6
――え?
予想外の展開に驚いている間に、セイーヌは盛大な音を立てて後方の木に激突し、そのまま力無く地面に倒れてしまった。その目はまるで漫画のようにグルグルと回っていて、彼女が戦闘不能に陥った事を明確に示している。
しかし、まさかセイーヌがたった一撃でやられてしまうとは思わなかった。絶句してしまったと同時に、ある推測が脳裏をよぎる。
――もしかして、セイーヌさんってあんまり強くないんじゃ。
よくよく考えると、激突する前の動作も何となくぎこちなかった気がする。
「ユ、ユートさんっ! どうしましょう!?」
アリーテの呼び掛けで、俺は我に返った。見ると、第一の敵を早くも破った猿人は、次の狙いを俺達に定めている。明らかに襲ってくる気満々だ。こちらは残り二名。しかし、そのうち一人、いや一羽はお世辞にも戦力とは言い難い。
――となれば、俺が頑張るしかないのであって。
「……アリーテは下がってろ!」
俺は自らの剣を抜き、猿人との戦闘に突入したのだった。
エンカウントから、数十分後。
「わわ……酷い傷です」
地面に座る俺の目の前にしゃがみ、薬の染み込んだ布を手に握るアリーテが、俺の体を見回した後、呆然とした口調で言った。
「まあ、勝てただけでも良しだ」
返答しつつ、俺は切れて出血中の唇を舐める。途端、舌の上に鉄と塩気の入り交じった味が広がった。
「すみません、私がお役に立てれば良かったんですけど」
「別に気にするなよ」
柄にもなくシュンとしている天使を宥めつつ、
「それより、手当を早く頼む」
「あっ、そうでした」
ハッとした様子のアリーテは、
「えい!」
と、勢いよく布を首筋の傷口に押し当てる。途端、全神経が逆立つような電流が体中を駆け巡った。俺は歯を食いしばって、その激痛に耐える。
「アリーテ、もう少し優しくやってくれ」
「わわっ! ごめんなさいっ!」
そんなこんなで傷の治療も済み、俺はゆっくりと息を吐きながら、辺りを見回す。襲撃者との戦いで、周囲の木々もまた沢山の傷を負っていた。尤も、それらを斬りつけてしまったのは、剣の扱いに不慣れな俺だったのだが。また、土や草には夥しい血痕もこびりついていた。ただ、敵の死体は無い。何度もガムシャラに剣を振っているうち、奇跡的に刃が猿人の肩に命中し、相手は苦痛に顔を歪めながら逃げていったのだった。
「……あの」
回想に耽っていた俺は、天使とはまた別の声を聞き顔を上げる。銀髪の女騎士が、申し訳なさそうな表情で俺の前に立っていた。
「本当に済まない。全く役に立てなくて」
「いや、そんな……」
言葉を濁してしまったが、すぐに思い直す。これは生死に直結する問題だ。気は引けるものの、しっかり確認しておかなければならない。だが、どう切り出していいか分からず悩んでいると、やがて彼女の方から、
「……私は、未熟な騎士なんだ」
と、言の葉一つ一つを洩らすように話し出した。
「実をいうと、属していた部隊も、そういう者達の寄せ集めだったんだ」
「確か、九十」
「第九十六騎士隊だ」
よくよく考えてみれば、九十六という数字は百番台にも近い。それだけ騎士隊の中で、優先順位が低かったのだろう。言い方は悪いが、俗にいう落ちこぼれ集団というやつなのかもしれないと思った。無論、口が裂けても本人に告げられないが。
「もっと早く伝えるべきだったんだが、どうしても言えなかったんだ……頼られて、嬉しかったから」
暗い表情で謝ってくる彼女を見て、俺の心中に重い罪悪感が広がっていく。特に、最後の言葉が胸に刺さった。彼女はきっと、俺達の中で年長であるという事に、責任も感じていたに違いない。騎士隊同士の交流でも、数々の辛酸を舐めてきたのだろう。言葉を掛けようにも、その言葉自体が見つからなかった。下手な同情や励ましは、彼女の心を更に傷つけ、古傷を抉る結果に繋がってしまうだろう。
――なら、どうすればいい?
口にするべき文章に悩み続けているうち、辺りが暗くなったような気がして、頭上にに目をやる。晴れ渡っていた空にいつの間にか雲がかかり、枝葉の間から差し込む僅かな日光すら奪っていたのだ。偶然といえばそれまでだが、何だか俺とセイーヌの心境を代弁しているような気がして、更に胃袋がひどく落ち込んでいく。
「まあ、別にいいじゃないですか」
彼女のあっけんからんとした声が響きわたった、まさにその瞬間。暖かい日差しが、俺達を照らし出した。
「私達みーんな、似た者同士ですし。これも何かの縁ですよっ」
人差し指を天に向け、アリーテは相変わらずの得意げな口調で話し出す。
「私も、セイーヌさんも、ユートさんも。まだまだ足りないトコだらけですけど、その分、これから成長していけば良いんですし」
「これから、成長……」
天使の口にした言葉を、騎士は繰り返し呟く。アリーテはおもいっきり首を縦に振って、
「はいっ!」
と、元気よく叫んだ。
――こういうところは、コイツの長所だよな。
心の中で呟いた途端、俺の口元は自然と笑っていた。ポジティブというか、脳天気というか。この天使が紡ぐ裏表のない正直な声は、何だか、人を和ます不思議な力を持っているような気がする。聞いているこちらも、素直な言葉を吐き出したくなるような。
だから、思わず口に出してしまっていた。
「ま、なかなか面白いパーティだよな」
戦いに不慣れな転生勇者。唯一の魔法が普段全く使い物にならない天使。雰囲気に実力の伴っていない騎士。ロールプレイングゲームで例えるなら、全員がレベル一のようなものだと思った。
――ザ・半人前パーティ。
ふと、そんな言葉が思い浮かんだ。
「……そうだな」
いつの間にか、セイーヌは憑き物の取れたような、爽やかな微笑みを浮かべていた。彼女に似つかわしいような、表情だった。
「よし、それじゃ」
皆の気分も晴れやかになった事だし、と俺は声を張り上げた。
「そろそろ、出発するか!」




