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よくあるお話

幸いの日

作者: 松島深冬



 世によくある話で御座います。


 「幸世」という名が憐れに思える娘が居りました。家柄はとても良いので綺麗な仕立ての良い着物を着せられているのですが、父母はおろか使用人にまで幸世はひどく蔑まれて居たので御座います。

 一人娘の父親ならば、目に入れても痛くはない、と言う程に可愛がるものではないかと思いもするのに、幸世の父は全くの無関心。近付こうものなら罵声を浴びせる始末。

 一人娘の母親ならば、人形の様に飾り立てたり、あれやこれやと世話を焼いたりするものではないかと思いもするのに、これまた幸世の母は父同様に無関心。構って欲しさにした可愛らしい悪戯に、般若の様な形相で平手で頬を打ち、窓も無い仕置き部屋に半日閉じ込めた事もありました。

 ただ住まわせ、食べさせ、着せて……実の娘にしてはあんまりな仕打ちを幸世は十四のこの歳まで受けて来たので御座います。けれど、「望まれない子」としてこの世に生を受けた訳では決して無いのです。幸世が物心つく頃までは、ごく普通の優しい父母であったのですから。幸世の幼い頃の記憶の父は、幸世をいとおしげに抱き上げ頬ずりをしたりして下さいました。母は、綺麗な蝶の細工がついた櫛で髪をすいてくれたり、あやとりやお手玉をして遊んで下さいました。父母の幸世を可愛がる様は、今は軍人になり戦地に赴いている兄の優一郎がやきもちを焼く程でありました。

 それがどうでしょう。まるで、中身を入れ替えられてしまったかの様に一変してしまったのです。父は幸世に触れる事もなくなりました。母は事ある毎に幸世に辛く当る様になりました。その理由は何も解らず仕舞。問い掛けても答えなど貰えず、ただただ父母等からの責めに堪えながらも幸世は「いつかあの優しい父母に戻ってくれるのでは……」という、いつ来るとも知れぬ淡い思いを胸に抱いて生きて居りました。


 そんなある日。一人の美しい娘が家にやってまいりました。母の姉の娘、幸世のふたつ年嵩の従姉の麻里絵で御座います。

「私の事、覚えているかしら?幸世ちゃんはまだ小さかったから」

 にっこりと笑い掛ける綺麗な麻里絵に、つられた様に微笑みかけると「幸世!」と母の鋭い声が飛びました。 ビクッと身を縮める幸世を一瞥すると「さ、お部屋へ案内しますよ」と麻里絵の背を押しました。

「え……あの、叔母様……?」

 訳が解らずただきょとんとする麻里絵に廊下を先だって行きながら云いました。

「幸世には優しい言葉をかけないで頂戴」

「どうしてです?」

「どうしてもです。……そのうち話します」

 それからほどなくしてひとつの部屋の襖を開けると優しい顔で麻里絵を振り返りました。

「さ、ここが貴方のお部屋です。荷物は運び入れてありますから。食事まで休んでおいでなさいな」

 そう云うとすぐさま廊下の向こうに消えてしまいました。訳が解らず、呆然とたたずむ麻里絵を残し。麻里絵は用意された部屋で荷物を整理しながら、昔初めて顔をあわせた頃の幸世を思い浮かべておりました。優しい叔父と叔母、そして幸せそうな小さい幸世を。先程見た幸世は小さい頃の面影を残しつつ美しく成長して居りましたが、あの頃とは打って変わった様に影のある、寂しそうな顔をしておりました。そしてあの叔母の態度にも驚愕せずにはいられません。

 麻里絵は首をかしげるばかり。その時。

「失礼致します」

「はい?」

 すっと襖が開くと雰囲気の良い、歳の頃は麻里絵と同じくらいの小間使いの娘が姿を現しました。

「奥様から麻里絵さまのお世話を言いつかりました、多恵と申します。御用が御座いましたらなんなりと」

「いえ、今は別に……あ……少し、教えて戴けないかしら?」

「なんでしょう?」

「叔母は何故幸世ちゃんにあの様な?」

 多恵は、あっ、と云う様に口元に手を当てると目を伏せたのです。

「私がここでお世話になり始めた頃はもう……なんでも数年前から急に奥様も旦那様も人が変わられた様にお嬢様にきつく当られているそうです。私共もお嬢様と言葉を交わす事を固く禁じられているのです」

 気の毒でなりません、と云う多恵を見て、叔母叔父の徹底した幸世への態度が伺い知れた。

「優一郎さんが戦地へ赴いている今、一人娘の幸世ちゃんを大事に慈しみこそすれ……何故なのかしら」

 麻里絵にはどうにも理不尽に思えてなりませんでした。


「幸世ちゃん」

「……え?……麻里絵お姉様!」

 麻里絵は多恵に無理を言って幸世の部屋の場所を聞き、こっそりと忍んで来たので御座いました。

「ふふ、幼い頃の様に呼んでくれるのね」

 美しい顔に笑顔を浮かべる麻里絵と対照的に幸世はさっと顔を青ざめさせました。

「いけません、お母様に叱られてしまいます」

 心底怯えている幸世を憐れに思い「すぐに戻るわ」と微笑みました。

「ねえ幸世ちゃん。いつから叔母様は幸世ちゃんに辛く当る様になったの?」

 その優しい声色にふっと幸世の顔が歪みました。もう久しく優しい言葉など誰にもかけて貰える事など無かったものですから。

「……もう私にもいつからかは解りません」

 目尻に浮かんだ涙をすっと指で拭い取ると、幸世はぎこちなく微笑んでみせました。

「気にかけて下さって有難う御座います。そろそろお行きになって?私と居た事が解れば、お姉様にご迷惑がかかりますから」

「私は叔母様の姉の娘だから、強い事は云えないわ」

 でも貴方が辛い目に合うのだわね、と苦笑を浮かべると襖を開け、廊下の向こうを伺って誰も居ない事を確かめると、もう一度幸世に微笑んで見せた。

「また少し冒険をしてここに遊びに来るから、その時は相手をして頂戴ね?」

 そう悪戯っ子の様に云うと、幸世は泣きそうなりながらも笑顔を浮かべたので御座いました。その笑顔に後ろ髪を引かれながらも麻里絵は部屋を出たので御座います。




 麻里絵がこの家に来て数日が経ちました。隙を見ては幸世の部屋へと麻里絵は足を運び、色々と話をして居りました。そうしている内に少しずつ幸世の表情が明るいものに変わって参りました。けれど表情の明るさとは裏腹に顔色は冴えず、軽い咳をする様になって居りました。麻里絵は咳にいくらかでも効けばと、もしもの時の為にと自分の母が持たせてくれていた糖膏を手に、いつもの様に幸世の部屋へと向かいました。

「私よ、幸世ちゃん……幸世ちゃん?」

 いつもなら直ぐに返ってくる返事が無く、不思議に思ってそっと襖を開けると、敷かれたままの床の上、幸世の姿がありました。口から血を流した幸世の姿が。



 診察が終わり、医師を見送りに小間使いが部屋を離れて、そこには布団に横たわる幸世と麻里絵だけが居りました。そこへ幸世の母……麻里絵の叔母が静かに入って参りました。そして麻里絵の向かい側に座ると幸世の額に掛かった髪をそっと払いました。

 「あと今日一日だというのに……」

 そのいとおしげな態度に麻里絵は今までの叔母の態度との違いを感じて居りました。視線に気付いて麻里絵を見やり、儚な気に微笑みました。

「……優一郎が軍人になった頃、この子が胸を病んでしまって……お医者様にも、もう長くはないと云われたの」

 急に話を始めた叔母に驚きながらも麻里絵は静かに聞いて居りました。

「それで、良いと云われて藁をもすがる気持ちで行った呪術師に云われたの。『この子はこのままだと十五になるまでに死ぬ。この子を助けたければ十五になるまで鬼になれ。それまでに幸せを感じさせたりすると、この子は死ぬだろう』……そう云われたの」

 麻里絵にはあまりに突拍子のない事。到底信じられません。怒りに震える声が云いました。

「だから……だから叔母様方は幸世ちゃんに辛く当たっていたというの!?そんなの、あまりに馬鹿げていますわ!」

「でもね麻里絵さん……そんな馬鹿げた事でも、この子が助かるならと思ったのよ……それに実際病も良くなって行ったのだもの。明日やっと、この子は十五になるんですもの」

「では幸世ちゃんの今のこの状態はどう説明下さるの?何故幸世ちゃんは!」

 そこまで云って、麻里絵は言葉を止めました。怒りに震える手にそっと手を添えて、幸世が微笑んでいました。

「正、直……辛かった……でも」

 苦しい息の中そう云うと、幸世は微笑みを深めました。

「ね?お、母様……明日に、なれば……幸世は……また前の、様に……甘えて……良いの、よね……?」

 麻里絵はなんとも切なくてはらはらと涙を流しました。

「お姉……さ、ま……私、は……こんなに、愛され……て……いて、本当に……しあわ、せ……なの」


 その言葉に叔母ははっとしました。

「幸世……!?」

 麻里絵を見ていた幸世はふと襖に目を向けました。

「あ……」

 懐かしそうな、嬉しそうな声を漏らしました。

「……お帰り、なさい……お兄さ、ま……」

「え」

 その時、襖に目を向け、幸世から目が離れました。襖の処には誰も居りません。

「幸世ちゃん、誰も……」

 麻里絵が目を向けた時、幸世は既に事切れて居りました。

「幸世ちゃん!?」

「幸世!」

 叫ぶ様に名を呼び泣き崩れる二人の耳に廊下を走る音が近づいて参りました。

「奥様!」

 襖が開き、青ざめた顔の小間使いが震える手で紙を差出ました。

「ゆ、優一郎様が……!」



 父母は幼い娘が助かるならと、藁をもすがる気持ちでその老人に会いに行きました。その老人は、父母の顔と娘の顔を交互に見ると、ニィッと笑って云いました。

「この子はこのままだと十五になるまでに死ぬだろうよ。だが、この子を助けたければ十五になるまで鬼になれ。あんたらにそれが出来るか?しかし助けたけりゃやるしかあるまい。十五になる前に幸せを感じさせたりすると、この子は死ぬんだからな。ああ、あんたらには息子もおるだろう?何故解るのかって?ちゃあんと解るんだよ。ワシにはな。娘と息子は血が近い。まるで双子の様だと云えば解るか?娘が死ねば息子も死ぬぞ。まぁ、その逆に息子が死ねば娘も死ぬだろうがなぁ……せいぜい、大事にするんだなぁ……くくく」




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