土曜日の亜砂斗
12月10日土曜日。
朝、空の家に行くとインターホン越しに、思い切り拒絶された。
昨日は受け入れてくれたのに、今日は拒絶。
何が何だかわからない。
今日は休日。
何も予定はなくなってしまい、どうしようかと考える。
なんで拒絶されたのだろう。正直わからない。
昨日、何があったのかを思い出す。
今までに感じたことのない感情が、俺の心を支配する。
黒い蛇が、俺の心に絡み付く。
空はたしかに言った。
「如月」
と。
男とも女ともつかない名前だが、たぶん男だと俺は予想する。
空はその名前を呼びながら、俺にしがみついてきた。
泣きたくなった。
好きな人が別の男の名前を呼び、俺にすがり付いてくる。
それでも引き剥がすことができず、俺は空を抱き締めて、そして、いつのまにか眠ってしまった。
目覚めに聞いたのは、夕羽の名前。
何もないと夕羽は言っていたが、本当か? 横で寝ている俺を誤認するなんて、何かなければあり得なくないか?
昨日、夕方まで空と一緒にいたのに、俺は何も言えなかった。
一言、如月について聞きたかったのに。
夕羽とのこと、聞きたかったのに。
なんてヘタレなんだ俺。
そんな自分に苛立った。
夜。
きらびやかなネオンの裏に、暴力が支配する世界が存在する。
俺はいつもたむろしている町をただあてもなくうろついていた。
俺の取り巻きが勝手に作ったチーム『アスタルテ』の縄張り。
碧によれば、『ドゥルガー』の連中は俺らを探しているらしい。
ということは、町をうろついていればケンカができると言うことだ。
路地裏を歩いていたら、さっそく5、6人の少年たちに囲まれた。
ジーパンにダウンジャケットと、皆似たような格好をしている。
たぶん、年令は俺と同じくらいか下か。血気盛んな雰囲気のガキどもだ。
少年たちはニヤニヤして、言った。
「山猫が向こうからやってくるなんてなあ」
山猫。町の連中が俺につけた名前。
「ああ。しかもひとりだぜ」
その言葉が、さらに俺をイラつかせる。
ひとりの何が悪い。多勢に無勢とでも思っているのか。
この俺が、負けるわけはない。
少年たちが殴りかかってくる。
俺はにやりと笑い、攻撃を避けると、ひとりの腹に一撃食らわせた。
体をひねり、もうひとりに蹴りをいれる。
後ろから、飛び付いてくる気配を感じ、俺はしゃがみ、そいつの足を払った。転んだとこに、思いきり蹴りをいれる。
体が熱い。もっと、暴れたい。
どれくらい時間が経過したかわからない。たぶん、大して時間は経っていない。
ふらふらになりながら逃げていく少年たちの背中を見送り、俺は顔をしかめた。
手応えがない。
ジーパンのポケットに手を突っ込み、そこら辺に転がっている空き缶を蹴飛ばした。
「おい!」
聞き覚えのある声に俺は振り返った。
そこには呆れ顔の碧が立っていた。
彼は俺の腕を掴むと、
「さっさとずらかるぞ」
と言って、俺を引っ張った。
なんでそんなことを言うのか訳がわからなかったが、俺はされるがままに碧に従った。
車に乗せられ連れていかれたのは、小綺麗なマンションだった。
碧の家らしい。
玄関に入るなり肩を掴まれ浴びせられたのは、
「お前バカか」
という言葉だった。
たしかにバカだ。後先考えず、女の言葉に心を乱され、相手を挑発する行動に出た。
そんなことをすればどうなるか?
あいつらは俺たちを血眼になって探すだろう。
俺は壁に寄りかかり、下をうつ向いた。
「ごめん」
それだけ言うのが精一杯だった。
碧がため息をつくのがわかる。
「お前らしくもねー。理由はなんだ? 夕羽か? 黒髪の女か?」
最後の言葉に、俺は目を見開いて碧を見つめる。
かまをかけられた? それとも、空を知ってる?
呆れと困惑が入り交じったような顔をした碧。
その真意は図れなかった。
「女か」
俺は何も答えず、碧が何か言うのを待った。
「そんな切ねー顔、してんじゃねーよ」
そして、碧は俺の肩から手をおろした。
靴を脱ぎ、入れよ、と声をかけられる。
1LDKの部屋は、男の一人暮らしとは思えないくらい、片付けられていた。物が少ないとも言えるが。
リビングにおかれた、二人がけのソファーにテーブル。
大きなテレビに、スピーカーシステム。黒を基調とした家具類。
いまいちわからないが、けっこう家賃高いのではないだろうか。
こいつ、金持ちか?
碧は俺をソファーに座らせると、俺の前にジュースのペットボトルをおいた。
そして俺の隣に腰かけて、ノンアルコールビールの缶を開ける。
それを一口飲むと、俺の方に顔を向けて、言った。
「どうするんだ、これから」
そんなの、考えていなかった。
喧嘩したい。ただそれだけでここに来た。
あとのことなど考えていなかった。
チームなんてどうでもいいが、碧が空を知っているということは、もしかしたら奴等にもばれるかもしれない。
夜が、昼に介入する。
それは嫌だ。絶対に避けなければ。
自分がやってきたことの代償は、自分で支払わなければ。
俺が考えにふけていると、碧が苦笑いする。
「柄にもねー。深刻な顔、してんじゃねーよ」
そう言って、俺の頭を小突く。
俺ひとりでやれるだろうか。『ドゥルガー』がどれくらいの規模のグループかなんて覚えちゃいない。
夕羽とならできるだろうか?
「俺、あいつがいないと、なんもできねー」
ぽつりと呟く。
夕羽がいたら、絶対に止めていただろう。俺たちはどうせもうすぐ新しい世界に行くのだから、大人しくしていればいずれ諦める。
そうやって、俺を諭しただろう。
けれど、あいつは今隣にいない。
そうか、俺、あいつにそんなに甘えてたのか。
俺が夜の町にいられたのは、あいつがいてくれたからだ。無茶苦茶やっても、あいつが止めてくれるという安心感。
「こんなんじゃあ俺、呆れられるよなあ」
自嘲気味に俺が呟くと、碧が笑う。
「夕羽から自立する覚悟、あんの?」
自立。
俺は、あいつから自立しなくちゃいけないのか。
じゃなくちゃ、空と向き合えない。
「夕羽と、何かあったの?」
碧に問われ、俺は首を横に振る。
何があったかなんてわからない。
この二週間で、会ったのは一度だけだ。
何度メールしても返っては来ない。
ペットボトルを見つめたまま、俺は夕羽がなぜこんなに俺を避け続けるのかを考えた。
やっぱり、空が理由だろうか?
俺のこと考えて、空とも、俺とも距離を置いているのか?
……そんなわけないか。
今更過ぎる。残りわずかの学園生活を、そんなことでつぶすのか?
「何、複雑な顔してんだよ」
「……わかんねー」
言いながら、俺は足を投げ出し、ソファーにもたれかかって天井を見上げる。
何が何だかわからない。
色んな事がいっぺんに起きてわけわからない。
推薦で進路が決まっていてよかったと本当に思う。
こんな状態で受験勉強なんてやってられない。
「でさ、どうすんだ、今日のことは」
「お前、俺にあいつら潰してほしいんじゃなかったの?」
天井を見上げたまま、隣に座る碧を見る。
碧は笑って、
「はっ……そう言えば、もうここにはこねーかなって思ったんだよ」
「は?」
意味が分からず、碧を見る。
彼はノンアルコールビールを飲みながら、ニヤッと笑う。
「前に見たんだよ。お前らを。
黒髪の女の子と、ふわふわした女の子と一緒に、制服で歩いてるところを。
お前ら、すっげー楽しそうだったじゃねーか。あんな顔するんだな」
碧の言葉に、俺は目を丸くする。
どこで見られたんだろう。
しかも制服姿でなんて。
この町は、学園のある場所から少し離れている。
というか、地元で暴れるほど馬鹿じゃない。
「お前らちゃんと居場所あるんじゃねーか。いつまでもここに出入りしてるんじゃねーよ」
言いながら、碧にくしゃくしゃと頭を撫でられる。
「なにすんだよ、お前」
うっとうしく感じ、その手を払いのける。
それが楽しいのか、さらに碧は頭をくしゃくしゃにしてくる。
「うぜーよこの野郎!」
何が楽しいのかわからないが、碧は声を上げて笑っている。
おもちゃにされたという不快感。
俺は、憮然として出されたペットボトルに手を伸ばした。
蓋を開け、炭酸ジュースを流し込む。
「もう、町には来るな。
お前らには、未来が待ってんだ」
「あいつらのことは」
「そんなの、俺が何とかしといてやるよ。俺だって、人脈くらいあるからな」
そう言って笑う碧が、少し頼もしく感じた。
「お前、何者なんだよ」
教えてもいないのに、彼は、俺たちの本名を言い当てた。
制服どうこうということは、学園も知られている。
碧はじっと俺をみたあと、
「俺は大学生だよ」
とだけ答えた。
意外なのか意外じゃないのかよくわからない答えに、俺は、困惑する。
「お前らが使ってる駅を俺も使うんだから、見かけるのはあたりめーだろーが」
俺や夕羽が使う駅はいわゆるターミナル駅だ。
たしかに、あり得る話だが、よく見つけたなと思う。
「なに不思議そうな顔をしてんだよ。お前は目立つんだよ」
言って、頭を小突かれる。
別に目立ちたくて目立っているわけではないのに。
そういう目でしか見られないのが、本当に嫌で仕方ない。
空も夕羽も、俺のこと最初見向きもしなかった。そういう人間もいるというのに。