13
――伝わっただろうか。
容赦なく障壁を割らんとする衝撃波を何とか抑えつつ、俺は視線を下へと向ける。アリーテは無言で顔を俯けていて、その表情は伺いしれない。その胸の内に、どんな思いを抱いているのかも。
――しかし、やっぱ俺らしくなかったか。
息を洩らさず、顔の筋肉だけを歪めて苦笑する。元の世界にいた頃は、赤の他人に自分の本心を曝す事なんて、中学に上がってからは一度もなかった。血の繋がった両親にさえも、だ。本音を隠して生活するのは平穏な日々を過ごすのに不可欠な技術だった。建前を並べ立てて自らを守る殻とし、集団の中に理想の自分を仕立て上げ、埋没する。
一度死ぬ前の俺なら、こんな危ない橋を渡るような事、絶対にしなかっただろう。
――多分、原因はコイツなんだろうな。
天使の背中から生えた純白の羽を、温かい気持ちで見つめる。いつも、後先考えずに発言し、突拍子のない行動に出て、馬鹿みたいに喜怒哀楽が激しい。けれど、アリーテはいつだって、良くも悪くも、自分の心に正直だった。そんな彼女の愛くるしい仕草は、俺の心を幾度となく和ませてくれた。本音同士で話し合う心地よさを教えてくれた。だからこそ、俺は今、自分の心を在るがまま、抵抗なく曝け出せているのだろう。
そこまで考えたところで、全身にマズい感覚が走ってきた。ガクッと、倒れてしまいそうになる体を、とっさに支える。
――やべえ、力が……。
どうやら、服用した薬の効果が、とうとう切れ始めたらしい。副作用なのか、それとも限界を越えた疲労のせいなのか、様々な症状が俺の体を一気に蝕み始めた。手足にあれだけ漲っていた活力が、だんだんと萎むように失われていく。鮮明だった視界も、何時になく冴えていた思考も、靄がかかったようにぼやけていく。だが、一番の問題は、俺達の身を護っている魔力の障壁が、だんだんとその強度を弱め始めた事だった。一方、四散したトルーミアの水晶が放つ膨大なエネルギーは未だ止まる事を知らず、俺達を飲み込まんと激しく荒れ狂っている。
――早く、早く収まってくれ!
柄にもなく祈りながら、俺は力を振り絞って障壁を維持し続ける。自分の命はもう、どうでもいい。せめて、アリーテだけでも守り抜きたい。藁にも縋る気持ちで、死力を尽くす。
だが、俺の願いとは裏腹に、体内にあれだけ満ちていた筈の魔力は、もはや枯渇し始めていた。そして、脳内に未だ存在している現実的な思考が、現実を無慈悲にも伝えてくる。
これ以上は無理だ、と。
「ごめん、アリーテ」
自然と、謝罪が口を衝いて出てくる。言わずにはいられなかった。
「もう、駄目みたいだ」
諦念の言葉を発した途端、それに呼応するように、全身から力が急激に抜けていった。顔を上げ、崩壊しかかった障壁を何とか保たせる。マンガやゲームに出てくる勇者なら、この絶妙なタイミングで『諦めてたまるか! 絶対に君を守りきってみせる!』とか何とか、格好いい台詞を口にするのだろうが、生憎と俺はそんな上等な勇者じゃなかった。この現状は最早、根性だけで何とかなるものではないと、俺の中の極めて冷静な部分が喚き続けている。
強がりの嘘は、吐けなかった。
「……ユートさん」
突然の呼び掛けがしたかと思うと、俺の背中に両手が回される。ふと視線を下に移すと、アリーテが俺の胸に顔を擦りつけていた。服の上から、温かい涙が染みてくる。
「ずっと、最期まで一緒ですっ」
顔を埋めたまま、彼女は涙声でそう告げた。その様子を眺めていると、いつの間にか、俺は微笑みを浮かべていた。
「ああ、ずっと一緒だ」
穏やかな声と共に、俺は愛おしい彼女の身体を抱きしめ返す。美しい金髪を優しく撫でると、天使は自らの頭をいっそう強く俺の体へ押しつけてくる。啜り泣く彼女の気持ちを和らげようと、震える両肩を抱く。途端、強烈な悔しさが目元までこみ上げてきた。命に代えてもと彼女だけはと誓った筈なのに、心から慕ってくれる女の子すら守れない、そんな無力な自分がとてつもなく歯がゆかった。自嘲の言葉が、心の中に渦巻いていく。
――本当、駄目な勇者だよな。あの女神が人選ミスしたとしか、考えられねえよ。
鼻を突く感情を抑える為、俺は頭上を見上げる。水晶から発せられた膨大なエネルギー波は、すぐそこまで迫っている。とうとう、俺の全身に満ちていた魔力が底をついた。自らを形作る燃料が切れた障壁に小さな亀裂が入り始め、その線はだんだんと伸びていき、交わっていく。その様を眺めながら、俺は独り胸の奥で呟いた。
――次、生まれ変わった時は。
粉々に障壁が砕け散り、妨げを失った魔力の激流が、嬉々として俺達を飲み込まんと押し寄せてくる。何か、アリーテがか細い声で呟いたような気がしたが、内容までは聞き取れなかった。
――命を賭けずとも大勢の人々を助けられるような、そんな強い自分になりたい。
刹那、閃光が全てを覆い尽くした。




