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「くっ!」
爆発が俺達を飲み込もうとしたが、能力の発動が間一髪のタイミングで間に合った。無理矢理しゃがませたアリーテと、彼女に覆い被さるような体勢となっている俺に周囲に、半透明の魔力で構成された障壁が円形に展開される。取りあえず、当分はこれで安心だ。
――けど、メファヴェルリーアさんやセイーヌさんは……。
恐らくこの階だけではなく、洋館の周囲までこの衝撃波は及んでいるだろう。下の階にいるであろう彼女達の生存は、認めたくはないが絶望的だった。いつの間にか、自分の唇を痛いくらいに噛みしめている事に気がつく。皮が裂ける痛みを感じたかと思うと、仄かな血の味が口の中に広がった。
シュバトゥルスが自身の命を捨ててまで残した置き土産は、凄まじいものだった。正直、障壁を維持するのも精一杯な状況だ。もし、薬で魔力を強化していなかったとしたら、とてもじゃないが耐えきれられなかっただろう。体中から汗が迸るのを感じつつ力を集中させ続ける俺の脳裏にふと、奴が死の間際に遺した言葉が再生される。
――私は負けない。勝てないとしても、ね。つまり、君達は私に勝つ事が出来ないのさ。絶対にね。
今なら分かる。最悪でも引き分けに持ち込める。そんな確信があったからこその発言だったのだ。最大限まで魔力を吸収させれば、大陸の一つを吹き飛ばせるほどの力を引き出せるトルーミアの水晶。だが、たとえ魔力を完全に蓄えさせていなくとも、ここら一帯を吹き飛ばせるだけの威力はあった訳だ。そして、あのシュバトゥルスは自らの身を滅ぼしてまで、俺達と心中する道を選んだ。名のある悪魔としてのプライドか、それとも単なる憎悪の為か。
――どっちにしろ、このままじゃヤバいな。
正直、一人と一羽分の障壁もいつまで維持出来るかは分からない。薬の効き目が薄れていけば、そこで万事休すだろう。その前に魔力の拡散が収まってくれればいいのだが、残念ながら障壁への衝撃が弱まる気配は全くない。これほどの爆発が身近で起きているにも関わらず、未だ足場が崩れていないのは幸運だった。だが、それもいつまで続くか。少しでも気を抜けば、そこでジ・エンドだ。
「あの……ユートさん」
しゃがんでいたアリーテが、顔を伏せたままポツリと呟くように言った。
「ずっと黙ってましたけど……私、実は天界でも落ちこぼれだったんです」
「……実をいうと、そんな感じはしてた」
会話で気を散らすわけにはいかない。魔力の制御をこなしつつ、返事をする。
「成績も下から数えた方が早くて」
「……何となくそうだろうとは思ってたよ」
「仕事の手伝いをしても、すぐ怒られて」
「……なるほど、どうりで」
「死ぬ! 死にます!」
半狂乱になった天使は泣き叫びながら、障壁を保とうと意識を集中させている俺の身体を両手で激しく揺さぶり始めた。
「ついでにユートさんも道連れです!」
「おわ! 待て! 早まるな!」
自暴自棄になって自殺衝動に駆り立てられた彼女を、俺は必死の思いで宥めた。何しろ、床が崩壊しただけでも人生終了である。
とにかく、彼女の気を落ち着かせてから、俺は障壁の維持に神経を集中させつつ言った。
「けど、今は過去を気にしてる場合じゃねえだろ。まず、一緒に生き残るのが先決だ」
「……でも」
すると天使は、先ほどまでの激昂状態が嘘のようにシュンとして、
「私、ユートさんとの旅でも殆ど役に立たなくて……」
「そんな事はないって。アリーテには随分と助けられたよ」
これは本心からの言葉だった。実際、彼女の扱う聖魔法が役に立った事も、少なからずあったのだ。
「でも、澄まし顔との戦った時だって結局は足を引っ張っちゃいましたし……今もそうですよね」
「今も?」
最初こそ天使の発言の意味を理解しかねたが、すぐに気がつく。一人と一羽を護る障壁より、俺の身だけ庇う方がずっと消耗する労力は少ない。彼女はその事を言っているのだ。
ならば、今までの言動の真意は。
「だから、ユートさん」
顔を上げたアリーテは意を決した表情で、真っ直ぐに俺の目を見据えて告げた。
「私まで守らなくていいです。このままじゃ私もユートさんも助からない。なら、ユートさんだけでも」
「馬鹿な事、言うなよ」
皆まで言い終わらないうちに、俺は強い口調で彼女の言葉を遮っていた。
「俺もお前も、生き延びるんだ」
「でも、もしどちらも助からなかったら……」
「助かるよ、少なくともアリーテだけは絶対に助けてみせる」
「そんなの嫌ですよぅ」
天使の瞳から、大粒の涙がポタポタとこぼれ落ちる。俺は強く動揺した。彼女に拒絶されるような事を口にしたつもりは無かったからだ。感情の揺れに呼応してか、障壁に込めていた力が無意識のうちに弱まり、俺は慌ててそちらにも意識を向ける。一方、アリーテは顔をくしゃくしゃにして告げた。
「……私、最後までユートさんの足手まといになりたくないんです。役立たずなのは、嫌なんです」
「アリーテ……」
一瞬、俺は彼女に掛ける言葉を見失った。一体何を、どんな風に伝えればよいのか。だが、じっくり考える余裕さえ与えられない。俺、お前を足手まといとか、役立たずだなんて思ってねえよ。そう口にしようとしたが、思い直す。今の彼女の様子では、何を言っても信じてもらえないような気がしたのだ。アリーテを救えるのは、空虚なその場しのぎの言葉じゃない。けれど、俺の馬鹿な頭じゃ、そんな文章しか思いつかない。
――俺の正直な気持ちを、そのまま見せられればいいのに。
そんな事を頭の中で呟いた、瞬間。俺の脳内にまたしても閃きが起こった。精霊から授かった、もう一つの能力。それを用いれば。
「……アリーテ」
即座に、呼びかける。返事はなかった。ただ、啜り泣きが聞こえるだけ。俺は深呼吸した後、彼女に努めて優しく告げた。
「俺は本当に、お前の事を足手まといや役立たずだなんて思ってねえよ。今から、それを証明するから」
「……えっ?」
戸惑いの言を彼女が発したのとほぼ同時。
俺は「サイド」の能力を、アリーテに移し替えた。




