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「この声は……」
「まさか……」
血相を変えたセイーヌと俺が呟いたとほぼ同時、玄関ホールの天井にぶら下がる絢爛なシャンデリアの真下に暗黒の輝きが瞬いたかと思うと、次の瞬間には長身の男の姿が宙に浮かんでいた。邪悪な心をそのままに映したように感じられる漆黒の髪、氷のような冷たさを秘めた青き瞳、人ならざる者が持つ紫色の肌、そして力の強大さを物語るかのように広げられている悪魔の翼。その端正な顔には穏和な笑みが浮かべられているが、余裕すら感じられるその表情がかえって、剣を抜いて相対している俺の心に恐怖感を植え付けてくる。
そう。紛れもなく、奴だった。
「つつつつ、遂に来ましたね、澄まし顔!」
気が動転しているのか舌を噛みながら、それでもアリーテは威勢良く眼前の敵に人差し指をビシッと向ける。すると、彼――シュバトゥルスは虚を突かれたように目を見開いた後、また元の微笑を口元にたたえ、
「澄まし顔? 私の事かい?」
と、まるで友人と喋っているかのように気さくに口を開き、快活な笑い声を上げた。
「ハハハ、面白いあだ名をつけてくれたものだね、気に入ったよ。ありがとう」
「いえいえ、礼には及びません……って、そうやって暢気に構えていられるのも今のうちですよ!」
――こんな状況で一人ツッコミをやるのはある意味スゴいよな。
そんな事を頭の片隅で思いつつ、俺は啖呵を切った天使と相手の様子を伺っていた。少しでも不穏な気配があれば、すぐさま行動に移らなければならない。束を握る手先に、冷や汗が滲む。一方、アリーテは声高に叫び続けていた。
「貴方の腹心は既に裏切りました! これでこっちが断然有利な筈ですっ!」
「……ふむ、どうやらそのようだね」
小さく頷いたシュバトゥルスと、未だ声すら発せずに立ち尽くしているメファヴェルリーアの視線が、言葉を交わす事なくぶつかり合う。かつての味方と対峙した彼女の顔は元から紫色な筈であるのに、いっそう生気を失って青白くひきつっている。その全身が僅かに震えている事に気がつき、俺は息を呑んだ。
――メファヴェルリーアさんが、怯えている……?
この館に連行される際の一件で、本気を出した彼女がどれほど強いか、思い知らされた。あの彼女でさえ、目を合わせただけでここまでひどく動揺するのだ。相手の実力がどれほどのものか、戦わないうちから身に染みこまされた気分だった。
やがて、元部下へ向けていた視線を逸らし、シュバトゥルスは嘆かわしいとでもいうような大袈裟な溜息をついた。傍目にはひどく落ち込んでいるように見える。
だが。次の瞬間。
「けれど、さっきも言ったろう?」
凍てつくような声と共に、彼が俺達全員を見回す。悪魔の顔には、今までのそれとは打って変わった、冷たい嘲笑が浮かんでいた。
「こうなるだろうと思っていた、ってね」
そこで初めて、狼狽した様子のメファヴェルリーアが口を開いた。
「それじゃ……」
「ああ、そうさ。メファヴェルリーア、君が裏切るのは計算の内だったんだよ」
君は人間への情を未だ捨て切れていなかったみたいだったしね。彼は彼女を嘲るような口調で言葉を続ける。
「しばらく様子を見ていたが……やはり私の考えは正しかったようだ。保険を掛けといて正解だったよ」
「え……?」
彼の発言を聞いたメファヴェルリーアの紅い瞳に、戸惑いの色が浮かぶ。
「保険だと? どういう事だ」
セイーヌが鋭い語調で質問を飛ばす。シュバトゥルスは意味深な笑みを浮かべ、ゆっくりと右手をメファヴェルリーアに向けてかざすと、声高らかに告げた。
「こういう……事さ!」
刹那、どこからともなく瞬時に現れた青白き光の糸が、メファヴェルリーアの身体に巻き付いてその動きを封じた。そして、
「な、何よコレ……ぐうっ……きゃああああ!」
彼女の絶叫が、ホールに木霊する。全身に巻き付いた糸から、まるで電撃のような閃光が放出され、彼女に苦痛を与えているようだった。堪えられなくなったのか、彼女は力無く床に崩れ落ちる。
「メファヴェルリーアさんっ!」
慌てて俺は彼女に駆け寄り、苦しむ彼女を光の帯から助けだそうと試みた。だが、光の糸は剣でも切れず、しかし手で掴もうにも掴めない。俺が手を加えようとしても、まるですり抜けるようにかわされてしまうのだ。
「大丈夫ですかっ! しっかりして下さい!」
「く……魔力が……れて……!」
「な、何ですか!?」
必死の思いで呼びかけると、彼女は途切れ途切れに何か伝えようとする。
「魔力が……吸い取られて……!」
「魔力が、吸い取られる……?」
――それって、まさか。
彼女の言を耳にした途端、とある品の名前が脳裏によぎる。かつて、古代の強大な魔女によって作り出された、恐るべきアイテム。俺達がこの洋館までやって来た、その根元たる理由。
「さて……そろそろ仕上げといくかな」
そう呟いた彼が懐から取り出したのは、掌にすっぽりと収まるサイズの、妖しいほどに美しい透明な水晶だった。
――トルーミアの水晶。




