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「あのー、藍原ユウトさーん。起きて下さーい」
誰かが自分を呼ぶ声が聞こえてきて、俺はゆっくりと重い瞼を開いた。
「うわっ……」
瞬間、寝起きの視界に明るい光が差し込み、とっさに顔を左手で庇う。徐々に目が慣れていくにつれ、この眩しさの原因が、青空高く昇っている太陽なのだと分かった。
そして、今の自分がどんな場所にいるのかも。呼び掛けてきた者の正体も。
「あっ! やっと起きましたね!」
俺が目を覚ました事に気がついた相手が、嬉しそうに言った。一方、俺の方はというと。話しかけてくる相手の非現実な姿を目の当たりにし、驚きから目を見開く。
――いや、落ち着け。取りあえず現在の状況を整理しよう。
まず、俺はあの自分勝手な女神によってこの場所へ飛ばされた。そしてここは、緑生い茂る大草原のど真ん中。俺は柔らかい草々の上で仰向けに倒れている。
それで、問題は。膝を折ってこちらを覗きこんでいる、このヘンテコリンな奴である。
俺は上半身をゆっくりと起こしながら、眉を潜めつつ訊ねた。
「……それ、コスプレか?」
目の前の相手は何とも奇妙な姿をしていた。とはいっても、見るからに人外の恐ろしい化け物だった、というわけではない。まず、パッと見では普通の女性に見える。身長は俺より低いが、年齢は恐らく同じくらいだろう。黄色い目は大きくパッチリとしていて、とても愛嬌のある顔立ちをしている。腰まで伸びている金髪は太陽の日差しを受け、綺麗に輝いていた。正直、可愛いと思ったのは内緒だ。体つきもほっそりとしていて、普通の姿で高校に通っていれば、行動力のある男子の二、三人くらいはラブレターを送っている事だろう。
その華奢な体に纏っているのは神々しい光を帯びた白い服で、それ自体には何も不思議な事はないのだが、問題はその背中側だった。その衣装は後ろ側がぱっくりと空いていて、その白く美しい素肌が露出しているのだが、驚くべき事に、そこから二枚の白い羽が飛び出しているのである。その大きさは相手の腰から肩までくらいだろうか。そして、履いているのは純白の靴。
――天使。
まさに、そう形容するにふさわしいような、そんな姿だった。
「コスプレじゃないですよっ」
半ば現実逃避の質問を、彼女はあっさりと否定した。
「これは本物です」
ほら、と彼女は羽をバサバサと動かす。なるほど、確かにその付け根にはテープなどの類は微塵も見られなかった。
「じゃあ、お前は」
呆然として呟くように言った俺に対し、
「あれ? もしかして、まだ寝ぼけてるんですか?」
と、彼女は愛らしく首を傾げた後、人差し指を天に向けて語り始めた。
「えっとですね、確認の為に一応伝えておきますけど。貴方、藍原ユウトさんは自分の世界で女の子を助けようとして命を落としました。そして私の上司、つまりこの世界の女神様により、勇者としてこの地上に送られたんです」
「……う」
彼女の説明を受け、非現実な体験の連続ですっかり忘れていた記憶が鮮明に甦り、俺は苦痛から顔を歪めた。家族にも友人にも、もう二度と会えないのだ。しかし、そんな俺の様子にも気づいていないらしい彼女は得意げな調子で言葉を続ける。
「そして、勇者である貴方をお助けする為に遣わされた天使、それが私なんですよ!」
「俺を……助ける?」
心の痛みを紛らわそうと、俺は立ち上がりながら彼女に問いかける。彼女も俺に倣って起立すると、
「はい!」
と、元気よく返事をして、くるりと一回転をした。彼女の動作に合わせ、ふわりと金髪が宙に舞う。その可憐な美しさに俺は思わず見とれてしまい、心中に秘めていた悲しみが少しだけ安らいだ。再び向かい合った彼女に、俺は親しみを抱きつつ訊ねる。少し子供っぽい印象は受けるが、少なくとも悪い人間、もとい天使には見えなかった。
「お前、名前は何ていうんだ?」
「アリテシカといいます」
彼女はハキハキとした調子で俺の質問に答え、芝居がかった動作で自身を指し示すと、
「『聖なる光を身に纏う美少女天使・アリテシカ』とお呼び下さい」
「いや、自分で美少女とか言うなよ」
「むっ。何か文句でもあるんですか。こう見えても私、バリバリな実力派なんですよっ」
「別にそういう事は関係ないだろ……あ」
と、俺は自分をこの世界へ強引に飛ばした女神の言葉を思い出す。
「そういえば、あの神様って『修行中の天使を一名』とか言ってたけど」
ギクリとでも言うように、アリテシカの肩が震えた。
「ななな、何言ってるんですかっ」
どう考えても動揺している口振りで彼女は言った。
「これ以上ないくらい、私は思う存分、現役を謳歌しています」
「言葉使い、滅茶苦茶じゃねえか。やっぱり修行中なんだろ」
「修行中じゃないですよ。見習いなだけです」
「同じような意味だろ!」
「漢字が違います!」
「なんで天使が漢字知ってんだよ……って、あれ?」
この時。俺は一つ、奇妙な事に気がついた。
「アリテシカ、どうしてお前と俺、言葉が通じてるんだ?」