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お住まい

 神様の日常は、良く言えば、極めて規則正しく、悪く言えば―こういう言い方は大変失礼かもしれませんが―、お気の毒なくらいに単調でした。そこには、メディアを通じて思い描いていた華々しさなどどこにもなくて、なすべきことの定まった毎日がただひたすらに続いているのでした。

 それでも、着任したての頃は特に、私にはここでの生活の何もかもが珍しくて、新鮮に思えたものです。

 例えば、朝のお祈りのことです。

神様の朝は誰よりも早くて、街の始発電車が動きはじめる時刻には、すでにお住まいの最も奥まった場所にある特別な部屋へとお入りになります。私自身はついぞ直接拝見する機会は得られませんでしたが、何でもそこには祭壇が設けてあって、すでに遡れないくらいに遠い昔に神様の一族が月の神様から授かったという“三つの宝玉”が奉置されているのだそうです。そして、そのお部屋から毎朝、日の出の頃には、神様が祝詞を読み上げる声が朗々とお住まいの一帯に響くのでした。

 私は大抵その日の出の頃に出勤して、執事としての最初の仕事に取りかかるのでした。始発を乗り継ぎ、タヌキ門を抜けて―タヌキ門の守衛とはひと月と経たないうちにすっかり顔馴染みで、私はすでに顔パスで境内に入れるのでした―境内の森を抜けると、職員棟には立ち寄らずに、そのまま大池へと向かいます。

 私が着任したばかりの頃は、まだ朝が冷え込むことも多くて、大池には朝靄がかかることがありました。池の対岸はちょうど神社の本殿の後背に当たりますが、朝焼けで黄金色に縁取られた社殿の影が靄のカーテンの向こうに朦朧と浮び上がります。薄闇の中、間違っても池の水に足を取られないように、おっかなびっくり池のほとりを進んでくると、思いがけずそうした幻想的な光景に出くわすことがあって、私はその美しさの中にしばし立ち尽くすのでした。

 しかし、もたもたと見惚れていると、そのうちに朝靄に紛れて一艘の小さな木舟がその船影を現します。本殿の方から、菅笠をかぶった白い斎服姿の神職が、渓流下りの船頭のように長い竹竿一本を操って、ゆっくりこちらの岸へと近付いてくるのです。

 木舟は毎朝、神社の本殿からの届け物を運んでくるのでした。届け物はいかにも大事なもののように大きな紫袱紗に包まれていて、船首の上に大切に置かれています。私は大池の桟橋でその包みを受け取ると、両手に捧げ持って、お住まいへと持ち帰るのでした。

 このいささか儀式めいた作業は、私の毎朝の仕事にとっては下準備のようなものでしたが、これを済ませる頃には、だいたい七時近くになっています。七時になると神様ご夫妻は朝のニュースをご覧になりながら朝食を召し上がるので、私も職員棟の執務室に急ぎ戻ってテレビを点けます。そして、ご夫妻がご覧になっているものと同じニュース番組を見ながら、朝の出番が回ってくるまで時間を潰すのでした。


 ご夫妻の御前に上がるのは、何も行事がなければ朝九時でした。その時刻が近付くと、私は執事長に従ってお住まいの応接室へと赴きます。

 応接室は南向きの掃き出し窓のある気持ちのいい部屋でした。設えは極めて簡素で、マホガニーの長ソファが二脚、部屋の真ん中の楕円形のテーブルを挟んで向かい合わせに配置されています。そして、そのテーブルの奥側、ちょうど神様がお座りになる場所の正面には、朝方に私が神社の本殿から受け取った紫袱紗の包みが恭しく白木の三方に載せられていて、お隣の奥様の正面には空の三方が置かれています。

九時ちょうど、ご夫妻はいつも時間どおりにお見えになります。身の回りの細々したことをお手伝いしている女官さんに付き添われて、廊下の突き当たりの角からお姿を現します。このお住まいではそれなりの数の職員が働いていましたが、毎朝お時間をお申し入れして応接室の正面までご案内するのは決まって女官さんの役回りでした。

ご夫妻が応接室に入室されると、続けて、私も執事長と一緒にお邪魔することになります。奥のソファにご夫妻がお掛けになったところで、軽く一礼して、私たちも手前のソファに座るのです。

 朝の会話は、もっぱら天気の話題から始まりました。ご機嫌伺いも兼ねて、執事長が口火を切るのです。そして次第に、ご夫妻と私たち―とは言っても、お話しするのはほとんど執事長ですが―の話題は、時事的なものへと移っていきます。大抵は朝のニュースに執事長がちょっとした解説を加えていくのですが、小一時間もすると、さすがに会話も途切れがちになります。

 そして、そういう状況に達するときが、いよいよ私の出番なのです。

 私は頃合いを見計らって席を立ちます。間違ってもご夫妻と執事長との会話を妨げないように存在感を消して、執事長の背後を慎重に大回りします。そして、神様のお側へとそろりと進んで、お手許の紫の包みを静かに解いてさしあげるのです。

 包みの中には、神社に奉じられたばかりの、まだ白っぽくて艶のある絵馬が納められています。濃い紫の袱紗を解くと、それがあたかも封建時代に大名に献上された小判のように輝いてみえます。風雨に晒されるよりも前に回収されてこの場へと届けられた絵馬は、イロハニ神社の意匠の描かれた表の面をさらして、包みの中できれいに積み上げられています。

 会話がすっかり途切れると、神様はそれらを一つひとつお取上げになるのでした。そして、いずれの絵馬も丁寧にご覧になって、お隣の奥様に手渡されます。奥様もまた、それらの絵馬を一つずつご覧になって、お済みになったものから、今度は空の三方の上に丹念に並べ重ねて、執事の方へとお戻しになられるのでした。

毎朝の、このご日課を果たされる間、ご夫妻はお二方とも、ほとんどお話しになることはありません。意識のすべてを集中させるように黙々と絵馬をご覧になります。私も執事長も邪魔にならないように、じっと息を潜めて見守っているのですが、時折、ご夫妻のどちらともなく、ふっと悲嘆にも似た小さな溜め息を漏らされることがありました。そしてそういう時には、ご夫妻の目もとに薄っすらと涙がにじんでみえることもあったのでした。


 私があの朝のお時間のことで、今になって思うのは、人々の願い事というものが実に多様だということです。

 そのご日課の終わりには、必ず奥様が包みの紫袱紗をきれいに折りたたんで、丁寧に積み戻された絵馬の上に掛けてお戻しになられましたが、神社の本殿へと返すために、その紫袱紗を改めて広げて三方の上の絵馬を包みなおすとき、私もご夫妻がご覧になった願い事を垣間見ることになります。よく見かけた願い事は商売繁盛や学業成就、大病平癒といったものでしたが、人間の顔立ちが人それぞれに違うように、一つとして同じものはありません。例えば商売繁盛について言えば、軌道に乗りはじめた社業のますますの隆盛を願うものから、沈みつつある社運に起死回生の一手を授けてくれるよう願うものまで、その内実は様々です。

 もっとも、ここに寄せられる願い事は切実なものが大半であって、なかにはこちらの胸を打たずにはおかないものも多くあります。例えば、天災で生活の一切を奪われた人や交通事故で家族を喪った人が切々と綴る願い事を目にするとき、自ずとご夫妻の涙の訳も知れるのでした。

 しかし、それにつけても、この人々の願い事を毎朝、毎朝ご覧になって、ご夫妻は一体どうなさるおつもりなのでしょう。それがこのお住まいで勤めはじめたばかりの頃の率直な疑問であって、実は執事長には一度訊ねたことがありました。

 たしか朝のご日課が終わり、昼食のためにお住まいの奥へとお戻りになるご夫妻をお見送りした後のことだったと思います。私が何気ないふうに口にした疑問に、当初、執事長はとても怪訝な顔をしました。そしてとうとう、そんなことを気にして何になるといった具合に声を立てて笑いはじめたのでした。

「それを訊ねられても、神様の大御心の裡など、わたしには全く分かりかねますよ」と執事長は悪戯っぽい笑みさえ浮かべて言いました。「しかし、拝察するに、神様はご自身のお手許に届けられたものには、やはりきちんと向きあわなければならないとお考えなのではないですか。こちらに上がらせていただいて、もう二十五年になりますが、ご夫妻が朝のご日課をお休みになることなんて、ほとんどなかったかと思いますよ。わたしだって、週に一日や二日はお休みをいただくのにね」

 いかにも誇らしげに、執事長はそんなことを言うのでした。まるで自分の信仰を擁護する人のように眼差しには熱いものがあふれています。

 しかし、ご夫妻は、この朝のご日課のために、まさかずっと、このお住まいに籠りっぱなしというわけでもないのでしょう? 例えば、旅行にいらっしゃりたいときなどは、どうなさるのでしょうか?

「旅行?」と執事長がまたしても怪訝顔になって言いました。「……ひょっとしたら、そういうお気持ちもお有りなのかもしれませんが、……しかし、神様はご自身の務めが何にもまして優先だと、ちゃんと心得ていらっしゃいますからね」

 旅行はおろか、ちょっとしたお出かけさえも、ご夫妻にとってはそれほど簡単なものではないと知ったのは、それからしばらく後のことでした。

 その日、私は久方ぶりの神様のお出ましに随行するように指示されて、自分の前任や歴代の執事が残した、黄ばみつつある古い資料を漁っていました。

 神様のお出ましともなると、どのような内容であっても相当に大変なもののようでした。大方の場合、名のあるお祭りの神輿行列のように沿道に大勢の人々が繰り出してくることになります。ですから、執事は事前に地元の警察やお出まし先の関係者に交通整理をお願いして諸々の調整に当たることになるのですが、過去にどんな調整が行われていたのか参照しようと私は記録をめくっていたのでした。

 それは五年ほど前の記録でした。その時は街の郊外にある先代の神様の山陵にお出ましいただく予定があって、何しろ東西に長く伸びたこの街をほとんど横断するような道程を辿ることになりますから、関係者が十人ほど集まって、沿道の警備や交通規制をどうしたものか膝詰めで議論したのでした。

 その打合せの結果を残した議事録に、私は次のような発言を見つけました。

「執事さんから、ちゃんと事前にご連絡いただかなければ困りますよ」と、この街の、とある警備関係者の発言は始まります。「数日前、神社の境内から、ひょっこりとご夫妻が現れて、お近くの横断歩道を護衛すらお付けにならずにお渡りになるという事案(、、)が発生いたしました。私どもとしては、このような事態は全くもって許容できない。執事もよくご存知のとおり、神様のいらっしゃるところには大勢人が殺到するものです。しかも、集まってくるのは必ずしも善男善女ばかりとは限りません。改めて申しますが、事前にご連絡の上、調整いただかなければ、万々が一のことが生じても私どもとしては責任は負いかねますよ」

 この発言にある“お近くの横断歩道”とはどこでしょう? 私の知るかぎり、おそらくタヌキ門のところの、石橋を渡って正面にあるT字交差点のことでしょう。その交差点の横断歩道の先には、私が毎朝、出勤前にお昼のお弁当を調達する、虹色のロゴを掲げたコンビニがあります。そのコンビニからタヌキ門まで、お濠をまたぐ石橋の全長を含めたって、せいぜい百メートルほどでしょう。たった、それだけの距離ですら、ご夫妻は自由に出歩くことはできないのでしょうか?……

 私は何だかしみじみとして、黄ばんだ記録の綴られた分厚い紙ファイルを閉じたのでした。


 午後になるとご夫妻は、行事や特別な来客のないかぎりは、いつもお住まいの奥のリビングで新聞を読んでお過ごしになりましたが、あれほど熱心に紙面に目を通されたのも、実は外出の自由がきかないことへの反動ではないかと感じられることもありました。

 私が勤めていた当時、ご夫妻はこの街の六つの大手紙のほかに、二紙の英字新聞をご購読になられていました。そして、それらの八紙をお二人で手分けして一ページ、一ページ、夕方のご散策のお時間まで、丹念にご覧になるのがご日課でしたが、私もそのご様子を一再ならずお見受けすることがありました。

 ちょうどこの時間帯には、新聞で見つけた記事などについてちょっとした調べ物をしてほしいと御用を承ることがありました。そういう時には、ご夫妻のリビングと執事の執務室をつないでいるインターホンを通じてお召しがあるのですが、例えばその日も、昼下がりに「ちょっと来ていただきたいの」と仰せがあって、リビングまでお伺いしたのでした。

 お住まいのリビングはお庭に通じるバルコニーに面した一等快適なお部屋でしたが、それほど広いわけではありません。室内には壁掛けのテレビと、その対面の壁際に二人掛けのソファがあるほかは、窓際に大きめのテーブルが一つ置かれているだけです。ご夫妻は大抵そのテーブルに向かい合わせにお掛けになって、それぞれ新聞をお読みになられるのでしたが、その時は、私がリビングにノックしてお邪魔したタイミングで、ちょうど奥様が新聞の片隅に見つけた記事について神様に話しかけられたところでした。

「今度の木曜日に、街の公会堂で音楽祭があるそうよ」

 どれどれといった具合に神様が立ち上がられて、奥様がご覧になっている記事を横からゆっくりと覗きこまれます。

「どんな音楽祭でしょうねえ」と奥様が仰います。

「どんなだろうねえ」と神様が応じられます。

 それからしばらく、お二人で額を寄せあうようにして、その記事をじっくりとご覧になっておられましたが、そのうちに神様から、

「そういえば、公会堂といえば、ずいぶん昔に一度、演奏会に呼ばれていったことがなかったかしら」

「ええ、たしかに、そうでしたわねえ」

 リビングには、バルコニーから木漏れ日のような光が流れています。その静かな光がお手許の紙面に映じて、ご夫妻の表情を照らします。お二人はそれぞれに、ゆっくりと当時の記憶を想いおこしていらっしゃるようでした。

 やがて神様が「たしか、あの時は、こんな曲ではなかったかしら」と仰って、心持ち立ち上がられると、ルルルー、と鼻唄でその時のメロディをなぞられました。そのご様子を見上げて微笑んでおられた奥様も、やがてはご自身で小さなリズムをお取りになられます。そして、そうやってお二人で、遠いご記憶のなかにある一つの音楽を思いかえし、思いかえしなさりながら、午後のひと時をお過ごしになるのでした。

 こうした情景はたしかに、ご夫妻の楽しげな日常の一コマのはずでしたが、私は何だかとても申し訳ない気持ちになって、その時は結局、御用もろくろくお伺いしないままに、そっとリビングを辞去したのでした。


 夕方の四時を過ぎると、ご夫妻は決まってお庭のご散策にいらっしゃいました。どんなに暑い日も寒い日も、雨が降らないかぎりは、このご日課を欠かされることはありません。

 このご散策の随従も執事の大事な仕事の一つでした―とは言っても、随従とは、読んで字のごとく、ただお二方に付き従って歩くだけでしたが。

 お庭のご散策には、いつも小一時間ほど掛かりました。“お庭”と私たち職員は通常呼んでいましたが、要は広大な神社の境内の森そのもので、お住まいの内玄関を出発して大池の方へと下っていくと、すぐに木々の茂みの中の細い獣道のようなところを歩くことになります。ルートは何パターンかあって、ご夫妻のお考え次第で毎日少しずつ異なるのですが、毎回必ずお立ち寄りになるポイントが一箇所ありました。

 それは、お濠の向こうに街を見晴らせる石垣の上でした。ここは、奥様のお気に入りの場所でした。タヌキ門のすぐ近くの石垣の上で、まばらになった木々の合間から、再開発の進む街の西地区が一望できます。

 ここにいらっしゃると、奥様はよく手を顔にかざして、遠くを望む仕草をなさいました。そして、天辺にクレーンを載せた高層ビルの建設現場を見つけては、私に「あの新しい建物は何かしら」とお尋ねになるので、私も西地区の再開発の状況はあらかじめ調べておくようになって、「あちらはXY商事の新しい本社ビルでございます」といった具合にその場でお答えするのでした。

 時折、お濠の向こう側の歩道に人が歩いていくのを見つけられることもありました。そういう時は、奥様はまるで童心に帰られたように口元に手を当てて、

「おーい」と呼び掛けられるのでした。

 もちろん、神社を取り巻いているお濠はどの場所もちょっとした河川ぐらいの幅がありますから、奥様の呼び声も、あっという間にお濠を渡る風にかき消されて、対岸に届くことはありません。歩道を行きかう人影は、こちらに気付くこともなく通りすぎてしまいます。

 それでも、奥様にとっては、外の世界の人間を見かけたということ自体が相当に嬉しいご様子であって、いつになく晴れやかな表情で、足取りも軽く、帰りの散策道をお戻りになられるのでした。


 ご散策を済ませてしまわれると、残された日課はもうほとんどありません。あとはご夕飯を召し上がって、翌早朝のお祈りのために夜九時にはお休みになられます。そして、そうした規則正しい生活が毎日、毎日、どこまでも続いていくのです。

 ご夫妻のこうした生活は、ひょっとしたら、傍からはとても満ち足りたものに見えるのかもしれません。毎日三食を欠くことはなく、お住まいの快適さも疑いありませんでしたし、何より当のご夫妻がいつもにこやかにお過ごしになっていらっしゃったのですから。

 けれども、私には、この変化のない生活が時々ひどく残酷なものに感じられることがありました。毎日、早朝のお祈りに始まり、人々の願い事をご覧になって、午後は新聞とご散策とでお時間が過ぎていく……その果てしのない繰り返し。そこには、生が、生きることが毎日全くの等量ずつ削りとられてゆく、そういう過酷さがあるように思われるのでした。そしてその過酷さに、実はご夫妻はじっと耐えていらっしゃるのではないか、そう思わされることもあったのでした。

 着任から三週間ほどが経ったある日のことです。執事長から「ご夫妻の思召しで、鳥居橋さんも“お茶”を賜ることになりましたよ」と話がありました。

「日取りは一週間後、来週の金曜日です」

 このお住まいでは、 “お茶”とはご夫妻とのちょっとした会食を意味します。実際にお茶が振る舞われるわけではなく、簡単なお酒とお摘みでおもてなしをいただきます。新入りの職員には、着任して少し落ち着いた頃にその機会が与えられるのが通例であって、「ご夫妻の人となりに触れるには滅多にない機会ですよ」と執事長は祝福でも授けるように言うのでした。

 このお茶は、率直に申し上げて、結構なプレッシャーでした。それまで私はご夫妻と、執事長を抜きにして差し向かいでお話ししたことはありませんでしたし、その上、ある朝のお伺いに際し、奥様から「新人さんのお茶はいつ? この週末だったかしら?」と、単調ななかにぽっと湧き出たようなその行事を楽しみになさっているようなお尋ねもあったのです。ですから私としては、詰まらない話をしてがっかりさせるようなことがあってはならないと、必死に会話のネタ集めをしたのでした。

 お茶席は、慣例どおり、お住まいのリビングに設けられました。午後八時、ご夫妻がご夕飯を終えられて一服したタイミングでお伺いすると、リビングの壁掛けテレビの正面に小さな卓が出されていて、手前には空の椅子が一つ置かれています。そして卓の向こうには、すでにご夫妻が並んでお待ちなのでした。

お茶の最中は、事前に恐れていたほどには私からお話しすべき機会はありませんでした。はじめこそ、あらかじめ頭の中で入念にシミュレーションしてきた自己紹介を述べましたが、その後はひたすら聞き役に徹したように思います。小卓の上には、見たこともないような彩り鮮やかな種々のお摘みと、ほどよく燗を付けたお酒が並んでいましたが、なかなか手を付ける暇を見つけられずにいて、奥様から「遠慮せずに召し上がってね」と促されることも度々でした。

 ご夫妻のお話しは、当初は気楽な昔の思い出話が主でした。お話しを伺っていると、ご夫妻は実に多くの場所にお出ましになっているのでした。日頃、外出の機会は極めて限られているというのに、ご夫妻の長い歩みの中では、招待があって赴かれた場所だけでもそれなりの数になります。そして、そういう訪問先の一つひとつについて、そこで出会った人々や事物のことを懐かしむように、ご夫妻は時にユーモアを交えてお話しになったのでした。

奥様の、あのお話しがあったのは、開始から一時間近くが経ち、そうした楽しい思い出話が一段落した短い沈黙の後でした。

「神様は毎朝、たくさんのお願い事をご覧になるでしょう?」と唐突に奥様が切り出されました。「わたくしもそれを一緒に見せていただいているわけですけれども、さて、わたくしたちは、毎朝そうやって人々の願い事を見せていただいて、一体何をしているのでしょう? もちろん、わたくしたちは、その見せていただいた願い事の一つひとつを叶えて差しあげられるわけではありません。……それでは、なぜ、わたくしたちはそうするのでしょう? ここで、こういう生活を続けて、毎日毎朝、皆さんからの願い事を見せていただくことに、一体どんな意味があるのでしょう?」

 少し謎かけでもするように、悪戯っぽい微笑をふくんで奥様は仰ったのですが、その眼差しには、どこかこれまで拝見することのなかった真剣なご様子がありました。

「実は、そういうことを考えて、昔ずいぶんと悩んだことがあります。でもね、ある時、思うことがあったの。……それは谷間の集落の避難所に慰問に訪れたときのこと。その年は、十年に一度と言われる大雨がその集落を襲って、大勢の人が亡くなった。集落のほとんどの家屋が鉄砲水に呑まれて、辛うじて生き残った人たちも、まだ降り続く長雨のなかで、土砂崩れの恐怖に震えながら、近くの学校の体育館に肩寄せあっていた。わたくしたちが訪れた日も、相変わらずの雨でした。もう直に夏だというのに、冷たい、細い雨。わたくしたちはあまり目立たないように車で訪問したのだけれど、沿道にはたくさんの人が待ち受けていました。みんな雨の中、傘を差していたはずだけれど、わたくしたちの車列が差し掛かると、みんな一斉に傘を下ろした。冷たい雨に打たれながら、皆さん深々とお辞儀なさった。そして、顔を上げたとき、皆さん一様に泣いているの。決して雨ではない、人間の涙で、皆さんの目元が濡れているの。その後、体育館で皆さんと直接お会いしたわけですけれど、みんな口々に『来てくれてありがとう』と言ってくださった。わたくしたちの手を強く握り、そして、わたくしたちも握りかえした。……けれども、わたくしたちにできることは、せいぜいそれだけ。……それでも、そうだとしても、わたくしたちは、この人たちのために祈らなければならない、必要とされるかぎり、この人たちにとっての支えでなければならない。―その時、強くそう思ったの」

 ふと奥様が、神様の方をご覧になったように思いました。神様は何も仰らず、穏やかな表情で見守っておられます。奥様は続けてこう仰りました。

「そして、その日以来、毎日、わたくしたちはここで、こうして祈ってきたの。一日も欠かすことなく、人々の願い事に向きあってきたの。人々が必要とするとき、必要とする場所でその支えとなれるように、そういう日のために、この街の人々の悲しみや苦しみを知り、日頃から、できるかぎりその思いに寄り添おうと努めてきた。そして、そういう気持ちでわたくしたちが過ごしてきたということに、執事さんにはきちんと気付いておいていただきたいのよ」

 それから不意に、奥様が口をつぐまれました。少しばかり首を傾げて、しばらく思案げにお手許をご覧になっておられました。そして、まるで何事もなかったかのように、にっこりと頬笑まれると、話題をふたたび昔の思い出話に転じられたのでした。


 お茶が終わると、私は足早に執務室へと戻ろうとしていました。なぜだか、ぼんやりと動揺していました。

 執務室には、まだ執事長が在室していました。普段なら夕方には帰宅するのに、この日はどうやら私のお茶が終わるのを待ち受けていたようでした。

「ずいぶんと長かったじゃないですか」と開口一番、執事長は嬉しそうに言いました。「あれくらいお話し相手が務まるなら、執事の出だしとしては上々ですよ」

 私は曖昧に微笑しました。

 あの時、本当は、執事長の褒め言葉にもっと素直に喜んでも良かったのかもしれません。しかし、そういう気持ちにはなれませんでした……人のために祈る。しかも、身内でもない誰かのために、事実、自分の人生を犠牲にして祈る。そうした生き方に、“きちんと気付いておいていただきたいのよ”……奥様はたしかに、そう仰ったのでした。けれども、そのお話しを伺った私自身は、そうした生き方とはかけ離れた、もっとずっと利己的な生き方をしてきたのでした。このお住まいに異動してきたときだってそうです。すでにお話ししたように、私に何か高尚な思いがあったわけではありません。会社の人事に命ぜられるままにやってきて、普通の人なら一生関わることのない特別な職場に足を踏み入れたという事実に己れの小さな自尊心を満たしていたのでした。そんな自分が、奥様の仰るとおりにご夫妻のお気持ちに()()()()()()()()()からといって、果してこの職場で何のお役に立てるのか? そんなことを考えると、甚だ場違いで、心許ない気がしました。

執事長は、そういう私の内心にうっすら気付いたのかもしれません。あの時、不意にこんなことを口にしたのでした。

「鳥居橋さん、なにも不安に思うことなどないのですよ。ここには、わたしのような老頭児(ロートル)にしかできない仕事があるように、あなたのような若者にしかできない仕事がある―大切なことは誠意ですよ。誠意をもって尽くしなさい」


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