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初めに感じたのは、体中を包むような温もりだった。
「……ん」
意識を取り戻した俺はぼんやりと目を開き、そして驚愕した。
「どこだよ、ここ」
動揺しつつも、辺りを見渡す。俺の周囲は摩訶不思議な空間となっていて、右も左も目映い白光で埋め尽くされている。ふと足下を見やると、そこにも地面などというものは存在しておらず、光があるのみ。俺はようやく、自分の身体が宙に浮いているのだと気づいた。
――俺、確か死んだんじゃ。
「お目覚めのようですね」
こめかみに手をやり、非現実的な状況を受け混乱中の記憶を整理していると、急に女性の声が耳に入ってくる。まるで、頭に直接語りかけてくるような、不思議な感じがした。その時、ある事に思い当たり、俺はこの不思議な現象の正体を察する。途端、安堵の笑いが自然と洩れてきた。
「ああ、これはきっと夢なんだな」
そう。恐らく現実の自分は重傷ながらも一命を取り留めていて、今は気を失っているのだ。だから、俺はこうやって奇妙な夢を見ているのだろう。
「違いますよ」
冷徹なまでに感情のこもっていない女性の声が、再び聞こえてきた。
「現実世界の貴方は、既に死んでいます」
「……な」
残酷な言葉を突きつけられて、俺は絶句する。いや、これもただの悪夢に過ぎないのかもしれない。本物の身体が耐え難い苦痛を味わっているから、その影響で。
「信じられないのも無理はないでしょう。しかし、これがただの夢だと本気で思えますか?」
「そ、それは……」
心の中を見透かされるような言葉を投げかけられ、俺は動揺する。夢だと思うには、あまりに現実感がありすぎるのだ。
――それじゃあ、本当に。
ついこの前まで続いていた筈の日常は、永遠に戻ってこない。
「じゃあ、お前は誰なんだよ」
心の乱れをかき消すように、俺は姿の見えない声の主に叫ぶ。
「私は神です」
あっさり彼女は答えた。
「尤も、貴方の住む世界とはまた別の世界を担当している者ですが」
「神……?」
あまりに突拍子な回答に、俺は戸惑う。だが、困惑以上に強い、一つの疑念が首をもたげ、それは俺の口から自ずと飛び出していった。
「じゃあ、何でその別の世界の神様とやらが、他の世界で死んだ俺と話したりなんかしてるんだよ」
「貴方に頼みがあるからです」
「頼み?」
「はい。私の作り上げた世界は今、心の腐敗や魔物の増殖によって危機に瀕しています。そこで、貴方には勇者となり、私の世界をより良い方向へと導いてほしいのです」
「何でだよ! 俺には関係ねえよ!」
話を聞き終えた俺は、怒りから叫んでいた。
「勇者だか何だか知らねえけどよ! アンタの世界の人間に頼めばいいじゃねえか! どうして俺を巻き込むんだよ!」
ただでさえ、様々な思いが大きな渦となって心の中を強く揺さぶっているというのに。他の世界の心配なんて出来る余裕なぞ、持てる筈もなかった。
一時の沈黙の後、女神が淡々とした口調で言った。
「そうですね、その返答は予想していました」
ですが、と彼女は若干語気を強めつつ、
「様々な面から考えて、これが最善の方法なのです。貴方を勇者として選んだ理由は、貴方の魂が消失しても、元の世界に殆ど悪影響を及ぼさないからです。偶然、そういった状況にあった魂達の中で、私の求める役割を遂行出来そうな存在が貴方だけだった、というわけです」
――貴方の魂が消失しても、元の世界に殆ど悪影響を及ぼさないから。
この文章が暗に示している意味を察し、俺の拳は自然と強く握りしめられていた。
「ですが、勿論タダで、というわけではありません」
俺の腸が煮えくり返っている事を知ってか知らずか、女神は平然とした調子で言葉を続ける。
「先ほど伝えた通り、私の世界には貴方が元々住んでいた世界とは異なり、人の命を脅かす強力な魔物が存在しています。戦いに不慣れな貴方だけでは、あまりに危険すぎる旅路となるでしょうし、証拠も無ければ人々も貴方の事を勇者とは認めないでしょう。そこで、私の下で修行中の天使を一名、貴方に遣わします。また、勇者として悪しき者と渡り合える強大な力を一つ貴方に授けましょう」
途端、光の靄が出現し、俺の周囲に漂い始めた。体内に異物が入り込んでくるような感覚に襲われ動揺するも、俺は女神に質問する。
「おい、その強大な力って何だよ」
「それは世界に降り立ってから、貴方につけた天使から説明を受けて下さい。それでは、貴方の幸運を祈っていますよ」
女神の声が聞こえてくると同時に、俺の身体は先ほどのそれよりも強い輝きを持った光に包まれていく。
「ちょっと待て! 俺はまだ引き受けると言ったわけじゃ……うわっ!」
だが、叫んでいた途中、俺は目には見えない力に引っ張られ、猛スピードでどこかへと連れ去られていく。先ほどまで俺がいた光の空間は跡形もなく消え去り、何とも形容し難い奇妙な光景が高速で過ぎ去っていく。
やがて、身体を襲う強力な加速に耐えきれず、俺は気を失った。