水曜日の空
12月14日水曜日。
あと8日で終業式だ。
その日はクリスマス礼拝と、生誕劇がある。
普通にやれば20分位で終わる劇を、倍近くかけてやる。
礼拝堂にむりやり全校生徒を詰め込んで。というか、なぜもう少し礼拝堂を広くしなかったのだろうか。
そんな疑問を抱きながら、今日は授業を受けている。
今朝から違和感が半端なかった。
いつもまとわりついてくる亜砂斗が全然近寄ってこない。このところ家に来ては拒絶したのが悪かったのだろうか?
彼は机につっぷし、時おり盛大なため息をついていた。
正直、鬱陶しい。
クラスメイトが声を掛けるが、返事もそこそこに、一限目の途中から保健室に引きこもってしまった。
二限目も戻ってこず、三限目が終わったころ、私は、気になって保健室へと向かった。
保健医に声をかけ、亜砂斗のいるベッドの場所を確認する。
窓際にあるベッドの仕切りカーテンを無言で開けた。
そこには丸まって眠る亜砂斗がいた。
カーテンを閉め、彼に歩み寄る。
背中を丸め、布団を抱き込んでいる。
さて、どうしよう?
教室に戻ろうか、このままここにとどまるか。
そこまで考えていなかった。
とりあえず謝りたかっただけなのに。
この4日間、彼が家に来ても家にいれることはなかった。
会えば心をかき乱されてしまうから、顔をみたくなかった。
なのに、思い浮かぶのは彼のことばかり。
私は意を決し、椅子に腰かけて彼が起きるのを待つことにした。
廊下で、四限目の始まりを告げるチャイムが鳴っている。
そのあとは、彼の寝息だけが微かに聞こえるだけだった。
先週と逆の立場になっていることに気がついて、思わず苦笑する。
1週間少々で、ここまで状況が変わるものだろうか。
眠る彼の顔を見つめる。
顔だけは確かにいいのだろうと思う。なぜ、この人は、あんなにも私を追いかけたのだろうか。
私は何かしただろうか?
記憶にない。
いつ初めて会ったかも覚えていない。
なんとなく、夕羽にまとわりついている人間がいたな、という認識はあるが。
それが亜砂斗だったのかも覚えていなかった。
ただ、気が付いたらそこにいた。
そして私にまとわりつくようになった。
このままどうなって行くのだろう?
私は彼に何か言えばいいのか?
みるみる顔が紅くなるのがわかる。
なんでそんなことを考えているのだろう。
まだ、あまり認めたくはない、私の中にうまれた感情。
もう、今更なのに。動き始めた歯車を今更止められるだろうか?
嫌でも、卒業は近づく。
みんなバラバラになるんだ。
授業時間も半ばを迎えたころ、ゆっくりと、亜砂斗が目を開いた。
私に気が付いたのか、彼はがばっと起き上がり、腕を掴まれたかと思うと引っ張られ抱きしめられた。
「俺、わけわかんない」
と、耳元でささやくように言う。
「なんなんだろ、この感情」
わけがわからないのはこちらのほうだ。
この状態をどうしようか考えていると、彼は私の顔を見つめ、言った。
「ねえ、空」
「なんだ」
「学園、抜け出さない?」
思わぬ申し出にどうしようかと一瞬悩むが、私は小さくうなずいた。
適当に理由を作り、私と亜砂斗は学校を早退した。
タクシーで駅に向かい、電車に揺られ亜砂斗たちがすむ町まで出る。
駅からバスに揺られ、向かったのは亜砂斗の家だった。
静かな住宅街。
古い、平屋の一軒家。
なんで馬鹿正直についてきてしまったのか自分でもわからないが、私は黙って彼の後をついて行った。
懐かしい、畳の匂い。本やCDが散らばった居間には、ちゃぶ台と、大きなオーディオシステムがあった。
家族の匂いがしない。
そう思い、台所でお茶の用意をする亜砂斗に声をかける。
「家族、いないのか?」
「うん。両親はとっくにいないし。俺を引き取ってくれた祖父母も、今年の頭に立て続けに死んだ。今はおじが保護者だけど、県内じゃないからめったに会わないんだ」
「そうか……」
それ以上何も言えず、私は、居間で彼が来るのを待った。
床に散らばったCDの多くがクラシックの物であることに気が付く。
バッハ。モーツァルト。シベリウス。パイプオルガンやグレゴリオ聖歌。
見た目とのギャップが激しすぎる。
クラシックが好きだとちらっとは聞いていたが、本当だったのか。
亜砂斗は、お盆に湯呑と急須、手には小さなポットを持ってやってきた。
お盆をちゃぶ台に、ポットを畳の上に置くと、お茶を湯呑に注ぎながらいつものように笑って言った。
「ギャップが激しいって思ってる?」
その言葉に、私は何度も頷く。
すると彼は苦笑して、
「俺は日本茶が好きだし、クラシックが好きなんだ。まあ、あんまり人に言ったことはないけど」
そう言って、彼は湯飲みを私の前に置く。
「学園は、パイプオルガンが聞けるから受けたんだ」
「その気持ちはわかるが」
だからといって、ギャップがどうにかなるわけでもない。
亜砂斗はしかめ面をして、
「空にまでギャップって言われると、ちょっとショック」
と呟くように言う。
私は気まずく思い、小さくごめん、と言った。
亜砂斗は首をふり、
「別に、大丈夫だから」
と、いつもの笑顔で答えた。
そのあと、暫く沈黙が流れる。
亜砂斗は沈痛な面持ちで湯飲みを見つめている。
私はまず、自分の用件を済ませようと思い、口を開いた。
「亜砂斗、あの……」
「俺、夕羽に会ったんだ」
私の言葉を遮って、顔を上げずに彼は言った。
夕羽に会った。
頭のなかで繰り返す。
私は亜砂斗の次の言葉を待った。
「俺は、あいつにずっと甘えてきた。だからあきれられたのかと思ったけどそうじゃなくて、だからといって、空のことで何かあるのかと思ったけど違うし。
俺は、あいつのこと好きだ。大好きだけど、でも……」
亜砂斗の混乱が、手に取るようにわかった。
亜砂斗は、なぜ夕羽に避けられているのか気がついたのだろう。
あいつ、言ったのか? いや、そうは思えない。
では何があったんだ?
それきり黙ってしまった彼の隣に行き、その左肩を右手で掴んだ。
「大丈夫か、お前?」
そう声を掛けると、亜砂斗は顔を上げ、右手と私の顔を見比べる。
こうして自分から触れたのは、初めてな気がする。
亜砂斗はしばらく肩においた私の手を見つめたあと、無言で両肩を掴んできた。そしてそのまま押し倒された。
……押し倒された?
ある意味見た目通り。ある意味彼らしくない行動に、目を見開いて顔を見つめる。
真剣な顔をして、私を見つめているが、心なしか苦しそうにも思えた。
「俺は、空が大好きだ」
いつもとは違う、真剣な声で彼は言った。
「そうだよ、俺が好きなのは空なんだ」
自分に言い聞かせるように、彼は繰り返す。
「ちゃんと言われた訳じゃないけど、夕羽は俺のこと想ってるみたいで、それ知って訳わかんなくなって。
俺は、あいつのこと大好きだけど、だけど、恋愛とかじゃないと思うし」
なにを言われたのか想像つかないが、ばれたと気づいたら、夕羽はどんな顔をするだろう。
いつも仏頂面で、何を考えてるのかわからなくて。簡単には表情を動かさないあいつが。
私にも見せたことない顔を見せるのだろうか。顔を紅くしたりとか。
いたって真剣な場面なのに、想像したら笑いがこぼれてしまう。
すると、亜砂斗は不思議そうな顔をした。
私はまっすぐ彼を見つめ、笑った理由を語る。
「ごめん……夕羽が知ったらどんな顔するかと思って」
「……たしかに、それは面白いかも」
そう言って亜砂斗も笑う。
笑ったあと、亜砂斗は真剣な顔に戻し、私の頬に触れた。
「ごめん、空。話そらしちゃって。
今さらかもだけど、俺、ちゃんと空の返事聞きたい」
彼の顔に、不安と期待とが入り交じったような表情が浮かんでいる。
今までの関係を壊すかもしれない、というリスクを背負い、彼は私に向き合おうとしている。
真剣に来たのなら、私も覚悟を決めなければ。
心臓の音が、妙に大きく聞こえた。
「亜砂斗。私は君に謝ることがある。
ここ数日、お前を拒絶し続けたこと、本当に悪かったなと思ってる」
「空……」
「最初、家に入れたのに、そのあと
拒絶したら、ワケわからなくなるなって気がついた。
本当に、ごめん」
すると、亜砂斗は首を横に振り、視線をそらす。
「俺も……ちゃんと考えてなかった。よく考えたら、女の子がひとりでいる部屋に行って拒否されるなんて当たり前だよね。
その……付き合ってもいないのに」
それもそうだなと考える。通常ならそこまで考えが至っていたかもしれない。私は本当に、平静じゃなかった。
「私は、自分の気持ちに気がつきたくなかったから。だから、会いたくなかった」
「空?」
「目の前で如月が殺されて……私は彼になにも言えなかった。言いたかったこと、言えなかった。
ずっと後悔して、夕羽にすがってきた。あの日が近づけば思い出して、なにもできなくなって、なんで私が殺されなかったのかなって思って……そんな私のそばに、夕羽はずっといてくれた。
彼は私を拒まずに、寄り添ってくれてた。
大切なものを作ればまた失うのが怖くて。だから、他の人と関係をもつのを拒んできた。
ここ数日、お前のことばかり考えてた。気が付いたらお前のことで頭がいっぱいで。
でもそれは、如月が……思い出に変わるってことで……それが怖かった」
一気にしゃべった言葉を、彼は黙って聞いていた。
殺された。という話にはさすがに表情が動いたけれど、それでも彼は黙って聞いてくれていた。
私は亜砂斗の頬に触れ、やっと認めた想いを口にした。
「亜砂斗、私はお前が好きだ」
「空……」
押し倒されたまま、頭を抱きしめられる。
いつもの匂いに包まれる。思い出の匂いではなく、亜砂斗の匂い。
「俺は、空が好きだし、その気持ちは本物だ。それに、空に好きって言われて嬉しい」
「亜砂斗……」
「もっと早くちゃんと言えばよかった。こんなにも好きなのに」
片手で眼鏡をはずされ、顔が近づいたかと思うと、そのまま唇を重ねられた。