1-1-8 決戦『砂鉄の竜骸』
踵を返した俺たちの背に、ずしりとした影が覆いかぶさった。
床が、震えた。
異変に気が付いた俺たち三人は、誰が言うでもなく同時に振り返った。
――竜がいた。
正確には、竜の頭部を模した巨大なスライムだった。口腔の奥まで黒鉄のような光沢に覆われ、その体には星屑の洞穴の名残か、水晶の気泡が無数に煌いている。
「星スライム……じゃない!?」
フラモが剣の柄に手をかけながら叫んだ。
「変異種か!?まずい、っ!」
しかし、進入してきた扉はすでに固く閉ざされていた。迷宮の性質として、ボスへの挑戦は勝利か敗北のどちらかしかない。撤退という選択肢は、もうとっくに消えていたのだ。
「こいつ、ボスの変異種だ!」
変異種。文字通り、異なる性質に変化した個体。スライムとは思えない、竜の頭蓋を模したその黒い塊は、こちらを捉えた両眼を爛々と光らせた。
最初に動いたのはモラ・リトだった。咆哮のように大口を開けたスライムが俺たちへ飛び掛かってくる、その寸前。一歩前に出た彼の鉄棒が、スライムの牙を受け止めた。金属音が響く。
「言ったでしょ?防衛術は、ちょっとだけできるんだ。」
骨だけの身体のどこにその力があるのか。モラ・リトは飄々とした口調で、スライムの突進をさばいていた。本物の竜と対峙したことがあるかのような立ち回りだった。
「これは、予定変更だね。ルモくんには荷が重い。三人で戦おう。」
「そうするしかないみたいだね。」
フラモも剣を抜き放ち、構えた。
相対するスライムの大きさは、この洞穴で戦ってきた個体の数十倍はあった。星屑が散らばったような輝きを宿しながら、その表面は砂鉄の粒が焼き固められたかのように鈍く光っている。スライム本来の弾力は失われ、鉄の装甲のような質感だ。だが動きはスライムの習性を残し、跳ねるようにして向きを変え、再び飛び掛かってくる。
鉄の棒を振り抜き、敵の突進を弾こうとした。ギンと甲高い音が腕から全身に伝わり、指先まで痺れた。
硬い。
スライムはまるで何のダメージも受けていないように動き回っている。第三階層はかなり狭い。これほどの大きさのモンスターに暴れられると、身動きが取りにくい。
モラ・リトは華麗だった。突進を半歩ずれて躱し、噛みつく牙に棒を合わせて弾くと、その一本に小さな罅を入れて見せた。骨だけの身体から繰り出される捌きは、それだけで一つの術理を感じさせた。
「悪いけど、最初からギア入れてくよ!」
フラモが胸に手を当てると、ドクンと空気を揺るがす鼓動が響いた。彼女の髪の先端が橙色に染まり始め、剣を炎が包む。そのまま渾身の斬撃を放った。炎と刃が合わさった一撃が、砂鉄を纏うスライムの側面を直撃する。
「む。」
しかし、魔術が直撃したはずのスライムの表面には傷一つない。
「耐性が高い!」
「全体的に硬いねコイツ!有効打が見つかんないや!」
モラ・リトも困ったように言った。スライムは二対の角を伸縮させ、フラモを貫こうと連撃を繰り出した。キン、キンと剣で弾くフラモの表情は、しかし苦々しかった。
「重い!こいつ、結構強いよ!」
「フラモちゃん、変異種は初めて?通常種とは比べ物にならないから!」
スライムの突進が再び迫る。すれ違いざまに斬りつけたフラモは、あえなく弾き飛ばされた。
「スライム、なのに、斬れない!」
ぷるぷると手首を振って痺れを散らすフラモ。
「これはいよいよまずくなってきたかな?」
モラ・リトはいつになく真剣な表情で呟いた。スライムの攻撃は止まず、俺たちは防戦一方だった。
「どうしよう、フラモちゃん!」
「とりあえず、斬る、叩く!どこかに弱点があるかもしれない!」
「豪快な作戦だね!嫌いじゃないよ!」
フラモとモラ・リトは、それぞれ高い身体能力と技術を駆使して竜のようなスライムの攻撃を受け流しては、カウンターの一撃を叩きこんでいた。だが、俺には彼女たちのような芸当は難しい。距離を取り、隙を見つけて攻撃するしかないだろう。とにかく、今は観察だ。スライムの動きを見て、攻撃を見ぬく。あわよくば、弱点になるような部分も。
「魔術も使っていこう!ボクたちは使えないけど!」
「私がやる!」
フラモは魔力を練り上げると、五つの火球を作り出した。それらを器用に操り、スライムに次々と着弾させた。その場所から黒い煙が上がるが、しかし、やはりダメージは感じられなかった。
「ううん、駄目!手ごたえゼロだよ!」
「これは……でも、変異種とは言え、『迷宮』がそんな討伐不可能なモンスターを生み出すはずがない。きっとどこかに……むむ、まずい、何か仕掛けてくるぞ!」
火球が直撃したスライムは、怒ったかのように体の色をより深い黒へと変えた。吼えるように天井へ向かって大口を開けると――地面が唸った。
「!」
咆哮に呼応するように、床から砂鉄の棘が無数に生え、俺たちへ向かって迸った。体をひねって大半を躱したつもりだったが、足を一本、貫かれた。
フラモとモラ・リトはきちんと回避している。俺だけだ。
「ルモアル、横!」
フラモの声が耳に届いた瞬間、体は先に動いていた。壁から砂鉄の棘が生成され、うねるようにして頭部を狙ってくる。間一髪、首を引いて躱した。
今は痛みを気にしている場合ではない。
「血が。」
「問題ない。」
足の傷は深くない。動ける。
「そうだ、ポーションが……。」
「フラモちゃん!」
モラ・リトの怒号が洞穴内に響いた。腰のポーチへ意識を向けた一瞬、フラモに隙が生まれた。それを見逃さないスライムが、角と砂鉄の棘を同時に彼女へ向けて解き放つ。
「っ!ご、ごめん!」
角はモラ・リトが受け止めた。棘はこちらへ駆けた俺が体を割り込ませて受ける。失態に気づいたフラモが、泣きそうな顔で剣を握り直し、砂鉄の棘を斬り飛ばした。スライムは休む暇なく棘を生成し続けた。
「任せて!」
先ほどの失態を払拭するように、フラモが剣を振るい弾き飛ばしていく。魔術の火球をスライム本体にぶつけるが、ダメージは依然軽微だった。
「使って!」
「すまない。」
フラモが投げよこしたポーションの蓋を開け、傷口にそのままかける。じわりとした痛みの後に、傷は再生した。効果の強いポーションだった。
ガチンと今までで一番鈍い音が鳴った。俺の治療中に、モラ・リトはスライムの注意を引いてくれていたようだった。カウンターで入れた一撃が、鉄のようなスライムの装甲の一部を欠かしていた。
「おおっと?なんかいきなり攻撃が通ったぞ?」
スライムの色は、最初より少し薄くなり灰色に近くなっているようにも見えた。
「そうか。」
こいつの先ほどの攻撃は、自分の身体の一部を使って放ったものだったのか。それによって強度が弱まり、攻撃が有効になった。
夢の世界での『水銀の欠片』との戦闘を思い出した。猫たちは、あのスライムを分離させることで対処していた。それがスライムとの戦闘で、有効な手段だと理解していたのだろう。
足下の砂鉄の棘を棒で潰す。
「今だ!この攻撃をした後は、こいつは柔らかくなる!」




