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金木犀の大祭

 あのお成りからひと月と経たないうちにこの街を襲った未知の疫病の拡大に、ご夫妻の一見穏やかな生活も決して無傷では済まされませんでした。

 当初、あの疫病があれほどの惨事をもたらすとは、それを我が事として予見できた人はこの街にはほとんどいなかったに違いありません。もちろん、私もそうしたうちの一人でした。

 時に重篤な肺炎を引き起こすというその未知のウイルスは、人によっては症状が顕在化せず、それ故に自分でも知らない間に感染源になり得る―そういう専門家の忠告がすでに出回りはじめていましたが、新たなウイルスの報道に触れても、無症状で済むのなら、むしろ有り難いくらいではないかと私自身はたかを括っていたことを思い出します。

 世の中全体がそんな塩梅でしたから、疫病禍の始まりとなった連日のクルーズ船報道もどこか遠い異国のことのようで、朝出勤してきて、執務室で展げた新聞を前に「これは大変なことになるな」と深刻そうにボヤく執事長を見かけても、かえって不思議に思うくらいだったのです。

 しかし現実は、執事長の懸念をも上回っていたかもしれません。世界周遊の途上、ほんの二日の予定でこの街に入港したというクルーズ船の船内で新手の“風邪”が蔓延していると報じられて二週間の後、街で最初の感染者が見つかりました。当局があれほど徹底した防疫を強調していましたから、クルーズ船からウイルスが上陸したわけではないのでしょう。しかし、陸路、空路、そして海路のすべてにおいて東西南北のありとあらゆる街と街とが結びついたこの時代に、完璧な防疫を期待する方が無理というものかもしれません。当時の数字を正しく思い出せるわけではありませんが、最初の感染者が一人見つかったその翌日には五人、その翌日にはさらに二十五人というように、感染者数は等比級数的に増えはじめていたのではなかったでしょうか。

 この状況に対する当局の反応は、今振り返ってみれば、かなり早かったと思います。これ以上の感染拡大を防ぐには、人の流れを止めるしかない―初夏の足音が聞こえてきて、例年であれば人々が行楽に浮き足立つ頃には、市長はこの街に緊急事態を宣言していました。人々は自宅での巣篭もりを余儀なくされ、飲食店は空っぽになり、大通りからは人影が消えて、街は動きを止めました。

 こうした社会情勢と軌を一にして、お住まいの日常にも変化が訪れていました。新たな執事の日課として、毎朝、前日の感染状況をご夫妻にご説明することとなりました。それから毎日の新聞報道についても、スクラップにまとめて報告することとなりました。しかし、こうした細々とした業務上の変化よりも何よりも象徴的だったのは、毎朝、神社の本殿から届けられる絵馬のことでした。

 緊急事態が宣言されてからしばらくが経ったある朝でした。普段どおりに大池のほとりに絵馬が納められた紫の包みを受け取りにいくと、包みの数が二つに増えていました。包みは捧げ持ってお住まいへと運び込むことが原則なので、初めのうちは律儀に二往復していたのですが、日を追うごとに包みの数が着実に増えていって、次第にそうもいかなくなりました。実際、最盛期には包みが八つまで増えて、仕方なしに、木舟で絵馬を運んでくる神職と二人で、二つの包みをいっぺんに両脇に抱えて二往復したものです。

 もちろん、この頃は基本的に外出自粛の世の中ですから、本殿の参拝客も激減したはずで、これほどの絵馬が届けられたというのも不思議な話です。この点、神職に朝、顔を合わせる折に訊ねてみると、意外な答えが返ってきたのでした。

「絵馬は郵送で送られてくるのですよ。初めはまさかと思いましたが、みんな思い思いに木札を自作して、願い事を書き付けて送ってくるようなんですね」

 絵馬の中身は、もちろん疫病禍にまつわるものばかりでした。テレビは連日、次から次へと搬送されてくる重症患者を相手に必死の救命活動に当たる医師や看護師の映像と、外出制限の煽りを食って廃業の瀬戸際に追いやられた飲食店やホテルの映像とを交互に流しつづけていましたが、絵馬もこの情景に呼応するようでした。絵馬には、救急搬送された祖父の無事を祈るものがあれば、客足を戻してほしいとの飲食店の切実な訴えもありました。あたかもそこには、社会の両端から上がる叫喚の狭間で振り子のように揺れつづけている世の中がそのまま写り込んでいるかのようでした。


 緊急事態が宣言されて、すでに三ヶ月が過ぎ、社会全体が苛立ちを募らせつつあった夏の最中のことでした。ちょうどその頃は、夕方のご散策の開始が後ろ倒しになることがしばしばでした。理由は、今お話ししたように絵馬の包みが増えたからです。ご夫妻は午前中いっぱい人々の願い事に目を通された後、それでも間に合わない分は午後、昼食を挟んでからご覧になるのでした。

 そうやって世の中の苛立ちを一身に受け止めなさるように人々の願い事を丹念にご覧になるからでしょうか、その日のご散策も、特に奥様におかれては、大層お疲れのご様子でした。そして、いつもご散策の途次にお立ち寄りになる石垣上のポイントまでいらっしゃったとき、そこから眺められる街の姿は、沈んだお気持ちにさらに追い討ちをかけるようだったのかもしれません。街はもう帰宅ラッシュの時刻だというのにひっそりと静まっていて、普段であれば、帰りがけに同僚と一杯引っかけようというサラリーマンの群れが見え隠れしたりするのですが、その日は奥様が「おーい」とお声がけを試みられるような人影もすっかり見当たらないのでした。

「ねえ、飲み会というのは、楽しいの?」

 不意に奥様からそういうお尋ねがあったのは、ちょうど石垣上のポイントからお戻りになられるときでした。

「わたしたちは、そういうところに行くことはあまりないから」

 奥様は穏やかに微笑してそのように仰いましたが、私はどうしたってそこに一抹の寂しさを拝察せずにはいられませんでした。

「みんなで集まって飲むということは、」と私はとうとうお答えしたのでした。

「やはり、……楽しいものでございます」

「そう」と奥様が静かに頷かれました。

「そうした日常が一日でも早く皆さんの元に戻ってくるように、わたしたちもしっかりと祈らなくてはなりませんね」


 約十年ぶりとなる大祭について神様から布告が出たのは、その翌日のことでした。

 イロハニ神社では日々、様々な神事が執り行われますが、この臨時大祭は非常時に限るのが慣わしで、しかもそのご判断は神様お一人に委ねられています。前回はこの街が百年に一度と言われる大津波に襲われたときで、その前は約七十五年前の戦争の終結にまで遡ります。それくらいに稀で、特別な神事ですから、準備も十分な期間を置いて入念に行われるのが通例でした。この時も執行は中秋の満月の夜と定められ、準備にたっぷり二ヶ月以上が当てられることとなったのでした。

 大祭の準備は、大池に橋をかけるところから始まります。朝、絵馬の包みを受け取りに大池のほとりへと赴くと、対岸の神社の本殿の方から筏が組まれているのが分かります。毎朝顔を合わせる神職に聞いたところによれば、本殿でお祓いを済ませた真新しい丸太を三本、大池に浮かべて、そこに戸板を渡して毎日少しずつ橋を組んでいくのだそうです。

「もちろん、準備はこれだけではありませんよ」

 橋がいよいよ明日にもこちらの岸へ到達しようという朝、神職は橋の架設とあわせて、本殿でも並行して祭事のための舞台の建築が進んでいると教えてくれました。

「神様には、この橋で本殿へとお渡りいただいて、舞台へとお上がりいただくのです」

 そういう話を耳にした翌日、奥様から神様の祭服をお持ちするようにご指示がありました。

「神様も、事前に祭服に腕を通されて、神事のおさらいをなさらなければなりませんから」との仰せでした。

 祭服をはじめとして、祭事に神様がお使いになる諸々は、お庭のアケボノスギのすぐ脇の古い煉瓦造りの倉庫に保管されていました。お許しを得て応接室前のお庭に出ると、お庭の縦横に通じている小径沿いには、これほど植栽されていたのかと今さら目を瞠るほどの金木犀の花が黄橙に咲き誇り、大池の方まで、あたり一帯を甘い強烈な香りで覆っていました。私は、その金木犀の小径を通って古い倉庫まで辿り着いたのでした。

 神様の祭服は、古い倉庫の引き戸を開いて正面奥の桐箪笥の最上段に仕舞われていました。ほとんど新品のような畳紙に包まれていて、念のため中身を確認しようと畳紙の紙紐を解くと、煮出した草木で何度も何度も繰り返して染め上げられたという、燃える夕焼けのような燻んだ黄金色が顔を覗かせます。持ち上げてみると驚くほど軽いお召し物でした。神様の祭服は高価な純正の絹だと伺っていたので、てっきり生糸のしっとりとした重みが感じられるものかと思っていましたが、私が持ち上げたかぎりでは、さらさらと軽やかなのです。私は軽いことをこれ幸いに、作法どおりに、そのお召し物を畳紙ごと高々と捧げ持ってお住まいへとお届けしたのでした。


 さて、大祭は秘事とされ、限られた神職以外には明かされないことが原則でしたが、執事は古来より特別に参列が認められてきました。その慣例に倣って、私もあの日は、執事長に従っての参列が許されたのでした。

その日は薄っすらと曇りでした。満月にあわせて執り行われる祭事なのに、月など見えそうもない空模様に恨めしく思ったことを覚えています。

 神様がいよいよお住まいをお発ちになったのは、すでに日も沈みかけた頃でした。あの夕焼けのような黄金色の祭服に、黒い冠をお召しになった神様は、奥様に見送られて、お住まいの内玄関からゆっくりとその歩みを始められました。二人の神職が先導に立ち、執事長と私はその一行の少し後ろに随従しました。

 その時刻は大池のほとりもすっかり暗く翳っていましたが、微かに消え残った鈍色の残照が、大池に新たに架けられた筏橋を水面に映し出していました。あたりは静かで風もなく、神様が筏橋に歩みを進めると、橋が揺れて波紋がゆったりと水面に広がります。それはあたかも神話的な巨人が足元の生き物を気遣って一足ひと足そっと踏み出していくような、やさしい橋渡りでした。

 大池の対岸に渡るのは、私にとっては、ここで勤めてから初めての経験でした。筏橋の袂の真向かいは神社の本殿の内玄関になっていて、神様は神職の案内で、そこから本殿にお入りになります。執事は内陣には立ち入りが許されていないとのことで、執事長と私は大池のほとりに沿って右に進み、それから本殿をぐるりと取り囲む土壁に沿ってその正面へと回りました。

 今の本殿は、以前に神様から伺ったとおり戦後の建物ですが、その構造は中世からほとんど変わりありません。中庭を囲うようにロの字に建物が配置され、北奥が神殿で、それ以外の三方は回廊になっています。そして、神殿に相対する南回廊の中央がこの本殿全体の正門で、神事への列席を許された者はそこから出入りすることになります。私は執事長とともに、正門から神殿を深く拝んで、西回廊の参列者席に入りました。

 私の眼前の中庭は一面の玉砂利でした。普段なら、この中庭の中央には高床の神楽舞台が設けてあるそうですが、この日はそれが取り払われていて、代わりに地面が深く掘り下げてあります。そして、その巨大な玉砂利の穴の底で、煌々とかがり火が焚かれているのでした。

 このかがり火を絶やさないことは、なかなか大変な作業のようでした。白い斎服姿の神職が三人がかりで薪を投げ入れています。その薪入れの度に、風もないのに炎が大きく揺らめいて、神職たちの額の脂汗を照らします。炎は夕闇に深く沈みつつある回廊の翳りの中に、斎服姿の神職たちの影をぼうっと浮かび上がらせるのでした。

さて、私がここへ到着してから、どれほどの時間が経過していたのでしょうか。すでにあたりは肌寒くなりつつありました。秋の夜風が吹きはじめ、次第に強まりつつあって、濃紫の夜闇には本殿の向こうの林が影を慄わせつつありました。

 その時、本殿のどこからともなく鈴の音が鳴り響いたのでした。瀧のように打ちかかる激しい鈴の音でした。それが何かを呼び覚ますように鳴りわたり、呼応するように風が一陣、本殿の内側へと迷い込んで、中庭を勢いよく吹き抜けていきました。どこからか金木犀のあの強い芳香を乗せて、風は中央のかがり火を烈しく燃え立たせました。そしてその吹き上げる炎の向こう側に、私は、高床式の神殿から階段を一歩、一歩と下って、とうとう庭上へと降り立った神様のお姿を認めたのでした。

 それから先のことは、私は生涯忘れないに違いありません。先ほどの風に振り払われたのか、東の空から雲間が開けて、満月が顔を覗かせていました。その月に見守られるように神様がかがり火へとお近付きになります。そして、神殿の真正面、かがり火の穴の縁に一段高く敷かれた呉座の上にしっかりとお座りになりました。いつの間にか、かがり火の揺らめく影の中から白い斎服姿の神職がぬっと現れて、神様のお隣に何やら木札のようなものを積み上げた三方を据えていきます。

 神様がご自身の祖神に向けて祝詞を発せられました。朗々と響くそのお声に、かがり火がばちばちと爆ぜて応えます。すると今度は、神様がお手許の木札を一つ、大切そうに取り上げられて、ゆっくりとそこに書かれた言葉を読み上げられました。その言葉は、私には馴染みのものでした。それは神様が毎朝ご覧になってきた人々の願い事でした。“一日でも早く、この疫病禍が終息しますように”と毎日無数に寄せられてくる人々の願いでした。それを一つ、また一つと丁寧に読み上げられて、神様はすっとかがり火に腕を伸ばします。ほとんど袖に炎が燃え移るのではないかと思われるほど、ぎりぎりまで炎に腕を突き入れて、そしてその炎の中心に向けて今読み上げたばかりの願い事を放つのです。

 それは気の遠くなるような長い儀式でした。毎朝絵馬をご覧になる時と同じか、それ以上の丹念さで神様が一つずつ所作をお続けになります。やがて三方の木札が無くなりかけると、かがり火の影から、願い事を山のように積み上げた次の三方が運ばれてきます。炎の揺らめきを透かして、私の位置からでも、神様の全身に止めどなく汗が噴き出しているのが分かります。そして時折、側でお支えしている神職が、祭祀の妨げにならないように、そっと神様の目元の汗を拭うのです。

 しかしその間も、かがり火はますます烈しく、高く天頂へ向かって燃えるのでした。ちょうど投げ入れられた木札に火が燃え移るとき、炎は高く舞い上がり、その舌先が天頂へ翔けのぼる月の縁を洗い、あるいは月をすっかり炎で覆います。そして、まるで溶鉱炉に焼かれる銑鉄のように満月を赤黒く輝かしめるのでした。

 やがて、月が南中に達したとき、もはやいかなる炎の勢いも月には届かなくなりました。月は今や穏やかに、かがり火の頂の上にぽっかりと浮かんでいて、その輝きは私にはこの上なく清らかに見えました。まるで人々の願い事に焼かれて、鍛えられ、鍛えられした白銀の鏡が、ついに万象を受け止めて、今はやさしくこの街の隅々までをも照らすかのように、澄み切った南の空に白光に輝いているのでした。


 すべてが済んだのは明け方のことでした。かがり火の炎が埋み火へと変わっていくのを見届けてから、神様は内陣へと引き揚げていかれました。私は、白んでいく東の空に残り火の紫煙が立ち昇っていくのを脇目に見ながら、執事長とともに本殿を後にしました。

 お住まいに戻ると、すぐに執務室のインターホンが鳴って、奥様からお召しがありました。私がお伺いすると、奥様はリビングの入口で、ふたたび畳紙に包まれた神様の祭服を抱えてお待ちでした。

「しっかり乾かしてから仕舞ってちょうだいね」

 そういう仰せとともに受け取った祭服は、神様の汗に濡れて、ずっしりと重たいのでした。もはや軽々と捧げ持つなどということは叶わなくて、私は奥様に渡されたそのままに抱きかかえて、アケボノスギの近くの倉庫に持ち込もうと足早に向かったのでした。

 その道中、私は金木犀があっという間に散ってしまったことに気が付きました。前夜、あの祭事の最中に、このお庭でも、よほどの風が舞ったのでしょうか。金木犀の見頃はわずかだと聞きますが、すでに木には一輪の花も残ってはいなくて、代わりに雑草の繁茂する小径の上に、力尽きた花弁が金色に散り敷かれているのでした。そして、私が重たい祭服を抱え込んだままのぎこちない動きで倉庫の引き戸を開いたとき、一筋の小さなつむじ風が巻き起こって、その黄金の名残りを一斉に大池の方へと吹き散らしていったのでした。

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