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「あー! おかえり、お姉ちゃん、ボス! 先にご飯食べてるよー!」
4階の居住区には防音の結界が張ってある。階段を上がってすぐの扉を開けると賑やかな音が耳に飛び込んできた。
扉の向こうはキッチンとリビングで、そこには弟妹達とシシィ、それにアリスが給仕に勤しんでいた。
「よお、百合奈さんに司兄。先に頂いてるよ」
先に声をかけてきたのが次女のかすみで、その次が二男の真君だ。
長方形のテーブルを囲むようにみんなが好きな席に座っている。
すっと音もなく近付いてきたアリスにおしぼりを貰うと、手を拭きながら席についた。
「おかえり、かすみに真君。茉莉花、薬はちゃんとコルじぃに渡したから。―――真君、今回はどこまで行ってきたの?」
真君とかすみの前には冷えた果実酒があった。どうやら食事を済ませて飲んでいたようだ。
この国での成人は16歳だけど、飲酒の年齢制限はない。なので飲酒の判断は本人たちに任せている。成君から上の子らは嗜み程度に飲むけれど、光君と茉莉花はまだ飲ませていない。
成君光君を見ると必死に土竜の腿ステーキを頬張っている。アリスが私と司君に配膳したあと、バルスにもステーキを出していた。そんなアリスの後ろをシシィは付いて回っている。
「んー、ちょっと海を渡って西の帝国までね。いやー、向こうはきな臭いったらなかったよ。今にも戦争が始まりそうでさ、めんどくさいから逃げてきた」
「……この時期に戦争か。後継争いか?」
「おー、さすがボス、ご名答。まぁ俺の見立てでは半年もかからずに収束するだろうけどね」
「ほぉ? お前は誰だと踏んでる?」
「前皇帝の弟のジルオール殿下だろうね。あの人は凄いよ、逆に今までよく臣下に収まってたと思うよ」
「第一皇女はどうだ? かなりのキレ者だときいたが」
「あー、うん。彼女はねぇ、うん。……確かに頭もいいし、政治も向いてると思う。ただねー」
「なんだ? 勿体振らずにさっさと言え」
「いやー、なんつーか、男運が悪いというか見る目がないと言うか」
「………なんだ、ビッチか」
「いやいやいや、違うよ、ボス。シルヴィアは―――第一皇女は純潔だよ。ただ、本当に惚れっぽくてさ、恋愛第一主義者なんだ」
聞くともなしに聞いていた二人の会話に、真君以外のみんなが心の中で突っ込んでいた。
お前が手ぇ出してんじゃねぇよ、と。
司君は容赦なく冷たい目で弟を見下した。
「確かにお前に惚れるようじゃ話にならないな。政争がどうのこうのと言うより、そのシルヴィアがめんどくさくなったんだろ。どうせ口説くなら第一皇女と一緒に帝国も手に入れてから帰ってこい」
「ボスの言う通りだよ、マコ兄はいつも詰めが甘い! ていうか、脇が甘い! どうせその皇女様もマコ兄がいつも通り優しく接したら勝手に夢を見て迫ってきたんでしょ?」
つまみのフライドポテトを頬張りながらかすみが言った。
長いストレートの黒髪はポニーテールに結んでおり、朝家を出てからまるで時間が経っていないかのように乱れがない。つり目気味の二重はむしろ甘くなりがちな大きな目を理知的に見せている。紅茶色に焼けた肌は健康的で、騎士団の副団長という職もこの肌の色を作る要因だろう。
私とかすみはよく似ていると昔から言われたけれど、10歳という歳の差は似ていればこそ二人の差を際立たせるのだ。
正直、かすみの若さが私には眩しい。
私が18歳の頃はちょうど父が再婚したくらいだ。この時から5年ほどは私にとっても暗黒時代で、正直言うとあまり記憶がない。
今のかすみが毎日イキイキしているのを見ると、ほっとする反面自分と比べて寂しくも感じるのが本音だ。
私は内心の葛藤などおくびにも出さずにかすみを見た。
「それよりも、かすみはどうなのよ。そろそろ本気で相手を探した方がいいんじゃない? 彼氏はいないの?」
私の突っ込みに、途端に顔をしかめる。それはそれは嫌そうに私を見返してきた。
「あのさぁ、お姉ちゃん。私は結婚とかする気ないから! しかも今の私が彼氏作るとしたら騎士団からになるじゃん。貴族とかめんどくさいし。出来ればかーかーわーりーたーくなーーーい」
「あんたも嫁き遅れ、とか呼ばれたいの? 騎士団の人達にお局様とか言われたいの? ちょっとでも機嫌が悪いと男日照りで乾いてるんじゃない? とか、言われたいの?!」
「なに、お姉ちゃん、そんな事を言われてたの? はぁー、女って怖いね、家に来た時はお姉ちゃんを揚げまくって、司兄やマコ兄に色目使ってたのに!」
「女だけじゃないわよ、男だって言うわよ。ていうか男の方が言う時は酷いし」
私とかすみが話している間に、司君と真君が何やら真剣に話しており、光君成君はデザートに舌鼓を打っている。茉莉花はかすみの隣から時々合いの手を入れてくる。
久し振りに兄弟が揃った食卓に心が和む。
そうして他愛のない雑談に花を咲かせ、夕食も終えた頃に私はシシィを呼んだ。
昼間見たときよりも血色のよい顔をしているが、相変わらず細い。これで性奴隷として売られていたのだ、買うような奴らを思うと吐き気がする。
「司君、この子がさっき話した、成君が連れて帰ってきた奴隷の子よ。名前はシシィ。―――ねぇ、シシィ。これから貴方をどう扱うか話し合うんだけど。貴方は何か希望はある?」
私の問いかけが意外だったのか、シシィは目を丸くして首を傾げた。
なんか、犬っぽくて可愛いかも。
「希望、ですか」
「そう、希望。今の貴方は奴隷ではないわ。だから遠慮しないで将来を真面目に考えてほしいの」
「ですが私はナル様に救われ、ヒカル様に病を癒していただきました。奴隷紋が無くても私がお二人に対して大恩があるのは覆せません。せめて恩返しが済むまで我が身を捧げたく思います」
言っていることは立派だけど、その表情には怯えがあった。落ち着かないのかしきりに両手を動かしている。
―――今まで奴隷として虐げられてきたのに、いきなり自由にしてもいいよ、と言われても戸惑うどころかそれはもう恐怖でしかないと思う。
とりあえずは、やはりここで面倒を見るしかないか。
私はチラリと司君を見た。方眉を僅かに上げてひとつ頷いてくれた。
その姿が嫌になるほど様になる。
司君と真君はよく似ている。けれど受ける印象は全く違い、司君が月光を浴びて佇む狼ならば真君は日向ぼっこをする虎だ。司君が陰なら真君は陽、細マッチョとがっつりマッチョ、頭脳派と脳筋野郎だ。全く印象が違う。
司君の許しも出たことだし、シシィのことはアリスに任せることにした。責任者は成君と言うことで、何かあれば彼に相談するように付け加えておく。
成君にはこの後司君からお説教があるだろう。
「じゃあ、改めてよろしくね、シシィ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
その日、宿屋『星宮家』に新たな仲間が加わった。
私の一日の始まりは早い。朝4時に起きて仕事に取りかかるのだ。宿泊客の朝食はハムや玉子や野菜を適当に盛り付けたワンプレートに焼き立てのパンが多い。
これにフレッシュジュースやスープが付く。
昨夜の内にベルが仕込んでくれていたパン種を冷蔵庫から出して、適当な大きさに捏ねオーブンで焼いていく。
焼いている間に真君と成君が共同で作ったエレベーターを使い屋上へとあがった。このエレベーターは使用者の魔力で動く。各階に留まるのでお客様にも使えるが、私は基本的にあまり使わない。こんな風に、明らかに寝静まった早朝や重い物を運ぶ時くらいだ。
まだ紺色の星空の下、屋上に出るとそこには畑が広がっていた。
「灯火よ、視線を照らせ」
短い詠唱に小さな光源が目の前に現れた。
私が見詰める物を照らし出していく。朝食に使う野菜や果物をどんどん収穫していく。
しばらくすると、畑の奥にある小屋から物音が響いた。視線を向けると、扉を開けたピーターの姿がそこにあった。
「おはよう、ピーター。今日もたくさん野菜がなってるわ。どれもとても美味しそうよ。いつもピーターが世話をしてくれるお陰だね、ありがとう」
ほたほたと少し重い動きなのは寝起きのせいだろうか。
「おはようございます、ユリナ様。今日もお元気そうで何よりです」
彼の後ろにはアリスとベルの姿もあった。朝の挨拶を交わすけれど、二人は朝から麗しい。きっとむくみなんかとは無縁なんだろうな。
3人はこの小屋で寝起きしている。小屋と言ってもオシャレなログハウスだ。
《自動人形》である彼らは本当は眠る必要も無いが、起きていてもすることもないので夜は眠るそうだ。すると不思議なことにピーターだけは寝起きが悪くボーとするらしい。
ボーとしたピーターは普段はけして見せない兎らしい仕草をよくする。前肢(手)で長い耳をしごいたり鼻をひくひく動かしたり。
その仕草が愛らしくて朝からほのぼのする。
私が持っていた野菜を詰め込んだ篭を、ひょいとベルが持ち上げた。びっくり顔の私にうっとりするような美しい笑みでベルは告げた。
「お持ちしますわ、ユリナ様。こんな重たい物は私達が運びますから、遠慮せずにお呼び下さいませ」
隣ではアリスがこくこくと振り子の虎よろしく頷いている。私は少しだけ苦笑して「ありがとう」と礼を言った。
軍手を外しスカートについた土を払うと、ふと東の空を見た。白み始めた空が一日の始まりを告げる。私は朝焼けの空が好きだ。
高校時代、部活や父の代わりに家事をこなすのにバイトする時間がなかった私は、早朝の新聞配達をやっていた。まだ暗い時間から配り始め、怖がりな私は早く夜が明けないかと怯えながら配達していた。
冬場は日の出が遅いので配達中に夜が明けることはなかったけれど、夏場は配達が終わる頃、美しい朝焼けの空を時間が許すかぎり眺めていたものだ。
本当に、とても美しかった。
世界が変わっても、その美しさに違いはない。
私は空に浮かぶ白い雲が朝焼けに染まるまで、飽きることなく色を変えていく空を眺めていた。
そうして今日も一日が始まる。日本だろうが異世界だろうが変わらない日常は、いつだってただひとつの願いの上に成り立っている。
『どうか、今日も家族が元気でありますように』
世界を違えて会うことも叶わなくなった父母のことも、心の片隅に浮かべて。
朝焼けの空にそっと祈りを乗せて、私は朝食の準備に厨房へと戻っていった。
※茉莉花から真まで、司のことを『司兄』や『ボス』と呼びます。その違いはその場の雰囲気や気分で変わりますので、ややこしく思われるかもしれません。
読んでいただき、ありがとうございました。