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「よ、ようやく町に着きましたね……」
「ああ、そうだな……」
時刻は陽も山の陰に半分沈みかけた夕方。俺達はとある町の入り口に、息を切らしながら立っていた。野生の熊に襲われ、命辛々逃げ出したものの、それからずっと災難続きで走りっぱなしだったのである。川辺のスライムを踏んづけてしまったり、遭遇したゴブリンの集団から執拗に追いかけられたり。そんなこんなで、ようやく安全な場所に到着出来た頃には、俺達はすっかり疲弊しきっていた、というわけだ。
「とにかく、どこか泊まれる場所を探しましょう」
荒れた呼吸を整え、アリーテが口を開く。俺は額に浮かぶ大粒の汗を手で拭いながら、
「でも、どうするんだ? 俺達、お金ないだろ?」
「その辺は大丈夫ですよっ。まぁ、私に任せて下さいっ」
――ほ、本当に大丈夫なのかよ。
不安に思いながらも、意気揚々とした足取りで歩いていく彼女の後に続き、俺は町の中へと足を踏み入れた。高く掲げてある看板に『ケーリア』と書かれてあるところを見ると、どうやらこれが町の名称なのだろう。木製の家屋が立ち並んでいるところや、通りに洗濯物やランプの灯火などが伺えるところから考えて、ここの住人達は一応、それなりの生活を送っているようだ。流石に機械の類などは見かけられないが。
――しかし、俺達ってかなり目立ってるんじゃ。
周りの事を全く気にせずに進んでいくアリーテの後ろ姿、特に背中から生えている白い羽を見つめながら、俺は心中で呟く。彼女の特異な外見のせいで、俺達が群衆から好奇の視線を一手に受けているのは半ば当たり前の事だった。気まずい思いをしながら町を歩いていると、
「あの、申し訳ございません」
と、急に一人の女性が俺達の前に立ちはだかり、深く頭を下げた。
「急な御無礼をお許し下さい。その背中に生えている美しい羽……貴女様はもしや、天使様ではございませんか?」
「はい、その通りですっ」
アリーテが元気一杯に返事をすると、女性の目がハッと見開かれ、その視線が後ろにいた俺に注がれる。
「それじゃあ、この方は」
「そうですっ」
アリーテは彼女の質問を皆まで聞く前に力強く頷き、僕を両手で指し示しながら声高らかに叫んだ。
「この方は、神に選ばれこの地に召喚された勇者様なのですよ!」
途端、俺達の周囲で様子を見守っていた町人達の間から、大きなざわめきが起こり始めた。そして、
「勇者様!」
「勇者様が来られたぞー!」
「キャー!」
「カッケー!」
たちまち、凄まじい勇者コールが俺に向けられてきた。
「え、いや、その」
正直、どんな反応をすればよいのか全く分からず困っていると、急に人々の作り上げている輪の一角が割れる。その奥には白髪の老人がいて、杖をつきながら俺達の方へよろよろと近づいてきた。今にも倒れてしまいそうな、そんな危うい歩き方だ。俺の元いた世界で考えると、七十歳は軽く越えているだろう外見だ。
「勇者様、天使様。突然の御無礼をお許し下さい」
老人は先の女性のように深く一礼をして、
「儂はこの町、ケーリアの長でございます」
とささやかな自己紹介の後、色々と話し始めた。それによると、ケーリアは俺やアリーテの訪問を心から祝福し、宿やら食事やらを全て無償で提供してくれるとの事だった。
――おいおい、本当かよ。
町長の話を聞きながら、俺は驚愕する。勇者や天使というだけで、これほどの好待遇を受けられるとは。天使詐欺とか勇者詐欺とか起こらないか、甚だ心配である。
――あ、だからアリーテは自分に任せろって言ってたのか?
彼女の羽を見れば、誰もが普通の人間ではないと分かる筈だ。これが俺一人だけならば、勇者であると伝えても信じてはもらえなかったかもしれない。
とにかく、心配していた寝床の心配もあっさり解決し、俺達は前をいく町長の後に続き、与えられた宿へと向かう。中に入ると、
「初めまして、勇者様、そして天使様。お会いできて光栄です」
と、透明に透き通った声で、一人の女性が頭を下げてきた。俺は思わず、その姿に見とれてしまう。垂れ目気味で紅く艶のある唇、腰までかかるサラサラとした黒髪。清楚な白い服の上からでも分かる、その豊かな肢体。おっとりとした顔つきの、超絶美人だった。年齢は恐らく、二十代から三十代といったところだろう。
「この宿で働いているリーネと申します。どうぞ、よろしくお願いします」
さあ、こちらへどうぞ。促してくる彼女の後に続き、俺達は宿の階段を上る。案内されたのは二階突き当たりの部屋だった。丸い窓が一つ、小さな机が一つに椅子が二つ、ベッドが二つ。
「……ベッドが二つ?」
「あ、別々の部屋がよろしかったでしょうか?」
「いえいえ、全く問題なしです」
「お、おいっ」
「そうですか、良かったです。それでは失礼致します」
最後にニッコリと微笑んでお辞儀をした後、リーネは静かに部屋を退室していった。残されたのは俺、アリーテ、そして町長。
――あれ?
俺が疑問に思った事を、アリーテがそっくりそのまま代弁してくれた。
「町長さん、もしかして私達に用があるんですかっ?」
何か言いたそうにもじもじとしていた町長が、ハッとした顔つきになる。
「……その、実は」
しばらく躊躇った後、彼は意を決した様子で、こう告げたのだった。
「是非とも、勇者様に解決してほしい事があるのです」