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「……え」
――恋?
思わぬ返答に、言葉を失う。そんな俺をチラリと見た後、老人は話の続きを語り始めた。
「その男は旅人でな。この屋敷にたどり着く者の例に漏れず、食べ物と宿に困っておった。いつもと同様、儂はその男に食事と寝床を提供したが、ずっとひもじい生活を続けていたのか、彼はひどく衰弱していた。そこでしばらく屋敷において、例の悪魔に介抱させる事にしたのじゃ。そして、男である儂の目から見ても、その青年は美麗な容姿をしていてな。着ているものこそボロボロで汚かったが、服装をちゃんとすれば一国の王子と称しても違和感がないくらい整った顔立ちをしておった。性格も控えめで礼儀正しくてな、好感のもてる良い若者じゃったよ。
そして、儂だけではなく悪魔もまた、彼の外見と人柄に惹かれた。恐らく、人間にそういった類の好意を抱いたのは彼女にとっても初の経験だったのじゃろうな。そして、青年の方もどうやら自身の世話を焼いている女の事を憎からず想い始めたようじゃった。楽しそうに会話を繰り広げる彼らを遠目から眺めていると、儂も心が和んだよ。
だが、仄かな恋心は同時に、彼女にどうしようもない葛藤をも与えてしまった。自らが悪魔である事を知れば男は自分を拒絶するかもしれない、とな。
思い悩んだ悪魔は儂に相談してきた。その話を聞き、儂も考え抜いた末、かの悪魔をこの場所へと案内したのだ。彼女へ一つの道を授けるために、の」
「この場所へ、って事は……」
「そう。お主の考えている通りじゃ」
俺の呟きにドーネルは小さく頷く。
「お主と同様に、その悪魔もまた、この地に宿る魔力を用い、精霊と交信した。『悪魔の姿を捨て人間になる』という自分の強き願いを叶える為に、の」
「……あれ? ちょっと待って下さい」
老人の説明に一つの疑問を覚え、俺は口を開いた。
「話に出てくる悪魔って、メファヴェルリーアさんの事ですよね。でも、彼女は確かに人に化けられますけど、普段は悪魔の姿じゃ」
「そう、それが儂の犯した間違いじゃった」
俺の言葉を遮り、悔やむように老人は表情を歪めた。その顔に刻まれた無数の皺がいっそう深くなっていく。
「すっかり、失念していた。だが、その時までは夢にも思っていなかったのじゃ。まさか、この地に宿る魔力が、精霊が認めた筈の清き願望を、完全に実現出来ないほどに弱まっていたとは」
「……あ」
この場所に来た際にドーネルから告げられた説明の事を思い出し、俺は自然と声を上げていた。一方、老人は沈んだ声色で再び口を開く。
「その悪魔が授かったのは『力をあまり消耗せずに人に化ける力』となった。しかし、本人にとってはささやかな違いだったのじゃろう。悪魔のそれとは全く別の美しさを秘めた、新しい自分の身体を目の当たりにしたその時、彼女はとても喜んでおったよ。
完全に回復した彼が旅立った後、儂は力の封印を解いて悪魔を解放した。そして恐らく、かの悪魔は精霊から授かった力を用いて人に化け、どこかの町で別人として青年に会い、そしてまたもや彼と恋に落ちたのだろう。
しばらくは、何の音沙汰もなかった。じゃが、あの日。かの悪魔がこの屋敷にやってきた。最初は顔でも見せに来たのだろうと思ったのじゃが、儂の推測は外れておった。あやつはその顔を怒りと悲しみに歪め、恨みのこもった眼差しを儂に向け、刺々しい声で青年とのその後を語り始めた。
どうやら、あやつは自分が青年を騙している事に罪悪感を覚え、自分が悪魔である事を彼に打ち明けたらしい。恐らく、種族の違いを補って余りある愛情が自分達の間には築けてあると思っていたのじゃろうな。だが、真実を知った青年は彼女を拒絶し、彼らは破局してしまった。
そして、儂にその事を荒々しく告げた後、かの悪魔は何処へと去っていった。その後の行方は分からなかったが、彼女らしき悪魔が再び悪さを始め、しかも妙な趣味に走っているらしい、と風の頼りに聞いたくらいかの」
儂の話は、ここまでじゃ。長い語りを終え、老人はゆっくりと息を吐く。一方、俺は強烈な衝撃を受けていた。
――まさか、メファヴェルリーアさんにそんな過去があったなんて。
「……それじゃあ、今度こそ宿に戻るとしよう。夜風は老いた身体には堪える」
「あ、まだ後一つだけ聞きたい事が」
「ん、何じゃ?」
「どうして、ドーネルさんがシュバトゥルスと戦わないんですか?」
メファヴェルリーアを捕まえて召使いにした等の話を聞く限りでは、彼がごく一般的な魔術師だとは到底思えなかった。だからこそ、彼自身が眼前の脅威に対して動かないのが不自然に感じられたのだ。
「……うむ、訊ねられるとは思っておったよ」
俺の問いを受け、老人はまるで独り言のように呟いた後、
「普通の人間には話せないが、勇者であるお主になら構わないじゃろう。ついてきなさい」
と、俺を手招きするような動作を見せた後、朝に入ってきたとはまた別の穴をくぐり、外に出ていった。




