閑話~茉莉花の記憶と餅米~
~茉莉花の想い~
あれはゆりなお姉ちゃんが宿屋を始める前、奴隷から解放されてしばらく経ってからのことだった。
助け出されたゆりなお姉ちゃんは私の薬と治癒魔術で体力自体はすぐに回復したけど、それから度々原因不明の熱で倒れることが多くなった。
知り合いの医術師に聞いてみると、精神的なダメージが重過ぎるとすぐに体調を崩したり言動がおかしくなることが時々あるんだって。おそらくそれだろうと言われた。
確かに最近、元気ないもんなぁ。仕事が忙しいと元気だけど、少しでも動きが止まるとぼーっとしてることが多い。
その日も朝からゆりなお姉ちゃんはしんどそうで、時々俯いて震えてたりした。
「ゆりなお姉ちゃん、大丈夫? 何か欲しいものがあったら持ってこようか?」
覗き込んだらその顔は真っ青で、汗がポタポタと垂れていた。私は怖くなってゆりなお姉ちゃんにしがみついた。本当に怖くって涙が溢れそうになった。
「大丈夫、よ。茉莉花。少し、横になるね。後のことはアリスに任せてあるから伝えておいてくれる?」
ゆりなお姉ちゃんは辛そうだったけど、私は部屋を出てアリスを探した。
アリスにベル、ピーターはかすみお姉ちゃんの造った自動人形で、かすみお姉ちゃんにとてもちゅう、ちゅ……忠実? だ。だけど私はちょっと苦手で、なんとなく避けてしまう。
けど、ゆりなお姉ちゃんに頼まれたことはきちんとしないと駄目だから、私はアリスにゆりなお姉ちゃんの言葉を伝えた。その後は庭でバルスと少し日向ぼっこをして自分の部屋に戻ろうとした。
部屋に戻る前にゆりなお姉ちゃんの様子を見ようと寄ったら、ベッドの中でうなされているゆりなお姉ちゃんを見付けた。
私はびっくりして少しだけ怖くなって、部屋に入ることを躊躇った。けど、うなされているゆりなお姉ちゃんが心配で、気が付けば側に駆け寄っていた。
「ゆりなお姉ちゃん……?」
布団の中で手足を縮めて丸くなったゆりなお姉ちゃんは、髪の毛が肌にベッタリと張り付くくらい汗を流していて、とても苦しそうな顔をして泣いていた。
「ゆりなお姉ちゃん!」
ゆりなお姉ちゃんが泣いてる所を初めて見た。いつも怒ってるか笑ってるゆりなお姉ちゃんが、泣いている。
私は何も考えずにゆりなお姉ちゃんの頭を撫でていた。手のひらがゆりなお姉ちゃんの汗で冷たかった。
「………けて、助けて、お母さん、お父さん。助けてよぉ、ふっ、うううぅぅ………」
ゆりなお姉ちゃんは、まるで私よりも小さな子供のように、怖いよ、怖いよって泣いた。お母さん、助けてって泣いてた。
それを見て、私も泣いた。その時、私は初めてゆりなお姉ちゃんを守りたいって思ったんだ。
ゆりなお姉ちゃんが“お姉ちゃん”なんだって、当たり前のことがわかったから。ゆりなお姉ちゃんも寂しいんだって、そんな当たり前のことにやっと気付いたから。
私が撫でていると、ちょっとだけふわっと笑顔になってくれたから。
だから、これからは私が守るね、ゆりなお姉ちゃんが私達を守ってくれたように。
そのためにも私は強くなる。司お兄ちゃんにも負けないくらいにね。
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~謝礼と餅米~
「すまなかったあぁぁぁ!」
この世界には土下座はないと思い込んでいた。だって、頭を下げるのは忠誠心からのみ、みたいなことを聞いていたから。
けれど、今目の前で繰り広げられている光景は間違いなく土下座だと思う。
すき焼きを食べた翌日、私は成君と一緒に冒険者ギルドに来ていた。なんでも謝罪と報酬を渡したいから是非来てほしいと言われたのだ。
なんとなく釈然としないものを感じていたけれど、とりあえず呼んでいるのなら行ってみるかと暇そうな成君を連れてやって来たのだ。
そしてギルド長室に入ってすぐに土下座された。
ギルド長にじゃないよ? 確か名前は―――。
「グレイドさん、でしたっけ?」
昨日私とベルに絡んできた3人組、その男達がギルド長室で土下座していたのだ。
開けた瞬間はビックリしたけれど、一緒に来た成君の顔を見て仕組まれてたんだと悟った。
実は昨日のうちに真君から彼らの事情も聞いていたのだ。彼らはあの戦いの中で仲間を一人亡くしてしまったのだと。そんな危ない戦いの中で必死に戦っていたら、司君の強力な魔法で一瞬にして全てが片付いてしまった。
それはそれは複雑な気持ちだったらしい。そんな中、私がベルと2人でのんびり現れたのである。
やり場のない気持ちの捌け口がこちらにむかってしまったと。
真君にもその辺は注意された。冒険者は皆多かれ少なかれ命懸けで戦ってその日の糧を得ている。レイノルドさんやフランさんが冒険者の基本だと思ってもらっちゃ困るよ、と。
そこら辺は私の認識不足だったと反省した。自分の身を守るのは自分なのだ―――その事を改めて痛感した出来事だった。
それでもまあ、イライラしたからといってか弱い婦女子に絡むのはどうかと思うけどね。
冷静になれば話のわかる奴等だよ? と真君も言っていたので、一晩経って冷静になったということかな。まさか真君達が報復済み……とかはないよね、さすがに。
私は彼らに近付くとしゃがみこみ、その厚い肩に手を置いた。
「謝罪を受け入れますから、頭を上げてください。その、私も対応が不味かった自覚があるので、謝罪させてください」
私の言葉にグレイドさんは私の手を払いのけるほど勢いよくガバッと体を起こした。そして口を開くより先に再び蹲ってしまった。そして何やらお腹を押さえて呻き声を洩らしている。
「え。あの、どうかしました? 私の顔に何か付いてます?」
そんなに体をピクピクさせて堪えるほど私の顔が面白かったのだろうか。
不安になって顔を触っていると、ブハッと吹き出す声が聞こえた。
「あんたやっぱり天然だな。ぐふ、お前ら、もう楽にしろって。ユリナは許してくれるってよ」
やっぱり呼び捨てなのね。そんなことを心の中で呟きながら、ちょっとだけドキドキしてたのは秘密だ。
ギルド長の方に目を向けると、最初とかなり印象が違って見えた。なんだろう、憑き物が落ちたような清々しさを感じる。
この人、もしかしてかなり若いかも。今見るといってても30後半くらいかな? て予想になる。
「昨日は大変失礼しました、ギルド長。今日はお呼びと聞いて来たんですけど、要件はコレでしょうか?」
「コレはおまけみたいなもんだ。昨日お前の弟にえらい目に合わされたらしくてな。異世界流の謝罪方法を叩き込まれたそうだ。本題はこっちだな」
そう言って机の上にドサッと置いたのは革の袋だった。中身はまあ、なんとなく察することができるだろう。
私はなるべくその袋を見ないようにする。あの中身が私の想像通りならどんだけ入ってるんだって話でしょ。
「これは謝礼金だ。ユリナのお陰で王都は助かったようなもんだからな。それに危険な目にもあわせただろ? その詫びもこめてある。いろいろすまなかったな」
「いや、それはこちらにも非はありますし……と言いますか、界魔獣を倒したのは弟達で、私じゃ無いですよ? 謝礼なら弟達に……」
「倒したのは、な。お前の弟達にはきちんと報酬が出ているし、さらにいろいろ上乗せされてエグいことになってるからな。そういうわけで受け取っておけ。これは有志からのお礼だ、遠慮するな」
ここで押し問答しても仕方がないので、とりあえず受け取っておく。革袋を持ち上げようとしてあまりの重量に顔がひきつってしまった。
確か謝礼金とおっしゃいましたよね?! 明らかに重すぎるし、袋の動きから中身は小さな実のようなものだとなんとなくわかる。
私の表情を見てニヤニヤしているギルド長を軽く睨み付けてやる。
「そんな顔すんなって。騙した訳じゃねえから。中身を見てみな、お前が欲してたって聞いて商業ギルドが用意したんだからよ」
言われて袋を開けてみた。中には白い粒がたくさん入っていた。私は思わず歓声を上げる。
「餅米!」
嬉しさのあまり飛び上がってしまった。
実はロッドさんに餅米をもう少し手に入れられないか相談していたのだ。
後5日ほどで年が明ける。こちらの世界では年越しに際して30日は家に籠り家族で酒を飲み、年が明けた1日2日は挨拶がてらあちこち飲み歩くのが慣例だ。
一応日本でいう門松やお節料理みたいなものもある。日本のお節も作るけど、どうしてもお雑煮が食べたかったんだよね。
これだけあれば餅つきも出来るし、様々な食べ方も出来る。
頭の中で料理方法を考えていると満足そうなギルド長がふんぞり返るのがわかった。
「それで旨いものが出来るんだろ? アリオスと楽しみに待ってるからな」
いい笑顔でそう言われてしまった。………まぁ、お餅にするから数は出来るだろう。
まだ事後処理に手間がかかっているらしく、貰うものを貰ってすぐにギルド長室を出た。餅米の袋は重たいので成君が持ってくれている。
「本当に済まなかったな」
一緒に部屋を出たグレイドさんがもう一度謝ってきた。仲間の2人も力なく項垂れている。改めて見ているとそれぞれになにか体のバランスがおかしい気がする。
無意識のうちに首を捻って観察していると、成君のあきれたような声が聞こえた。
「ゆり姉、あんまりじろじろ見てやるなって。今、必死でやせ我慢してんだからさ」
なんのこと? と振り返ると成君は意地の悪そうな顔でニヤニヤと笑っていた。
そんな顔すると司君にそっくりだね。そう口にすると嫌そうな顔をされた。またその顔がそっくりで笑えた。
「もう謝罪はしないでください。貴方達の事情も聞きましたから。私の方こそすみませんでした。えっと、顎とか足とか手首とか……その、大丈夫ですか?」
「そう言ってくれるのは助かる。あんた達にやられた分なら大丈夫だ。それよりも殴られた腹が―――」
そこで成君の大きな咳払いの音が聞こえた。
「どうしたの、いきなり」
「うんやぁ、別に? ちょっと空気が乾燥してるみたいでさ。ンッ、ウンッ」
なんか、わざとらしい。ジト目で澄ました顔の成君を睨んだ後、グレイドさん達の方を見ると3人とも顔を青ざめさせていた。
………まぁ、そういうことなんだろうね。多分真君辺りがきっちり報復をしたんだろう。
報復なら自分でしたのに。
私は溜め息を堪えながらグレイドさん達に別れを告げて冒険者ギルドを後にした。
帰りに商業ギルドにも寄ってみた。こちらのギルド長とは顔見知りだ。受付の職員に会いたいと告げるとすぐに通してくれた。
「あら、いらっしゃい、ホシミヤ。そちらは弟かしら」
商業ギルドの長は40代後半くらいの女性で、私は彼女にはとても世話になっていた。私にとって唯一素直に慕うことの出来るこの世界の人間だ。
名前はローラ・マスケス。実はロッドさんのお母様だったりする。
彼女はとても忙しい人だ。私は手早く成君を紹介して餅米のお礼を言った。
「ロッドに聞いたのよ。貴女が餅米を欲しがってるって。それを聞いて慌てて探してたのよ。そしたらちょうど飛竜便が戻って来たって聞いたから、私が直接東国へ買い付けに行ってきたってわけ。かなり疲れたわ」
「わざわざありがとうございます」
そうお礼を言うと、ローラさんもニッコリ笑って「差し入れ楽しみにしてるわ」とおねだりされた。
商業ギルドも用事が済めば早々に退出した。
ちなみに。家に帰ってから餅米をざるに移すと、底から小袋が出てきて中身は金貨5枚が入っていた。思わず受け取ってしまった事を後悔した。
金貨5枚って、日本円にしたら50万だよ?
きっと餅米はカモフラージュなんだろうな……。
そう独り厨房で遠い目になったのは仕方がないと思う。
※次話でほのぼのが帰ってくるそうです。ご心配をおかけした皆様、ありがとうございました。




