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あれから。町長は椅子に腰掛け、俺とアリーテはベッドの縁に腰掛ける。向かい合った俺達の間に置かれている机には、リーネが運んできた紅茶のカップが人数分置かれていて、杖も立て掛けられていた。町長は紅茶で少し口元を潤した後、おずおずといった調子で口を開く。
「実は最近、二つの妙な事件が起こっているのです」
「二つの、妙な事件?」
「はい」
俺の言葉に老人は頷き、はぁと小さい溜息をつく。
「一体、どんな事件か、教えてもらえませんかっ」
人助けのチャンスが巡ってきたせいか、やる気満々らしいアリーテは身を乗り出すようにして訊ねる。彼はすぐに答えた。
「一つは子供誘拐事件、もう一つはポーション盗難事件です」
「子供の誘拐に……」
「ポーションの盗難、ですかっ?」
俺達は顔を見合わせ、そして町長に再び視線を向ける。すると、老人はポツリポツリと語り始めた。彼の話によれば、ここ最近になって、先ほど申した二つの事件がほぼ同時に起き始めたのだそうだ。まず、年端もいかない幼い男の子達が何人も行方不明となってしまい、その数はだんだんと増え続けている。そしてもう一つ、この町の特産品である魔力補給のポーションが、店から大量に盗まれ続けているのだという。
「あの、ちょっと質問してもいいですか?」
町長の説明が終わった後、俺は口を開いた。幾つか、確認しておかなければならない事があったからだ。
「まず、子供の誘拐について。さっき、『幼い男の子が』と言ってましたけど、それじゃあ女の子は」
「そこが不思議なところなのです」
老人は眉を潜め、考え込むように腕組みをする。
「全くもって不可解なのですが、女の子はみんな無事で、男の子だけが何故かいなくなってしまうのです」
確かにそれは変だと思った。子供であれば誰でもいいというなら、男の子よりはむしろ、力の弱い女の子に優先して危害を加えようとする筈だからだ。
俺の命を奪った男が、そうであったように。
――クソッ。
元の世界の事を思い出し、膝の上に置かれていた両拳に力が入り、血が通って震える。あの少女は、無事に両親の元へ戻れただろうか。今となっては、確かめる術もない。
――落ち着け、今は目の前の問題に集中しよう。
頭を振り、気持ちを落ち着ける。俺の奇妙な仕草に、町長もアリーテも目を瞬かせた。二人に構わず、俺は質問を続ける。
「それと、もう一つ。魔力補給のポーションって、一体どんな物なんですか?」
「なんと」
老人は心底驚いたかのように目を見開いた。
「勇者様、お知りにならないんですか?」
「え、と」
何と答えればいいのか反応に困っていると、アリーテが助け船を出してくれた。
「勇者様はまだ召喚されたばかりなので、この世界の事には疎いんです」
「なるほど、そうでしたか」
あっさり納得した町長は、ゆっくりと頷いて、
「魔力補給のポーションとは、その言葉通り、それを飲んだ者の魔力を補給する薬です」
彼の解説を聞くに、どうやらこういう事らしい。この世界では魔法を使ったりなどすると、魔力という一種のエネルギーを消耗する。魔法を生業とする魔術師達にとって、こういった類の魔力回復薬は必需品なのだそうだ。このポーションは魔石と呼ばれる魔力がこもった石を原料に作られ、この町の近くではそれがよく採掘されるらしい。だから、ここケーリアでは『魔力補給のポーション』を特産品としているわけである。
「それが盗まれ続けているという事は……」
「はい、住民の商売はもう上がったりなんです」
肩を落とす老人の顔に表れている皺が、気持ちのせいかいっそう深くなったような気がした。
「子を失った親達は仕事も手につかなくなり、品物を失った店は利益を得られず……このままいけば、町は崩壊してしまいます」
お願いです、勇者様、天使様。町長は悲痛な叫びを上げて椅子から立ち上がると、床の上に土下座をした。
「どうか、この町をお救い下さい!」
「あ、あの」
突然の事に狼狽しつつも、俺は顔を伏せている老人に慌てて声を掛けた。
「その、どうか顔を上げて下さい。事情はよく分かりました。俺……いえ、すみません。自分に出来る事があるのなら、精一杯協力します……どれだけ役に立てるかは、分からないですけど」
「本当ですか!?」
再び向けられた町長の表情はとても晴れやかなものだった。俺は半ばその場のノリで控えめに頷く。彼は次にアリーテへ視線を移したが、彼女もまたニッコリと微笑んだ。それを了承と受け取ったのだろう。心から安堵したのか、町長は胸をなで下ろしながら立ち上がり、杖を手に取る。
「それでは、私は一度戻り、皆にこの事を伝えにいきます。この宿の者には、お二人にすぐ夕食を用意するよう伝えておきますから」
「本当ですか? ありがとうございます」
「いえいえ、礼を申さねばならないのはこちらの方ですよ……と」
部屋のドアを開いた矢先、何かを思い出したように老人は足を止める。
「そういえば、まだお二人の名前を伺っておりませんでしたな」
「私はアリーテですっ」
「自分はユウトといいます」
俺達は少し遅れた自己紹介をする。彼女の本名はアリテシカの筈だが、どうやら愛称の方を名乗る方にしたらしい。そちらの方が呼びやすいだろうし良いだろう、と俺は心の中で頷いた。
だが。町長が発した次の言葉に俺は戸惑う。
「勇者ユート様、そして天使アリーテ様ですね。それでは、今晩はゆっくりとお休み下さい」
「え、いや」
ドアに手を掛け、廊下に出ようとした老人に、俺は慌てて話しかける。
「あの、自分はユートじゃなくてユウト……」
「では、ユート様にアリーテ様。今度こそ本当に失礼致します」
しかし、その声に気がつく事なく、町長は静かにドアを閉め、その杖をついた特徴的な足音は次第に遠ざかっていった。