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「――さて、これからどうしますか?」
落ち着いたのを見計らってジークが訊ねてきた。先程まで甘過ぎるほど甘い態度で口説いてきたとは思えないほど、その姿はあっさりとしていた。
本当ならば司君達の元へ帰るべきだろう。茉莉花も泣いていたし。
けれどもよくよく考えてみれば私だけの外出は久し振りだった。いつもは弟妹かアリス達の誰かがいたから。
もう少しだけ、この自由な感覚を楽しみたかった。
かといって外を彷徨くのはさすがに気が引ける。特に明日から始まる闘技大会で街中はかなりの熱気に満ちていた。人が多くなればなるほど厄介事も多くなるだろう。
「うーん、……そういえば、この街に図書館てあるの?」
ノラに訊いてみると、ありますよと答えてくれた。
「そっか。じゃあせっかくだから行ってみたいな」
ノラに案内を頼もうと思ったら、その前にはジークが進み出てきた。
「それなら私が案内しますよ。行きましょう」
にこやかな笑顔で言われても……。
私の戸惑いを感じ取ったのか、ジークはいたずらっ子のように目を輝かせた。
「実は図書館は教会の裏にあるんですよ」
「え、そうなんですか?」
「というか、完全に教会の敷地内なんですけれどね。基本的に書物は教会か国が保管するものなので」
この世界において、紙の価値は様々だ。獣皮紙に植物紙もある。さらに高価な物だと魔合紙と呼ばれる物もある。
植物紙と呼ばれるものが、地球と同じ製造法方かはわからない。けれど獣皮紙の方が植物紙より少々割高だ。魔合紙などは契約書類や重要書類などに使われている高級紙だ。
ちなみにルオン紙幣ケルオン紙幣に使われているのは、魔合紙を特殊加工した物らしい。
ジークの案内で図書館へと向かう。
教会の裏手に図書館はあった。建物は教会そのものに比べると小さいけれど、中に入るとその蔵書量に驚く。太陽光は紙には毒なのでどことなく薄暗い。窓は曇りガラスで窓際に並べられた机と椅子がぼんやりと浮かび上がる。
薄暗く感じる室内だけど湿度は低いようだ。
「持ち出しは厳禁ですが、ここで見る限りでは自由に閲覧できますよ。何を借りますか?」
「そうですね、この世界の歴史や文化の本があれば見てみたいです」
気持ちの整理がつくと、自然とこの世界に腰を据える覚悟もついた。それならば、私はこの世界のことをもっと知るべきだと強く思った。
「それならばこの辺りですね。私はあちらで調べものがありますので、何があればあそこの司書か私に声をかけてください。それでは」
ジークが離れるとノラを連れて本棚に向かう。この独特な静けさと雰囲気にノラは髭が萎れてしまっている。
可愛い。
「ノラは読書はしないの?」
声を潜めて訊いてみた。
「あまりしないです。神殿学校で簡単な読み書きと計算を習ったのですが、本を読むとなるとそれに伴う知識も必要で……。それに神殿の方には簡単な絵本や読み物がありますから」
「そう、か……。ここって、一般の人も入れるの?」
「はい。一応入れます。ただ入館の時に身分証の提示と監視のための腕輪を装着してもらうのが義務になってます」
「え、私は着けてないけど? 身分証の提示もしてないよ?」
そもそも身分証を持っていないけれど。冒険者ギルドと商業ギルドで貰ったギルドカードくらいだ。
「大司教様の連れですからね。さすがに司書の方も何も言わないと思います」
……なるほど、虎の威を借るなんとやら、か。ここはありがたく大司教様の御威光をお借りしよう。
そもそもこの世界の識字率はそれほど低くはない。大きな街の一般家庭なら読み書きと3桁までの足し算引き算ならできる。小さな町や地方の村、貧困層の住むスラム街などは文字を知らない者も多いそうだ。
だけど、文字を読めても図書館まで来る人はほとんど居ないという。
何冊か手に取り抱えると窓際に向かう。大人しく着いてくるノラを見て少し申し訳なく思うけれど、これも彼女の仕事だしなと考え直す。
机の上にあるのは創世神話の本と、ある冒険者が認めた旅日記、そして大衆小説だ。
時間的にもこれにざっと目を通すしか出来ないと思う。
遠くに聞こえる街の賑わいをBGMに私は読書に没頭していった。
不意に差した影に頭を上げた。すぐ顔の横にノラが背を向けて立っている。
「ノラ?」
顔は見えないけれど、その背中にただならぬ雰囲気を感じた。敵意や害意ではないけれど、酷く緊張しているのがわかる。
訝しく思い、ノラの視線の先を追ってみた。すると、そこに白い何かがいて蹲っているのが見えた。
足元に居たバルスが珍しくその白い物体をじっと見ている。
ノラの袖を優しく引くと、視線だけでどうしたの? と訊ねた。するとノラの表情が困惑に染まった。
ノラが口を開くより先に、聞き覚えのない声が辺りに響いた。
「御名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
口調は固いけれども柔らかな女性の声だった。どこから響いてきてのかと辺りを見渡すと、白い物体がゆっくりと顔を上げた。
まさかの、真っ白い服に身を包んだ妙齢の女性がそこにいた。しかも土下座をしている。
あまりの驚きにあんぐりと口を開けて固まってしまった。
すぐに我に返ると慌ててノラの袖を強く引っ張った。
「ノラ、ノラ! 名前、訊かれてるよ!」
「え!?」
なんで驚いてこっちを見るんだろう。どうみてもノラに向かって頭を下げていたのに。
顎をしゃくって合図を送ると、全力で手と首を横に振られた。
「わ、私じゃないと思います!」
「じゃ、誰に訊いてるの?」
「ユリナさんでは?」
「いやー、違うと思うな」
私とノラが無意味な擦り付け合いをしている間に、白い女性は器用に正座した状態でにじり寄ってきた。
けっこうなホラーだ。
その時、足元からヴウウゥゥ……という、まるでスマホのバイブのような音が聞こえた。
覗き込んでみると、バルスの口元からその音は聞こえてきている。
……ああ、バルスが唸ってたのか。
珍しいな、と思いつつ、その頭を撫でる。思いっきりわしゃわしゃと撫で回すと気持ち良さそうに目を細め、舌をだらりと出した。
バルスの唸り声に顔色を無くし固まっていた女性も、今度はだらしのない顔のバルスを見て酷く驚いていた。
そしてその視線が私の顔に向けられると、息を呑んで再び頭を下げてしまった。
「失礼を致しました。御身のご帰還に喜びのあまり礼を失していたようで、申し訳なく存じます。我らが王とその主のご帰還、まことにめでたく存じ上げます」
……何を言っているんでしょう、この人は。
私の戸惑いを察したノラが、おそるおそる口を挟んでくれた。
「あの! お言葉の途中ですが、失礼します。貴女は――司代様ですよね?」
ノラがそう訊ねたのと同時に、ジークがやって来た。
少し速足で近付いてくると、床に座している女性に気が付いた途端眉をしかめた。そしてそのまま視線を流し、私とバルスをちらりと確認する。
「なぜ貴女がここにいる? 司代。接触をしないよう言い遣ったのではないのか」
どうやら女性はシダイという名前らしい。
「はい、確かに接触してくれるなとお叱りを受けました。ですが王と主の帰還は我ら魔族の――獣人族の悲願。見過ごすことなど出来ません」
「貴女の気持ちもわかるが、今はまだ時期尚早だ。王陛下の逆鱗に触れるような真似はしないでくれ、頼むから」
目の前で繰り広げられるやり取りの意味が全くわからなくて、ノラに助けを求めてみたけれど、彼女も困ったように首を傾げるだけだ。
「意味わかる?」
「いえ……わかりませんが、なんとなくわかる気もします」
……それって、どっち?
モヤモヤしたものを胸の内に感じながらジークとシダイさんを見た。するとタイミングよく彼女の視線とぶつかった。
飴を溶かしたようなねっとりとした黄金色の瞳に息を呑む。
その色に触発されて心の奥から競り上がってきたのは、何とも言えない懐かしさだった。
……私、この色を知っている。
どこだろう、どこかで見た記憶がある。そんなに古くない記憶だ。
じっと考え込んでいると答えが浮かんだ。さっと机の下を覗きこみ、そこにいたバルスを確認する。
……あぁ、やっぱりバルスとよく似てる。
そう納得するも、なんだかそれだけじゃない気もして少しだけ引っ掛かりを覚えた。
わからないことを考えても仕方がない、そう切り替えて窓の外を見た。
影が長く差しているのがわかる。けっこうな時間が経過していたようで、本を纏めて立ち上がると元の場所に戻しに行こうと立ち上がった。
歩き出そうとしたところをジークに止められた。
「本はそのまま司書に渡しておいてください。もう帰られますか?」
「はい。お邪魔をしました」
送ると申し出るジークを笑顔でかわし、ノラとバルスと共に出口に向かった。
「ジークラウド様、どうかそこをおどきください」
「落ち着きなさい、司代。王陛下の意思に背くことになるぞ」
背後から軽くやり合う声も聞こえるけれどそれほど深刻でも無さそうなので放置する。
「あの女の人、綺麗だけど変わった人だったね」
「私も初めて間近でお会いして驚きました。司代様ってもっとこう、近寄りがたい方かと思ってましたから」
「あの人って、有名人なの?」
不思議に思って訊いてみると、物凄く変な顔をされた、ような気がする。
「……そうですよね、ユリナさんは他国の方ですものね……。あの方は今代の司代王閣下です。鳥人族の長にして『王の眼』の継承者なのですよ」
粛々と説明されてもいまいちピンとこない。ムッと眉間に皺を寄せてしばらく考え込む。
「……シダイっていうのは名前ではないのね?」
「はい。ノルブレストの現在の統治方法はご存知ですか?」
そういえば……と、船の上で成君に受けた説明を思い出す。
「そうか、司代王と武代王の二頭統治だったわね。でも、それじゃあ閣下呼びはおかしくない?」
「そうですね、ですが司代王も武代王も『王』とはついていますが、本来の立場は龍王陛下の臣下です。けして『陛下』ではない」
「なるほどねぇ。あくまでも自分は臣下でしかない、と。獣人族は本当に龍王陛下が好きなんだね」
「はい。司代様は『王の眼』を継がれた方ですから。特に思い入れもひとしおだと思います」
「その、『王の眼』というのは?」
私が次々に繰り出す質問にもノラは丁寧に返してくれる。
「司代様の目を見ましたか? あの黄金の瞳は龍王陛下と同じだと言われています。極北の地に移り住む際、龍王陛下が当時の宰相閣下に授けたそうです。なんでもあの眼は龍王陛下と直接繋がっていて、司代様を通していつでも見守っておられるそうです」
外に出ると夕方特有の喧騒にプラスして、お祭り前夜の興奮に包まれていた。
そんな中を私達はのんびりと歩く。
「それにしても魔族は綺麗な人が多いよね。羨ましい」
さっきの司代様も綺麗な人だった。辺りを見渡しても人型は男も女も美人ばかりだ。
「そうですか? 私達魔族はあまり見かけに左右されないので……。でも、ユリナさんはとても“美しい”です」
真顔でそんな事を言われると惚れてしまいそうです。ただでさえ、可愛いのに――と、ここまで考えてはたと気付く。
そういえば、ノラの完全人型を見たことないな。
「ねぇ、ノラちゃん、ノラちゃん」
「え? あ、はい。――え、え? ちゃん付け?」
「ノラちゃんは完全人型はとらないの?」
2度ほど瞬きをした後、ノラは不思議そうに口を開いた。
「今は護衛中ですから人型はとりませんが。普段は完全人型ですよ?」
彼女が説明してくれるには、動物型の方が能力が平均的に高いそうだ。純粋に強さだけで言うなら、人型ノラよりも獣型ノラの方が有利なのだという。
「へぇ、そうなんだ。じゃあさ、もし私が人型になって、て言ったらなってくれるの?」
「はい、それは構いませんが」
なりますか? と問われたので私は頷いた。
「……ぅ、わぁ……」
その変化は一瞬だった。瞬きの間ほどでそこにいたはずの白銀の豹頭が、美しい銀髪の美少女に変わった。
髪は長く腰の辺りまであり、蒼い瞳はそのままで、桜色の唇は小さな割りに厚く、肌は抜けるように白かった。
信じられない美少女っぷりに愕然となる。
……そりゃあ、ね。そりゃ人型の方が動きが鈍くなるはずですよ。そのたわわに実った果実が妨げになるでしょうよ。
ちょっとだけやさぐれつつも素直な感想を口にしていた。
「人型でいたらいいのに。きっと成君ならイチコロよ?」
「……! な、なんのこと、でしょうか?」
瞬間的に顔を真っ赤にした後に平静を装われても。
その可愛い態度ににやにや笑いが止まらない。
「うふふ、ノラちゃんバレバレだよ? うちの成君が好きなんでしょ?」
昔、職場にやたらと同僚とくっつけたがるおばちゃんがいた。気がよくておおらかな人だったけど、それだけがめんどくさい人だった。
将来ああはなるまいと思っていたけれど、気が付けば同じようなことをしている。
……今ならおばちゃんの気持ちがわかるなぁ。自分の恋愛話なんて無さすぎて、せめて若い子から聞き出したくなるんだよね。
「そんな……。私は獣人ですよ? 人には厳しすぎる相手だと思います」
「そうかな?」
「はい。獣人はみな、嫉妬深い種族ですから」
少し寂しそうに笑った後、ノラはキュッと唇を噛んだ。
「うーん、成君なら大丈夫だと思うよ?」
「……」
「きちんと相手を決めれば誠実に対応すると思うけどなぁ」
ノラを愛するかはわからないけれど、少なくとも向き合ってはくれるはずだ。
それでもノラは頑なな態度を緩めない。
それ以上は口出しをせずに、私はにっこりと空気を変えるように笑った。
「とりあえず、帰ろうか」
星宮家と獣人の国16まで更新予定。




