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翌朝。朝食を終えた俺達は、再びネメラ山へ向けて歩き始める。とはいえ、肝心の山頂は見えているし、道だってずっと登り調子なのだから、実質既に登山中のようなものだ。目的地に近づくにつれ傾斜は急になっていき、地面には大小様々な岩や転び石が目立ってくる。
「セイーヌさん、足下には気をつけて下さいねっ」
ぴょんぴょんと小刻みにジャンプしつつ、アリーテが前をいく騎士に明るく声を掛けた。ちなみに隊列は前からセイーヌ、俺、アリーテの順番だ。そんなに距離が離れているわけでもないから、自然と二人の動きは俺の視界に入ってくる。
「また、いつバナナの皮が落ちてるか分かりませんからっ」
すると彼女は頬を紅潮させ、ゴホンと盛大な咳払いをした後、
「べ、別に私はアレを踏んで転んだわけじゃないぞ」
と、勝手に弁明を始めた。
「厄介な敵に襲われてだな、何とか退けたものの、私は満身創痍となって力尽き」
「あれっ。私、セイーヌさんがバナナの皮を踏んで転んだなんて言ってませんよっ」
「う、それは」
ギクッとしたように、前に進む彼女の体が一瞬仰け反る。俺は深い溜息と共に、天使の頭を軽くはたいた。途端、
「ふにゃっ」
という、何ともふぬけた叫びが洩れる。
「ユートさん、ヒドいですよ。いたいけな女の子の頭を強烈に殴りつけるなんて、勇者にあるまじき非道ですっ」
「お前がセイーヌさんをからかうからだ」
「からかうような気持ちなんて、半分くらいしか無かったですよぅ」
「半分はあったんじゃねえか」
「もう半分は愛情です」
「嘘だろ」
「ジョークです」
俺は彼女の頭をもう一度はたいた後、前を向いた。後ろから、うわああん、という盛大な泣き声と共に恨み節が耳に届いてくるものの、断固として無視する。少しだけ足早に進んだ事で、セイーヌと並ぶような位置になった。なびく長髪と同じ銀色の鎧を纏った長身の彼女は歩き姿も堂々としていて、まさに百戦錬磨の戦士といった雰囲気がある。俺は彼女にフォローの意味も含めて話しかけた。
「でも、セイーヌさんが一緒に来てくれて本当に頼もしいですよ。俺は獣を追い払えるくらいがやっとですし、アリーテが扱う魔法も野生動物とかには効かなくて。戦い慣れた現役の騎士が同行してくれてると思うと安心感が全く違いま……セイーヌさん?」
相手の様子がおかしいように思え、俺は心配から呼びかける。俺の話を聞くうち、セイーヌの表情がだんだんと強ばっていくように感じられたのだ。
「ん、ああ」
名前を呼ばれて我に返った様子の彼女は小さく肩を竦め、
「少し、考え事をしていてな」
と、外見に違わない落ち着いた調子で言う。
「あーっ!」
突然、後方から耳をつんざくかのような叫び声が上がり、俺は思わず飛び上がりそうになった。足を止め、驚きを与えた張本人に振り向く。
「おい、いきなり大声出すなよ」
「そこそこ、そこ見て下さいっ!」
尋常ではない様子で前を示すアリーテの指先を、俺は追う。そして、おや、と心の中で呟いた。とある物体が地面の上に落ちていたのだ。俺は近づき、その黄色い抜け殻をつまみ上げる。
「ここにも落ちてるのか、バナナの皮」
「でも、おかしくないですかっ?」
口元に手を当てたセイーヌが、考え込みながらも言の葉を発する。
「そうだな……この近辺にバナナの木なんて見当たらないし、奇妙といえば奇妙だ」
「農園があるとも思えませんしね」
立地が悪すぎるし、何より人を今まで全く見かけていないのだ。そういった線は考えにくい。
「不思議ですよね」
アリーテが首を傾けて言った、まさにその時。先ほどよりも強烈な衝撃が俺を襲った。獣の低い砲哮が聞こえてきたのだ。続いて、何かが駆け下ってくるような足音。俺達は慌てて周囲を見回す。
「なになに、何なんですかっ!?」
「俺にも分からねえよ!」
そして、パニックになる俺達の正面に、ソレは姿を現した。人間のような体つきに、顔以外を覆う茶色い体毛。一見してアレを連想した俺は、呆然と呟く。
「……猿人?」
そう、まさに相手は、猿のような人間のような、そんな姿をしていたのだ。そして、その表情は険しく、敵意丸だしである。
「い、い、い」
アリーテは歯をガチガチ震わせながら、
「今にも襲ってこようとしてません?」
俺はとっさに考える。この状況、戦闘が避けられないとなれば、最善なのは。
「セイーヌさん、頼みます!」
俺がそう告げると、ずっと沈黙を保っていた銀の騎士が、驚いたように目を丸くする。
「わ、私か?」
「はい!」
俺は力強く頷いて、
「俺もアリーテも戦いは素人なので、一緒にいると足を引っ張ってしまいますから! 俺達は下がっています!」
俺の説明を聞き、セイーヌは何故か身を硬直させていたが、やがて、
「わ、分かった!」
と、腰につけている鞘から剣を抜き、眼前に構え、既に戦闘態勢に入っている猿人と対峙する。次の瞬間。猿人はもの凄い唸り声と共にセイーヌへ走り出した。彼女もまた剣を構えたまま、前方へとダッシュする。
そして、両者の体が遂に交差したかと思うと、
「ぐあーっ!」
猿人の強烈なパンチを食らったセイーヌは、その容貌に似つかわしくない情けなさ溢れる叫び声と共に、勢いよく後ろへと吹っ飛んでいった。




