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再び訪れた冒険者ギルドは、先程来た時よりも活気に満ちていた。みんなが何かしらの情報を欲してたむろしているようで、あちこちから噂話の声が聞こえてくる。
「さっきのは何だったんだ? やっぱり魔族の侵攻だったのかよ」
「わからねえ、ギルド長も帰ってこないしよ。どうなってるんだ?」
「誰か情報を持ってねえか、買うぞ!」
「やっぱりあれか、ホシミヤ兄弟の仕業かね」
「魔族じゃなきゃそうだろうな」
「おい、聞いたか? 第一王女のベニーカ様がお出座しになるらしいぞ」
「第一王女様が? だったらあれだろう、ホシミヤ兄弟の長男が―――」
みんなが情報を集める中、そっと邪魔にならないように受付カウンターに向かった。
ギルド職員も忙しそうで、席についている職員は誰もいない。周囲を見渡していると、ちょうど階段を下りてくる女性に見覚えがあった。
名前はわからないけれど、最初に受付をしてくれた女性職員だ。私は思わず手を大きく振っていた。
するとすぐに向こうも気付いてくれて、こちらに駆け寄ってきてくれた。
「お義姉様! どうしてここへ? 基地に向かわれたのではないのですか?!」
………うん、まあ、お義姉様でもいいけどさ。
ニヘラ、と愛想笑いで誤魔化すと、ここに来た目的を話した。
「そうですか。あいにくとギルド長からの連絡はないですが……もしかしたら副長が何か聞いているかも知れませんね。少しお待ち下さい」
そう言ってまた階段を駆け上がっていった。
待つ間、ベルに促されて出入口付近の椅子に座る。ちなみにバルスは外で待機中だ。冒険者が中に多くて、連れて入ると邪魔になりそうだったから外に残してきたのだ。
「何か飲み物を持ってきましょうか、ユリナ様」
「ううん、喉は渇いてないからいいわ。それよりベルも座りなよ」
横の椅子の座面を叩くと、クスッと笑ってベルは腰かけた。
「副ギルド長はどんな方でしょうか? ユリナ様はご存知ですか?」
「うん、知ってるよ。商店会の会合で顔を合わせるからね、その時によく話をするもの。アリオスっていう、苦労性の文官みたいな人よ」
確かギルド長に会いに来た時も少しだけ顔を見た。
「会うたびに顔色が悪くなって行くから、ついつい声をかけちゃうんだよねぇ。この間の会合ではサンドイッチをお裾分けしたら泣いて喜んでくれたし。なんでもうちの料理を食べたかったらしいわ」
「………そんな所で餌付けされてたのですか」
「はは、餌付けって。1回だけよ? それにたまたま持ってただけだしね」
そんな話をしているとにわかに注目を集め出したようだ。
まぁ仕方ないよね、ベルは美人だし―――とは言いつつ。こちらを見ている視線がいささか刺々しい。
そちらをチラリと見るといかにもがらの悪そうなおっさん連中がこちらを睨んでいる。それ以外の冒険者はベルに好色な目を向けつつ、私のことは遠回しに見ているようだ。
ああ、来る、来るよね、あんだけ見てきたんだもん、絶対絡んでくるよねぇ。
頭上に差した影にわからないように溜め息を吐いた。
「―――おい、あんた、ホシミヤ兄弟の姉ちゃんか?」
「えっと、はい、そうですが。どちら様でしょうか」
前に出ようとするベルを押さえて顔を上げた。
「あんたの弟のおかげでこっちも景気が良くてよぉ。おい、姉ちゃん、ちょっと付き合えや」
景気の良い人間の顔ではないし、口調と視線が言葉の内容を裏切っていた。敵意の籠ったぎらついた3人の男たちの視線を遮るようにベルが私の前に立った。
「お止めくださいな、お茶でしたら私が付き合いますわ」
「あんたに話してるんじゃねえんだ、そこをどきな」
乱暴にベルの肩を掴むと横に押しやろうとした。男の太い腕がピタリと止まる。訝し気に眉をひそめて、男はさらに腕に力を込めた。筋肉がさらに盛り上がる。
「な、なんだ、あんた……」
ベルはピクリとも動かない。男を蕩けさせる笑みを浮かべながら、平然と立っている。
「何をやってるんだよ、アニキ! 女だからって遠慮するなよ」
腰巾着の男が前に出て来てベルの腕を掴もうとした。けれどベルがその腕を引いたことで前につんのめり、たたらを踏んだその足を思いっきり踏みつけた。
「ギャーッ!!!」
容赦のない一撃に私の頬がひきつった。地味にヒールのある靴はいてるのに。
「おい大丈夫か?! てめえ、こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって!!」
―――さっきから凄く恥ずかしい……。なんなの、この悪役商会のような安定感。これがあれか、テンプレ、というやつか。
私はあまりの居たたまれなさにベルを止めに入った。
「ベル、待って。ちょっとだけ待って。そちらさんも落ち着いてください。そんな殺気立った顔でお茶しようと言われても了承はしかねます。お話ならここで窺います」
「うるせぇ! 姉兄揃って人をばかにしやがって!!」
「そうだそうだ! 渡界人だかなんだか知らねえがぽっと出のくせに俺達より有名になりやがって!」
「ちくしょう! いいから来いや!!」
強く腕を引かれた。その勢いに乗せて一歩踏み出すと男の懐に入り込み、下から掌を―――掌底を男の顎に向かって突き上げた。
「ガッ……!」
男の手が離れていく。と同時に男が倒れた。脳震盪をおこしたのか、仰向けに倒れたままピクリともしない。
「てめえ!!」
もう一人の男が私の胸ぐらを掴み殴りかかってきた。けれど振り上げられた拳はそこから動くことなく、殴られるはずだった私の代わりに男が悲鳴をあげた。
「汚らわしい手でユリナ様に触らないでくださいな」
ベルが掴む手から骨の軋む音が聞こえる。反射的に私の胸ぐらを掴んでいた手を放し、男はベルの手を剥がそうとした。
「ギャーッ! は、放せ、放せよ!! 骨が、折れる……!!」
大の男が痛みに暴れまわるのを、片手だけで押さえているベルはまるで根の生えた岩のように全く動じない。
さすがに骨の折れる生音は聞きたくないな。
そう思って止めようとしたら大きな声が割って入ってきた。
「これは何事だ!? ………! おいおいおいおい、お前ら、正気か?! なんでユリナさんに絡んでる!!」
勘弁してくれ、もう―――そう嘆きながらやって来たのは副ギルド長のアリオスだった。
黒に近い灰色の髪に水色の瞳。重たそうな眼鏡が彼の容姿の全てを台無しにしている。眉間に皺を寄せて胃の辺りを押さえているイメージがあるけれど、今は焦ってはいるが背筋を真っ直ぐに伸ばして厳しい顔付きをしていた。
「グレイド、お前自殺志願者だったのか? ユリナ・ホシミヤに手を出せばどうなるかわからんお前じゃないだろうが。どう落とし前を着けるつもりだ」
ベルが手を放すと、グレイドと呼ばれた男はしかめ面でそっぽを向いた。
子供かよ。
私が呆れているとアリオスも溜め息を吐いて首を振った。
「そんな態度なら俺は助けんぞ。この状況を見る限り絡んだのはお前たちの方だろうが。その上で返り討ちにあったみたいだが、ギルドの掟では一般人に迷惑行為を働くことは懲罰対象になる。後で話を聞くから少し待ってろ。―――レイノルド」
呼ばれて見物人の中からレイノルドさんが姿を見せた。
私を見てにっこりと笑う。いつの間に居たんだろうか。
「ここを頼む、懲罰室にいれておいてくれ。―――ユリナさん、すみませんでした。改めて謝罪します。良ければ俺の部屋に来て下さい。ちょうどギルド長から連絡を受けていて対応が遅れました。本当に申し訳ありませんでした」
彼の案内で副ギルド長の部屋に向かう。と言っても場所は受付の奥ですぐ近かった。
「リーナ、お茶を頼む。―――どうぞ、ユリナさん。そこに座ってください。そちらのお嬢さんもどうぞ」
部屋の中はギリギリ片付いている、といった程度の有り様だった。特に書類関係の物が酷い。あちこちに紙が散らばり現場の混乱状況を物語っている。
私達が席につくとアリオスさんは正面に座し、改めて謝罪を口にした。
それに対して私は首を横に振る。
「もう謝罪はいりません。先程受けたので充分です。それよりも逆に申し訳ないです、なんだか混乱させてしまったようで」
「何を言っているんですか。それこそ今更ですよ。今回の騒動ではむしろ貴女の弟達のお陰でこんなに早く片付いたんです。それなのに、あいつら………」
恩を仇で返すような真似しやがって。苦々しい表情でアリオスさんは吐き捨てた。
「あの、グレイドって人達、最初はそこまで悪意を感じたわけではないんです。苛立っているな、とは思いましたけど。ただ、私が対応を間違えてしまったんです」
「………もっと怒ってもいいんですよ?」
「いえ、そうではなくて……私はむしろわかっててここに来たので。ていうか、私はむしろ弟妹達の気持ちより彼らの気持ちの方がよくわかりますから」
「え?」
きょとんとした顔が面白くて笑いが溢れた。
「私も兄弟の中で一人だけなんの力も無いですからね。持たざる者の気持ちもわかるんです」
そう笑いながら言うと、とても不思議そうにアリオスは首を傾げた。
「では、貴女はあの3人を赦すと?」
「赦すも何も。別に怒ってませんし、むしろ共感できると言いますか」
何年も何十年もかけて力や技術を磨き、一つずつ階段を上がるようにランクを上げて、冒険者はその地位や名誉を上げていくのだ。けれど弟達は違う。突然異世界からやって来て圧倒的な能力で、あっという間に頂点まで登り詰めた。
真面目に努力してきた人間ほど割り切れないと思う。
「それがわかっててなぜ………」
アリオスさんは言葉を飲んだけど、こう聞きたかったのだろう。なぜギルドに来たのか、と。
この人も司君とおんなじようなことを言うんだな。そう思うと自然と苦笑が洩れた。やはり私の存在は誰から見ても弟達の弱点でしかないんだろう。
その質問は聞かなかったことにして、微妙に違う話をする。
「それにしても、彼らのように弟達に悪意を持つ人間は多いんでしょうか。少し心配になりますね」
ギルド長のこともあったし。身内のように、とまではいかないだろうけど、大抵の冒険者とは仲良くやっているんだとばかり思っていた。
一部のアンチはどこにでも居るだろうから気にしても仕方がないけれど、仲間の振りをしていざとなったら便利屋扱いするような、そんな人達の方がよっぽど質が悪いくて怖い。
「今は間が悪いとしか言えません。なんせ、あんなものを見せ付けられるとね」
そう言って視線を窓の外に流す。今では薄い雲も流れて青空が広がっていた。朝の曇天が嘘のようだ。
あの光景を見てしまうと、仲良くしていた人間も色々と考えてしまうのかもしれない。
人は想像を絶する出来事に遭遇すると、どうしても畏れが出てしまうものだ。
「ナル君達には感謝していますよ。なんせこの3日間、交替で頑張ってくれていましたからね。だけど、それでもやっぱり犠牲は出てしまう。勝手な言い分ですが、それだけ強いのならどうして犠牲の出る前に終わらせてくれなかったのか―――。そう考える輩も少なくないんでしょう」
疲れたようなアリオスの言葉に私も溜め息を吐いた。
「明日になれば冒険者も頭が冷えて落ち着くでしょう。彼らもまた、仲間を喪ったり守れなかったりで苦しんでいる。それだけはわかってやってください」
それから本題の話をした。なんでもオニキスは司君が保護してるらしく、一緒に連れ帰ってくれるそうだ。
私は一番気がかりだったことが片付いてホッとする。
それから少しだけ世間話をしたり、次の会合ではおこわを食べてみたいとリクエストされたり、おこわは無理だけど五目むすびならとなぜか交渉したりとしている間に、かなり時間が過ぎたらしくベルに帰宅を促されてしまった。
入り口まで見送られて外に出るとバルスが近所の子供達になつかれていた。ごろんと寝そべったバルスの背中に6歳くらいの女の子が2人、跨がって遊んでいる。
可愛いなぁ。子供と動物って最強タッグだと思う。
私はしゃがみこむと笑顔で声をかけた。
「こんにちは。うちの犬と遊んでくれてたの? ありがとうね。あなた達、お名前は?」
目をキラキラさせて女の子は満面の笑顔を見せた。
はぅ! 可愛い……。心臓を撃ち抜かれましたよ。
「こんにちは! この犬、お姉ちゃんの犬? 強い犬だね! 使役しようとしたら跳ね返されちゃった!」
……ん? 今なんか不穏なことを言われた気が……。
訪ね返そうとした所をやんわりとベルに遮られた。そして耳打ちをされた。「ユリナ様、ツカサ様がお帰りです」と。
多分アリスから連絡が入ったんだろう。私は立ち上がると女の子2人に手を振って家路を急いだ。
もちろんすき焼きの材料を買って帰るのは忘れない。
私達が宿屋に着いたのは、だいぶ地面に落ちる影が伸びきった頃だった。
宿屋の門に凭れるようにして立つ人影が見えた。腕を組み頭を下げてじっと佇む人影に息を飲む。
荷物を持ってベルが先に家に入った。それでも人影は動かない。私はそっと近付くと声をかけた。
「司君」
私の声に司君はゆっくりと頭を上げた。頭を上げたことで黒い固まりがズルリと頭上から左肩に滑り落ちた。
………びっ……くりしたぁ。司君、かつら被ってるのかと思ってひんやりした。よく見ればオニキスだってわかるんだけど、心臓に悪いなあ。
知ってはいけない弟の秘密に触れたかと思ったわ。
内心ではそんな馬鹿なことを考えつつも、表面上は司君の強い視線に耐えていた。
ああ、うん。怒ってるよね、やっぱり。
「百合奈さん、話がある。4階へ行こう。みんなが待ってる」




