それぞれの金曜日・上
12月16日金曜日。
朝。
俺は久しぶりに、いつもの時間に学園の最寄り駅に降り立った。
定期を自動改札にタッチして、駅を出る。
沢山の生徒たちが、学園に向かって歩いていく。
中には数人でタクシーに乗り合うものもいる。
毎日繰り返された光景。もうすぐお別れだ。
寒空のした、俺は学園に向かって歩き始めた。
後ろから走ってくる存在に気がついたが、無視して歩みを進める。
「夕羽~!」
首に絡み付く腕と、聞きなれた彼の声。
3週間ほど前と同じ光景がそこにある。
正直またこんなことをしてくるとは思わなかった。
俺は極力冷静に、亜砂斗に向かって言った。
「重い、邪魔、うっとうしい」
「冷たいな~。いいじゃん、べつにー」
彼はめげずに、腕に力を入れる。
「苦しいから離れろ。だいいち、遅刻する」
そこでやっと、腕が離れる。
振り返ると、いつもの笑顔の亜砂斗がいた。
「おはよう、夕羽」
「……おはよう」
俺は今、どんな顔をしているのだろう。
たぶん、いつもの顔はしていないだろう。
俺は学園のほうへと向き直り、いつものトーンで彼に告げた。
「行くぞ、亜砂斗」
「うん」
とりとめのない会話を交わしながら、学園までの約15分の道のりを行く。
途中で、黒髪長髪の少女を見つけ、亜砂斗はいつものように、彼女の背中に抱き着いていく。
「おはよう、空~!」
俺の時よりもずっと、嬉しそうな声で、亜砂斗は言った。
空は少し顔を赤らめた後、小さくおはよう、と言った。そして、
「まとわりつくなうっとうしい」
と一気に言う。
以前とは少し違う反応に、俺は微笑する。
そこに凛がやってきて、空の腕を掴んだ。
「空ちゃん、おはよう」
と笑顔で言った後、亜砂斗のほうを睨み付ける。
「もう、私の空ちゃんに朝からまとわりつかないで!」
などと言っている。
亜砂斗はめげず、
「べつにいーじゃん。朝とか関係なくない?」
「こんなことしてたら遅刻しちゃうじゃない!」
幾度となく繰り返された光景だが、関係の変化が見て取れた。
離れようとしない亜砂斗に業を煮やした凛は、なぜか俺のほうにやってくる。
「夕羽君、亜砂斗君がひどい!」
そう言って、涙を流しているわけではないのに、目元に手をやって泣きまねをする。
いったい何がひどいのかよくわからないが、俺は凛の頭に手を置いて、
「そうだな、ひどいな」
と応える。
すると亜砂斗は心外だという顔をした。
「俺の何がひどいわけ? 普通に朝の挨拶してるだけなのに」
「私の空ちゃんから離れないのがひどいの!」
道を行く学園生たちが、俺たちを一瞥していく。
目立って仕方ない。
ただでさえ、亜砂斗は目立つというのに。
でもこれも、あと少しで終わるのか。
俺は凛に声をかける。
「凛。あの馬鹿は放っておいて、先に行こう。遅刻する」
すると、彼女は驚いたような顔をした。
そして、なぜかうれしそうな顔をして、頷いた。
その表情の意味に俺は全く気が付いていなかった。
昼休み。
屋上の柵に手をかけて、学園からの風景を眺める。
線路を走る電車。今は茶色い田んぼと畑。点在する家々。マラソン大会で走った山。
もうすぐ終わる、学園生活。
俺たちのよくわからない三角関係も終わった。
すっきりした気持ちと、一抹の寂しさを感じながら、風景を見つめる。
となりにはなぜか凛がいた。
彼女の表情は不機嫌そのものだった。
「空ちゃん、とられちゃった」
口を尖らせ、凛が言う。
「そうみたいだな」
今朝のやり取りを思い出し、俺は答える。
「亜砂斗君のどこがいいのかしら。別に嫌いじゃないけど、だけど……」
凛の表情がころころ変わっていく。
それがなんだかおかしくて、俺はふっと笑った。
「ねえ、夕羽君」
凛が真面目な顔をして、こちらを見つめる。
「なんだ」
「早くに大学に行っちゃうのよね?」
「ああ。二月には入寮だからな」
「私はまだ大学どうなるかわかんないけど、また、こうして会ったりできるかしら?」
「どういうことだ?」
彼女の意図に俺は気が付いたが、気が付かないふりをした。
亜砂斗のことをいろいろと言っていたのだから、それを彼女も実行すべきだ。
「……私は夕羽君のこと、ずっと追いかけてきた。
私は夕羽君のこと好きなの。そのこと、簡単にあの二人にはばれちゃったけど。
いきなり恋人になりたい訳じゃないけど、私、夕羽君と一緒にいたいから」
期待と不安の入り混じった顔が、そこにあった。
三角どころか四角だったのか。
そう思い、笑いが漏れる。
俺は凛に手を差し出した。
「それも、悪くない」
このふわふわした少女の気持ちに全然気がつかなかった。
もっと早くに気が付いていたら、もっと違う道筋をたどっていただろうか。
凛は戸惑いがちに俺の手を掴むと、幸せそうに微笑んだ。