1-1-2 謎の三人組
胸の奥を鋭利な冷たさが突き抜けた不快感が、意識の浮上と共に苛立ちへと変わる。あの老人、ちょっとやりすぎじゃないか。次にあちらへ行く機会があれば、せめてこちらの心の準備が整うまで待てと、あの歪んだ顔に一言叩きつけてやろう。
目を開ける。布はかかっていなかった。しかし、空も見えなかった。
眼前に、顔があった。女だった。白い髪が覆いかぶさるようにして視界を遮っていた。悲しそうな表情を浮かべていたが、目が合うとすぐにそれは驚愕へと変化した。火の傷だろうか、頬には古傷が残っていた。やはり若い。俺より少し下といった程度だろう。
「え?」
彼女の困惑を余所に、俺は立ち上がった。周囲は高温状態で、木を伝って火が燃え広がっていた。辺りに狼の姿は無い。灰を焼くような熱気が漂い、視界の端々で炎がバチバチと音を立てて爆ぜていた。俺を簡単に葬った狼の群れは、彼女の放った魔術と斬撃によって、影も形も残さず駆逐されたようだった。
「やるな。あれほどいた狼を一掃か。」
「いや、え?あれ?」
彼女はまだ困惑から抜け出せていないようだった。
遠くから足音が近づいてきた。随分と騒がしい。彼女を心配して来た仲間たちだろうか。いや、それよりもまずは消火だ。このまま森が燃えてしまうのはまずい。今後生活できなくなってしまう。
十年もの間、この忌み子に寝床と恵みを与えてくれた森を、無惨な灰に帰すわけにはいかない。俺は呆然と立ち尽くす彼女の肩を抜け、炎の勢いが増している方角へと視線を投げた。
「助けてもらったようだな。礼を言う。そして、悪いが俺は行かせてもらおう。」
彼女に背を向け、燃える森に臨む。
「いやいやちょっと待って!」
その姿が、正気を失ったように見えたのか、彼女は俺の肩をがっちりとつかんだ。意外と力強い。狼の群れを撃退するほどの人間なのだから、これくらいの力はあって然るべきか。華奢な見た目に反したその剛力に、俺の足はあえなく引き留められた。
「どうした?」
「どうした、じゃないよ!そっちに行ったら危ないから、ほら。こっちに……。」
彼女が俺を安全な場所へ引き戻そうとしたその時、煤煙の向こうから場違いなほど明るい声が響いてきた。
「フラモちゃーん?あ、いたいた!」
木々の影から、二つの影が現れた。
一人は陽気に手を振り、もう一人はその数歩後ろを淡々と歩いている。火急の事態において、その二人のたたずまいは不気味なほど落ち着いたものだった。
「無事でよかった!それにしても、まー、随分と派手にやったねぇ。らしくないね。」
「う……。」
服を着たスケルトンと、黒い修道服に身を包んだ男。
骨だけの存在が軽妙な口調でしゃべり、黒衣の男が無表情に周囲の被害状況を把握していた。俺はその状況を、無言でただ見ていた。
「ぺっくん。頼めるかい?」
「任されました。」
声を掛けられた男は、その全身に魔力を纏わせた。服の下から微かに光が漏れ出していた。やがてその光は消え、魔力は一つの形を成した。
「火を喰らえ。」
猪が顕現する。デフォルメされた、絵本に出てくるような猪の姿だった。
ボンという破裂音とともに、緑の猪は巨大化して、森へ大口を開けて喰らいついた。がしゅ、と口を閉じると、焦げた木々だけが残り、荒れ狂っていた火の勢いは魔力と共に一瞬で収まった。役目を終えた猪はふっと霧のように消え去った。
「もしかして、結構ピンチだったのかな?見に来てよかった。」
「ありがとう、モラ。」
スケルトンは陽気な口調で彼女に話しかけていた。やはり知り合いのようだ。モラと呼ばれたスケルトンは、肉体が無いはずなのに、この場にいる誰よりも人間味がある気配が漂っていた。
「お、見知らぬ男の子も。もしかしてフラモちゃん、逢引的なあれだった?邪魔しちゃってゴメンネ。」
「違うよ!」
スケルトンは空っぽの眼窩を俺に向け、楽しげに顎の骨を鳴らした。
「こんにちはボーイ。ボクはモラ・リト。古い名前だと思った?その通り!大昔に死んだスケルトンだからね。よろしく。君の名前は?」
屈託のない自己紹介に、俺は短く答えた。
「ルモアルだ。」
「ルモアルくん、いや、ルモくん。キミ、良い目をしてるね!」
「そうか?ありがとう。」
俺の返答にモラ・リトは上機嫌に俯いた。
「ほら、君たちも……あれ、ぺっくんは?」
「どっか行っちゃったね……じゃあ、私も自己紹介を。」
白い髪の女は、居住まいを正し、俺の目をまっすぐに見据えた。
「私はフラモ・フレイムハート。フレイムハート家が三女であり、迷宮探索隊第三分隊の隊長です。ルモアル。あなたのおかげで助かりました。礼を言うわ。」
「フラモちゃんは大貴族のお嬢様だからね。」
彼女の名乗りには、確かな誇りと責任感があった。大貴族には全く縁はないが、彼女の振る舞いからはたしかに気品が感じられた。
「いやあ、それにしても……ルモくん。君、もしかして魔力が無い?」
「ああ、見ての通り、そうだ。」
「やっぱり、そうだよね!あまりにも存在感が無くて、最初気が付かなかったよ!あ、悪い意味じゃないよ?こう、暗殺者とか向いてそうだなって!」
俺の魔力欠乏を指摘するモラ・リトの言葉に、毒は無かった。疎まれてきた俺にとって、この透明さすら感じる評価はむしろ心地よくすらあった。
「モラ、別に良い意味とも捉え難いよ、それ。」
フラモが呆れたようにツッコミを入れた。モラ・リトとは異なり、彼女の視線には、未だ俺という存在に対する警戒と好奇心が混ざり合っていた。
「質問いいかい?」
「なんでもいいぞ。」
モラ・リトの好奇心旺盛さはそれ以上で、積極性もあった。彼は前のめりに問いを重ねてきた。
「なんでこんな所にいたのかな?」
「ここに住んでいるんだ。人間関係というものが難しくてな。探索者になることも考えたが、魔力が無いとやはり難しい。結局、森の中で過ごすことにした。その日暮らしが、案外性に合っていた。」
貴族であるフラモには理解しがたかったのか、彼女は顔に浮かんだ驚愕を隠しきれていなかった。
「ずっと……ずっと、独りで?」
「いや、そうでもないな。十年ほど孤児院で過ごしていたし、その繋がりは今もある。それに、今日はお前たちとこうして話しているからな。」
人里離れた暮らしを不満に思ったことは無い。それに、こうしてたまに人と話すことはいい刺激になる。一年に一度は顔を見せるよう孤児院のシスターに言われており、その約束を破ったことは無い。今回はイレギュラーな形で人と遭遇したが、やはり悪い気はしなかった。
「なるほど。その堅いけど乱暴な口調は、そこから来ているのかな。」
モラはあごの骨をカタカタと鳴らし頷いた。孤児院にいた頃はよく本を読んだものだ。その影響を受けていることは否めない。
「じゃあ、もう一つ。」
陽気に笑っていたモラ・リトは、急に動きを止めこちらを見つめた。
「その血で染まった裂けた服。それでいて傷一つない身体。一体、何が?返り血ではないだろう?」
「私も聞きたいな。あの時、ルモアルは……死んでいたように見えたけど。」




