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星宮家と異世界的日常  作者: 兎花
第4章  星宮家と獣人の国
44/49

13

これと同時に10.5も更新しています。よろしくお願いします。


 どれくらいそうしていたのか、寄り添うノラの体が僅かに強張ったのを感じて私は顔をあげた。


 彼女の耳と目がじっと扉の方を窺っている。時々細かく揺れる髭が緊張感を伝えてくる。


「――誰かいるのか?」


 聞き覚えのある声が僅かに開いていた扉の向こうから届いた。


 ノラが足音ひとつ立てずに私と扉の間に立った。それと同時に扉が開き男がひとり入ってきた。


「おや、これはこれは――」


 笑みを含んだ声にノラの戸惑いが伝わってくる。彼女の肩をそっと押さえると挨拶をするために体をずらして男を見た。


「あの、大司教様。許可を得ずにこんな所まで入ってきてしまい申し訳ありません。すぐに出ていきますのでどうかお許しください」


 薄紫色の瞳がすっと細められた。

 相変わらずの人間離れした美貌に魂が抜かれそうだ。


「いえ、出ていく必要はありませんよ? そもそもここは私の管轄外なのでお気になさらずに」


 そう言ってにこやかに微笑むと躊躇いもなく近付いてきた。


 ……えー、こっち来るんだ。


 うーん、なんだろう。なんかされたわけではないんだけど、この人が側に来ると無性に逃げたくなる。いや、優しい人だとはわかってるんだけどねぇ。なんでだろ?


 ジークは私の隣に立つと眩しげに『五鱗の福音』を見上げた。隣に立つとわかるけど、私の頭頂部が肩まで届かない。とても背が高い人だ。


 こちらを見ていないのをいいことに観察してみる。高い鼻筋に薄い唇、青銀の髪は真っ直ぐに背中を流れている。首は長く筋張っており横から見た胸板はかなり厚い。どうやらそれなりに鍛えているようだ。法衣からは焚き染めたお香の匂いがしており、なんとも穏やかな気分にしてくれる。


 じっと見ていると、観察対象が小さく笑った。


「そんなに見つめられると変な気分になりますね」


 ……変な気分てどんな気分よ。


 すっと視線を逸らすと意識せずに溜め息が洩れた。まだどこか重苦しい気分のまま、俯きがちに前髪を揺らした。


「何か悩みごとですか?」


 こちらを見ないままにジークは口を開いた。


「悩みというか、気持ちの整理がつかなくてですね……」

「おや、それはどんな?」


 優しく聞きなれた感じが聖職者っぽいと思う。大司教様には失礼かもしないけど。


 曖昧に微笑んで濁そうとした時、ふいに隣に立つ気配が変わった気がした。


「私では頼りになりませんか?」


 恐る恐る隣を見上げれば艶やかな笑み。それなのに目の奥は笑っていない。


 ……あれ? 何か怒ってる?


 無意識のうちに体が逃げていたようで、一歩下がった拍子に体がよろめいた。ジークはそんな私を素早く片腕で支えてくれた。そしてそのまま私の目を見詰めて殺し文句を吐いた。


「こんなにも貴女を思っているのに。私では貴女の憂いを晴らす一助にはなりませんか」


 悲鳴を上げなかっただけ、褒めてほしい。息が詰まるような衝撃に必死に耐える。


 これはない、これは酷い。恋愛経験値のほとんどない女に対して、この顔面でこの台詞はいただけない。


 固まる私に容赦なく男は一歩近付いてきた。合わせて一歩下がろうとした私の腰を素早く押さえて逃げられなくすると、反対の手で優しく背中に垂れた髪先を撫でた。


 背中が、ぞわぞわっとした。


「な、なななんでこんなに近付くんですか?!」

「ん? 口説いているからですよ?」

「聖職者なのに?!」

「ふっ、アーシェリア神教は聖職者の結婚を認めていますよ。命を産み育む女神ですからね」


 いや、そんなキラキラした笑顔で言われても!!


 てか、こんな時こそノラが助けてくれないと! そう思ってなんとかノラの方を覗きこんではみたものの、彼女は恥ずかしそうに両手で顔を覆ってしまっていた。助けを求める私の視線にも全く気付かない。


 そうだ、影蘭! この間の船上のように助けてちょうだい!


『…………』


 返事がない。ただのしかばねのようだ。


 私もしかばねになりそうだ……。


「不思議ですね、私はあまり女性に興味はない方でしたが……。貴女を見ているとどうしても甘やかしたくなる。貴女の我が儘も望みも全て叶えて、なおかつどろどろに甘やかして……できれば悲しみも怒りも憂いもない場所に閉じ込めたく――」


「うえおあうお?! そ、そそそそういえば司君と面識があると聞きましたが!」


 いきなりなんかヤバいフラグが立ちそうになってません?! とりあえず全力で阻止しようと関係のない話題に声を張り上げたが、どうせなら前半部分の女性に興味はない云々を詳しく知りたかった。


 そこを突っ込むとさらに被害が拡大しそうなので何も言わないけど。


「ツカサ、ですか? ええ、彼とは何度か面識があります。先日もある人物との橋渡しをお願いしましたしね。彼は未熟な面もあってまだまだ可愛らしい」

「そ、そうですか……」

「それにとても姉思いだ。貴女はとても愛されている」


 柔らかいジークの微笑みに、僅かに胸がチクリと痛んだ。


 知らないうちに視線を足下に落として呟いていた。


「そうでしょうか……」

「疑う余地のないところでしょう、そこは。――彼と何かありましたか」


 それは疑問系ではなく確認だった。


 じっと自分の中を見てみる。私の中に司君に対する後ろめたい想いはない。あの子の苦しみは私の苦しみでもあるのだ。


 あの子と私は同じ痛みを抱えている。


 息をそっと吐き出して首を緩く振った。


「なにも。なにもないですよ。ただ、私だけが大人になりきれなくて……」


 一番年上で長く生きているのに、捌ききれない己の感情に振り回されてる。


 いつの間にか、私の中からジークに対する忌避感のようなものは消えていた。そして重苦しく心を締め付けていた先程までの感情も。慣れない口説き文句に一人で舞い上がっていたせいか、なんだか心が空っぽになっていた。


 だから思わずその本音がこぼれたんだと思う。


「――寂しいんですよね」


 その呟きを自分の耳で拾って、そしてああそうか、と実感した。


 ……ああ、そうか。私は寂しいんだ。それだけだ。


 羨望や嫉妬、そんな後ろ向きな感情に振り回されているようで、よく見たらその奥にあるのは寂しさなのだ。


 思わず涙が溢れそうになって慌てて俯いた。


「ユリナさん?」


 体を放して適切な距離をとったジークが労るように私の名前を読んだ。


「――私、貴方が苦手です」


 いきなりの拒否に怯むことのないジークの声が、私の耳を優しく打つ。


「そうですか。でも私は好ましく思っていますよ」


 初めてお会いした時からね――そう微笑む顔に私に対する嫌悪感は欠片もない。


 そう。初めて会ったときからこの人は私に好意だけを向けていた。


 私達は特殊な環境に身を置いていたせいか、他人がこちらに向ける感情に敏感だ。ほとんどの人が初対面の時、私を見る目に同情か嫌悪の念をちらつかせる。


 ただまっすぐな好意を向けてくる人なんて誰もいなかった。


 この人以外には。


 それが怖い。裏もない見返りも求めない好意の感情なんて、自分の親にすら向けられたことないのに。


「……どうして、ですか。どうして……。私は貴方に何もしていませんよ? それとも聖職者って、誰にでもそうなんですか」

「まさか。そんなわけないでしょう? さすがに聖人ではないですからね。――貴方だけですよ、ユリナさん」


 貴女だけ――なんて甘美な言葉だろう。簡単にいい気分にさせて唯一なんだと甘い夢を見させて。


 ……やっぱり宗教って恐ろしい。


「おや、信じられませんか?」

「……そりゃあ、無理だと思います」

「なぜ?」

「私にそんな価値がないことは自分が一番よくわかってますから」


 卑下するわけではないけれど事実としてちゃんと認識している。


 真っ直ぐに見返す私に、少し困ったようにジークは笑う。


「価値、ですか。ふむ、私が敬愛する魔王陛下は私にとっては唯一無二の方ですが、彼の国にとっては害虫にも劣る侵略者だそうです――こちらから戦を仕掛けたことはないんですけどね?」


 肩を竦めて話すジークを見て、頭の中に疑問符が溢れる。


「え、敬愛する魔王陛下って……。え? こちらから……? あれ、もしかして大司教様って」

「ジークです」

「え、大司教様は魔族なんですか?」

「ジークと呼んでください。――そうですよ? 私は妖魔族の者です」


 妖魔族とは人間と変わらない容姿を持つ、最も高い魔力と深い知識を誇る長命種だと聞いた。そしてその美貌ゆえに多くの人間を魅了し続ける魅惑の一族だと。


 ……なるほどなぁ。確かに人外の美貌なわけだ。本当に人外なんだもの。


 沁々と納得している私を面白そうに見下ろしながら、ジークはさらに教えてくれた。


「この世界ではけっこう当たり前のことですよ? アーシェリア神教の信徒は魔族がほとんどだと。なかには人間もいますが極僅かです。それよりも、話を戻しても?」

「あ、はい、どうぞ」


 一瞬、なんの話をしていたかと戸惑う。

 

「貴女は自分に価値はないと仰った。そう思うのは自由です。それは誰にも変えられない貴女が決めた評価だ。言いたいことはたくさんあるけれど、そこは尊重しましょう」


 ニッコリ笑ってそう言われると「ありがとうございます?」となぜだか言いたくなってしまう。


「ですが、周りからの評価が貴女と同じとは限らない。魔王陛下が私からは尊敬と忠誠を捧げられていると同時に、彼の国からは憎まれ蔑みの対象となるように。貴女を無価値とする人間もいれば誰よりも尊いと価値を見出だす人間もいるんですよ。私や貴女の弟妹達のように」


「……弟達が私を価値があると……大切にしてくれるはわかります。そうすることが、あの子達の生きる術だったんでしょう。私は庇護者としてあの子達を守り、あの子達は守られることで私を孤独から救ってくれた。ある意味共依存のようなものなんです。けれど貴方は違うでしょう?」


 なにもしていないのに、その好意がどこからくるのか。むしろ不気味に感じる私は普通だと思う。


 私のどこにそんな価値を見出だしたのか、本気でわからない。


 私の戸惑いなどお見通しなんだろう。口元に柔らかい笑みを浮かべて男は言葉を紡いでいく。


 優しく優しく、まるで小さな子供に言い聞かせるように。


「私が貴女を快く思う理由ですか。そうですね、それはとても簡単なことなんですよ、本当に。ただひとつ言い訳すると、あの日子猫を渡した日が初対面でしたが、その前から色々と調べてはいたんです。あの宿屋の裏に診療所を建てるとなった時にそれなりに周辺のことは調べていますから。その中で貴女の話をたくさん聞きました。働き者でよく笑い――あんなことがあったのに誰も恨まず弱音のひとつも吐かない。常に冒険者を労い心を込めて相対していると。中には確かに貴女を貶める者もいたけれど、その言葉のほとんどは貴女の本質とは全く関係のないものばかりでした。いわく歳嵩だとか弟妹達に比べて無能だとか、元奴隷だとか。本当に下らない理由ばかりだ」


 最後は吐き捨てるように言い捨てた。その激しさにちょっとだけドキッとしてしまう。そして嬉しかった。


 この世界で私が蔑まれてきた理由を下らないとこの世界の人が吐き捨ててくれたことが、思わず涙しそうになるくらい嬉しかったのだ。


 滲んだ目元を隠すように俯くと、後頭部を撫でる感触がした。


「貴女は頑張ってきたでしょう? その生き方が貴女の行動や姿勢や言葉に、なによりもその目に出ていますよ」


「……止めて」


「胸を張ってください、ユリナ・ホシミヤ。貴女は自分に恥じない生き方をしてきたはずです」


「お願いです、止めてください」


 お願い、私を包み込まないで。一番弱くて小さな私を包み込まないで。誰からも顧みられなかった『星宮百合奈』を労わないで、認めないで。


 そんなことをされたら今の私はその優しさにすがり付いてしまう。


 お姉ちゃんでもお母さんでも店主でもない、ただの百合奈を見詰められるとどうすればいいのかわからなくなる。


 いつの間にか目の前の男の法衣にしがみついていた。涙が寂しがるように後から後から靴先を濡らしていく。


 恥ずかしくて情けなくて、最後の“しっかり者のお姉ちゃん”のプライドでなんとか嗚咽だけは堪えた。


 後頭部を撫でる手は変わらず優しくて。


「私は貴女という『ユリナ・ホシミヤ』を好ましく思うのです。姉でも保護者でもない一人の女性としてのユリナさんを大切にしたいと」


 ジークの手が私の頬を捕らえてゆっくりと上向かせた。


 酷い顔になっている自覚はあるけれど抵抗はしない。どこかぼんやりとした頭で素直に彼を見上げた。


 そんな私を見て、男はなんとも言えない表情を浮かべた。困ったような微笑んでいるような、それでもその美貌に曇りはなく甘い。


「ああもう、そんなに泣かないで。やはりこのままどこかに閉じ込めて――」

「あああありがとうございます! なんか、元気になりました!」


 バッと大きく距離をとると大きな声で宣言した。――うん、なんか大きな声で元気になりましたと言ったら、本当に気持ちが上向いた気がする。


 さっきまでとは違う、肩の力を抜くような息を吐くと、ハンカチで残った涙を拭き取った。


 情けないことに、私はただ認められたかっただけなのかもしれない。弟妹達ではなく、他の誰かに。本当なら父に。


 みんながお姉ちゃんは偉いね、と褒めてくれた。頑張ってて偉いね、と。


 弟妹達だって言う。いつもありがとう、と感謝してくれる。


 けれどいつも褒めてくれる人達だって、なにか事が起こると、お姉ちゃんだから仕方ないよね、と百合奈わたしを見捨てる。


 弟妹達だってお姉ちゃん大好きと言っていても百合奈わたしを甘えさせてはくれない。

 

 それでも結局全ては百合奈わたしの選択の結果だ。誰でもない、私が決めた道を選びここに立っている。


 ジークがそれを認めてくれた。私の人生は無駄じゃなかったと、私の選択を支持してくれたのだ。


 気持ちの整理がついてストンと腹が据わった。そう導いてくれたジークにお礼を言おうと自然と笑顔になる。


「大司教……」

「ジークですよ。次に大司教と言えばお仕置きです」

「…………ジーク様、ありがとうございました。なんだか心がすっきりして、目の前が明るくなった気がします」

「様もいらないんですが……。お役にたてたのなら幸いです。ですが私が言ったことは全て本心ですよ? それだけは忘れないで」


 茶目っ気たっぷりにそう言われると私も気恥ずかしくなり照れたように笑った。


 この時にはもう、私の中からジークに対する苦手意識は完全に消えており、むしろ若干素直過ぎる笑顔になっていたと思う。


「……少しくらいなら――」


 私の笑顔をじっと見ていたジークがふと呟くといきなり顔の距離を詰めてきた。


 え? と思った瞬間、目の前に美形のドアップが。


 ……毛穴が見当たらない。


 自分の今の状況よりもその事実が私を愕然とさせた。そんな私を庇うように黒い影が割って入ってきた。


「申し訳なく存じますが、これ以上は見逃せません」


 影蘭の声がジークを止めたようだ。それと同時にバルスの体が私とジークの間に入ってきた。


「……やれやれ、相変わらずですね、貴方は。――幸せそうで安心しました」


 しばらく自失していたため反応が遅れた。

 今のジークの言葉は誰に対してだろうか。影蘭が目の前にいるのでジークが誰を見ているのかわからない。


「あー、ありがとう、影蘭。……でも、できればもう少し早く出てきてほしかったな、なんて」


 お礼を口にすると、影蘭はパチパチと瞬いた後言葉を発した。


「至らぬ身でございました。精進致します」


 ……精進するって、なにを?


 影蘭が消えた足下にはバルスがいる。じっとジークのお腹辺りに前肢を掛けて、そんなバルスを無表情に撫で回す超美形。


 妙な空気を醸し出す一人と一頭を放置し、もう一度目を皿のようにしてジークの顔を眺めた。


 ……くっ、やはり毛穴が見当たらない。


 えも言えぬ敗北感に項垂れてしまう。


「……ジーク様っておいくつですか?」


 バルスの両前肢をとって肉球を揉みだしたジークに訊いてみる。


「――確か150はいっていないと思いますけど」

「え?」

「ご存知ないですか? 魔族は総じて長命なんですよ。中でも我々妖魔族は平均250歳まで生きますからね。私も予定では後100年は生きるつもりです」


 ……そりゃ包容力あるよねー、私なんかじゃ歯が立たないはずだわ。


 乾いた笑いを洩らす私を見るジークの眼差しはやっぱり優しくて。それに返す私の笑顔もきっと明るいだろうな、とそれがとても嬉しく感じた。

 




 

本気で嫌がっていたらバルスも影蘭も止めています、はい。ノラは……初なので、仕方がないです。


ちなみに平常時では司とジークの能力は僅かにジークの方が勝るので、彼が本気になれば影蘭は止められません。え、バルスですか? バルスは百合奈さえ幸せならいいので問題ないです。


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