12
「俺達はこの世界において桁外れに強い。まあ、さすがに相手が魔王だとかになると簡単には勝てないが、小国の軍隊くらいの力はある。そうなるとどこの国、組織だって俺達が欲しいはずだ。どんな手段で兄弟がバラバラになるかわからない。――ねえ、百合奈さん?」
渋い顔の私を見て司君が笑う。その笑顔がなぜか泣きそうに見えるのは私を気遣っているからだろう。
この子は知っているのだ。私が何を一番に望み、何を一番恐れているのかを。
「茉莉花がアークィンガ魔法学院に入るのなら、後見人としてメイリース国王であるアーム新王が面倒を見たいと申し出てくれていて、茉莉花も承諾しているんだ」
「は?! 本当なの、それ!?」
いつの間に?! そう叫んで勢いよく茉莉花を振り返った。私の眼力に茉莉花は戸惑っているようで、視線をさ迷わせながら頷いた。
「う、うん」
「これも一応必要な措置なんだよ。アークィンガ魔法学院には国外からの学生も多い。万が一、望まないままに国外に連れ出されてしまったらもう追えなくなる。この世界で戸籍がない茉莉花は“存在しない者”だからね。今は後見人として保護してもらうだけのつもりだけど、いずれは――戸籍をつくり王家に近い人間と養子縁組させることも――」
「――はぁ? どうして司君がそんなことを決めるの? 茉莉花の保護者は私よ、勝手に決めないで!」
頭の中が真っ白だった。それなのに言葉は勝手に飛び出してくる、むしろ止まらない。怒りで我を忘れると何も考えられなくなるって、初めて知った。
……約30年生きているけれど、こんなに強い怒りを感じたのは初めてだった。
いつの間にか立ち上がっていた私の肩を司君が押さえていた。ほとんど力は入っていないのに、その手のひらから伝わる熱に動けなくなる。
「落ち着いて、百合奈さん。まだそうだと決まったわけじゃないんだ。今の流れだとそうなる可能性もある、そういった話だよ、落ち着いて」
「……まだ、決まってないのね?」
「ああ、もちろん。ただ後見人の話は決定だけどね」
「……それだって、最初はゲイルさんが後見人になるって話じゃなかった?」
「ゲイル殿では少し問題があってね。俺の後見人の話も消えた。かすみの婚約者でありながら茉莉花の後見人になるのは余計な混乱を生みかねない。新しい国は一枚岩とは言えないからね」
それは個人に戦力を集中させないということだろう。確かに、茉莉花の魔法と調合師としての能力は、よく知らない私でも重宝するだろうな、とわかる。特に出来たばかりの国ならば最大限に利用したいはずだ。
「司君もゲイルさんの後見を受けないのはなぜ?」
「ああ、そのことも説明しないとね」
そう言って司君が話してくれたのは、私が旅立ってから起きた出来事だった。
まず当初の予定通り、私が国を出たのと同時にライティア(光君のことね)の訃報を城に送り、知らせが来たら司君はヴィスゴット領に飛んだ。
ヴィスゴットで葬儀の準備をしながら、事前に話を合わせていた周辺国の使者を弔問客として受け入れ、葬儀の場でライティア殺害犯がゴルデイン王家の手の者であること、そしてかつて殺されたゲイルの妻メイリーを殺したのも国の指示であったことを自白したことなどを訴え、ゲイルとクィンガ領主アームは国から独立すること宣言したという。
「ライティアが死んだことによって、ゲイル殿が後見人になる話も流れてしまったんだ。今となれば、それでよかったと思うけどね」
向こうにしたらそれでも司君の能力は欲しかったはずだ。それに替わる案も幾つかあったけれど、結局はっきりと決めずに逃げたそうだ。その裏では新王国の熾烈な権力争いがあったらしい。
……やっぱり政治ってめんどくさい。
「……その犯人っていうのも、本当にいるの?」
私の視線がよほど刺々しく感じたのか、少しだけ嫌そうに顔をしかめた。
「いるよ、もちろん。百合奈さんが旅に出る前にちょっと仕掛けておいたんだ。見事に引っ掛かってくれてね。――本当に、こういった時の光の能力は役に立つ」
……おお、黒い黒い。私はそっと視線を逸らせるとそれ以上の突っ込みは止めた。
「細かい話は聞いても楽しくないよ? それよりも、百合奈さんはこれからのことを真剣に考えて? 茉莉花も学院に入ればそれなりの立場を手に入れられる。――もう本気で自分の未来を――俺達に左右されない未来を考えてほしい」
弟妹達のいない未来――。私は常に成人した司君や真君、かすみには早く家を出て自立してほしいと考えていた。けれどそれは心まで離れ離れになる前提ではなく、例え遠く離れていてもあまり会えなくても、心は繋がって暖かいままだと思っていた。
それぞれが自立しても家族は壊れないと、信じていたかった。
司君の話が一段落した頃、ノラがやって来た。
ぼんやりする私を後目に司君とノラが挨拶を交わしていた。
司君、成君、ノラが何か話しているのを椅子に腰掛けたまま見詰める。時々3人がそれぞれこちらを気にしているのか視線を感じたけれど、私は何も反応しなかった。
「……ゆりなお姉ちゃん」
いつの間にか、茉莉花は体温を感じるほど近くにいた。その白い手が私の手の甲に重なった。
思わずまじまじとその手を見てしまう。
……ああ、そうか。茉莉花の手はもうこんなにも大きくなったのか。私には想像もつかない魔法を使い、命を救う薬を造り出す手だ。
私とは違う、誰からも必要とされる手。
「茉莉花」
「あのね、あの……。ゆりなお姉ちゃんは今幸せ?」
真剣な茉莉花の眼差しを見つめ返して何度か瞬きを繰り返す。
「幸せ、よ? 家族がいるもの、これ以上の幸福はないわ」
「元の世界に戻れるとしたら、戻りたい?」
この子は何が言いたいんだろうか。
元の世界に? 戻りたい?
私の戸惑いが伝わったのか、茉莉花は少し躊躇った後勇気を振り絞るように震える声を出した。
「だって……だって、ゆりなお姉ちゃん。私達がいたら自分の幸せを後回しにするでしょ? なんだかんだ言いながらお兄ちゃん達の面倒みるじゃない。けど……今、日本に帰ったら、ゆりなお姉ちゃん、自由になれるよ? 面倒ばかりかけてるくせに束縛するような、面倒な私達の世話をしなくて済むよ」
茉莉花の頬を涙が伝う。その涙が悲しくて私の視界も滲んでいた。けれど涙は流れない。
「……そうだね、もし帰れるとしたら――私のこの後の人生は幸福だと思う? 茉莉花。お姉ちゃんは日本で幸せになれるのかな」
卑怯な言い方かも知れないけれど、茉莉花の声が聞きたかった。もしも弟妹達のいない日本にいたとして、私はどうなっているのだろうか、と。
自分で思い浮かべた未来予想図に苦笑が洩れた。
私には親友と呼べる人はなく、人間関係も仕事上かご近所さんくらいだった。当たり前だと思う。朝から晩まで弟妹達のために時間を使っていたのだ。遊びに行くのも子供が喜びそうな所ばかりだったし。
そして何よりも日本にはあの“親”がいる。あの2人の老後の面倒を見るくらいなら、弟妹達の方が断然ましだ。
あの2人から離れられる、これひとつをとっても異世界は最高だと私は思っている。
例え私が異世界でも弱くて役立たずでも、私は自由でいられる。
「日本に戻ってもゆりなお姉ちゃんは幸せになれない?」
薄情な娘だと言われるだろうか。それでも私にとって毒親はいらないのだ。
「うん。それに寂しいよ。茉莉花に会えなくなるのは寂しい。みんなに会えなくなるのはそれこそ一番の不幸だよ」
けれど僅かに望んだそんな未来すらも今ではあやふやだ。
「――茉莉花。逆に訊かせてくれる? 茉莉花は学院に行って幸せになれるの?」
ポケットからハンカチを取り出して茉莉花の目元を優しく拭う。長い睫毛の上で涙の小さな滴が光を受けていた。
本当に可愛いと思う。産まれた時から慈しみ愛してきた大切な妹。
「私は今でも充分幸せだよ。でもね、私には力があるんだって。その力で沢山の人を幸せにできるんだって、言われたの。それなら私、もっと勉強してちゃんと知識を付けて、そして正しく力を使えるようになりたい。だって、私はゆりなお姉ちゃんに沢山愛されたから。ゆりなお姉ちゃんに、優しさも強さも教えてもらったから、今度は私が困っている人を助けてゆりなお姉ちゃんに教えてもらった愛を当ててあげたい」
小さいと思っていた彼女の真っ直ぐな言葉には、沢山の愛情と光の欠片で満ちていた。うちの子マジ天使。
茉莉花だけじゃない。司君も真君もかすみも成君も光君も、みんな私の生きる意味で宝物だ。みんな、私の誇りなのだ。
茉莉花の艶やかな髪を撫でながらそっと目を閉じた。そして自分の心を見詰めてみる。
「――司君」
ずっとこちらの様子を窺っている気配が司君からしていた。名を呼べばすぐに答えてくれた。
「なに? 百合奈さん」
「少しだけ独りにしてほしい。気持ちの整理がついたらきちんと戻るから」
僅かに司君の眉が寄った。言いたいことをぐっと飲み込み彼は静かに溜め息を吐いた。
「――わかった。でも、バルスとノラは連れていってほしい。――俺達は待ってるから」
いつも貴女が笑顔で待っていてくれたように。
そう言って司君は部屋を出る私を見送ってくれた。チラリと見た茉莉花は泣いていて、成君が慰めながらも私を見て力強く頷いてくれた。
ああ、やっぱり成君は優しい子だな、と安心して私はそっと部屋を出た。
――と、まぁ部屋を出たのは良いけれど。行き先に当てなんてもちろんなくて。
しばらく街中をさ迷っているとノラが声をかけてきた。
「ユリナさん。もし行き先を決めていないのなら、よかったら私のお気に入りの場所に行きませんか?」
ノラの先導で連れてこられたのは教会だった。首を捻る私を置いて彼女はどんどん建物の奥へと進んでしまう。
……いやいやいや、この先はさすがに駄目なんじゃ。いわゆる関係者以外立入禁止区域だと思う。
「いや、ノラ。さすがにこの先は駄目なんじゃ……。許可をとった方がいいと思うよ?」
「大丈夫ですよ。この先は別に立入禁止ってわけではないんです。ただ……魔族にとって迂闊に近寄れないだけで」
――連れていかれたのは回廊を渡った先にある建物の最上階だった。
小さな白い扉があり、躊躇うことなくノラはその部屋の中へと入っていく。
「ここは?」
中に入り、息を呑んだ。全面に広がるステンドグラスの輝きに目を奪われた。
「これは……ステンドグラス?」
色彩豊かに室内を這うその光の美しさに目を奪われる。
ゴルデイン王国にいた頃に目にしたガラス製品とは質が違った。
「凄い……」
高い天井まで壁一面が色付きガラスだ。圧巻である。
「これはガラスではなく龍王陛下の鱗で作られているそうです」
「……鱗?!」
思わず目を剥いてノラを見た。その表情が面白かったのか、クスクスと髭を震わせながらノラは前に向き直った。
「はい。『五鱗の福音』と呼ばれています。ここは教会の者しか入れません。私は一応見習い神官としての立場もありますので」
「そうなんだ。私が入っても大丈夫?」
「……はい、多分大丈夫かと」
多分なのね。
それにしても本当に綺麗。ノラが促すままに室内へと踏み入れた。
おそらくこれも女神様の姿なんだろう。穏やかな微笑みを浮かべた女性が美しい獣と戯れている様子が描かれていた。
……なんというか、あの大扉もそうだったけど、とても深い女神への愛情を感じる。
「凄いな、本当に女神様が好きだったんだね」
思わず洩れた呟きにノラが答えてくれた。
「そうですね。龍王アルファジム様は女神アーシェの為に生まれた存在ですから」
「え、そうなの?」
「はい。女神アーシェは龍王陛下を生み出しその力の全てを譲られたそうです。女神としての力の全てを」
最初このアルザルルの地に降り立ったアーシェリアと6人の兄弟神はとても仲が良かったという。だがアーシェリアが魔族を造り出し、元からいた人間達と格差が生じるにつれ、その仲は歪みだした。
人間を擁護する兄弟神と、全ての命を守ろうとするアーシェリアと。その亀裂は修復出来ないほどに大きくなっていく。
やがて兄弟神達は魔族を悪だと決め付けて攻撃するようになる。それに対抗するため生み出したのが龍王だ。アーシェリアはどうしても戦えない自分に代わり、その力の全てを龍王に譲り渡した。
どういった摂理か、龍王の力は凄まじく兄弟神を上回るほどに強かったという。それでも戦えばどちらかが傷付き倒れる。その事実に耐えきれなくなったアーシェリアは大陸を捨てて違う大地を造り出しそちらに移住することにした。
それが本来の東の大陸だという。
「その後、女神アーシェは短い生涯を終えたと言われています。そしてまた兄弟神達は人間達の繁栄を見届けた後、天に還っていったと伝わっています」
「女神様は死んだんだ……」
「はい、龍王陛下に神としての力を全て渡したため、人間と同じ存在になってしまったためと言われています」
「そっか。……淋しかっただろうね」
「……女神アーシェが、ですか?」
「うん。私なら淋しいもの。もしみんなと――司君や茉莉花と喧嘩してもう2度と会えなくなったら、きっと悲しくて辛くて……」
そこまで考えてふとわかった。
ああ、そうか。女神様は淋しかったんだ。淋しくて淋しくて、耐えられなくて絶対裏切らない、ずっと側にいてくれる龍王を造ったんだ。
意識せずに右手を動かしてそこにある毛皮を撫でた。それに応えるようにバルスが顔を足に擦り寄せてきた。
その温もりは、ずっと私を慰めて支えてくれる。
無意識にそんなことを考えながら、口をついて出たのは違う言葉だった。
「――家族って、兄弟ってなんだろうね」
「――さぁ、私にはわかりません」
固い声色に驚いてノラを見た。いつも緩やかに揺れている髭がピンと張り、それなのに蒼い目はなにかを諦めたような寂しさを映していた。
その横顔に自分の失態に気付く。ノラは孤児院育ちだと言っていたのに、そのノラに対して家族ってなんだろね、なんて言葉を吐いたのだ。
……私、最悪だ。
「ごめんなさい……」
「え、あ、いえ、違います。怒ってないです、私怒ってないですよ?」
慌てたように手を振るノラ。そして少し目を瞬かせると髭と肩を力なく萎れさせた。
「違うんです、本当にごめんなさい。私、羨ましかったんです。この数日貴女方を見ていて、本当に仲が良くて楽しそうで。側にいるだけで私も、その……仲間になったような気になってたんです。勝手に思い込んで勝手に失望しただけなんです。こちらこそ、立場を弁えず失礼致しました」
目を伏せて謝罪を口にするノラはやはりどこか淋しそうだ。そして自嘲するような歪んだ笑みを口の端に乗せた。
「……私はあまり詳しくはありませんが、ホシミヤ兄弟の武勇伝や噂なら少し耳に入ってました。とても仲の良い兄弟だと。正直に言うと、私には本当にわからないです」
なぜそんなに不安になるのか。なぜそんなにお互いを想い合っているのに恐れるのか。ノラにはわからないと言う。
「本当にごめんなさい。できるのならユリナさんの助けになりたかったんですが、私では無理なようです」
「ううん、違う。……そうね、そうなのよ、何だかんだ言ったって、あの子達が私を大事に思ってくれていることはわかってるのにね。信じきれない自分が嫌になる」
思い返せば甦るのはあの子達の輝く瞳ばかりだ。笑顔はもちろん、喧嘩したときも感動したときも泣いているときも、いつだってみんな輝いていた。
そんな彼らを信じきれないのは自分のせい。真っ直ぐに見つめてくる弟妹達を眩しく思いながらも、影を抱えていたのは私の方なのだ。
――私は“踏み台“だ。
胸の奥から沸き上がってくる黒い声に耳を閉ざす。それなのにその声はさらなる悪意を乗せて囁いてくる。
――ずるい。ずるいずるいずるい。私はこんなに頑張って来たのに。あの子達のために生きてきたのに。どうして――どうして私を見捨てるの?
自分勝手な思いにヘドが出そうだった。
――羨ましい。あの子達が。私だってもっと楽しく生きたかった。もっとたくさん遊んで恋して人生を謳歌したかった。全てを犠牲にしたのに、結局輝くのはあの子達ばかり。
胸の奥から沸き上がってくる声がどんどん大きくなる。それに耐えきれなくてギュッと己の体を抱き締めて目を閉じた。
ずっと、ずっと心の奥底に封印していた思いだった。一番に弟妹達のことを優先して生きてきた。それが私の生きる意味だったから。そうすればこの子達は私を一番に考えてくれる、私の家族でいてくれる。そんな打算が無意識にずっとあったのだ。
大人に――私よりも自立する能力を持った彼らは私の手を離れてしまうだろう。そして彼らは振り返ることなく光の中を進んでいくのだ。
わかっていたことだけど。目を背けてきたけれど今目の前に突き付けられた。
弟妹達の面倒をみて偉いね、とか頑張ってるね、とか言われていても裏を返せばこんなものだ。醜い自己満足でしかない。
ノラが気遣わしげに私の背中を擦っている。それに応える余裕もなく心の中の澱を静かに見つめていた。
空の巣症候群と百合奈の闇部分が混ざり合ってぐちゃぐちゃしています。
次で彼女の心の整理はつくはず。もう少し早く更新できるように頑張ります。




