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「……大体、説明はこんな感じですっ。それじゃあ早速、出発しましょう!」
「あ、ちょっと待ってくれ」
言うが早いか歩きだそうとしたアリテシカに、俺は慌てて声を掛けたっ。彼女はクルリと振り向いて、
「ん、何ですかっ?」
「一つ、質問があるんだが」
ゴホン、と一つ咳払いをして、俺は訊ねる。
「俺の能力に関しては何となく理解できたよ。でも、お前はどんな事が出来るんだ?」
「えっ?」
途端、彼女の浮かべていた笑みがひきつったのがよく分かった。
「ま、まぁ。凄い事が出来ます」
「具体的には?」
「こう、ドーンというか、ズバーンというか」
全くもって抽象的である。
――となると、もしかして。
修行中の天使である彼女は、ひょっとすると。俺の懐疑的な視線に気がついたのか、アリテシカは慌てたように、
「な、なんですかっ。その『もしかして、この天使は全く役に立たないんじゃないか』とか考えてるような眼差しはっ」
「……やっぱり、自覚あるんじゃないか」
俺の言葉に彼女は一瞬ドキッとしたようにたじろいだ後、何やらヤケになったような剣幕で、
「わ、分かりましたよっ! そこまで言うなら、私の力、とくと見せて差し上げます!」
と声高らかに叫び、俺に背を向け両目を瞑り、何やらぶつくさと呟き始める。
「うおっ!」
俺は驚きから、つい声を上げてしまっていた。アリテシカの足下に、光輝く魔法陣が急に出現したからだ。
そして、次の瞬間。
「いきますよっ! ホーリー!」
前にも増して大声を張り上げた彼女は、開いた両手を前方にかざす。するとたちまち、掌からバレーボールくらいの大きさをした光球が発射され、草原を直線上に駆け抜けていった。通り過ぎた場所に生えていた草々が、周りのそれよりも激しく揺れる。
「うわっ! 本当に凄いな!」
「ふふふっ」
自然と感嘆の声を上げていた俺に向き直り、アリテシカは得意げに胸を張る。
「これが私の力……聖なる光を前方に向けて撃ち出す魔法『ホーリー』ですっ」
「おおっ、何だかとてもカッコいいぞ」
「えへへっ、そんなに褒められると照れちゃいますよっ」
「でも、随分と安直なネーミングだな」
「何事も分かりやすさは大切なんです」
「そういうもんなのか」
「そういうものです」
「で、他には何が出来るんだ?」
「……えっ、他にですかっ?」
俺の問いかけに、アリテシカは硬直する。
「いや、さっきのやつ以外に、何か使える魔法とかないのかなって」
「も、勿論ありますよっ!」
彼女は先ほどのように構えて言葉を唱え出す。
「これが『ダブルホーリー』ですっ!」
掌からバレーボールより少し小さめの光球が二つ発射され、草原を直線上に駆け抜けていった。
「そして、これが『トリプルホーリー』ですっ!」
掌からバレーボールよりかなり小さめの光球が三つ発射され、草原を直線上に駆け抜けていった。
「そしてこれが『スーパーホーリー』で……」
ガシッ。再び魔法を詠唱しようとした彼女の肩を俺は掴み、顔を俺の方へと向けさせた。そして、優しく言葉を掛ける。
「もういい分かった。ホーリーしか出来ないんだな。いや、それでも全く問題ないんだ。お前は十分、凄いと思うぞ。別に気にしなくとも」
「そ、そんな哀れんだような目で見ないで下さいっー!」
あれから、程なくして。落ち着きを取り戻したアリテシカはこう口を開いた。
「……まあ、とにかく出発しましょうっ」
「出発ってどこへだ?」
「勿論、人がいそうな場所へですよ。勇者は人助けをしないと」
そういえば、と俺は心の中で呟く。あまり自覚はしていなかったが、俺は元々、勇者としてこの世界に連れてこられたのだった。
「でもさ、勇者っていったら魔王を倒すとか……」
「今の私達で、魔王にはかないっこないですよっ。高いハードルを越える為には低いハードルからコツコツと練習しないと」
「あ、それもそうか」
しかし、人助けが低いハードルというのは、言い得て妙な気もした。天使と人間とでは価値観が違うのだろうか。
いや、それよりも。
――何で天使が、ハードル跳びなんかを例に出すんだよ……。
「というわけで早速、果てなき旅路へレッツゴーですっ!」
「しかし、一体どの方角に行けば人がいるんだ?」
「それは私も分かりませんが、目印はありますっ」
と、アリテシカは草原の一点を示す。その白くほっそりとした指の先には川があった。
「水のある場所には生き物がいます。生き物がいるなら、人間も当然いる筈です」
「なるほど、そういう事か」
彼女の分かりやすい説明に、俺はあっさりと納得した。
「じゃあ、行きましょうっ」
「おおっ」
俺達は川に近づき、その流れに沿って歩き始める。澄み渡るように清らかな水の側では、沢山の命が育まれていた。可愛らしい鳴き声を上げながら空を舞っている小鳥達、草の陰でピョンピョン飛び跳ねている虫達、水中を優雅に泳ぎ回っている魚達。俺がずっと忘れていた穏やかな時間が、この地では流れているように思えた。
「なあ、アリテシカ……って」
傍らの彼女に呼び掛けようとして、俺はある事に気がついた。
「ん、どうしたんですかっ?」
「いや、アリテシカって何だか呼びづらい感じがしてさ……そうだ、『アリーテ』ってどうだ?」
「アリーテ?」
不思議そうに目を瞬かせた彼女に対し、俺は説明する。
「お前のニックネームだよ。アリテシカ、の最初の三文字を取ってアリーテ」
「ニックネームですか……」
アリテシカはしばらく考え込んだ後、やがてはにかむように笑った。
「それ、いいですねっ」
「じゃあ、決まりだな。これからよろしく、アリーテ」
「はいっ! よろしくお願いしますっ!」
どちらからともなく差し出された手が握りしめ合う。
その時だった。急に獰猛な獣の叫びが周囲に響き渡り、俺達はギョッとして振り向く。
「おわっ!」
「く、熊ですっ!」
そう。アリーテが口にした通り、俺達の目の前にいたのは大柄な熊だった。茶色い体毛をしていて、口元からは鋭く尖った牙が露わになっている。明らかに、敵対心剥き出しだった。
「こ、こういう場合は、ま、魔法で、えっと」
「ちょ、ちょっと待った。死んだ振りした方が良いんじゃ」
俺の提案も聞かず、焦っている様子の彼女は詠唱を行い、
「えーい! ホーリー!」
と、先ほど俺に見せた目映い光球を発射した。それは勢いよく敵の腹にぶつかり。
何の外傷も与える事なく、周囲に光を散らせるようにして、消滅した。
「……え?」
せめて、仰け反るくらいの反応を期待していた俺は唖然とする。一方、相手は先ほどの攻撃を宣戦布告と取ったのだろう。更に恐ろしい形相をしていた。
「お、おい。どういう事だよ」
「だ、だって、だって……」
俺が問いかけると、アリーテは呆然と呟いた後、やがて自暴自棄になったように、ギュッと両目を閉じて叫んだ。
「聖なる力が、そこら辺の野生動物に効くわけないじゃないですかー!」
「やっぱり全然使えないじゃねーか! ってか、それならどうして使ったんだよ!」
「気が動転してたんです! 若気の至りだったんです!」
「若気の至りじゃ済まな……うわっ! こっち来た!」
「ふにゃーっ! いたーい! もう駄目ーっ!」
「おい! 一度殴られたくらいで倒れるな! 俺は戦いなんてした事な……うわーっ!」
こうして、俺の勇者としての旅が、後先不安ながらも始まったのだった。