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しばらく雑貨屋で接客をしていると、ピーターと光君が帰って来た。それに入れ違うようにフェオルドとガウリの2人が話を終えて帰っていった。
「また来てもいいですか?」
帰る間際にそう尋ねてきたフェオルドの顔が少し強張っていて、それをほぐすように私は笑顔で頷く。
「もちろん! 今度は夕飯でも食べに来て。いつもかすみが世話になってるもの、美味しいものをご馳走しますよ」
笑顔で手を振るフェオルドに手を振り返して見送ると、外は真っ暗になっていた。
慌てて雑貨屋の店仕舞いをする。茉莉花と一緒に雑貨屋店内を片付けると、今度は食堂に向かった。
宿をとっている冒険者や商人の姿がちらほらと見えた。
「お帰りなさいませ。今日の食事は口に合いましたか?」
「やあ、店主さん。ここのご飯に外れはないよ。生きて帰ってこれて良かったぁ、てつくづく思うよ」
そう笑顔で答えてくれたのは冒険者のフランさん。艶のある茶髪をひとつに結び、濃いエメラルドの瞳の美人さんだ。話し方も見た目も一見するとイケメンに見えるけど、本当はちょっとスレンダーなだけの女性である。
私、彼女には勝手に親近感を覚えてる。
こう見えて彼女もふたつ名持ちらしい。なんだっけな、確か『紫光のフラン』だったかな?
雷響のレイは雷魔法からきてる呼び名だと聞いた。そう考えると紫の光とはどんな由来なんだろう。
ちょっと気になる。
「ねぇ、店主さん。時間があるなら愚痴を聞いていってよ。今日の仕事がめんどくさくてさー」
請われるままに彼女の前に座った。
「どんなお仕事だったんですか?」
「指命依頼でね、とある貴族のご令嬢の護衛さ。なんでも政敵に命を狙われてるとかで、学園に通う間付きっきりさ。一応お得意様だから受けたけど、もう投げ出したい気分だよ」
「うーん、護衛ですか。確かにめんどくさそうですよね。常に緊張しててしんどそうです」
想像だけど、討伐や素材回収等の依頼よりも、よほど神経を使うと思う。なんせ対人間ではどう手を打ってくるのかわからないのだ。
気の休まる暇もないだろう。
「それもあるけどね。それよりも学園のご令嬢達の方が厄介だった」
遠い目で語るフランに同情の視線を向ける。
年頃のご令嬢が騒ぎたくなるほどの男装の麗人だ。
それはまあ、周囲から騒がれたことだろう。
しばらく愚痴を聞いた後、厨房の様子を見に向かう。配膳はベルとシシィが、厨房はアリスとピーターが担当していた。
食堂は宿泊客だけの利用になっているので、ある程度の下準備さえしておけば手が足りないということはない。
ほぼ満席状態の食堂、カウンターでは成君が受付をして、階段前にはでろーんと伸びたバルスが。光君と茉莉花が階段を下りてきた。そして顔見知りの客と少し話した後、バルスを立たせようと何とか奮闘している。どうやら散歩に連れ出そうとしているらしい。仕方がないなぁ、と言いたげに1度立ち上がるも、また座り込んでアクビをするバルスに大笑いする成君。
………ああ、いいなぁ。
家族がいて、家があって、今日の分のご飯がある。
そして何よりも家族が健康で笑顔がある。
幸せって、こういうことを言うんだろう。
1階の仕事はみんなに任せ、私は4階へ上がり家族のご飯を用意することにした。
食卓に家族が揃ったのは午後8時を過ぎた頃だった。
皆でいただきますを言ってご飯を食べる。給仕係として忙しく立ち回るのはベルだ。
「百合奈さん、契約更新を考えてるって言ってたよね? ここを出るつもり?」
不意に問いかけてきた司君の台詞に、食卓の視線が私に集まった。
思わず苦笑が浮かぶ。
「うん、まあ考え中です。こっちに来て後半年と経たずに3年になるでしょ? 今まで一生懸命にやってきたけど、そろそろ余裕を持ってもいいかな、と」
現状に不満はないけれど、それが少しつまらなく感じるのも事実だ。せっかく異世界に来て働き詰めで死んでいくのも夢がない。
「今契約更新したらまた2、3年はこの地に縛られるわけでしょ。そう考えると、別にここにこだわる必要はないかな、とも思っちゃったんだよね。かすみも司君もこの国で立派な仕事に就いてるわけだし、真君も光君成君も冒険者をやるくらいにはこの世界に馴染んでるし。茉莉花も成人してないとはいえ、一流の薬師として国から重宝されてる」
「僕もまだ成人してないんだけど、ゆりなちゃん」
光君の言葉に笑いが漏れた。
「そうだったね。ごめん、光君。でもさ、みんなそれぞれに生きてるでしょ? 茉莉花だけはさすがに手を離すには早いと思うけど。なんで、契約更新する際に名義人も変えようかと思うんだ。出来ればかすみか司君にね」
「それは百合奈さんはこの国を出るつもりだってこと?」
「うん……いずれはね。なんせこの国にいい思い出ってあんまり無いからさ、未練もないし」
そこまで話終わって周りを見ると、みんなが私を見ていた。ベルまで不安そうに見詰めてくる。
我関せずなのはバルスだけだ。
みんながなにやら考え込む中、あっさりと頷いたのは司君だった。
「百合奈さんがそう決めたのならそれでいいよ。でも名義人を俺にするのは止めてね。百合奈さんが出るなら俺も付いて行くから」
「え、なんで? 司君、要職に就いてるじゃない。わざわざ辞めてまで付いてこなくていいよ」
私が慌てて嗜めると、なぜか私以外のみんなが生ぬるい視線を向けてきた。気のせいかバルスの視線まで「あーぁ」てな感じでぬるい気がする。
「ボスも報われないな。なんか男の哀愁を感じるぜ」
アルコール度数の低い果実酒を飲みながらしみじみと成君が呟いた。
「………百合奈さんはさ、俺がなんであの城で雇われてたか知ってる?」
物覚えの悪い子にゆっくり教え諭すように司君が言う。
「え、なんで、て。………安定職、だから?」
周囲から一斉に溜め息が放たれた。
「違う、違うよ、百合奈さん。それはさすがにあんまりだと思う」
安定職を望むなら他の仕事をしているよ―――そうこぼれた声が若干湿っているように感じるのは気のせいだろうか。
隣の弟妹達も同情の声を上げている。
「そうは言ってもさ。他にどんな理由があるの? 好きな娘がいるとか?」
「もう、いいよ。別に何かを期待してた訳じゃないからね。逆に百合奈さんらしくてホッとする」
これは褒められているのか? 疑問に思って周りを見れば、やっぱり私以外が納得している。
「それで。百合奈さんは名義人の変更をして、その後はどうするつもり? 何か当てでもあるの」
「当てというか。とりあえず旅に出たい」
「は、旅?! ゆり姉が旅に出たら死ぬって。マジで止めといた方がいい」
「お姉ちゃんが旅って! なんの冗談よ、マジ笑えるんだけど」
「ゆりなちゃん! それなら僕を連れていってよ、何があっても守るからね!」
おまいら。明日から覚えてろよ、まともな飯は食わせてやらん! そう私が内心で息巻いて居ると、それまで沈黙を保っていた茉莉花が口を開いた。
「ゆりなお姉ちゃん、それに司兄。ちょっと相談があるの。聞いてくれる?」
私と司君が茉莉花に向き直ると、少しだけ躊躇った後、茉莉花は話し出した。
「さっきガウリが来てたでしょ? 実はね、彼から誘われてるの」
………よし、まずはあの男から血祭りだ。
思わず司君と見合った後、お互いに頷いた。今、司君と私の決断が一致した。
「あのゲス野郎、ロリコンだったのか。ロリコンは情状酌量の余地なしだ、抹殺する」
「うん、ロリコンは社会の屑。ごみは焼却炉行きでいいと思うよ」
ふふふ、と笑い合う私と司君を見て、茉莉花が慌てて訂正をする。
「違うよ、2人とも落ち着いて。そういう意味の誘われてるじゃないから!」
「う、わー、ビックリした。明日仕事に行ったら朝一から殺人をするところだったわ! てか、そういう意味って、意味わかってんの、茉莉花」
かすみの問いかけに茉莉花は曖昧に笑う。
「うん、まあ。それなりには。この世界って、そっちの方面は知る機会が多いと言うか、場所が近いと言うか。それよりもね、誘われてるって言うのは学院に、なの」
「学院? 学園じゃなくて?」
「うん。光君知ってる? クィンガ領に在るんだよね。『アークィンガ魔法学院』は、魔法学を研究する学校なんでしょ? 私、魔力量が多いし、薬草学を深めるためにも行くべきだって言われてて」
そこで言葉を切ると、茉莉花はちょっと困ったように顔を俯けた。
「……それに、学校に行きたいな、て」
茉莉花の小さな呟きに、頭をガツンと殴られたような衝撃を感じた。
ああ、そりゃそうだよ。茉莉花がこの世界に来た時は小学3年生になったばかりで、毎日を楽しそうに過ごしていたのだ。それなのに突然こんな訳のわからない世界にとばされて、更には調合ばかりさせられて。手が空けば店の手伝いまでしてたのだ。
この子の年なら、同性の友達とアイドルの話をしているのが普通だろう。友達と笑い合い励まし合いながら成長していく時期なのに。
不覚にも涙が零れそうになった。
黙り込む私の横で、司君が深い溜め息を吐いた。
「茉莉花は学院に行きたいのか?」
優しく問いかける司君を見上げて茉莉花は頷く。
「うん、行きたい。友達も、出来るかわからないけど欲しいし、何よりもきちんと薬草学や魔法学を学びたいな」
「そうか。それじゃきちんと考えないとな。俺は――俺達は茉莉花の気持ちを尊重するよ」
「うん、うん。ありがとう、司……お兄ちゃん」
照れてはにかんだ茉莉花の笑顔は本当に天使だと思う。
汚れきった大人の目には眩しすぎるぜ。
司君が目を見張った後、ふっと相好を崩した。
「お兄ちゃんか。昔はそう呼んでたよな。いつの間にか司兄とかボス呼びに変わってたけど。これからもお兄ちゃんて呼ぶんだぞ?」
「それは嫌。なんかキモい」
一刀両断された司君は、全く気にする様子もなく笑っている。
澄ました顔とは裏腹に、真っ赤に染まった耳が茉莉花の内心を物語っていた。
学院に通いたいという茉莉花の要望はすぐに叶えられるものではなかった。
司君いわく、学院に入るのに年齢制限はないが、毎年10月中頃に入試と面接がありそれに合格すれば誰でも入学資格は得られるらしい。残念なことに今年はもうその時期を過ぎてしまっているのだ。
「受けるとしたら来年だね。その前に一度旅行も兼ねて下見に行こうか。クィンガ領だっけ? どの辺にあるのかな」
「クィンガ領ならゲイルのおっさんが治めてるヴィスゴット領の隣だぜ、確か。そうだよな、光」
「うん、そうだよ。よく覚えてたね、成兄。クィンガ領とヴィスゴット領って、どちらも魔族の国に近いから仲がいいんだって聞いた。ヴィスゴットが武勇の地ならクィンガはまさしく魔術の地だね」
この世界において、魔法と魔術は違うものとして考えられている。魔法はあらゆる事象に通じる世界の理であり、魔術とは魔力をもってなんらかの現象を顕現させるための術である。
………うん、よくわからないな。
私の理解力が低すぎてよくわからないけれど、いわゆる属性魔法と呼ばれるものはその名の通り魔法に分類される。
逆に魔術と呼ばれるものは身体強化や回復、付与等がそれに当たる。けれども人によっては回復も付与も魔法扱いする人もいるし、正直その辺の境目は曖昧なんだと思う。
て言いますか、平民にはあまり関係ない話だ。
私はふと思い付きを口にしてみた。
「ヴィスゴット領の隣なら、もしかしたらゲイル様に頼めば茉莉花の後見人にもなってくれるんじゃない?」
司君を見ると少し考え込んでいた。
「うん……頼めば快く引き受けてくれるだろうね。あの人は子供好きだし。……茉莉花は会ったことなかったよな?」
「うん、会ったことないよ。みんなの話から知ってるだけで」
「そうか。百合奈さん、明後日くらいにゲイル殿を夕食に招待してもいいかな? 夜会に向けてもう少し打ち合わせもしておきたいし」
「いいよ。それじゃ日が決まったら教えて?」
学院について話し合う弟妹達を眺めながら、成君が飲んでるのと同じ果実酒を飲む。
いつの間にか足元にいてうずくまっているバルスの体を足で踏み踏みする。足の裏で感じる毛がちょっと気持ちいい。
夜が深まるまで家族の会話は続いた。