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「……あれ?」
戸惑いながらも、俺は服の裏ポケットからある物を取り出す。黄緑色をして液体が詰まった、透明な小瓶。そう、ドーネルからいざという時にと手渡された、あの薬だ。
「どうして、これが……」
剣などが没収されていたのだから、てっきりこれもまた剥奪されているとばかり思っていた。すぐに服用出来るよう、衣服の中に収めていたのが幸いしたのか。
だが、このアイテムが手元にあるという事は。絶体絶命の危機に萎んでいた心の奥深くに、一筋の希望が湧いてきた。いざという時の為に取っておいた道具だが、今を『いざという時』と呼ばずに何というだろう。
「ユート殿、それは……」
「あ! どこに隠し持ってたんですかっ!」
俺が手に持つ代物に気がついた騎士と天使が、その表情を綻ばせながら口々に言う。一方、悪魔は目を細めて訊ねてきた。
「何よ、それ」
「メファヴェルリーアさん、これは……」
この薬品について説明すると、彼女は目を見張って、
「へぇ……あのヒュドリアスの角を」
「知ってるんですか?」
「実際に見た事はないけど……強大な力を秘めているって言い伝えられている魔法生物よ。人や悪魔が滅多に近寄らない危険な谷底に好んで住み着いてるらしいわ。朝露が大地を濡らす音で目を覚まし、植物が花を咲かせると共に眠りにつくそうよ」
「晴れた日がずっと続くとスヤスヤなんですねー」
「とにかく、これがあれば何とかなると思います」
天使の戯れ言を無視して、俺はメファヴェルリーアとセイーヌを交互に見つめる。忽ち、
「ユートさん、完全スルーだなんてあまりに酷いですっ……うううっ」
と、アリーテが両目を手で覆い泣きじゃくりながら訴えてくるが、それどころではないのでこれまた完全に聞き流す。
「取りあえず、ここを抜け出さないといけないので」
前置きして、俺は頭に浮かんだ考えを話し始めた。
作戦を全員に説明した後、俺は深呼吸して、小瓶の中身を一気に飲み干した。これはある意味、賭けだ。薬の効果があまりにも弱ければ、その時点で打つ手がなくなる。
しかし、その不安はすぐに杞憂となった。
「ユート殿、大丈夫か?」
「どう、効果はあった?」
「美味しいですかっ?」
三者三様の質問が耳に届いてくるも、俺はすぐに返答出来なかった。それほど、体内を駆け巡る感覚が凄まじかったのだ。血管という血管が膨張していき、筋肉という筋肉に活力が沸き上がってくる。視界はいっそう鮮明となっていき、今なら一キロメートル先の物体ですら詳細を見分けられるような気がするくらいだ。何も体の変調だけではない。思考は澄み渡っていき、果てしない高揚感が胸中を支配していく。
「ああ……! 力が……力が漲る……!」
ようやく声を振り絞り、ふと顔を上げると、俺達の自由を妨げているソレが目に入る。
「はあっ!」
叫びを上げながら繰り出した拳は、甲高い金属音と共にたやすく鉄格子を破壊した。
「おおおっ! ユートさん凄いですっ!」
「何をしている!」
アリーテが歓声を上げた途端、部屋のドアが開き、豚のような顔をした悪魔が二匹入ってきた。恐らくは騒音を聞きつけた見張り達だろう。どちらも手に長い槍を握りしめている。
だが、彼らが武器を構える僅かな時間すら与えず、俺は接近して強烈なボディーブローを両者に叩き込んだ。どうやら俺の予想以上に薬の効果はテキメンだったらしく、
「ぐほっ!」
「がはっ!」
掠れるようなうめき声と共に、悪魔二匹はドサリと床に倒れ込む。その手から二つの槍を奪い、俺は振り向いて仲間達に声を掛けた。
「俺についてきて下さい!」
地下の廊下を進みつつ、通りがかり一室一室の様子を確認する。幸いな事に、俺達の荷物は前と同じ部屋に置かれていた。自身の剣を取り戻したセイーヌ以外の二名に槍を渡した後、階段を駆け上がる。一階へ到達すると、すぐさまシュバトゥルスの手下達に発見される。
「また脱走だ!」
「急げー!」
様々な叫びが飛び交う中、俺は先陣を切って悪魔達を素手で殴り倒していく。殆どの敵を一撃でノックアウトしていったので、外へと通じる扉まで到達するのに、さほど時間はかからなかった。
「てやあ!」
掛け声と共に全力のパンチを浴びせると、扉は木っ端微塵に砕け散り、外の景色が露わになる。どうやら捕まっている間に、時間帯は夜になっていたらしい。空の彼方には仄かに輝く月が顔を覗かせていた。
「さあ、早く脱出を!」
メファヴェルリーア、セイーヌ、アリーテと順調に館を出たところで、俺は再び館の中へと足を踏み入れる。
「ユート殿!?」
「どうして戻るんですかっ!?」
騎士と天使が、それぞれ困惑の声を上げる。それもその筈。作戦の段階では、館からの脱出口が見つかった後、全員でドーネルの屋敷まで逃走するという手筈になっていたからだ。彼に現状を伝え、場合によってはセイーヌを通してメデキア王国に助力を請う。それが元々の計画だった。
しかし、俺は最初から逃げ出すつもりはなかった。敢えて、その事を今まで黙っていたのだ。
「メファヴェルリーアさん達は予定通りドーネルさんの家に向かって、この事を知らせて下さい!」
「それじゃ……貴方はどうするのよ!」
「俺は薬の効き目が切れない内に、シュバトゥルスと戦ってきます! 少しくらいはアイツの邪魔が出来るかもしれない!」
「そんなの無茶ですよーっ!」
アリーテの叫びに返事する事なく、俺は振り返らずに走り始めたのだった。




