10.5 シェリエ・ノルトレートの日記
日記のように書いてありますが、日付をはっきりと表記していません。ですので実際には数日空いていることもあります。ご了承下さい。
日常とは1日で壊れる脆いものだと知った――。
1月○日
今日1日何が起きてどう対処されたのか私にはわからない。それでもこうして日記に書こうと思ったのは頭の中を整理するためだ。どこまで理解できるのか自分でもわからないけれど、ありのままに書いていこうと思う。
私の1日はいつも上司であるツカサ様を探すことから始まる。ツカサ様はまるで猫のような方で非常に気まぐれだ。朝出勤して自室に来ることはほとんどない。
それなのに、今日は居た。むしろ私より早く出勤されたのだ。
「おはようございます、ツカサ様」
「おはよう」
席に着き、何やら小難しそうな分厚い本を読んでいたツカサ様はこちらを見ることなく返事をした。
その様子を見る限り多くの人がこの人を恐れる。とても冷たい他人には興味のない人間だと。けれどそれは違う。ツカサ様は優しい。優しくて暖かい人だ。
「今日はお早いのですね」
「それは嫌みか」
「いえ、まさか」
私が笑うとツカサ様は何か言いたげに一瞬だけこちらを見た。こうした軽口も今年に入るくらいまでは全くなかったことだ。
何かあったのか、ツカサ様の雰囲気が最近柔らかくなった気がする。
――もしかして、ライティア様の存在だろうか。
そう考えて針を飲んだような胸の痛みに耐えた。
朝のお茶を淹れるため、一度外に出ようとしたところ、その急報はもたらされた。
ライティア様が急逝された、と。
あまりに突然の訃報に一瞬理解が追い付かなかった。けれどすぐに我に返るとそっと上司の顔を窺った。
眉間にシワを寄せ、愕然と急使ともたらされた書状を確認すると、言葉もなくツカサ様は身を翻された。そのまま出ていこうとする背中を慌てて止めると無表情のツカサ様が私に視線を向けた。
「俺は行く。これは決定事項だ。お前はどうする? 俺についてくるのか、それとも家族の元に帰るか」
この時のツカサ様の言葉はとても不自然だと今ならわかる。けれど私は気付かないまでもこの答えがとても重要だと本能で理解していた。
それでも私が選ぶ答えは一つしかない。
「私はツカサ様の部下です。どこまででも御一緒いたします」
――この答えが正しかったのかどうかはわからない。けれど答えを聞いたツカサ様の微笑んだ口許とは裏腹のどこか冷めた眼差しが、私の背筋に氷の粒を落としたような寒さを感じさせた。
それからすぐに急使が乗ってきた飛竜に乗り王城を飛び出した。まさに電光石火だ。
ヴィスゴット領領主館に着いたのは昼過ぎだった。慌ただしい挨拶を済ませる間もなく、ツカサ様に色々と準備を命じられた。その姿はいつも通りで、愛する婚約者を喪った悲哀は欠片も感じなかった。
場の雰囲気や人々の対応に違和感を感じながらも、その日1日情報収集や葬儀の準備に追われた。
1月○日
昨日と今日で仕入れた情報をまとめてみようと思う。
ライティア様が亡くなられたのは4日前。婚約者であるツカサ様に会いに行く道中で何者かに襲撃され、発見されたときには体の一部が残されただけの状態だったという。おそらく殺された後放置され、そこを獣か魔獣に食われた状態で1日後に発見された。
犯人はすでに捕まっており自供も済んでいる。証拠もあり、背後関係は今も調査中だという。
ツカサ様は復讐を宣言している。またヴィスゴット領領主のゲイル様も強い怒りを表明している。そのせいか周囲が非常に緊張感に満ちていて、心休まる時がなかった。
さらに忙しさを押し上げているのが弔問客の存在だった。まるで示し合わせたように周辺の領主や騎士達が駆け付け、驚いたのは魔族の姿があったことだ。
慌てて何とかツカサ様を捕まえてどういうことかと尋ねた。
「なぜ魔族がいるのですか?! この事が城に知られれば大変なことになります!」
「彼は我々の友人だ。なにか問題があるのか?」
「大有りです。我が国にとって魔族は――特に妖魔族は長年の宿敵です。今すぐ追い返さなければ」
「シェリエ・ノルトレート」
この時のツカサ様の雰囲気は惚れた私でさえ恐ろしかった。試されているのだと瞬時に理解した。
「お前は誰のものだ? 国か? ジボールか? それとも――」
あれは私を追い詰める目だった。その強さに恐ろしさと同時に熱い高揚感を感じていた。
「わ、私は――ツカサ様のものです」
乱れた息の隙間にそれだけを答えた。
この方になら何をされてもいい――心からそう思える相手に出会えるなんて思いもしていなかった。だからこそ私はこの人を誰にも奪われたくないのだ。叶うことならツカサ様の目に入る全ての者を消し去ってしまいたい。愛してくれとも微笑んでくれとも言わないから、ただその冷たい眼差しを誰にも向けないでほしい。
その偽りに満ちた微笑みなんていらないのだ。
熱く昂った体を抱き締めて、思いの丈を込めて見つめる。
「そうか――」
私の熱と反比例するようにツカサ様の顔から表情が抜け落ちていく。
「ならば俺に逆らうな。――それから俺は、お前を愛さない」
「構いません。私が、愛しますから」
きっぱり言い切った私を見るツカサ様の目が、少しだけ揺れた気がした。
1月○日
今日は本葬儀が行われた。早朝から参列者の中にベニーカ王女と第三王子のフッカード様がいて驚いた。ベニーカ様は相変わらずツカサ様の後を追い回して一切無視されていた。
ベニーカ様は「とにかく早まらないでほしい。必ず責任の所在はハッキリさせて、何らかの処罰を下すから」とツカサ様にすがりついていた。
……愚かだな、と思うのは、ツカサ様が一番嫌いな手段が女を使うことだと、私は知っているからだ。ベニーカ様はいつでも無意味にツカサ様を追いかけるだけで、少しもあの方の心を知ろうとはしない。
その事が腹立つ一方、何とも言えない優越感を覚える。少なくとも、私が一番ツカサ様に近い“女”なのだと実感する。
フッカード様はツカサ様となにかやり取りをしたあと、忙しそうに立ち回っておられた。あの様子を見る限り、フッカード王子はおそらくこちら側に立たれるおつもりなのだろう。あの方は機を読むのに長けた方だ。そして王族の中でも一番柔軟な思考の持ち主だと思う。
ツカサ様は私の祖国を見捨てられた。ハッキリとは口に出さなくてもその態度や動きでヴィスゴットとアークィンガを独立させようとしているのはわかる。魔族と協力し新たな土地に腰を据えられるつもりなのだろうか。いつだってツカサ様は何も仰らないから私は着いて行くしかできない。
横たわる者の無い棺の中には鮮やかな金髪だけが納められていた。無表情でその金髪を撫でたツカサ様の横顔を私は見詰めていることができなかった。
司は申し訳程度の演技をしている。




