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役立たず

 祈りも虚しくという言葉は、正にこういう状況を言い表すために存在するのかもしれません。あの大祭以来、疫病禍は収まるどころか、かえって年末にかけて、感染者数も、死者数もふたたび増加の兆しを示しはじめていました。

 実を言えば、大祭の直前までウイルスの流行は小康を保っていたのでした。初夏に発動された緊急事態宣言に基づく極端な外出自粛の要請はそれなりに効を奏したものとみえて、夏の盛りには感染の広がりも当初の勢いを失って、秋には抑え込みに成功かとの楽観的な見方もあったのです。ところが、ほとんど大祭の頃と時を同じくして、あのウイルスは底を打ったように爆発的な感染拡大に転じました。

 報道はふたたび疫病禍一色に塗り変わり、テレビは連日の重症患者の激増で、高熱にうなされながら病床をたらい回しになる急患の姿を長々と映し出していました。他方で、延々と打ち続く人流抑制策に仕事を奪われた人々からは恨み節があふれ、街全体が白いマスクに口を塞がれたように疲弊してみえたのでした。

 この頃は、毎朝届けられる願い事も、単に量が多かったばかりでなく、質も先鋭化していたように思います。あの日、鋭利な刃物のようにご夫妻のお気持ちを刺し抜いたあの絵馬も、社会全体の悲痛な訴えの一つに過ぎなかったのかもしれません。

 その日、届いた願い事は、過去に類のない十二包みもありました。しかも、どの包みにもぎっちりと絵馬が詰まっていて運ぶには重たく、本来なら十三か十四個の包みに小分けすべきものを、神社の方で無理矢理十二個に詰め込んだのではないかと疑いたくなるほどでした。

 さて、そんな私の愚痴はともかくとして、あの絵馬は、その日三つ目の三方の中に混じっていました。私はご夫妻のようにすべての絵馬に目を通しているわけではないので、あくまでも推測に過ぎませんが、およそ八つ当たりのような内容が書かれたものは、それ以前にも無数にあったに違いありません。しかしながら、神様があれほど繰り返し、繰り返しご覧になった絵馬は、後にも先にもあの日のあの一枚だけだったと思います。あれをお取りあげになられたとき、ほんの瞬間的なことではありましたが、たしかに神様の表情は強い苦悶に歪んだのです。神様は黒く澄んだ眼差しで悲しそうに矯めつ眇めつご覧になって、そしてとうとう、普段であれば奥様にそのまま手渡しされるものをまるで執事にもお見せになるように机の上にお置きになったのでした。

 そこには、ひと目で子どもが書いたと分かるまだ幼気な字で、一言こう大書きしてありました。

 “かみさまのやくたたず”

 奥様のお顔もまた、激しい悲しみに打ちのめされたようでした。自然と湧きあがってくる涙を一心に堪えるように、しばらくうつむかれた末に、奥様はこう呟かれたのでした。

「今は静かに、祈るべきときね」

 

 大祭の失敗―そもそも大祭と疫病禍の終息に科学的な因果関係は何もないのですから、失敗と呼ぶのは不適切かもしれませんが―の後、ご夫妻は努めてその御心のうちを周囲に気取らせまいとされているようにお見受けしました。しかし、私などはどうしてもそのご様子を気にせずにはいられないのでした。自分の何気ない言動が不意にご夫妻の沈んだ面持ちを誘発したように感じられることもあって、一度は執事長にも率直に相談したことがあったくらいです。ところが、執事長は案外平気な顔をして、こんなことを言うのでした。

「なにも我々がそんなに気にすることではないのですよ。神様の長い歴史の中では()()()()()()ですから」

 しかし、そうは言われても、やはり何もしないわけにもいかないように思われました。というのも、ちょうどこの時期に、リビングで普段とは違ったご様子でお過ごしになる奥様をお見かけしたからかもしれません。どういうご用だったかは忘れてしまいましたが、いつもなら新聞をお読みになるお時間にお伺いした際に、奥様が新聞の代わりに半紙を広げて、一所懸命に墨を磨っていらっしゃったことがありました。あまりにも集中しておいでのようでしたから、ついお声がけもせずにそっとリビングを抜け出してきたのですが、やはり気になって、職員棟へと戻る道すがら思いがけずすれ違った女官さんに、どういう訳なのか訊ねたのでした。すると、女官さん曰く、早朝のお祈りで神様がお使いになる祝詞を奥様が手づからお書きになっているというのでした。

「普段なら、朝の祝詞は神社の方でお書きになるでしょう? それが、状況が落ち着くまではご自身でお書きになるって言い張られて……。今は新聞もそっちのけで、お時間があれば、ずっとお書きになっていらっしゃるのよ……」


 私が執事長を相手に、「神様は今こそ、お出ましになられて、苦境にある人々を励まして回られるべきだ」と妙な提案をしたのは、その一件があった後でした。

 冷静に振り返ってみると、それは本当におかしな発想だったのかもしれません。神様はたしかに人々の敬愛の対象ではあっても、奇跡を起こす存在ではないのですから。しかし、私としては、街の象徴ともいえる神様がこの事態に沈黙し、何もしていないように断じられるのは納得いかないように思いましたし、それよりも何よりも、もしも神様がお出ましになられれば、何かが変わる―そういう確信があったのです。

 その時、私の念頭にあったのは、あの盲目の少女との邂逅でした。あの日、神様はあの少女の胸中にくすぶる頑なな悲しみに向き合われたのでした。同じように、この危機においてこそ、神様はそのお姿をお示しになって、苦しんでいる人々に向き合われるべきではないのか?

 しかし、執事長は反対でした。

「……鳥居橋さんの気持ちが分からないわけではないのですよ。わたしだって、血も涙もある人間ですから。……けれども、よくよく考えていただきたいのですよ、状況はそれほど単純ではないのです。この街には、あの忌まわしいウイルスに突然、家族を奪われた、そういう人ばかりがいるのではないのですよ。いつ終わるとも知れぬこの疫病禍に、ステイホームを強いられて、さらには仕事までも奪われて、不安のうちに暮らしている人もまた、何万人もいるのですよ。……例えば、神様が家族を喪って悲しみに暮れる遺族を慰問なさること、これはたしかに、結構なことには違いありますまい。しかし、一たび神様のお出ましともなれば、ご存知のように、どうしたって、皆さん、せっかくだから神様を一目見ようと、我もわれもと沿道に詰めかけることになるのです。そして時には、歓声だって上がるかもしれない。そんな様子をニュースに見て、ほかの人々は結局、何を思うでしょうか? ……結局、こう思うことになるのではないですか、我々は外出を限界まで自粛して苦しんでいる。なのになぜ、神様のまわりだけは、あれほど賑やかでも許されるのか? 労りや励ましのお言葉は結構だけれども、詰まるところ、あの方は、我々に何をしてくれたのか? お言葉でウイルスを一掃してくれたのか? 特効薬でも撒いてくれたのか? ……そういうふうに、かえって人々の不満や苛立ちをかき立てることもあるのではないですか? そういうことが本当に、人々や世の中のためになるのでしょうか?」

「しかし、……」

 私には執事長の言うことが方便に聞こえました。けれども、さらに口を挟もうとした私を制して、執事長はこう続けたのでした。

「期待する気持ちは、分かりますよ。……神様だったら、何か特別なことがお出来になるのではないか……我々の苦しみを理解して、人心を一つにまとめてくださるのではないか、と。しかし、神様は人の命を救えるわけでも、疫病禍を終わらせられるわけでもないのです。神様だけが商売繁盛になったところで、果して誰が救われるでしょうか? たしかに、こうした状況下で神様が何か気の利いたお言葉を仰れば、人々は喜んで、人々からの信頼、あるいは神様ご自身の名声や権威、そういったものが一時的にせよ、さらに高まるといったことはあるのかもしれません。けれども、それで疫病で亡くなる人の命が、一人でも救われるわけではないのですよ。……そうしたことを考え合わせていけば、自ずと今は、奥様の仰られたとおり、静かに祈るべきときなのですよ」

「しかし、今は百年に一度の有事ですよ」

 私は依然、自分の考えに固執していました。しかし、執事長は静かに首を横に振って、それ以上取り合うことはありませんでした。

 

 私が退任を申し出たのは、このやり取りからすぐ後のことでした。

 今からすれば、ひどく短絡的な判断だと呆れる人もいるでしょう。私もそのとおりだと思います。特に、それから半年ほどでワクチンが出回り、さらに一年ほどで疫病禍の収束が宣言されて、すべてが一過性の狂乱に過ぎなかったように忘れられていったその後の経過を知っている今日(こんにち)からすれば、何もかも執事長が正しかったようにも思われます。

 しかし、あの時、私は私なりに苦しんでいたのでした。その頃の私がしていたことと言えば、毎朝、大池に絵馬を受け取りに行き、ご夫妻の朝のご日課に陪席して、夕方になればご散策のお供、そして週に一回、神様から昔話をお伺いする―その平穏無事な繰り返し。私自身は祈るわけでもなく、それでも衣食住には事欠かないだけのお給料をいただきます。

……一体、自分はここで何をしているのか?

 朝、執務室のテレビを点けて見るニュースに、酸素ボンベを括りつけられて担ぎ込まれる重症患者や、灰色の無機質なシャッターに今にも押し潰されそうな閑散とした飲み屋街、そうしたものが映し出されるとき、やはりやりきれない思いが去来します。

 率直に、私はあの頃、そうした悶々とした日々から逃げ出したかったのだと思います。そうだからこそ、執事長にあれこれと提案もしたのでしょう。そういう意味では、私が本当に救いたかったものは、実は私自身だったのかもしれません。神様のため、人々のためと言いながら、私は他でもない私自身のために、神様がこの街に及ぼす強い影響力を無意識にも利用しようとしていたのかもしれません。実際、神様が人々を励まされるところに陪席して、人々が寄せる黄色い歓声のなかを車列で駆けていく……心のどこかで、私はそんなことを夢想していたようにも思います。

退任の話をするために執事長と執務室で向きあったのは、年の瀬も押し迫った寒い日でした。当初、執事長は私の唐突な申し出にずいぶんと驚いた様子でした。

「それで、元いた会社に戻してほしいというわけですか? ……しかし、なぜなのです? 鳥居橋さんはこちらで十分に上手くやっているではないですか。ご夫妻だって、あなたの働きを決して悪くは思っていらっしゃらないはずですよ」

 そういうニュアンスのことを、執事長は矢継ぎ早に話したのでした。その間、私は黙ってうつむいていました。

 気付けば、執事長の眼差しに涙が浮かんでいました。

「こういう形でお住まいを去ってゆくのは、わたしの知るかぎり、あなたが初めてですよ」

 あの時、執事長は涙声でしたが、私を無理に引き留めるつもりまではなかったのだと思います。むしろ、ただ苦しい、やるせない思いから逃れたい一心だった私自身よりも、ずっと私の心理を見透かしていて、事実こういうふうに話したのでした。

「……鳥居橋さん、あなたが求めているものは、()()ではないのですか? 自分が有用だという()()、世の中の役に立っているという()()。本当は、そういうものを欲しているのではないですか? ……もしそういうことなら、しばらく時間をいただけますか? 前の職場にそのまま戻られるよりも、もっと端的に、そういう気持ちにふさわしいところをご紹介しますよ。……それに実際の話、わたしにはあなたの後任を見つけてくる時間も必要なんですから」


 年明けしばらくして、私の退任の日が三月三十日に決まりました。このお住まいに上がらせていただいてから、すでに一年余りが過ぎていました。

 お住まいでの残りの日々は、最後まで普段と変わることはありませんでした。ご夫妻も私が近々退任することはとっくにご承知のはずでしたが、そうしたことはおくびにも出さずに接してくださったのでした。

 ただ、実質的な最終勤務日となった退任の前日には、夕方のご散策の折に「次は何をなさるの?」と奥様からお尋ねがありました。

「執事長の取り計らいで、市役所に出向することになりました」と私はご説明しました。「配属は国際部局で、二年後の万国展覧会に向けて事務局の仕事をすることになるようです」

「そう」と奥様は大きく頷かれて、それから、およそ半世紀前に、この街が初めて主催した万国展覧会について、その思い出をひとしきりお話しになりました。

 五十年前―それはこの街の黄金時代でした。戦後復興が一段落した後、ひたすらに右肩上がりの経済成長を謳歌して、世界がこの街の富に“こんにちは”を始めた時代でした。そういう時代の真っ只中で、ご夫妻は世界中の都市の展示館(パビリオン)の立ち並ぶ万国展にお立ち寄りになり、会場を一望する望月の塔へとのぼられたのでした。

「あの時代だって、いろんな問題があったはずですけれど……」当時を述懐なさって、奥様はこう仰いました。

「振り返ってみれば、幸せな時代でしたよ」

 こうして奥様からは、私の新しい仕事に関連して、昔の思い出をお伺いしたわけでしたが、ご夫妻ともに最後まで、唐突にお住まいを去ることにした私に対して、非難めいたことを一つも仰らなかったのでした。


 離任の日は、執事長に言われるままに朝九時過ぎに出勤しました。もう、始発電車で出てきて、朝の朗々たるお祈りのなかを大池のほとりまで通っていくようなこともないのでした。

 職員棟の執務室では、執事長が待ち受けていました。前日に自席の片付けは済ませていましたから、部屋にはすでに私の痕跡はなくなっていて、執事長もがらんと空いた執務室の空間を持てあまし気味の様子でした。

「困ったことがあったら、遠慮なく連絡しなさい」

 お互いに名残り惜しむような挨拶を交わした末に、執事長はそう言ったのでした。

 ご夫妻に離任のご挨拶を告げること―それがその日唯一の私の()()でした。ご挨拶は午前十時に予定されていて、今お話しした具合に執事長に挨拶を済ませた後、お住まいの方へと移動したのでした。

 ご挨拶の場所は、着任の日と同じく、お住まいの広間で、そこまでは執事長が付き添ってくれました。疫病禍が始まってからは、お住まいはご夫妻の私室部分を除いて滅多に使われてこなかったにもかかわらず、どこも手入れが行き届いていました。表玄関のエントランスホールには相変わらず堂々たる松の盆栽が置かれていて、松葉を青々と茂らせています。その先の大廊下の白絨毯はきちんと掃除機がかけられていて、埃の欠片も見当たりません。そして、廊下と広間とを隔てている鳳凰の衝立の向こうには、紙魚一つない障子窓から穏やかな春光があふれていて、私を迎え入れたのでした。

 お別れのご挨拶は、ふたたび儀式そのものでした。ご夫妻は、約一年前のあの日と同じく、濃紺のダブルのスーツに、淡いグレーのツーピースという装いでした。

 すべてが型どおりに運んでいきました。板間に二足の靴音が響くとき、私は深々としたお辞儀でご夫妻をお迎えします。ご夫妻は私の正面、二歩ほど離れたところにお立ちになり、私の方を見上げるように眺められます。そして、神様がおもむろに胸元から、「これまでの勤めに感謝します。どうもありがとう」と定型句の書かれた小さな白いメモを取り出されて、そのままに読み上げられます。

 ただ、奥様からは「どうぞ末永くお幸せにね」とアドリブでお言葉があったので、そこにお側でお仕えした証左を見つけた気になって多少とも慰められる思いがしたのですが、それでもやはり、昨日まであれほどお側にいたはずなのに今日は途端に遠く隔たって感じられるということに、どうしても物寂しく思わずにはいられませんでした。

 こうしてご夫妻のお言葉が終わり、あっという間に私室の方へと引き返していかれる段となりました。私はふたたび深々とお辞儀をして、ご夫妻が広間から去っていかれるのをお待ちしていました。

 ところが、板間に響きわたって遠ざかっていくはずの二足の靴音が、はたと立ち止まる瞬間がありました。私がとっさに頭を上げると、衝立まであと一歩という距離で、神様が静かにこちらを振り返っておいででした。ちょうど私が気付くのを待ち受けていらっしゃったように、私の様子をじっと見つめておられました。そして私が半ば驚きの視線を上げたとき、神様はゆっくりと会釈なさいました。まるで私の前途に向かって頷くように、静かに、そして力強く……。

 それが神様の誠意でした。そして、その誠意を、私は裏切ったのだと、その時そう思わずにはいられなかったのでした。


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