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――トルーミアの水晶。
語感からして、何かいわくがあるのだろう事は想像に難くなかったが、この世界に来てまだ間もない俺の知識内にその名は存在しなかった。
「いえ、俺は知らないです」
俺は正直に老人の質問に答える。セイーヌもまた、
「私も聞いた事がないな……」
と、少し曲げた人差し指を顎に当てて呟いていた。アリーテはというと、高速で頭を横にブルブルと振りまくっている。動作に釣られ、目映い金髪もまたゆさゆさと激しく揺らめいている。もうツッコミを入れるのも疲れた。
「ならば、その品についての昔話をまずせねばな」
そう前置きしてドーネルが語ったのは、まるでおとぎ話のような物語だった。
かつて、トルーミアという名の美しき魔女がこの大陸に住んでいた。彼女は強大な魔力を持ち、貧しい者にも進んで救済の手を差し伸べていたために、人々からも尊敬の念を集める存在だった。だが、彼女の本性は野望高き人物であった。善良な女性の仮面を被る傍ら、裏では世界を自らの手中に収める準備を着々と進めていたのだ。
そして、トルーミアは遂に大陸の征服に乗り出した。彼女の作り出した魔物の大群は瞬く間に沢山の町を蹂躙した。その勢力は一時期、大陸の半分をも支配するほどだったのだ。
だが、絶望と恐怖に打ちひしがれる人々の下に、一筋の希望がやってきた。神によって遣わされた勇者が、その従者である天使と共に大陸へとやってきたのだ。勇者の力と、戦う気持ちを取り戻した人々によって、トルーミアの軍勢は次第に押し返されていき、終いには彼女を一つの城まで追いつめる事に成功した。
最後の戦い。城へと乗り込んだ勇者とトルーミアが繰り広げた三日三晩にも及ぶ激闘の末、幾多の悲劇と殺戮を起こした魔女は、誇り高き英雄の奮った虹色の刃によって敗北したのだった。だが、彼女の死体は結局、城の中のどこにも見つからなかったのだという。
話を最後まで聞き終えた後、俺は物語の余韻に浸りながら口を開いた。
「……驚きました。こんな話が実際にあったなんて」
「少しは脚色があると思う」
即答したドーネルの前で、俺達は座ったまま盛大にずっこけた。
「ここまで話しといて誇張アリなんですかっ!?」
案の定、アリーテが両手をグッと握りしめて甲高い叫び声を上げる。
「そりゃ、儂も文献でしか事実を確認出来ないからの」
老人は苦笑しつつ肩を竦めた。
「幾ら何でも、三日間眠らずに戦ったとは、流石に信じられんじゃろ?」
なるほど。それは確かに正論だ。心の中で納得しているうち、セイーヌが眉を潜めながら言う。
「しかし、さっきの話を聞く限り、水晶なんて言葉は欠片も出ていなかったように思いますが」
「ああ、トルーミアの物語はこれで終わりというわけではないのじゃよ」
コホンと一息ついた後、ドーネルは再び語り始めた。
トルーミアの脅威は去ったが、とある危険な品が城の中に残されていた。それは掌にすっぽりと収まるサイズの透明な水晶だった。トルーミアはその品に禁断の魔術を用いてとある仕掛けを施したのだ。後世に伝えられている限りでは、その水晶は膨大な魔力を取り込む力を帯びているのだそうだ。そして、水晶に蓄えた魔力を放出すれば、その量に応じてたちまち強大な破壊をもたらす事が出来るのだという。一説によると、最大限にまで魔力を注げば、大陸を消し飛ばせるほどの威力が出せるとの事らしい。
トルーミアはどうやら、その水晶を大陸制覇の切り札とする予定だったらしい。彼女は手下を使い、大陸中のありとあらゆる場所から魔力の秘められた物品を城へと運ばせた。時には生きた魔法生物からそのまま魔力を抽出しようとも試みた。だが、水晶は極めて純粋な魔力しか蓄える事が出来なかった。恐らく、トルーミアの使用した魔術の限界だったのだろう。その事が災いしてか、水晶に十分な魔力が集まる事なく、彼女は切り札を使えないまま敗れてしまったというわけだ。
トルーミアの水晶はしばらくの間、勇者と親交の深かった王国の城に厳重な警備体制で保管されたらしい。しかし、その王国が崩壊した時、その混乱に乗じて、何者かがそれを持ち去ってしまった。ある時はトルーミアと同じく野望高き魔女が、ある時は真の価値に気づかぬ盗人が、ある時はその異様な美しさに見惚れた大貴族が。持ち主は転々としていき、やがてその行方は誰にも分からなくなってしまったのだという。
「……もしかして、シュバトゥルスの計画って」
「うむ、お主の考えている通りだ」
嫌な予感が脳裏をよぎった俺の言葉に、ドーネルは深刻な面持ちで頷いた。
「どうやってかは知らんが、あやつはトルーミアの水晶を手に入れ、その力を用いてこの地を支配、もしくは壊そうとしている」
「それで、魔力補給のポーションとかを盗んでいたわけか……」
セイーヌが独り言のように呟く。ドーネルの解説を信じるなら、水晶は純粋な魔力しか受け付けない筈だ。となると、彼らがそういった種の薬を集めていた事にも納得がいく。
「それでドーネルさんは、シュバトゥルスの計画を阻止しようとしているわけですねっ」
「……うむ、平たく言えばそういう事になるかの」
アリーテの問いかけに彼が答えるまで、何故か不自然な間があった。おや、と思って俺は老人の顔を見つめる。すると、顔を俯けたドーネルは、か細く聞き取りにくい声量でボソリと呟いた。
「……気がかりな奴もいるのでな」




