1-1-6 戦闘『水銀の欠片』
『水銀の欠片』は脈打ちながら徐々にその面積を広げていった。それはすぐに俺の頭部を完全に包み込み、防具のような球体となった。表面は滑らかな鏡面となっており、反射した自分の顔が見えた。その奥には、うっすらと外の景色が見えた。息が苦しい。
「……い、みんな……ぞ!」
聴覚すら弱まっていた。薄く聞こえるナットの号令。気ままな猫たちも、この緊急事態には反応した。一斉に動き出しこちらへ向かってきた。
「……でもいいか……剥がせ!前足で……んだ!」
俺の視界を覆う銀色のバイザーに、無数の猫が群がって爪を立てた。必死にその膜を破ろうと前足を動かしている。徐々にその成果は現れた。
「いいですよ!顔が見えてきました。よく見ると神秘的な瞳ですね!紺色に赤い円環……あれ、この特徴どこかでみたような?」
隙間からライヤの顔が覗く。彼女は呑気にもそんな観察を口にした。酸素を求めてもがく俺に、その余裕に付き合っている暇はなかった。
「そんなこと言ってる場合か!ライヤ、お前も手伝え!兎の手も借りたい場面だ!」
徐々に『水銀の欠片』は剥がされていった。残った力を振り絞り、食堂まで侵入していた粘性体を、口内で指に絡めとり力任せに引きずり出す。ずるりとそれを体外へ出すことに成功した。
「げほっ、ごほっ!」
喉の奥から残った水銀を吐き出す。これでようやく空気が吸える。異物感が消えてすっきりとした。
地に転がり蠢く『水銀の欠片』を足で踏みつぶす。ボロボロの靴越しにぐにゃりとした感覚が伝わった。
「おい、こいつはどうやったら倒せるんだ!」
「たぶん、ある程度のダメージを与えれば倒せるかと!お姫様は自慢のパワーで叩き潰してましたから!」
ナットの大きな声に、ライヤが適当な回答を返した。地面でのたくる銀色の塊を見据え、もう一度踏みつける。やはりダメージは感じられない。
「とりあえず、手数で攻めるぞ!」
猫の大群が、地面に散らばった『水銀の欠片』へ襲い掛かる。無数対無数の、大規模集団戦が始まった。
『水銀の欠片』との戦闘は、熾烈を極めた。拳を叩きこむが、手ごたえは泥を殴っているようで、とてもいい感覚とは言えない。一発、二発とパンチを続ける。あまり効果があるようには見えなかった。
「くそっ!」
『水銀の欠片』は隙あらばこちらに取りつこうと執拗に飛び掛かってきた。それを避けて、カウンター。これも手ごたえは無い。それでも、猫たちとライヤの奮闘によって、『水銀の欠片』は散らばり、動きは緩慢になってきていた。
「千切れ、潰せ!攻撃の手を緩めるな!」
猫たちのなかには魔術や魔道具を使っている者もいた。しかし、どうやら魔力に由来する攻撃は相性が悪いようで、大したダメージにはなっていないようだった。それに気が付いたナットが鋭い声で指示を飛ばし方針を転換させる。
「俺たちの爪さばきを見せてやれ!」
猫たちは個々の能力はもちろん、その素早い動きと指揮系統を活かした連携が抜群だった。一匹が飛び込み、すぐに離脱。そこに新たに二匹の猫が爪の連撃をお見舞いした。そして、次は三匹が。執拗なまでの攻撃で水銀をズタズタに引き裂いていった。
「鍵守さん!欠片がそっちへ飛びましたわ!」
プルームの声に反応して、振り向きざまに空中の『水銀の欠片』を叩き落とした。べちゃりと地面に落ちたそれを、効果があるのかわからないが、とりあえず踏みつぶした。
何時間にも及ぶ激戦。共闘を通じて、もはや俺たちの間には信頼関係のようなものが構築されていた。千切られ尽くし、ついに沈黙した『水銀の欠片』を前に、息も絶え絶えに座り込んだ。
「やったか?」
「ナットさん。それ、あんまり縁起が良くないらしいですよ?最近巷で流行っている小説によると。ですが、まあ。これはもう完全に倒したでしょう!」
いえーいと両手でハイタッチを促すライヤ。息を整えながらそれに応じると、ライヤはちょっと驚いた顔をした後、嬉しそうに微笑んだ。
「申し訳ない。足を引っ張った。」
「そんなことないですよ?鍵守さんはしっかりとかかし役の責務を果たしました!」
ライヤの冗談交じりの言葉に、苦笑いを浮かべる。明らかに、俺は実力不足だった。結局『夕映えの金鍵』の、言語理解以外の能力も判明していない。やはり、モラ・リトに棒術を教わる必要があるな。
「俺が居なかったら、お得意のパンチとやらで一撃だったのか?」
「ええ、それはもちろん!」
そう言ってライヤが力こぶをつくった。
その背後だった。
キラリと彼女の頭部の雷のような光が、地面に反射して見えた。
とっさに体が動く。
バラバラになった『水銀の欠片』の、その一片が蠢いた。それは辺りの欠片を呼び寄せるように集束しながら、ライヤめがけて飛び掛かった。
無意識のうちに彼女を突き飛ばして位置を入れ替える。
「っ!」
「鍵守さん!?」
左腕で顔を庇う様に、飛来する『水銀の欠片』を受け止めた。水銀は蔦のような形に変じ、俺の手足に絡みついた。拘束された。
力を込めて腕を引っ張ってみるが、逆に引き戻される。俺の身体は、立ったままの姿でその場に固定されてしまった。散らばっていた『水銀の欠片』が集まり、足元から虫のように這いあがってきた。
「ま、まずいです!全身を覆われると、体を乗っ取られてしまいますよ!」
ライヤは顔を青ざめて叫ぶ。彼女はこれと戦闘経験がある。その姿を見てきたのだろう。その顔には、後悔のような色が浮かんでいた。
「もう一回、もう一回だ!」
ナットの怒鳴るような声に奮起した猫たちが再び爪を立てる。しかし、『水銀の欠片』は驚異的な速度で俺の身体を覆っていく。どれだけ剥ぎ取られようとも、薄く薄く伸長した。首から下を覆われて、もう指先一つ動かすことすらできなくなった。
「このままじゃ間に合いません!」
叫ぶライヤの瞳に絶望が浮かぶ。顎近くまで『水銀の欠片』が迫り、冷たい銀のスライムが皮膚を侵食していく。
もうあれしかない。
「ライヤ!俺ごとやれ!」
「!」
ここで死のうと、あちらで目が覚める。良くないとはわかっているが、この心の奥にはどうせ蘇るという意識がすでに根付いてしまっていた。
「……いいんですね!?」
水銀に覆われ口が塞がれる。その前に。
「早くやれ!」
「……わかりました、良いでしょう!宇宙の獅子の鬣をも焦がすような最大出力で葬り去ってあげましょう!」
ライヤが雷魔術を発動させる。バチバチと迸る青白い雷が、彼女の拳を覆った。周囲の猫たちの毛まで逆立つ。彼女の頭に装着された魔道具が、雷の過負荷によって兜のような形状へと変化した。
「あなたの犠牲は忘れません!喰らえ!これが私の、真!必殺!ビリビリパーンチ!」
ライヤが雷魔術で強化した拳を振りかぶる。圧倒的なエネルギーを纏ったその拳は、大気を裂くような音と共に目にもとまらぬ速度で、『水銀の欠片』をルモアルごと殴り抜いた。
視界が白一色に染まった。地が揺れた。身体を覆う水銀の感覚がなくなる。
「……つから、マザーへ通達……。」
「!」
身体が焼け焦げる一瞬、『夕映えの金鍵』はある音を拾い上げた。俺の脳内に響いたのは、『水銀の欠片』が放つ無機質な音声だった。
「新たな星を発見。これを渡りの星と命名……。活動限界に到達……。この報告をもっテ……活動ヲ……テイシ……」
閃光、そして『水銀の欠片』とともに、俺の身体と意識は消失した。




