木曜日の夕羽・上
男が男に恋している描写があるので、嫌いな人、注意です。
冬の空はなんとなく物悲しい。
朝の太陽が懸命にその存在を主張するが、そんなもの嘲笑うかのように、風が頬に突き刺さる。
長く伸びた髪が、目にかかりすこしうっとうしくも感じる。
朝。
部活がある連中くらいしか、まだ学校には来ていない。
俺は、校舎の屋上に枕を置いて寝転がり、空を見つめていた。
このところ続けている、新しい習慣。
極力友人たちに顔を合わせないようにと考えた、苦肉の策。
意味なんてないかもしれない。
とにかく、今はあいつのそばにいたくはなかった。
悟られたくはない感情。
気が付かなければよかった。
こんな感情。
思い浮かぶ友の顔。
いつもそこにあったあいつの顔。
俺はあいつを避け続けている。
そのことに、あいつは気が付いている。
それはそうだ。俺の態度はあからさますぎる。
けれど、ばれるよりもずっといい。
この感情をあいつに知られるわけにはいかないんだ。
「夕羽」
いつも背中にまとわりついてきた、声。
頭の中に響く、あいつの声。
「夕羽~。空が冷たい」
そんな言葉を聞くたびに、俺の心に小さなひびが入る。
「根本的に、相手にされてないだろう」
「そうだけどさあ」
よりいっそう、強く俺を抱きしめる。
「こんなに好きなのになんでだろう」
すねたような声が、耳元で響く。
背中に感じる鼓動。
耳にかかる吐息。
俺はできる限り平静を装い、首に回された亜砂斗の腕を掴む。
「真剣に向き合えば伝わる」
「え~? 俺はいつだって真剣だよ、夕羽~」
毎日のように繰り返された光景。
空が、空が。と繰り返す亜砂斗。
そのたびに、俺の心の深いところで、何かが壊れる音がした。
その感情に名前など付けなければよかった。
なんでこうなったんだ。
俺は、あいつに恋してる。
誰かが、屋上へと出る重い扉を開くのに気が付く。
ここは常に鍵がかかっている。
迷いなく開ける人間は、たぶん、数人しかいないだろう。
あいつではないことを祈りながら、俺はその人物が近づいてくるのを待った。
そいつは俺の横に座り込むと、俺の顔を覗き込んだ。
長い黒髪に、眼鏡のはかなげな少女、空。
俺の幼馴染。
やつれた雰囲気が、いっそう彼女の儚げな印象を強くする。
今、彼女は拒食に陥っている。
その理由は俺はよく知っている。
彼女と俺の共通の思い出。クリスマスの日に殺された、俺たちの友人。
空は、死んだ人間に縛られている。
「どうした、空」
俺は、空の頬に手を伸ばして言った。
空は、苦しそうな顔で俺を見つめている。
「昨日、病院に行って来た」
それを聞いて、少しホッとする。
「それに、亜砂斗がついてきた」
予想通りの言葉に、俺は思わず笑ってしまう。
それが顔に出たらしい。空は目を細める。
「なぜ笑う」
「いいや。よかったじゃないか。付き添ってもらえて」
半分は本心。
半分は……嫉妬。
俺の空に対する感情と言うのは複雑そのものだ。
空は大事な友人。
そして、あいつが好きな人。
空が思い出から解放されるなら、それは俺にとってもうれしいことだ。
あいつなら、あいつならできるだろうか。
どんなに冷たくあしらわれても、あいつは空を追い続けている。
その執心ぶりには感心してしまう。
空は小さくため息をつく。
「いいものか。
お前がいないから、あいつは私に付きまとうんだ」
違うだろう。
俺がいなくても、あいつはお前を追いかける。今のお前を、あいつが放っておくわけがない。
「嫌なのか」
すると、空は目をそらした。
嫌ではないのだろう。
空は、亜砂斗に気持ちを動かされている。
だから、空は戸惑っている。
思い出に生きることなどない。
空の首元から見えるネックレス。
彼が残した、最初で最後のプレゼント。
「もう、いいだろう。二年、経ったんだ。如月は、もういないんだから」
空の頬に、涙が伝う。
俺がこの名前を口にしたのは二年ぶりだ。
二年。
もう、それだけの歳月が過ぎた。
クリスマスの日。
空の目の前で殺された、俺たちのもう一人の幼馴染、如月。
危険ドラッグと今は呼ばれているやつでおかしくなった人間に、刺されて死んだ。
起き上がり、涙を流し、固まる空の肩を抱きしめた。
こんなことをするのも、ひさしぶりだった。
保健室。
一限目の授業中と言うこともあり、校舎内は静かなものだった。
すっかり顔なじみになってしまった保健医の好意で、俺は空に付き添っている。
とてもじゃないが、授業を受けられる状態ではなくなってしまった空。
俺は責任を感じ、こうして空に付き添っている。
背中を丸め、ぎゅっと、俺の手を掴み、眠っている。
高校3年生の授業など、とくにさぼっても問題ないだろう。
亜砂斗が来るかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
複雑な心情。
カーテンが開く。
授業中だというのに、そんなのお構いなしだ。
「夕羽」
久しぶりに聞く、友の声。
俺は振り返らず、黙って立ち上がりその場を後にしようとした。
その腕を、亜砂斗に掴まれる。
「俺、何かした?」
困惑と。怒りと。そんな感情が入り混じった声が、耳に響く。
俺はその手を振り払い、保健室を後にした。
廊下の壁に寄りかかり、先ほど、亜砂斗に掴まれた腕に触れる。
久しぶりに触れられた場所が、妙に熱く感じた。