は少し泡の様子を確認してから、思い切って突っ込んだ。
◇ ◇ ◇
「うわぁ……」
そして、喧騒に巻かれて目を丸くする。
「どうよ、にぎやかでしょ?」
続けて泡を通って現れたアーシャがご機嫌に笑う。
「たしかに――にぎやかだ」
生きた人間。おそらく他のプレーヤー。それが街中にあふれていた。露店でもやっているのか、ひっきりなしに売り買いの声もする。そろいの制服のようなものを着た一団が通り過ぎていったかと思えば、荷馬車の隊列がガラガラと駆け抜けていく。
「にぎやかだが――」
西姫は言った。
「似合わないな?」
空は暗く黒くじめじめしている。赤い月に照らされた町並みは、あきらかに人骨っぽいものが装飾につかわれた、悪者っぽい雰囲気。こここそ、人がいないほうが「らしい」だろう。だが実際は多数のプレーヤーで集まり、ダークな雰囲気は吹っ飛ばされている。
「にぎわってる魔界、っていうのは、確かに『らしく』ないかしら。でも今解放されてるマップの中で、一番うまい狩場とアクセスがいいからねー。こう見えて設備も全部そろってるし。そりゃ人も集まるわよ」
「狩場……レベル上げか」
「ちがうちがう、ニキシー――」
「お、アーシャじゃん。何やってんの?」
アーシャが西姫の間違いを訂正しようとしたところ、一人の男が近づいてきた。赤い逆毛のひょろい男。だがとにかく目立つのは上着だ。『もてたい』とデカデカと書いてある白いTシャツ。
「あら、バンカズ。今あたしの知り合いを案内してるところ」
「お、マジでー!? ニュービー!? うひゃあ、珍しいなぁ! ようこそ、お嬢ちゃん。オレはバンカズ。名前を教えてもらってもいいかい?」
「ああ――」
構わんぞ、と言おうとして、西姫はハッとした。
自分の普段の口調では、中身が変態だと誤解されてしまう……!
「――構わない、ません……よ?」
「うん?」
「ニキシーです。ニキシー・ノウミィ。よろしくおねがいします」
「おお……やっべニキシーちゃんかわいいね! ボンキュボンのアーシャとは違った趣があってまた! いいじゃんジト目金発幼女! オレとデートしない!?」
「おことわりします」
「たはー! だよねぇー! でもフレンド登録はいいかなっ?」
〈バンカズ・モテンタインからフレンド登録の要請がありました。受理しますか?〉
西姫――ニキシー、悩んだ末、承諾。断ると土下座しそうだったので。
「うおおおおかわいい女の子がまたオレのフレンドリストにぃ!」
「よかったわね。ブロックされないように気をつけなさいよ?」
「こんな可愛い子がオレをブロックするわけがない。でで、案内だっけ? オレもするする! どこ行くのさ?」
「あらならちょうどよかった。山登りしようと思ったのよ」
「山……?」
「ほら、この近くの、光る湖が見下ろせて綺麗なところ。やっぱ感動的な場面見せるのが、初心者には一番じゃない?」
「……ホタルドラゴン山? アクティブ山盛りの?」
「あたしだけじゃ、ステルス抜いてくる敵の対処に不安があったのよねー」
アーシャはニヤリと笑う。
「まさか、初心者の女の子をおいて逃げ出すなんてないわよね?」
◇ ◇ ◇
「へぇ、ニキシーちゃん、VRMMO自体が初心者なんだ?」
「はい……」
「へえー! ゲーマーなら夢の技術なんだから、誰でも一度はやるもんだと思うけどなあ!」
おどろおどろしい町を出て、三人で暗い山道を歩く。ニキシーはアーシャの隣にいようと思ったのだが、いつのまにかバンカズにロックオンされていた。アーシャは面白がっているのか、助けない。
「なんでなんで? なんでやらなかったのさ?」
「VRで出たのはぜんぶRPGじゃないですか。わたし、RPGって、苦手で」
「ええー、ドラクエとかエフエフとか面白いじゃん?」
「難しいじゃないですか……魔法とかスキルとか……ああいうの覚えたり、操作するのが、苦手で」
「えぇ……おいおい」
バンカズはアーシャの背中に声をかける。
「大丈夫かよこのゲームに呼んで。このゲーム、スキルゲーにもほどがあんぞ?」
「えー、でも同じゲームで遊びたいじゃない?」
「そういうのは分かるけどよぉ」
「ステルス抜いてきた敵が接近してるから、よろしく。いいとこ見せるチャンスよ?」
「お、おお? よっしゃあ!」
バンカズは気合を入れると、腰のポーチに手を触れる。すると見る見るうちにその姿は、ただの平服から赤い和風の鎧を着た格好になる。抜き放つのは、緋色の太刀。
――ただし、胴部分の『もてたい』Tシャツはそのまま。
「見ててくれ、ニキシーちゃん! オレがこの世界の戦闘ってやつを教えてやるぜ!」
「はぁ……」
「来たぜぇ! ホタルイノシシだ!」
名前どおりというか、お尻の光ったイノシシ型の敵が茂みから姿を現した。それに対して、バンカズは太刀を向けて正対する。
「敵に会ったらとにかく先手必勝さ! 【霞の太刀】!」
バンカズの動きが加速する。残像を後にして、ホタルイノシシを一閃し反対側に駆け抜けると。
「【弧月斬】!」
バッと地面を背中にして飛び上がり、イノシシの頭上から弧を描く斬撃。後ろを向こうとしていたイノシシは、血を流しながら前に向き直り。
「遅いぜ、【火流穿】!」
炎をまとった刀が、イノシシの眉間を貫く。ぐるり、とイノシシは白目を剥いて倒れ、びくびくと痙攣した後に動かなくなった。
「っとまぁ、こんなふうにひらめいたスキルコンボで畳み掛けるわけ。どうよ、ニキシーちゃん!? かっこよかっただろ!?」
「思ったよりグロいな……ですね」
「え」
「ゲームなのに、死体は消えないんですね」
「ああ……自然消滅はエネミーの大きさによるんだ。こいつは三日ぐらいそのままだぜ」
「スキル……というのは?」
「おう、スキルな!」
バンカズは意気込んで答える。
「かぁーっこいいだろ? このゲームはいろいろ行動すると、スキルをひらめく――なんか正確には『示』システムだったかな? まぁみんな『ひらめき』としか言ってないけど。とにかくひらめいたスキルで戦っていくわけさ。ニキシーちゃんの場合は、まずは通常攻撃でひらめいて、それからそのスキルから派生を――」
「いえ、その」
ニキシーはバンカズをさえぎると、じっとその目を見て言った。
「スキルは、名前を言う必要があるんですか?」
「お、おう――か、かっこいい、だろ?」
「声が震えてるわよー、バンカズゥー」
道の先を行くアーシャがはやし立てる。
「ま、そういうもんよ。ゲームだし、みんなやってるし、気にしたら負けよ」
「いや、いえ、その、ゲームだからいいの、いいんですけど」
ニキシーは二人に真剣に尋ねた。
「現実のほうで、スキルを叫んだりはしない?」
2017/08/23 課金インベントリーの仕様について改変