鏡の向こう
小さな灰色でオーシャンブルーの瞳をした猫が、箱根の山の中で、湖に近い傾斜のある森の中の穴蔵を寝床にしてひっそりと暮らしている。
彼は様々な旅館の場所を知っていて、どこかの旅館にいると旅館の職員や観光客が時々餌をくれるので、まだ2歳くらいだった時に母猫とはぐれてしまってからずっとそれでなんとか空腹を凌いで一匹で生活している。
お腹が一杯の時は、空腹のときに備えて餌を蔵の中にしばらくの間保存しておくことがあるが、腐った餌が置いてあるということはない。
そのノラ猫は釣った魚を分けてもらおうと、湖で魚釣りをしているおじさんたちが集っている場所にやってきた。そこで2匹ほど魚をもらって食した後、どこかいい寝床はないかと歩き回っていると、猫は湖に近い林の奥の方にあった人の気配のない一軒家の縁側のところに気持ち良さそうな日が差し込んでいるのを見つけた。
猫はその縁側手前の庭にてくてく歩いて行きひょいっと縁側に乗っかった。
なにか眩しいなと思うと、彼はそれが縁側に反射した太陽光を落としている鏡台の鏡であることに気が付いた。
彼は縁側のさらに奥の方へ進み、鏡を覗いた。
すると、そこに映っていたのは
自分をそっくりだが、自分の全くやる気のない感じの少し座った目をしておらず、やさぐれた雰囲気のしない、目の少しくりっとした甘えん坊そうな黄色の瞳をした黒猫が映っていた。
彼は鏡を鏡と認識できずにその猫が自分の動きと全く同じ動きをするというのにその猫を今まさに自分の近くにいる猫だと勘違いしたのであった。そして猫語で親しげに語りかけた。
「君は誰??僕はこの辺りで一人住まいをしているノラ猫」
「僕はここで飼われてる。でももともとはノラ猫だったんだ」
黒猫は赤い首輪をつけていた。
鏡の向こうの黒猫が自分と同じ動きをしているのに返事をしたことに彼は気が付かないまま。
相手側が気になって黒猫の方に近寄ろうとすると、彼は頭を鏡の面に衝突させてしまった。
「なんだ、鏡じゃないか。これは一体どういうことなんだい?」
「僕もノラ猫をしていたんだけど、ある日突然こんなことになってしまったんだ」
すると、黒猫の横に水色の首輪をつけたアーモンド形の水色の瞳をした白猫が現れた。
「私もだよ」
「こんにちは、君は誰だい?」
「私はリリーっていうの」
(あ~~~!僕も彼女欲しいな)
「美猫」の枠に入るなと思った彼は黒猫に対する嫉妬心を抱かずにはいられなかった。
それだけ言うと、白猫は鏡の範囲内から消えてしまった。
そうしているうちに鏡には自分の姿と自分のいる場所を映すのでしかない場所へと変わって行った。
いつの間にか鏡から太陽光は反射されなくなり、彼が縁側でひなたぼっこを始めた。
そうして彼が目を覚ましてゆっくりと瞳を開けると、そばに白髪の髪をひとくくりにしたおばあさんがメガネをかけて新聞を読んでいた。
透明がかっていたため、「おばあさん幽霊?」と猫は声をかけたが、
相手に伝わらず、ただ親しげな眼で楽しそうにまじまじとこちらを見ているだけなのであった。