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いつも通りの何気ない日常をその日も過ごしていた。
家族が揃う木曜日の晩御飯は、弟妹達がみんな大好物の鮭の塩焼きと豚汁そして小鉢を一品、と言うのが毎週のお決まりだった。
その日だけは秋田犬(元野良犬)のバルス(私が決めた名前じゃないからね!)も同じ物を食べるため(塩分は取り除いております)、家に上げることが多かった。
その日もそんな感じで。みんなで寛いでいると、いきなり、本当にいきなり、異世界トリップをしてしまったのだ。
弟妹6人と私と秋田犬のバルスと。
しかもなぜか私だけチートなしという状態で。
そう。なぜか私だけ。
犬のバルスにもあったのに!
せめて私にもなにか、そう、せめて絶世の美女になっているとか、バストサイズが2ランクアップ! とか、お腹のお肉が胸に移動したりだとか……くっ、多くは望まないのに! 神様は私に対してとっても意地悪だ。
そんなこんなで私達星宮家兄弟姉妹が異世界『アルザルル(ルが多いな)』に来て早2年。
え? 早過ぎるって?
はい、その辺は大人の事情というやつでして。けして語るのがめんどくさいからではないですよ、はい。
まあとにかく。細かいことは追々話すこととして。
とりあえずチートのない平々凡々な私は、この世界を生き抜くために仕事をしなければならなかった。
初めの頃は言葉もわからず文字も読めずだったけど、人間生きるためには必死になるもので国に保護されて教育を受けると、すぐに喋ることも書くことも出来るようになっていた。日本語と文法が似ているんだと思う。それとも異世界補正だろうか。
魔法あり魔物あり亜人ありのファンタジーなこの世界で私が出来ることはほとんどなく、それこそ街の外にも弱すぎて出られないし魔法も簡単なものしか使えない。しかも知識チートで無双するほどの学もなく。容姿もまぁまぁ美人かな? と言う微妙なラインで、せいぜい人見知りしないのが取り柄くらいだった。
最初は素敵な王子さまに見初められて結婚なんかしちゃったりして……などと、甘い夢も見たけれど、いざ蓋を開けてみれば当時26歳の私は完全なる嫁き遅れなんだそうだ。
上流階級では10代の結婚は当たり前、庶民でも24歳で未婚だと後ろ指を差されるそうで。
なんと世知辛い世の中よ。
せっかく異世界トリップをしてもチートもなければ胸もない、さらには完全なるオールドミス扱いだ。
私だけ元の世界に戻してくれたら、私は自由を満喫出来るのに! アホな義弟に振り回されず……いや、妹達が居なくなるのは困るな、私の癒しの天使なんだから。
あれ、何の話をしてたっけ?
……ああ、そうそう。仕事の話だった。
私は自分に出来ることを考えた。
自分の人生を振り返った時、一言で表すのなら『お母さん』だ。6人の弟妹達のご飯を作り学校の世話をし補導されたアホ共を頭を下げて迎えに行ったことも数知れず。
アホな義弟達よりもさらに救いのないダメ人間な義母と父の代わりに面倒を見てきた。
私しかあの子達を守る人間は居なかったから。
私は掃除洗濯が苦ではないし、大量の食事を作るのにもなれている。そうだ、宿屋をしよう! この世界には冒険者ギルド(!)もあるし需要は高いだろう。しかも私のご飯は美味しい(と弟妹達は言ってくれる)し、きっと繁盛するはずだ。
そう思い立ったのが1年前の話。
幸いなことに、私達を保護してくれた国の王様が色々と融通してくれて、王都の大通りに大きめの土地をくれた。
どうぞそこを使ってくださいと頭を下げられ(まぁ、いろいろあったんだよね……)、建物も用意しようとしてくれたがそれはやんわりとお断りした。
我が家の次男坊、真君(現20歳)のチートが《創造:建築》と言うもので、早い話、金も労力をかけずに一瞬で建物を建てることが出来る、というものなのだ。
夢のマイホームがただで一瞬で建つのだ。なんとも羨ましい能力! しかも建築時にキチンとイメージすれば、内装や家具まである程度のクオリティで再現出来るらしい。
真くんのチートを使い宿屋を住居込みで建ててもらい、三男の成君(現16歳)のチート《創造:錬金術》で足りない台所用品などの金属物を作ってもらった。
それが約1年前の話。
建物の構造は1階が食堂兼雑貨屋、2階3階が客室、4階が私の住居で屋上には多目的用の小屋があり菜園にもなっている。
バルスは基本玄関前に陣取っており、一応番犬の役目をになっている。
宿屋を開業して1年経ち、最初の目論み通りそれなりに儲けさせてもらっている。て言うか、忙しい。
「ユリナ様、2階の客室の掃除が終わりました。3階はあとひと部屋で終わるそうです。私は洗濯物を干してきます」
「ありがとう、アリス。それじゃ洗濯物を干したら休憩してね」
「ユリナ様、私に休憩は……」
「駄目よ、アリス。いくらあなた達が自動人形とはいえ、働いている限りは休憩はとって貰うよ? 3階にいるベルにも伝えておいて」
アリスは金糸の波打つ髪に透き通った青い目の少女。彼女は次女のかすみ(18)がチート《創造:人形》で造った、生きた等身大人形だ。
人形と言ってもその声も手触りも見た目も、普通の人間となんら変わりはない。抱き締めれば温かくて柔らかいし、感情表現も普通に豊かだ。
私から見れば立派な“人”だ。
他にも《自動人形》は2人いて、ベルと言う名の美女とピーターと言う名の永遠の少年がいる。
少女趣味全開のかすみだけど、彼女は普段王城で騎士団員として勤めている。それと長男の司君(22)はお城でかなり重要な役職に就いているらしい。
かすみと司君、そして末子の茉莉花(10)以外はみんな、普段は冒険者としてあちこちに飛び回っている。
実はみんな、固有の特殊能力の他に、通常よりも遥かに優れた身体能力と溢れんばかりの魔力を持っているのだ。それだけで余裕のチートなのに、さらに固有チートとかって……。
えっ、私? もちろん常人並みの体力に魔力ですが、なにか?
なぜに神様はここまで不公平を貫かれたのか。謎だ。
食堂のテーブルを消毒液で丁寧に拭きあげていると、2階からベルが降りてきた。
シンプルなメイド服なのにまるでお城の大階段を降りる優雅さだ。ハチミツ色の豊かな髪は艶やかに波打ち、琥珀色の瞳は優しくとても幸せそうだ。
「ユリナ様、3階の掃除は終わりました。休憩に行ってきます」
「お疲れ様、ベル。おやつにアシャンティのクッキー買ってきたから食べてね」
「まあ、アシャンティのですか?! ふふ、あそこのお菓子は美味しいとお客様からお聞きしまして、食べたいなぁと思ってたんです。ありがとうございます、ユリナ様。いただきますね」
「うん、どうぞ。あ、ピーターの分残しておいてね。もう少ししたら帰ってくると思うから」
笑顔で控え室に戻るベルを見ながら、いつも不思議に思うことを考える。
かすみは彼女達を人形だと言うけれど、ご飯も食べるし人とは少し違うけれど排泄もする。血も流れるし、感情も豊かだ。
ほぼほぼ人間と変わらない。違うのは死なないと言うことと繁殖能力がないと言うこと。そして老いることもない。ヤることも出来るしちゃんと快楽も感じるけれど、さすがに人形から命を産むことは出来ないらしい。
うーん、ファンタジーなのか現実的というか。
さて、テーブル拭きを続けようとした時、店の玄関先から賑やかな声がした。
「……バルス! ただいま! ちゃんと番犬してたか?!」
「ただいま、バルス。ほら、お土産獲ってきたよ~、土竜の大腿骨! はいどうぞ」
「肉は俺らが食ったから骨だけだけどな! 中へのお土産に残してあるから、後でゆり姉が持ってきてくれるぞ。それまでは骨で我慢な!」
元気な声に少しだけ安堵する。
私どころか、この世界の人達よりも遥かに強くなってしまった弟妹達には万が一は無いとはわかっているけど、それでも心配は尽きないものだ。
変わらない弟2人の声を聞きながら扉を開けに向かった。
「おかえり、成君光君。怪我は……」
扉を開けたその先の光景に言葉が続かなかった。
お土産の骨を枕に迷惑そうに寝転ぶバルスを撫で回す二人の少年。一目で冒険者とわかる出で立ちで、片膝をついていた。
その二人の後ろに所在無さ気に佇む一人の少女に私の視線は吸い寄せられた。薄桃色の髪に若葉色の瞳の、見たところ14歳くらいだろうか。
その少女の額にくっきりと刻まれた蓮の花のような紋様は、私自身いい思い出のないものだった。
「お、ゆり姉、ただいま! 腹減ってんだけど何か無い?」
「ただいまー、ゆりなちゃん。僕もお腹空いたな? ゆりなちゃんの美味しいご飯が食べたくてここまで我慢してきたんだ」
無邪気に私を見上げてくるアホの弟たち。
私は僅かに震える掌をぐっと握り締め、その行き場のない怒りやら悲しみやらを全て拳に込めた。
落ち着け、落ち着くんだ、百合奈。
いくらアホでもまさか現代日本人の倫理観を著しく損なう行為をするはずがない。たとえここが異世界だとしても。
深呼吸を何度か繰り返して少しだけ冷静になれた。
そうよ、私が育てて来たこいつらを私が信じなくてどうするの。
私はにっこり笑顔で二人に歩み寄った。
「二人とも怪我も無さそうで良かった。ところでそちらのお嬢さんは?」
すると成君もとびきりの笑顔で言った。
「あ、ゆり姉に紹介するよ。こいつの名前はシシィ。性奴隷で俺が買ったんだ!」
ガッ……!!
鈍い音を立てて成君の頭が沈んだ。私の愛の鉄拳が成君の脳天に直撃したのだ。その拳を開くと同時に成君の髪の毛を鷲掴み、上に持ち上げた。
「いっっってぇ!! ゆり姉、ゆり姉! は、禿げるから放せよ!」
「ねえ、成君? お姉ちゃん君の教育間違ったのかなぁ?」
「ぐあぁぁぁっ、マジでいてぇ、本気で痛い! ブラックベアの一撃よりいてぇ!! 姉ちゃん、話聞いて!」
ブラックベアは確かAランク魔獣だと聞いた。それよりも痛いって、大袈裟すぎるわ!
私はなけなしの理性を総動員して手を離した。
確かに髪の毛を引っ張るのはよくないよね、たとえ相手が非常識極まりないとしても。
呆気にとられる奴隷少女とおろおろするばかりの光君の方へ向き直ると、ビクゥッ、と光君が3歩ほど後ずさった。
「光君」
「な、なななな、なに、ゆりなちゃん」
「こっち来て」
「! ね、ねぇ、ゆりなちゃん! ちゃんと話を聞いて! 僕たち何も悪いことしてないよ?! 人助けしただけなんだ!」
まるで援助交際を正当化する親父のような台詞に目眩がした。
まだ少年らしさを残す幼い顔立ちにこの台詞は悲しすぎる。天使と讃えられるほどの容姿をしているから尚更に。
実は義母は「シャチョサーン、イラシャーイ」と呼び込みをするお店で働いていたフィリピン人だ。
上から、司、真、成、光と義母の子で全員男だ。ちなみに父親は全て同じ人らしい。らしい、と言うのも、義母本人に聞いてみたがわからないというのだ。義母いわく「愛人契約してたからネー、多分その人の子ヨー」と。だが、愛人以外にも何人も情夫がいたと言う。
それを聞いたとき、私はこの人の事をお母さんとは呼べないな、と思ったね。
その義母は股はゆるゆるだったが、とても美しい人だった。その義母に似た愚弟どもは顔だけは一流なのだ。
……畜生、やっぱり不公平だ!
「人助けかどうかはお姉ちゃんが決めます。いつ、どこで、誰と誰がどうして何をしたのか、きちんと話なさい!」
「は、はい! 3日前に成兄が『あー、エッチしたいなぁ』と言ってシシィを買ってきました!」
「お、おまっ! それははしょり過ぎだろ! 違う、違うからな、ゆり姉。落ち着いてくれよ! 俺がシシィを買ったのは死にかけてたからだ! かなり劣悪な環境で性病に侵されて森の中に捨てにいかれる所を助けたんだよ! 姉ちゃん、信じて!」
成君の悲鳴じみた嘆願の声に、私は大きな溜め息を吐いた。この子たちは私よりも強くなり立派な後見人もつく話もあったのに、それを断り私の所へ戻ってきた。
……そのまま後見人の所へ行ってくれればこんな苦労もしないのに。正直、この世界の常識と元の世界の常識と、かなりの隔たりがある。
「はあぁぁぁ。とりあえず中に入って。さすがに近所迷惑だわ。えっと、シシィ? 貴女も入って、おいしいお茶をご馳走するわ。それで話を聞かせてくれる?」
少女は小さな声で「はい」と返事を返した。
私は癒しを求めてバルスの頭を一撫ですると、3人を促して中へと入った。