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「つまり上手くいくかどうかは、この地にどれだけ精霊の魔力が残っているか、にかかっているんですね」
「それと、お主の気持ち次第じゃな」
――俺の、気持ち次第?
自然と首を傾けた俺に対し、ドーネルは解説を始める。
「かの精霊が力を授けるのは、断固たる『願望』をその身に宿している者だけじゃ。そして、その気持ちが強ければ強いほど、得られる力も強大なものとなる」
「なるほど、そういう事なんですか」
「それじゃあ、また後での」
「え? 一緒に残ってくれないんですか?」
踵を返し歩きだそうとした背中に声を掛けると、彼は頭だけ俺の方を向き、
「向こうも一対一の方が話しやすいじゃろう。それに、儂のせいでお主の気が散ってもいかんからの」
老人は最後にそう言い残し、穴をくぐって外に出ていってしまった。一人の岩の中にポツンと取り残され、俺は仄かな孤独感を覚える。
「えっと、とにかく適当に座って目を閉じていればいいんだよな」
独り言を呟きつつ、周囲を見回す。ちょうど近くに、苔の殆ど生えていない箇所があった。俺はその場所に歩いていき、腰を下ろす。背中を硬質な灰壁に委ねると、冷たい感触が服越しに伝わってくる。最初こそ瞑想の邪魔に感じられたが、俺の体温が接する岩に移っていくつれ、だんだんと気にならなくなった。
――それじゃ、始めるか。
深呼吸して呼吸を整えた後、俺は両目を閉じる。しばらくは何も起こらなかった。若草の匂い、花のそよぎ、枝葉の揺れ、獣の足音。鳥の羽ばたき、虫の鳴き声。自然の音色が微かな風に乗って、俺の周囲を満たしていく。
やがて、仄かな変化が起こり始めた。真っ暗な筈の視界に、不思議な光が広がり始めた。緑、赤、青、黄、茶、紫、紺、様々な色が溶け合うようにして絶えず移ろっている。その様を呆然と眺めているうち、今度はずっと耳にしていた音や声が聞こえなくなった。いや、それだけではない。匂いも、感触も、全てがいつの間にか分からなくなっている。
――何だよ、コレ。
思わずそう呟こうとしたが、口すらも動かない。目も開かなくなっていた。どうやら、声を発する事や周囲を確認する事すら封じられてしまったようだ。そして忽ち、自分の意識だけがすうっと身体から抜けてしまうような感覚に襲われる。異変は急激に俺の全身を蝕んでいった。正直な気持ち、瞑想が成功したのだろうという安堵より、自分がこれからどうなってしまうのかという不安の方が大きくなっていた。
そして。動揺の真っ直中にあった俺に対し、ふと誰かが呼びかけてくる。
「貴方は何を願い、そして何を望むのですか?」
その問いかけは女性のもののように感じられた。耳がきかなくなっている筈なのだが、まるで脳に直接語りかけているかのように、その声は明朗で聞き取りやすいものだった。
――もしかして、この声の主が例の精霊なのか?
思案に耽っているうち、先ほどと全く同一の質問が再度投げかけられる。
「貴方は何を願い、そして何を望むのですか?」
「俺は……」
もう、急に口がきけたからといって驚く事もなかった。ここは相手の作り出した一種の精神世界。そんな根拠のない確信があったのだ。
「俺が願うのは……望むのは……」
まず脳裏をよぎったのは、元の世界で培った思い出の数々だった。続いて、アリーテ、メファヴェルリーア、セイーヌ、シュバトゥルス、ドーネル。この世界にやって来て出会った人々の顔が、まるで走馬燈のように浮かんでは消えていく。そして、最後に現れたのは、現世で助けようとした少女。その姿を目の当たりにした時、俺の心は揺るぎなく定まった。
「俺は、助けを求めている人達を守りたい。そして、困っている人達に少しでも力を貸したいんだ」
「本当に、心の底からそう思っていますか? 他者からの干渉ではなく、自らの意志で」
「ああ」
俺はハッキリと首を縦に振る。強引にこの世界へと連れてこられた時は、確かに不満もあった。けれど、今は違う。俺に勇者としての資格があるのなら、その名にふさわしい人間になりたい。傷ついた人々の盾となり、助けを必要とする者に手を差し伸べられる、そんな勇者に。
そのための力が、欲しい。
「……分かりました」
謎の声が聞こえてくるのとほぼ同時、またもや奇妙な感覚を抱いた。俺の全身を温かい水のようなものが包んでいき、体内に不思議な活力が注ぎ込まれていくような、そんな感覚だ。そして、時間が立つにつれ、心地よい睡魔が押し寄せてくる。
「その地に残る、私の力はもう僅かです」
朦朧とする俺の頭に、再び彼女の声が響きわたる。
「そのため、貴方の抱いている願い、望みに見合った力を授ける事は出来ません。ですが、その志を忘れずに日々を暮らしていけば、自ずとその力は増していくでしょう」
決して忘れないで下さい。気を失う直前、精霊と思しき声の主は、確かにそう俺に語りかけていた。
「今の貴方が抱いている、その強き想いを」




