ご挨拶
尓シテ髙天原動ミテ八百万ノ神共ニ咲フ
―『古事記』
神様ご夫妻のことは、この街にいるかぎり、自然と耳にすることがあります。道ゆく人に問えば、百人が百人とも、神様がこの街で最も由緒ある一族の末裔であることを知っているでしょうし、ご夫妻がイロハニ神社の境内の奥深くにお住まいであることも教えてくれるはずです。しかし他方で、その御方が一体いつから“神様”と呼びならわされ、普段はどんなお仕事をしていて、どんな生活を送っておられるのかと訊かれたら、大方の人は答えに窮するに違いありません。そして、なぜ神様がこれほどの敬意をもってこの街で遇されてきたのかと訊かれたら、ある人は返事に困って、代わりにこう答えるかもしれません。
「そりゃあ、神様は、神様だからさ」
そう、そこに理由などないのです。しかし、仮に今日、皆さんがこの街に移り住んできたとしたら、この街の人々は、やはり皆さんにご夫妻のことを誇らしげに語ってきかせるに違いないのです。実際、私自身、幼い頃からそうやって育ってきたのですから。
ほんのひと昔前までは、神様ご夫妻は今よりももっと頻繁にイロハニ神社から街へと降りてこられて、この街のあちこちで開かれる慈善行事にお姿を見せることがありました。そして、そうした機会には街中の記者がこぞって駆けつけたものです。彼らはこの街の人々からご夫妻へと注がれる広範な関心に応えるために、「ご夫妻が震災の被災者を慰問された」とか、「障がい者スポーツ大会の開会式にお越しになった」とか、そういうニュースを量産しました。もっとも、普段なら芸能人や有名スポーツ選手といった著名人を相手に、あの手この手を駆使してプライベートを暴き立てるこの街のゴシップ誌の記者ですら、殊にご夫妻のこととなると筆を抑えて控えめな姿勢に徹します。それは彼らが街中からご夫妻に寄せられる深い敬意に遠慮するからですが、逆にご夫妻にまつわる報道のほとんどがどことなく公的で、型どおりの印象しか与えないものだったことも事実です。いつだって聖人のように描かれるばかりで、その実どんな方々なのか―もちろん、年に幾度かはその肉声が報じられることもあって、私はその度にご夫妻の実直なお姿に好感を覚えたものですが、そうした機会はやはり稀であって、日ごろ私はご夫妻のことを、自分の暮らす世界とは隔絶した雲の上のイコンのように思って生きてきたのでした。
そんな私がご夫妻のお側で働くことになったのは、この街で元号がかわって初めて迎える春―私にとっては二十代最後の春でした。
「鳥居橋さん、内示です」
あの日の朝、出勤まもない私の卓上に会社の人事から電話が鳴りました。
「来月の十日から、鳥居橋さんはイロハニ神社に出向です」
思いもかけない異動先に不意を突かれて私が思わず押し黙ってしまうと、人事の担当者が続けて言いました。
「職務はなんでも、“神様の執事”だそうですよ」
一体どんな仕事なんでしょうねえ? ―社内ではこれまで誰も聞いたことのないこの特異な異動先について、その後、同僚の面々から寄せられた好奇の眼差しと冷やかしまじりの祝福に、私は冗談めかして、ムッとした沈黙で応えたりしていたのでしたが、内心はたしかに有頂天でした。今度の異動は社内での栄転というわけではないけれども、普通の人なら一生関わることのないような特別の職場に足を踏み入れることになって、私の自尊心は大いにかき立てられていたのです。
他方で、今度の出向に、これまでの社内異動にはなかった不安を覚えたことも事実です。昔からこの街には“出仕の慣行”というものがあって、街の象徴ともいえる神様をお支えするために、街の官公庁や一部の大企業が代々持ちまわりで職員をイロハニ神社に出向させてきました。しかし、私が当時在籍していたような中堅商社にそのお鉢が回ってくることは滅多にないことのようでした。私自身はもちろん、イロハニ神社には縁もゆかりもなくて、当然そこで働く自分の姿をイメージすることは容易ではありませんでしたから、人事にいろいろと訊ねてみたのですが、会社の方も詳しい情報は持ち合わせていないのでした。曰く、この会社から神社に出向させるのは私が初めてであって、当然、前任もなく、担当者は詫び言を口にしながら「近々、神社の方から直接連絡がありますから」と言って私を宥める始末でした。
もっとも、そうした会社側の対応の背景には致し方ない理由があったに違いありません。
今にして思えば、私の新しい仕事は神様ご夫妻のプライベートに直結するものでしたから、職務について事前に多くを明かされなかったのは、むしろ当然の成り行きだったのかもしれません。しかし内示後に、執事長なる人物から連絡をもらったときは、やはり多少、奇異に感じたものでした。
ところで、執事長のことは、ここで少しご紹介しておいた方が良いかもしれません。イロハニ神社で私の上司となった執事長の門司さんは、年の頃は七十前半、分厚い瓶底メガネの背後にいかにもやさしそうな瞳を覗かせている好々爺で、神様ご夫妻の身の回りのことなら何にでも通じている、この道二十五年のベテランでした。
その人物から電話があったのは、内示から三日が経った日の夕方のことです。
「どうも、鳥居橋さん。この度はご異動おめでとう」
電話口から聞こえてきたのは、幾分甲高いけれども、穏やかで落ち着いた声でした。
ありがとうございます、と応じて、二言、三言挨拶を交わした後、その声のトーンの心やすい感じに促されて、私は早速、新たな職務について、いろいろと聞き出そうとしたのでした。
ところが、執事長は相変わらずの穏やかな調子でこう切り返しました。
「今はいろいろと分からないことが多いでしょうが、なにも心配なさることはありませんよ。われわれとしては、鳥居橋さんには清らかな心一つで来てもらえれば十分なのです。仮に今日説明してみたところで、やはりこちらの仕事は一朝一夕に理解できるものではありませんから。まあ、そうは言っても、やはり少しばかりお伝えすべきことがあって、お電話したんですがね」
続く執事長の話は、とても瑣末な事柄ばかりだったことを覚えています。勤務は朝が早いこと、週に一度は宿直があること、宿直中はシャワーが使用できるので着替えやタオルを忘れずに持参すること……。私としては、もっと新しい仕事のこと―主な役目は何で、毎日どんな業務サイクルで過ごすのか、職場にはどういう人がいて、毎日誰と一緒に働くのか、職場は今、何を目標としていて、どんなプロジェクトが待ち受けているのか―本当はそういったことが知りたかったのですが、執事長は矢継ぎ早に話を済ませると、私が口を開く間もなく総括するように言いました。
「……今お話ししたことは勤務すれば直に分かることですから、なにも今日、すべて頭に入れていただく必要はないのです。ただ、これからお伝えすることは、初日の出勤に関わることなので覚えておいてください―それは勤務場所のことなんですがね、われわれの職場は神社の“表”からは辿り着くことができないのです。たとえ参道から一ノ鳥居をくぐって、どんなに境内を彷徨ってみても、迷子になるのが関の山です。ですから、出勤する際は、どうか一ノ鳥居はくぐらずに、その手前で右に折れて、そのままお濠沿いに歩いてきてください。境内を挟んで、ちょうど一ノ鳥居の反対側くらいに、われわれがタヌキ門と呼んでいる職員用の通用門―他に門らしい門はないところですから、すぐに分かるかと思いますよ―がありますから、そこまで来ていただければ、あとは適宜ご案内しましょう」
そこまで説明してしまうと、執事長は一呼吸置きました。その際、私は先ほどから頭に浮かんだまま宙ぶらりんになっていた質問のいくつかを口にすべきか悩みましたが、結局は何も言わずにいて正解だったように思います。仮に訊ねてみたとして、思うような答えは得られなかったでしょうから。
「……さて、心配事は様々あるかと思いますが、今日お話ししてもピンとこないことがほとんどでしょう。着任されてから、いろいろとお教えしますよ。では、来週月曜日の朝九時にタヌキ門でお会いしましょう」
こうして私は、新しい仕事のことはほとんど何も知らないまま、勤務の初日を迎えたのでした。
その日が曇天だったことは、今でもよく覚えています。からっからの冬がすぎて、東の生暖かい春風の巻きあげる黄色い砂塵でなんとなく眠たげな朝でしたが、私が降り立ったα駅のあたりは普段と変わらずドタドタと慌しく鼓動していました。
イロハニ神社の最寄りにあたるα駅は、この街では言わずと知れた巨大なターミナル駅です。街の東西南北を結ぶ鉄路の要衝で、平日の一日の乗降者数は百万人を数えるはずです。毎朝、その乗降者のうちの数万人を、瀟酒な赤煉瓦の駅舎が周囲に建ち並ぶガラス張りの摩天楼へと吐き出していきます。
その日、通勤ラッシュの人混みをかき分けて、私は一人、駅前をオフィス街の外れに向かって歩いていきました。下ろし立てのダークスーツに、宿直用の着替えや洗面セットを詰め込んだスーツケースを引いていたので、この季節らしい明るい装いで颯爽とすれ違っていくビジネスマンの真っ只中で、私はお上りさんみたいな気後れを感じずにはいられませんでしたが、神社に行き着くには、どうしたって駅正面の大通りを進んでいかなければなりません。その大通りの中央に設けられた全長一キロ余りの銀杏並木のプロムナードが、現代でも神社の表参道としての役割を担っているのです。
ところで、イロハニ神社は、元から現在の場所にあったわけではありません。神社の創建そのものは、すでに辿りきれないくらいに古くて、初めて史書にその名前が記されたときから数えても千五百年の歴史があります。けれども、社殿がこの街に遷されたのは比較的最近のことです。それは今からおよそ百五十年前の近世の終わり、最後の封建領主が立ち退いたその居城の跡地に、この街の人々からは新時代の幕開けを告げる神託のようにして、イロハニ神社は神様の一族とともに迎え入れられたのでした。
以来、この神社は神様を戴く社として、街の人々から別格の扱いを受けてきました。年始になれば、今でも必ず市長をはじめとする政治家が参詣して街の繁栄を祈って玉串を奉奠しますし、何もそうした要人ばかりでなく、市井の、普通の人々も人生の節目節目に赴いては思い思いに参拝します。特に、この神社の絵馬は昔から人々に人気であって、街の一ノ宮たるこの場所で願えば、ともすれば沈みがちな日常の中で何か良い事にめぐり逢えるかもしれない―そういう理屈だけでは説明しがたい人間心理のうちに、人々は絵馬へと願い事を綴るのでした。
α駅も、元々はそうした参詣者の便に建設されたのでした。近世には大名屋敷が軒を連ねていた界隈に、当時の市長の主導の下、やがてはこの街の近代建築を代表することとなる赤煉瓦の駅舎と石畳のプロムナードとが一体として整備されました。その駅の建造以来、この街は駅舎を中心に再開発に再開発を重ねて、どんどんと高層化するオフィス街へと塗りかえられていきましたが、駅舎とプロムナードだけはそうした再開発を免れて、かえってきれいに整えられてきたのでした。その事実は、この街のイロハニ神社に対する敬意の何よりの証しとさえ言えるのかもしれません。
さて、そのプロムナードの突き当たりが神社の一ノ鳥居でした。すでにあれほど忙しなかったスーツ姿はすっかり影をひそめていて、代わりに黒く大きな鳥居の向こうには熱心な参拝者の姿がちらほらと見え隠れしています。私はそこまで行きつくと、執事長から言われたとおりに鳥居はくぐらずに、境内をぐるっと取り巻いているお濠に沿って進みはじめましたのでした。
神社の敷地は広大でした。実際、境内を挟んで一ノ鳥居の真反対に位置するタヌキ門まで、ゆうに三十分以上は歩いたのではないでしょうか。やはり、この神社が近世最大の城郭を引き継いだということは伊達ではなくて、片道三車線の大通りが丸々一本収まるほどの幅のあるお濠も、そのお濠の淵から高々とそそり立つ堅牢な石垣も、すべてその名残りでした。そして驚くべきことに、これらの巨大な遺構は、ほとんど近世の姿そのままに今日にまで残されてきたのでした。以前、何かの機会に、この街の夜を撮影した衛星写真を見たことがありましたが、オフィス街や繁華街が煌々と電飾を灯して昼のように輝いて見えるなかで、この神社の一画だけが、かつての城郭の曲輪そのままに黒々と浮かび上がっていたことを鮮明に覚えています。
今は神社の職員通用門として使われているタヌキ門も、そうした古い城郭の一部でした。しかし、昔からタヌキ門などと呼ばれていたわけではありません。後日、執事長から聞かされたところによれば、近代に入って、この城址に棲みついていたタヌキが夜間この門からこっそりと街に餌漁りに出かけるところを目撃した職員がいて、それから自然とそんな名前で呼ばれるようになったのだそうです。
少し登り坂になったお濠沿いのカーブを曲りきると、遠景にそのタヌキ門が姿を現しました。石垣と石垣の間にちょこんとはまり込んでいるみたいで、小ぢんまりとして見えます。しかし、どんなに小さく感じても、門そのものを見過ごすことはありません。門前のお濠はほとんど河川のようにして神社を街から隔てていて、そこに渡してある一本の長い石橋が、そこが一ノ鳥居とは別に、裏から境内に向かうことのできる唯一の道であることを示しているのです。
石橋の袂には守衛の詰所がありました。守衛は、初めはそれらしく、制帽の下に険しい顔を覗かせていましたが、私が名乗ると途端に笑顔になって道を開けてくれました。守衛が何の資料も確認せずに、私の名前を耳にしただけで態度を一変させたことからすれば、この日この門の来客は私くらいしかなかったのかもしれません。
タヌキ門は、石橋を渡って近付くにつれて、次第にその威容をはっきりとさせてきました。先ほど遠巻きに眺めた姿が嘘のように、それは大きな切妻屋根をのせて黒々とそびえ立つ古の城門でした。日差しに焼かれて黒光りする門扉には無数の筋金が打ちつけてあって、昔日の城塞の重厚さを思わせましたが、今やそれが覆いかぶさるように私の視界を塞いでいきます。
とうとう門の正面に立ったとき、日陰のせいで寸分の隙なく閉じ切られているように見えた観音開きの門扉の右側が、実はわずかに押し開かれていることに気付きました。まるでタヌキが一匹駆け込んでいった跡のようなその細い隙間から中をうかがってみると、どうやら私を待ちうけているらしい人影があって、鋭い眼差しでこちらの様子を見張っています。
思わずギクリとして、手許の時計に視線を落とせば、すでに九時―約束の時刻です。私はそのタヌキ門の隙間から、恐る恐るイロハニ神社の世界へと身を差し入れたのでした。
タヌキ門の向こう側は、まるで森の中に突然現れた広場のようでした。周囲は木々に覆われていましたが、広場そのものに狭苦しい感じはありません。気付けばここでは、先ほどまでの曇り空が青空にとってかわられていて、天頂はすっかり開けています。
広場の中央に、黒塗りのセダンが一台停まっていました。後部ドアの前には、門の隙間からずっと私を睨みつけていた男性―藍色の制服・制帽を身に付けていて、どうやら専属の運転手らしいのでした―が控えていて、見るからに私の到着を待ちかまえています。
男は険しい表情をしていて、そこには噛み殺したような苛立ちが見え隠れしていましたが、私がおもむろに近付いていくと、慇懃にも両腕を駆使して、後部ドアをゆっくりと開けてくれました。すると、
「早く乗りなさい!」と車内から甲高い声が響きました。
その特徴的な声は執事長のものに違いありません。ですが、数日前に電話で話したときの、あの親しみやすさはまるでなくて、鋭い怒気が籠っています。
「早く乗りなさい!」と、ふたたび執事長の声が響いたとき、まるでそれが合図だったかのように、私は運転手に小突かれて後部座席へと前のめりに投げ込まれていました。いつの間にやら手持ちのスーツケースは回収されて、助手席に積み込まれています。
車が森の方へと走り出したとき、執事長はまだ黙ったままでした。車は鬱蒼とした森の中をひたすらに駆けていくようでしたが、時折差し込んでくる木漏れ日が、執事長の横顔に光と陰の綾をなして過ぎていきます。妙に張りつめた表情でした。
「鳥居橋さん、すでに何時だかお分かりですか?」
不意に執事長が銀鎖の懐中時計を差し出して、文字盤を指でコツコツと叩きました。時刻は九時をすでに十五分ほど過ぎていました。
「われわれは、もう予定を五分以上も遅れている」
しかし、何をそんなに急ぐのでしょう? そう物問いたげな表情を私は浮かべたのかもしれません。私の察しの悪さを詰るように、執事長が厳しい口調で言いました。
「今日は鳥居橋さんにとっては初日ですから、これから着任のご挨拶(、、、)があるのですよ」
そんな話は事前には聞かされていなかったはずですが、そうした行事が予定されていることは、ここではさも当然のことのようなのでした。
ふと執事長が車窓の向こうを指差しました。
「ほら、あれが、われわれの職場ですよ」
木々の切れ間から、鶯色の屋根が覗いていました。そしてその方角を目がけて、車はゆっくりと緩やかなS字のスロープを下りはじめていました。
私たち職員が普段、“神様のお住まい”とか、あるいは単に“お住まい”と呼んでいたその建物は、さながら森の迎賓館のようでした。お住まいは神社の広大な境内を真ん中で東西に隔てている大池のほとりにあって、造りは鉄筋コンクリートの平屋建てでしたが、外観は和風で、古い土壁を模した黄土色の外壁に銅葺きの入母屋屋根をのせています。その装いは質素で、控えめな美しさを湛えていましたが、建物中央の表玄関は堂々たるもので、セダン一台を悠々と収めるだけの立派な車寄が設けてあります。
あの日、車窓からお住まいを眺めていて、私はその車寄に何だか見覚えがあるような気がしていました。少し考えてみれば、それもそのはずで、この車寄の奥にある欅の大扉を私は幼い頃から幾度となくテレビで目にしてきたのでした。昔から、この街にとって重要な賓客や海外からの使節は、神様ご夫妻が自らお迎えになるのが慣わしでしたが、その大扉の前でにこやかに挨拶を交わされるご様子は、街のメディアにとっては恰好の報道素材でした。特に、緊張をにじませてどことなく硬い表情の外国の要人を、自然体で和やかにお迎えになる神様という構図には、この街が今から半世紀近く前に達成した劇的な経済成長の歴史によって、未だに世界中から勝ち得ているある種の畏敬の眼差しをシンボリックに意識させるところがあって、私自身、テレビで見るたびに誇らしく思って生きてきたのです。
そんな特別な場所に連れてこられたことを実感して、私の胸はいよいよ高鳴っていました。もちろん、私自身がその車寄をくぐることを許されたわけではなかったのですが。
私が連れていかれたのは、お住まいの正面をぐるりと回り込んで裏手にある職員棟の通用口でした。褐色のタイル張りの建物の、お住まい本体とは打って変わって事務的な感じのするガラス扉の前で降ろされて、
「さあ、急いで」
と執事長に急かされました。
「スーツケースは、こちらで執務室に運んでおきますから」
ガラス扉の向こうは、無機質な白壁のホールでした。手前の壁際には、段ボール箱やパイプ椅子が無雑作に積み上げてあります。
執事長に従って、その備品の山を足早に横切り、狭い通路を抜けると、またしても大きなホールに出ました。今度は見るからに高級な造りで、床は黒地に白いまだらの混じった石材で御影石のようです。左手はどうやら中庭に面していて、大作りなガラス窓から春の光がホール一面に射し込んでいます。その窓辺の中央には青々と茂る大きな松の盆栽が置かれていて、その盆栽の対面の翳りのなかに、先ほど車窓から眺めた欅の大扉がほんのりと褐色に浮かんでみえます。
どうやら、このホールがお住まいの正玄関のようでしたが、この場所を堪能する暇もなく、半ば駆け足で通りすぎると、その先はお住まいの奥へと続く大廊下でした。
大廊下の真白な絨毯に足を踏み入れたところで、不意に執事長が振り向きました。
「ここでは道の真ん中を歩いてはいけませんよ。そこは神様がお通りになるところですから」
ご挨拶のために通されたお部屋はその大廊下の突き当たり、向かって右手にある大広間でした。畳二畳ほどもある部屋の入口の開戸は左右に大きく開け放たれていましたが、室内が見通せないように、手前には絹張りの衝立が置かれています。二羽の飛翔する銀の鶴の刺繍されたその衝立を回り込むと、そこは明るく、開放的な板張りの空間でした。南側が一面の障子窓で、部屋の隅々まで春の柔らかな日差しを呼び込んでいます。天井には花菱を数珠繋ぎにしたような和風のシャンデリアが縦に三つ並んで灯してありましたが、その照明さえ不要なくらいに、ここは暖かな光にあふれていて、その光の中を私は部屋の中心へと導かれていったのでした。
「なにもそんなに緊張することはないのですよ」
大広間の中央に立たされたとき、情けないことに私は小刻みに震えていたのでした。
「これから神様ご夫妻をお連れしますが」と執事長が私を落ち着かせるように言いました。「なにも難しいことなど、一つもないのですよ。ただ、ご夫妻のお姿が見えたら一礼、正面にお越しになったら、今度は深く一礼。そうしたら今度はお言葉がありますから、もう一度深いお辞儀を返してください。この間、鳥居橋さんから何かお話しいただく必要はありませんから」
ほら簡単なことでしょう、とでもいうように執事長はにっこりと笑って、衝立の裏に姿を消しました。
それから先の時間は、ひどく引き伸ばしたように感じられました。好奇心や期待、不安といった感情が入りまじった気持ちの昂りのなかで、広間に一人立ち尽くしているのは心細く感じました。私は所在なく目の前の障子窓や数珠繋ぎのシャンデリアに目を凝らしていましたが、そのうちに、とうとう板の間いっぱいに、ゆったりとしたリズムで靴音が響いてきたのでした。
現実にお目にかかる、この街の神様は小さなおじいさんでした。
濃紺のダブルのスーツに見事な銀髪、お歳のために背筋はもうずいぶんと丸くなっておられて、テレビで見るよりもずっと小柄な印象を受けました。そのお隣には神様の奥様が控えていらっしゃいましたが、こちらの老貴婦人は淡いグレーの装いで、何かにつけてご夫妻にまつわる華やかさや威厳を取り立てて報じたがるテレビのイメージとは、なんとなく違った静かな印象がありました。
一礼して顔を上げると、神様がまじまじと私を見つめておられました。一歩半ほど離れたところから、ほとんど首を伸ばすようにして、眼差しには満々とした好奇心が湛えられています。私は内心、泡立つようにどぎまぎとしていました。どこに視線を合わせたものやら、あちこちに目を泳がせて、たぶんとても落ち着かない様子に見えたと思います。
しかし、それも束の間のことでした。すぐに、救いの手が伸びてくるように、ご夫妻の後方から執事長の腹の底から発したような大きな声が響いてきたのでした。
「本日付けで執事に着任した鳥居橋でございます」
神様がおもむろに、スーツの内ポケットから何やらメモのようなものを取り出して一瞥されました。そして、ふたたび私の方をご覧になって、
「お役目ご苦労に思います」
神様のお声は穏やかで、極度の緊張にあった私の心には染みわたるように優しいものでした。
「新たな勤めを元気に果たされるよう願っています」
お言葉にあわせて、奥様が私に向かって小さく頷かれました。
ご挨拶はこれで一切でした。私がお言葉に深々とお辞儀を返すと、ご夫妻は執事長の先導で衝立の向こうへと引き返していかれました。
私はその後ろ姿をぼんやりと見送って、今しばらくは、普通の暮らしのなかでは決してお会いすることのない特別な方々にまみえたという、どことなく現実感がなくてミーハーな高揚の余韻のなかにいましたが、まさかそのご挨拶が、あんなにもご夫妻のお側で過ごす新たな日々の始まりになるとは、その時は率直に思いも寄らなかったのでした。