4.ユキア、禁を破って国抜けする【ユキアの幼少時の物語】
この第4章は、書いて投稿するべきか、悩みました。
物語が、冗長になるかなと思ったからです。
ちょっとした短編小説風です。
然し、ユキアの子供の頃を描く場面は、涙の物語です。
何れにしても必要になるので、投稿することにしました。読み飛ばしてもOKです(笑)
宜しくお願いします。
父ソウガの正室で、オレとナツヒの母タラサは、戦地に思抜くことが多い国主から、二人の子供の教育は殆ど任されてきた。
母タラサは外つ国の男性とパークスのくのいちーー女忍者のことーーとの間に生まれている、
その点を問題視した国主ソウガの父ブウノは二人の結婚に当時時の国主として反対していた。
然し、ソウガは耳を貸さず、押し切って母タラサを正室としていた。
母は、スペース家のルーナ、父ソウガの妹ムルベルと共に、パークスの3大美女として知られていたらしい。
妖艶な美貌だと評判で、女性としては数少ない1等上忍の一人でもある。
ルーナと並び、俊英の名が高い女性だった。
父ソウガから母は、二人の子供をパークスの後継候補として、
「超一流の侍忍者として育て上げよ!」
厳命を受けていた。
母は、オレとナツヒいずれも3歳の時から、基本忍術と武術を教育し、それぞれ5歳になると、忍術はクーゴ老師の下で、武術は四獅王最強のグラビィスの下で修業させる一方で御三家のマリス家、ラーディックス家、スペース家の下でも術や技の鍛錬をさせてる。
こうした英才教育はオレ達二人の子供が国主の子供でだったからだ。
通常は、陰陽術に名残から名付けられたのか、陰陽座というパークスの国家機関で5歳になると修行に入る。
それはオレやナツヒも同様で、二人は陰陽座の修行以外に、パークスで超一流の侍忍者達から育てられていたのだ。
毎日朝5時に起きて午前中は老師や、グラビィス、御三家を音訪れて修行に励む。
だけど、陰陽座の修行は午後からだったから、他の修行者はそれぞれの家業を手伝う、もしくはパトリア島の恵まれた大自然と戯れる。
陰陽座は、忍者養成機関としてだけではない。
他国でいうところの傭兵ギルド同じ役割を持つルーナが責任者の任務管理部があった、
それは、一人一人の忍者に適切な任務を与えることを実現。
他に、国主が責任者を兼ねている武器・兵器開発部、老師クーゴが責任者の新術開発部、コウザンが責任者の忍術具開発部がある。
陰陽座はその特殊性から、代々国主の直轄機関となっている。
自分で言うのもなんだけど、オレとナツヒは順調に育っていたと思う。
でも、オレに思いもよらない重大な身体的欠陥が判明。
それは…………左目の失明。
忍術医の診断によれば、眼球内の血管から血液の成分が漏出する病だった。
漏れ出た血液の成分が、眼球内を濁らせるのだという。
眼球が濁り切ってしまう前に、問題を起こしている欠陥を発見して、チャクラーー他の法術でいうところの法力や魔力の事ーーを注ぎ冷凍してしまえば、失明を食い止めるのが出来るらしい。
だけど、オレの場合既に手の施しようがなかった。
そもそもこの病は、発見できること自体稀で、出来た時にはオレのように失明しているか、ほぼ失明しかけてるかどちらかだという。
めったに見かけることのない奇病。
緋眼、緋髪で生まれたオレは、国祖と同じ目と髪だったことから、父ソウガを筆頭に多くの者達が、ユキムラ公の転生者と信じ祝福してくれていたという。
然し、隻眼だということは、遠近感に重大な支障をきたす。
敵との戦闘時、間合いにはっきりと狂いが生じてしまう。
戦場に身を投じ闘う者にとって、それは致命的だった。
このことは、オレだけでなく、父や母、多くの者に失望を与えてしまう結果に。
かてて加えて、オレの左目は、底翳そこひ等他の病も発症し白眼化してしまう。
この頃、パークスの国主ブウノは、正室で嫡男ソウガと、長女ムルベルの母、ウェールが病死したことを機に、国主の座をソウガに継がせ、首都カネレの北にある町フィニスに隠居している。
若き父、国主ソウガにとって祖母ウェールとの別れは辛い事だったろうし、オレの身体欠陥も想定外の不幸だったに違いない。
それでも父ソウガはそういったことをおくびにも出さず、パークスに身命を捧げ、東奔西走し、精力的に動き続けた、
父は母に、隻眼のオレを甘やかすことは赦さず、侍忍者としての英才教育を続けるように命じた。
けれどもオレは、白眼化していくだけでなく、斜視が進む醜い左目を人前でさらすことが、嫌で嫌で仕方なかった。
忍術や武術の修行にも身が入らず、人前に出ること自体拒否したい程、心と魂が滅入っていく。
そんなオレを父ソウガは容赦なくしかり飛ばした。
それは父にしてみれば、オレの将来を案じるが故の、愛情表現の一つだったのかもしれない。
でも俺は、憎めない可愛い面輪の弟ナツヒが、術や技を会得して周囲から称賛されるのを羨望するのが精一杯だった。
当時はーーもう僕が侍忍者として戦地に向かうのは無理だ。
次のパークス国主は、ナツヒで決定だと思う。
と一人、孤独を囲っていじけてしまう。
そんなオレの8歳の誕生日のことーー。
日の出を待っていたかのように、老師クーゴが龍鳳館を突然訪問して来た。
オレはもう値を覚ましていてーーもし寝てたとしても、飛び起きることになったであろうがーー、朝餉の準備が整うまでと、居室の肘掛椅子に座り、文机に広げた忍術の巻物を読みふけっていたところだった。
そこは一風変わった二間続きの部屋で何れも12畳の広さ。
外つ国からより寄せられた、ふわふわの絨毯が敷かれた奥の間右隅に寝台ベッド」があり、すぐ隣にオスクーーオスククリスタの略称、クリスタッルムの台画面上部に映し出される種々雑多なな立体映像番組をsちぃう出来る、クリスタッルム器機の一つ他国と違いパークセでは放送局の数は少ないーーと、カンクーーカンティクリスタの略称、クリスタリア(友情はCRと略す)という音楽や録画、再生出来る媒体のクリスタッルム器機の一つーーを載せた高さの低い黒檀の物入台があった。
その上には、上部が半円形の大きな窓が二つ並び、赤金の曙光を文机とユキアに浴びせている、
寝台の反対側の壁には、箪笥たんすや書棚がずらりと続いていた。
書棚には、忍術書は勿論のこと、兵法書、史書、幻獣図鑑、刀剣目録、世界史考古学等、その他多種多様な書籍が整然と収納されている。
手前の部屋は、奥の間より天井が高くなっていた。そこは、ユキアが武術を鍛錬する部屋。
窓のない左右の壁には、刀、脇差、両手剣、長剣、短剣、槍、槍斧、短弓、短弩等々、銃系を除くあらゆる武器が、あちこちに掛けられている、
板床の上に畳が広がっていたが、擦り切れてボロボロになっている。
老師クーゴはいつもの大音声で、
「ユキア! 今日は全くおめでたき日でござるのぅ!」
緋眼、緋髪で生まれてきたお主をユキムラ公の生まれ変わりじゃと、国中が喜んだあの日が、儂には昨日のことのように思い出せるでござるよ!」
どかどかと、跫音を大きく立てながら館に上がり込んできて、中庭を一望できる板敷12jの応接間の西側、入り口に近い座椅子に腰を据えた。
床の間にサナーレ山とアルケラス河を水墨画が鑑賞できるだけの、飾り気の全くない無骨な一室。
が、高木の中でも至宝とされる伽羅きゃらの芳しさは、この部屋の凛冽りんれつさの中風韻を感じさせてくれる。
ボクは慌ててつんのめりそうになりながら、大急ぎで応接間に向かう。
「老師、こんな朝早くから一体何事ですか?」
驚くボクに、クーゴはここに座れと左隣にある座椅子を引き寄せ、ポンポンと優しく叩く。
「まだ寝ぼけておるでござるか? お主は今日で8歳でござろう。
おめでたきことでござる。
ほれっ! これをユキアに贈るでござるよ」
老師は懐から将棋の駒入れに似た木箱を取り出し、蓋を開け、緋色の革で拵えた眼帯を広げて見せ、
「お主にきっと似合うでござる。 今日からこれを使うと良いでござろう」
老師はそれをボクに手渡す。眼帯の中央は、六芒星の穴が開いたドエルン金貨が正六角形に結ばれ、計6個並んだ金模様が施されている。
それは『六連貨』と呼ばれるヴェルス家の紋章、家紋だった。
或いは、三途の川の渡し賃とも伝えられていて、戦場で落命することを恐れず、覚悟はできている、いうヴェルス家の勇猛果敢な心魂を表していた。
その革の重厚な手触りは。牛、蛇、鰐とは異質のもので、ボクは初めて得た感触だった。
それらよりも硬いのだけれど、何故か弾力性も備えている。
面妖さを帯びた表情と共に喜びの入り混じったボクの顔容の横には、いつの間のあらわれたのか、ナツヒが羨ましそうに眼帯を見ていた。
ボクは「有難う御座います。大切に使わせて頂きます。ところでこれは何の革ですか?」と老師に尋ねた。
「これは、遠い昔、儂をかばって命を落とした龍の革でござる。
お主の左目、その白眼を守るにはちょうど良い塩梅でござろうが?」
と老師はにこにこ笑って答え「何れわかる時が来るでござろうが、緋眼も白眼もそれぞれ異なった眸術を操る秘められた力があるでござるよ。
その他の眸術全てに共通していることでござるが、眸術を操るには、チャクラの制御を必要とする故、強い精神力が必須でござる。
要するに、心の鍛錬が不可欠でござる」
老師は、ボクに眼帯を結ぶと、手鏡でその面を本人に見せた。
龍革は非常に高価なものだと誰でも知っている。
それを眼帯にして、惜しげもなくボクに与えてくれて老師に他する感謝。
鏡の中に移る、醜い左目を隠した自分の相貌に、何故か自信という塊がこみ上げてくるという喜び。
何より、老師が僕自身誰にも言えなっかた苦しみを、黙って理解していてくれたことを感じて、兎に角嬉しかった。
緋隻眼には、見る見るうちに大粒の涙が溢れ、ぼろぼろと零れ落ちていく。
「涙は時に、人のキスを清めてくれる良きものでござる。
然りながら、流してはならぬ涙もあるでござる。
然る程に、人生委は難しいでござるのぅ。特にわれらは、の」
老師はすっと立ち上がり「兄弟仲良くすることが大切でござる。お主の誕生日は8月20日であったな。
頑張って修行に積んでいれば良き報いもござろう」
老師はにっこりと笑い、また大きなな跫音をたてて、龍鳳館から去った。
パークスの武術、忍術共に最強を誇る侍忍者らしからぬ、老師の立てた大きな跫音に、ボクとナツヒは互いを見合わせて笑う。
抜き足、差し足、忍び足、これが忍者の基本だということは、この国では3歳の子供でも知ってるのだから。
※※※※※
ユキアの誕生日から約9か月たったある寒い冬の日ーー。
父ソウガは外つ国のリビを側室として迎え、その一族ごと受け入れた。
以来、父はリビの居館に入り浸っている。
正室タラサの居館には寄り付かず、昴城に呼ばれることも無くなってしまう。
ボクは時折母の寂しそうな姿を見かけていた。
夕闇に覆われた自らの居館の中庭で、昴城を見上げ静かに佇んでいる母。
その姿は、僕の心をぎゅっと締め付けるような痛みを与えた。
リビより美しく聡明な母に、何故父が近づかなくなったのか、ボクは理解に苦しんだ。
母のことを忘れたのかと思わせる父の振る舞いに、腹が立って仕方がない。
けれども、そのお陰といっていいのか、父ソウガに忍術。武術の修行成果を確認される機会が減ったのは、内心ほっとしていた。
修行結果がちちの求める水準レベルに達してなかった場合、容赦なく殴る蹴るといった厳しい体罰を受けなければならなかったから。
それを交わしたり、防御すれば、火に油を注ぐことになるので、歯を食い縛って照るしかなかった。
リビが側室となり、数か月たったある日……。
母タラサは父ソウガの命により、突然当方の戦地に向かった。
母タラサは、任務で国を離れる時は必ず僕達の龍鳳館を訪れて優しい笑顔を見せ「直ぐ帰ってくるからね。食べ物は粗末にしないで、きちんと全部食べるのよ。頑張って修業にも励んでね」度と声を掛けてから出撃して行った。
ところが、この時それはなかった。
寂しさと、尋常ではない空気がそこに生まれて漂う。
言葉にするのが難しい不安感が、ユキアの心の中で膨らんでいく。
ボクの胸中には、冷たく重々しい風がやむことなく吹き続けていた。
ーー約1か月後、ボクとナツヒの耳に、身も心魂も凍り付かせる悲報が届く。
それは母タラサが任務中に落命したいう、絶対に信じてはならない知らせだった。
龍鳳館の応接間にやって来た父ソウガに、ボクとナツヒが詳細を訊いても「不慮の死じゃった」国主は淡々と答えただけで、それ以外何も語らなかった。
ボクは、悲しそうな表情さえ見せず、寧ろ苦々しい面構えの父に違和感を抱きながらも、滂沱と頬を伝う涙が止まらない。
ナツヒが泣きじゃくって「もうお母さんはけってこないってこと?」
然し父は「泣くなっ!」と一喝し」お前達二人とも、泣く時間があるなら修行に励めっ!」捨て台詞を吐いて命じ、ボク僕たちの前から立ち去ってしまう。
ボクは、そんな父、国主に逆らうことは出来ない自分自身にも腹が立った。
悔しくて、情けなかった。
でも、そうするしかない。
侍忍者として、戦地に向かうという自分の未来は、常に死と血なり合わせだってことを、絶対に忘れちゃだめだ。
ましてやボクは、隻眼という致命的な瑕疵を背負っているのだから。
得心は出来ないけれど、戦場で命を捨てたくないなら、修行・鍛錬を積み重ね、強くなるしかないんが!
ーー1年が過ぎた。
ボクは漸く母タラサの死を受け入れることが出来つつあった。
侍忍者として、忍術の研鑽と会得に励み、武術の鍛錬を積み、練達を目指して、明け暮れる日々。
過ぎ去る時が、僕の心をゆっくり癒し、育てていく。
ナツヒは未だに母の死を引きずり、受け売れることが出来ていない。
夜になると、べそをかきながらボクの部屋に枕を抱いてやってきては、一つ布団に潜り込んで眠る日が時折あった。
まだナツヒは7歳。無理もない。
だからボクはそんな時、ナツヒが泣き疲れて眠るまで、小さな弟をずっと抱きしめる。
弟が寝息を立て始めると、息を殺し歯を食い縛って、ナツヒに気づかれないよう静かに泣いた。
ーー流してはならぬ涙もある。
と老師が言ったその意義をボクは理解していた。だから……。
お母さんのことで、涙を流す姿は、ナツヒには絶対に見せてはならない。
でも、ナツヒが眠った後なら、きっとそれは赦される筈。
そうであってほしいと心底願った。
そんなボクらを暖かく見守る女性がいた。父ソウガの妹で四獅王グラビィスの背室ムルベルは我が子のように気にかけてくれいる。
ムルベルは父ソウガと同じく小柄だが、美しく可憐な女性で、ボクとナツヒにとってはとても優しい叔母だ。
ボクたちの母がまだ生きていた頃、母が国を離れる時は、ムルベルが僕らの面倒を観てくれている。
ある日、ムルベルとグラビィスの暮らす龍河館に、夕餉を一緒にと招かれた。
この館は、昴城の外側の南面にあり、小さな城に近い建造物。それはまるで昴城の出丸だった。
アルケラス河からやはり支流を引いて外濠とし、銃眼を備えた石造城壁が4つの尖塔を結んでいる。
昴城とは地下道でで繋がっていた、
館内は、グラビィスの質実剛健さを認識させられる趣がある。
その大広間にあたる、板敷20畳の一室は、月水つくみの間と呼ばれつぃた。
掛け軸も、生花も香気もない素朴な一室だ。
でも夜になると、中庭の池に張られた水面を飾る美しい月が鑑賞できることから、そう名付けられたと、グラビィスからボクは聞いたことがある。
夜闇がうっすらと広がり始めた頃、ここで夕餉を頂くことになった。
ボクとナツヒの大好物が、次々と現れ続ける。
ボクはまず、ガンペケルのお吸い物をふぅふぅしながら二口流し込む。
さっぱりとした風味に中に、ガンペケルの旨煮が染み渡っている。
それから、コマガッルスの笹身の刺身を醤油をつけて口に放り込んだ。
透かさずコマガッルスの黄金に輝く卵かけご飯を掻き込んで、両量頬を膨らませもぐもぐ。
刺身の仄かな甘みとご飯のとろけていく食感を楽しむ。
口の中は暫くに間、刺身とご飯が占領していたが、そこに焼き立てのガンペケルの串焼きが給仕されると、ほふほふしながら、それに齧り付く。
ガンペケルのみそを牛酪バターで造ったタレを表面にたっぷりと塗られた串焼きは、口の中で旨さが爆発した。ぷりぷりしこしこした食感と喉越しもばっちり。
次にコマガッルスの照り焼きが登場する。
予め切り分けてある、その一切れを口に運びほぐほぐしてゴクリと喉を鳴らし、虹桜の色鮮やかな花びらで造った、チラシ寿司も味わう。
照り焼きの甘辛みと、塩のきいた黄金の卵かけご飯の相性はそもそも親子だけに抜群で、あっという間に溶けて口に中から消えていく。
チラシ寿司の酸味も優しく美味しい。
ボクもナツヒも笑みが弾けてしまう。
「美味しいっ!」とボクらは連呼して、全ての料理を平らげた。
残さずに食べたことをグラビィスとムルベルは喜んでいるようで、二人はにこやか。
「もう腹は一杯になったか?」グラビィスが大きめの盃をグイッと方抜けた。
ボクが満面の笑みで「うんっ! 美味しかったー! ごちそうさまでした!」と一礼するとナツヒも「僕も美味しかったっ! 有難う!」兄に倣った。
ムルベルがにこにこして「あらら、それは残念。ちゃんと残さずに全部食べたら、すっごく美味しいものを食べさせてあげようと思ってたのに。
お腹かいっぱいじゃあ食べられないわね」
ナツヒは食いしん坊だから「え? それ何? 僕まだ食べる!」
「白玉善哉よ。美味しいと思うなぁ」
ムルベルが言い終わらないうちに「ボクも絶対食べる!」
ボクも参戦を宣言した。
ボクたちの前に白玉善哉が現れると、二人ともふぅーふぅーしながら、一言も喋らず、夢中になって完食した。
グラビィスはボク達の喜んでいる笑顔が、酒の肴になり、嬉しそうな笑みを湛えて、盃を一息に干す。
こうして腹一杯になったボク達はグラビィスとムルベルに礼を伝えると、ごろりと大の字に寝転んで、大きく膨らんだ腹を撫で始めた。
中庭には、冴えた満月が燦燦と浮かぶ池に、水鳥が揺蕩う。
そよ風も、池の水面で踊った。
ボク達が揃って大欠伸をするとムルベルが出し抜けに、想像もしてなかった話をしたものだから、ボク達は起き上がり、ぽかんと口を開けて吃驚びっくりしている。
まだ9歳のボクと、7歳のナツヒには母親が必要だという。
その新たな母として「リビの方はどうかしら? 元は私が外つ国で知り合った友達なのよ。
優しい人だからいいかなと思って」と父ソウガの側室を勧める。
リビは母タラサにはよそよそしく、二人の間柄は良いとはいえなっかたが、ムルベルとは良好で、互いの居館の往来もあったことはボクも知っていた。
けれどもムルベルとリビが友人だったという話は初耳。ボクやナツヒがリビと会う機会はあまりなっかった。
リビはボク達を見かけた時は、いつも優しく接してくれている。
然も、龍鳳館に、おはぎ、桜餅、柏餅、僕の大好きなラムレーズンが練りこまれたパン菓子等、ちょくちょく送り届けてくれていた。
その都度、ボクは使いの者に礼状を預けている。
ボクは自分はともかく、ナツヒにはムルベルの言う通り、母親は必要だなと素直に忌もう。
未だにべそをかくナツヒを、もしリビが優しく抱きしめてくれるなら、きっと弟の心は癒されるんじゃないかな。
ムルベルと仲のいい友人だということは、リビも優し人だという気もするし。
これから先、いつまでもムルベルに面倒を看てもらう訳にも出来ないもんな。
今宵は、グラヴィスのご両親のところでお泊りするみたいだけど、この館にも子供が二人いる。
グラヴィスとムルベルには、嫡男ヴィクトーと長女ベルリ姉弟の両親なのだから。
ナツヒはーーどうするん?--疑問符を頭の上の生やし、ボクの緋隻眼を覗き込んでいる。
それに気付き、ボクがどうしたものかと悩んでいると、ムルベルが、
「一度、館にお泊りに来ないかなって、リビの方が言っておられたから、行ってみればどう?」
と水を向けた。
「うん。それがいいかも」
ボクは考えつつ言葉を紡ぐ。「でも、ボクは止まらなくて大丈夫。お泊りはナツヒだけでいい」
そうすれば、きっとナツヒはリビを独り占めにして、思う存分甘えることが出来る筈。
グラヴィスとムルベルはボクの答えが想定外だったらしく、二人は目を見合わせた。
二人はボクの意図に気づいたのだろう。
「うむ。ナツヒは良き兄を持ったな」グラビィスは嬉しそうに「ユキア、お前の思い儂とムルベルには伝わった。その日はムルベルも一緒に行く。
夕餉が終わったら、ユキアはここにムルベルと共に戻ってくるが良かろう。
夜が明けたら、朝餉の前に剣槍術の稽古じゃ。よいな」
ナツヒは相変わらず疑問符を生やしていたが、ボクはグラヴィスの思いやりに、涙が溢れ出しそうになる。
だけど、どうにかそれを堪えた。グッと、両こぶしを握り締めて……。
リビの館は、昴城下にあった。
異国情緒溢れる石造の館は、城下で一際目立ち異彩を放っている。
広い玄関から通された広間は、天井、壁、床、全てが大理石だった。
天井にはルークーールーククリスタの略称。夕闇に反応してクリスタッルムに畜光させた太陽光を証明とするクリスタッルム器機の一つーーのシャンデリアが、煌煌と室内を照らしている。
入り口から見て正面の壁には、上部がアーチ状になっている大きな高窓が四つ並び、その下中央には大きな暖炉があった。
左の壁には金の額縁に入った外つ国の見事な風景画が飾られ、右の壁には異国の壁掛けタペストリーが目に映える。
床には、ふわふわしたパークス国産の高級敷物が広げられ、その上に磨き上げられた黒檀の10人掛けの広く長い卓子テーブルが構えていた。
卓上には既に、豪華な料理が所狭しと並べられ、美味しそうな香りが舞っている。
この日の為と、ボクやナツヒが初めて目にする様々な外つ国の珍味も用意されていた。
勿論、コマガッルスやガンペケルも調理されている。
ボクは丁度空腹感を覚えてたけど、それでも食べきれるかなと心配した。
残したら、失礼になる。
が、それは杞憂に終わった。
贅を尽くした夕餉は、自然に笑みが零れてしまう料理で、どれもこれも美味しかったから。
ボクもナツヒもいつも以上に食べまくる。
歓談を交え楽しいひと時を過ごし、ボクはこの人なら、ナツヒと自分の新しい母になって貰っても良いかなと、素直に思った、
リビは、母タラサを喪ったボクらに、
「さぞ寂しい思いをしていることでしょう。私にできることは何でもするから、遠慮なく話してね」
優しい言葉をかけ、
「今夜私と一緒に3人で寝ましょうね」
目元に笑みを浮かべている。
ボクは丁寧に頭を下げ「ありがとうございます。ですがボクは明日の夜明けから、グラヴィスに剣槍術の稽古をつけて頂くことになっています。
なので、今日はムルベルと一緒に戻りますが、ナツヒのこと宜しくお願いします」
「ナツヒ良かったね」ムルベルはにっこりと「今夜はリビの方を独り占めできるわね」
「あら、それは残念なこと」リビは眉を顰ひそめ「明日の1度くらい稽古を休めないのかしら? 私からグラヴィスに伝言して明日は中止にして貰えるようにーー」 と話すリビに、
「ありがとうございます。
でもご存知の通りボクは隻眼ですから、稽古も特殊で人の倍もその倍もしなければなりません。
母タラサ同様、戦地で散ることの無い様に……」
感情を押し殺して答え、目を伏せた。
「立派な心掛けですね」リビはそう言って「ナツヒこちらにいらっしゃい」ナツヒを呼び寄せその肩を抱き、ぬくもりのこもった声で「じゃ、今夜は私と二人で寝ましょうね」
ナツヒはどう答え、どうすればいいのかわからないのだろう。
頬を紅潮させて、もじもじしている。
一方でボクは、うっかり涙を零しそうになってしまい、ちょっぴり動揺していた。
母タラサの事を思い起こすと、まだどうしても涙腺が緩んでしまう。
そんな僕に気づいたのか、ムルベルが
「リビの方、今宵はありがとうござ居ました、私とユキアは明日す早いので、このあたりで失礼さて頂きます。ナツヒの事よろしくお願いします」
帰館する値を切り出してくれた。
ボクとむムルベルは改めて、夕餉のお礼を伝え席を立つ。
リビはナツヒと手をつないで、異国間の広々とした玄関へ見送りに来た。
そこでボクとムルベルは再度お礼を言葉にした。
ムルベルが先に玄関口から外足を踏みだした時、ふとボクはナツヒに手を振ろうと思って後ろを振り返る。
その時のリビの両の眼は、真っ直ぐボクに向けられていた。
が、ボクが振り返ったので、すっと目をそらす。
然しその目に、艶の全くない冷たく憎悪の念が、毒々しく宿っているのを、ボクは咄嗟に感知した。
一瞬の事だったから、気のせいだろうと思い直し、ナツヒに手を振り、リビに一礼してから、流河館へと歩を進める。
ーーリビの異国館を訪問した数日後。
龍鳳館にムルベル訪ねてきた。ユキアとナツヒが大好きな苺大福を携えて。
ぼくととナツヒは、ムルベルの訪問と、苺大福に大喜び。
ムルベルの用向きはリビの事だった。
新たな母として魔界入れたいかどうか、二人に訊きに来たのだという。
それについてボクとナツヒの間では、既に結論を出していた。
あの日の夜、リビはナツヒにとても優しくしてくれたらしい。
翌日龍鳳館に帰ってきてナツヒがそれを耳にして、ボクも安心してた。
おまけに、ボクへのお土産としてラムレーズンのパン菓子も届けてくれている、
その気配りにボクも感謝してた。
だからボクは、苺大福で頬江を膨らませてもぐもぐしながら、
「リビはナツヒに、あの日の夜から翌日にかけて、とても優しくしくれたみたい。
ボクにもラムレーズンのパン菓子をお土産にしてくれたし。
新しいお母さんになって貰っても良いかなって、ボクもナツヒも思ってる、
いつまでもムルベルに面倒を看てもらう訳にもいかないし」
行儀が悪いわよ。ちゃんと食べてから話しなさい、
それから、私があなたたちの面倒を看てたのは当たり前のことだから。
そんなこと気にしなくていいのよ
でも、リビの方の件、二人がそう思っているならよかった。
じゃあ、長子のユキアからリビの方に新しいお母さんに練ってほしいと、ソウガ兄さんに話をしなさい。
大切な話だから、自分の言葉で話した方がいいと思うの」
ボクは素直にムルベルの助言を受け入れることにした。
数日を経て、ボクとナツヒは昴城に城し、父に謁見する為、大天守閣の2階ーー城全体からすると5階ーーの六連貨の間に入室した。
不機嫌そうに書状に目を通していく国主ソウガの執務机の脇には、愛刀『雷斬』が控えている。
父の背後の頭上には、朱雀、白虎、玄武、朱雀が彫刻された額があった。
その中にヴェルス家の家紋、六連貨が緋色の布地の上で金色に耀いている。
その下には、奉仕の高窓が三つ並び、明るい陽光が部屋を満たしていた。
真ん中の窓の下には大理石の暖炉がある。
天井には大きなルークが二つ並んでいた。
部屋の入り口から見て、右側の壁には、短銃、長銃、槍斧、両手大剣、盾弩等々、色々な武器が掛けられている。
その下の白檀の物入を兼ねた台座の上に、大画面のオスクが設置されていた。
反対側の壁には、国主でなければ開けられない術が施されている書棚がずらりと並ぶ。
忍術(金術も含めた)の巻物、、兵法書、様々な法術の解説書や研究所、あらゆる武術の指南書、列強国の史書灘があり、その他にも古文書が数えきれない程ある。
中でもボクの目に留まったのは、『幸村武伝』だった。
この書は国祖ユキムラ公の他による門のだけど、半分程度が1冊の書物にまとめられ、パークスの蒼氓の愛読書になっている。
でも、半分は非公開になっていて、代々の国主しかその全貌を知ることは出来ない。
書棚には書物の他に、忍術具もたくさんあった。
体力を自動回復してくれる首飾りネックレス、チャクラを自動回復する腕輪ブレスレット自らを透明にする指輪リング、どんなに離れていても、どこにいても、面や背景を映し出して会話できる水晶球。
他にも珍しい忍術具が整然と整頓されている。
執務室の前には、長方形のクリスタッルム卓子テーブルが縦に配置され、両脇には肘掛けのある3人掛けのふかふかした長椅子ソファーがあった。
父は、ボク達に自分から見て右側の長椅子に座るよう顎で指示した。
本人は、卓子奥側のふかふかした1人掛けの椅子に座る。
クリスタッルム卓子は、曇り一つ無い美しい姿をしているが、これを前に殺気を抱く者がいると、曇りが発生する代物だ。
父は卓子に用意された煙草を手にして、右人差しでその先端に触れ火をつける。
「何の用じゃ」
ボクらに目も合わさず、ふぅーっと煙を吐く。
ボクは恐る恐る、
「ムルベルの勧めもあって、リビにボクとナツヒの新しいお母さんねってもらえたらって思ってるんだけど、考えてもらえるかな?」
かなり緊張しながら伝えた。
城で何かを願い出たことは1度もないので、ボクは口から心臓が飛び出してきそうな程、バクバクと大暴れしているのを止められない。
城に登城するのは、何か行事がある時か、父から呼び出された時だった。
そもそも普段から、厳しい父の前は本当に居心地が悪い。
一刻も早く立ち去りたかった。
然し……。
「まだ7歳で幼いナツヒはまだしも、お前は自分を生んでくれた母親の事をもうわすれたんかっ!」
父は激怒して、ボク達に、
「この薄情者の馬鹿垂れがっ! 下がれっ!」
と命じた……。
ボクは思ってもいなかった展開によって、父の前から消えることが出来たが……。
リビが側室になって、お母さんの館に近づかなくなったお父さんこそ、お母さんに寂しい思いをさせた薄情者のくせに!
沸々と怒りが湧き上がってくるのを、抑えることが出来ない。
お母さんのことを忘れたことなんて、1日もなかった。
いつかボクが命を失うその日、その時までそんなことがある訳ない。
こんなに腹立って仕方ない思いをする位なら、リビをお母さんにとか言うんじゃなかった!
ボクは強く、激しく後悔して、泣きだしそうになる。
それを口にした自分が、父の言う通り薄情者に思えて、自己嫌悪に陥ってしまうほどに。
でも、目を真っ赤にして涙ぐんでいる弟の前で、絶対にボクの泣き顔を見せることは出来ない。
ボクは、奥歯が割れるかもと思うほど、ギリギリと食い縛った。
気づかないうちに、爪が掌に食い込んだ二つの拳を握り締めて……。
結局。
数日後、父がボクとナツヒの母にリビがなることを承諾したと、ムルベルから一報が届く。
正式な婚儀も行われ、その日から三日間、国中で祝宴が続く。
こうしてリビは、パークス国主の正室という地位を手に入れた。
ところが……、それから僅か3か月も経たないうちに、良好だったムルベルとリビの関係が険悪なものとなった。
ムルベルがリビに対して不満や悪口を、ボクやナツヒに零すことはなかった。
でも、リビは違った。
しかもその殆どが取るに足りない誹謗、中傷の類でしかない。
ボクは、リビが何故ムルベルを悪し様にに言うのか、全然見当もつかないでいた。
ムルベルはボクにとって、暖かく優しい叔母で、大切な一族の一人。
だからある時、ボクは自らを鼓舞し、リビの異国間を訪問して、
「ムルベルはお母さんをボクとナツヒのお母さんとして紹介してくれた人だよ? もう仲直りして、ムルベルの事を悪くの早めてあげて。お願いだから」
ボクは率直に、自分の気持ちを伝える。
ーーだけど、そう言われたリビの面付きが途端に悪鬼さながらの形相になった。
その両の眼は、あの艶の無い全くない冷酷な黒い憎悪の念を突き刺してくる。
「全く可愛げのないガキじゃ!」リビは本性を現す。「あの夜も、ここに泊まることよりムルベルの館に泊まることを選んだ、胸糞の悪い話よっ!}
リビはボクに罵詈雑言をあびせ、頬を強かに叩いた。
何度も、何度も!
義理とは言え母親で、女性で忍者ではないリビに、ボクは反撃する術すべを持っていない。
どんなに腹立たしくても、どんなに口惜しくても。
寧ろそうした感情より、常軌を逸したリビの所業が、ボクに与えた衝撃と恐怖は計り知れない。
「うちが手を挙げたことをソウガに言うんじゃないよ! もし言えばただじゃすまさんよ。あんたもナツヒも」
リビは目が吊り上がっている。
ボクは婚儀の時に初めて知ったことを、慄然としながら震える心魂に思い出していた。
正室という地位は、パークスという国に対し、どのような立場なのか、必ず婚儀初日の席で説明されるのが慣例となっているらしい。
今回それは、パークスの席次2位御三家のデーン・マリスによって行われた。
正室は、もしパークス国主が薨去した際、その後継たる資格を持つ者が満17歳であった場合、それまでの間、国母として国を治めることになっているという。
そればかりか、事実上次の国主の任命権を持っている程の実験を持つ。
ボクは、席を蹴って目の前から立ち去ったリビを正室にしてしまったことを、間違いだったと、この時初めて悔やんだが……もう遅い。
以来、リビの僕に対する態度は、目の届かないところで一変した。
父が国を離れた時や、機嫌が悪い時には癇癪をおこしいて、ボクに暴行を加え、こっぴどくののしる。
その矛先はボクだけに止まらず侍女達にも及んだが、それらだけじゃない。
リビは、自分につき沿って他国からパークスにやって来た自分の母に対しても殴る蹴るといった狂気の蛮行を犯している。
自侍女なら、運よく任を解かれたり、何か理由を作って暇を請うことが出来た。
けれど、悲しいことにリビの置いた母にそんな権利はない。
まだ9歳のボクはそんなリビが、父同様怖かった。
ボクにはナツヒを人質同然にされている現況で、どうすることもできない。
リビの凶行がナツヒに及ばない努力をす、ることが、ボクの役割だ。
何かあった時は、ボクが身代わりになるしかない。
任務で国にいない父と、国主と違ってリビはいつもパークスにいるのだから。
父に真実を、伝えることもリビの仕返しを考えると怖くてできない。現況をすこしでも良くする為には、との核修行に励み、1日も早く一人前の侍忍者になるしかない。
下忍の資格を得れば、国外の任務も与えられることになる。
任務を全うして結果を残していけば、父ソウガも認めてくれる筈だし、ボクの事も認めてくれると思う。
そうなれば、リビの真の姿を父に言える気がする。
ボクの話をきっと信じてくれると思う。
縋るようなその思いを描いて、心からそうなってくれるべく祈り願った。
ムルベルとリビの関係は、その後日を重ねるごとに、悪化の一途を辿っていく。
だけど父は、その仲裁をするどころか、ムルベルを登城禁止としたのだ。
実の妹を。
ボクはそれを知り、リビの悪行を父に暴露しなくて正解だったと、胸を撫で下ろす。
何の罪もない実の妹ムルベルでさえ、その言い分を信じてもらえなったことが、容易に想像できる。
父とリビは、魚籠とナツヒに7,城外の流河館出入りを厳禁とした。
かてて加えて、ムルベルとどこかであっても、会話をしyrはならないと命じられてしまう。
ボクには根等くできることではない。
でも、自分の無力さを思い知らされ、悲しみを心の奥底に沈めるしかない。
ーーこの頃のオレは、自分の存在温かく迎えてくれる場所、身も心も安らげる場所を喪っていた。あるとすれば、矛盾するようだが修行と、将来自分に与えられる任務に求めることしかないと、追い詰められてしまうーー。
ボクは心血を総動員して修行に励んだ。
修行中は余計なことを考える余裕はない。
術や技を体得すると、稀にたった一言だったが「よくやった」と父ソウガから褒められるのが、ボクは嬉しかった。
※※※※※
昴城の北西に、樹齢一万年以上の巨樹・老樹が息衝くサナーレ山がある。
この山は、忍術医ーーその多くはルーナ率いる月の者達だーーが喜ぶ薬用植物の宝庫だったから、治す、という意味をもつサナーレと名付けられたのだろう。
美味・珍味の山菜や果実も実っていて、忍者の道を諦めて料理人になった者達にも愛されている山だ。
この山には希望山という別名もある。
国祖ユキムラ公は、こちらの名を口にする方が多かったという。
病気や怪我が一日も早く治り感知して欲しいという希望。
この山で、忍者として修行鍛錬を努力をする者達や、それぞれの心に抱く希望。
それらが一つでも多く成就して欲しいとユキムラ公は祈っていたらしい。
山は春・夏には豊かで爽やかな緑の輝きを、秋には炎の如き緋や朱、鮮やかな紅葉で着飾り、冬には純白の大冠を誇った。
厳しく切り立つ断崖があり、警告にはアルケラス河に合流する、美しい清水流れる小川もある。
忍術修業をするには国内でも最適の地とされた。
幻獣や幻獣人族の世界、幻界への入り口の鍵、紫皇蝶も生息している。
もっとも、それを目にするのは数年に一人、二人程度だったけど。
でも、そのことがこの山を神聖な地と感じさせる一因だった。
実際、この山ではチャクラを練るーーチャクラを体内に蓄積させその容量限界を拡大しつつそれを制御することーー修行が他の地より効果がある聖域だとされている。
ボクも一人で修業に励む時ーー例外もあるけどーーサナーレ山を中心に動いていた。
ここには、ボクのお気に入りの修行地がある。
それは、この山の南面東側の中腹から少し上った辺りにあった。
山の南東の麓から山道を登り、外からはそれとわからないように、結界が張ってある獣道を目指す。
そこは一見して巨樹や老樹に煩わしい蔦が幾重にも絡まているようにしか見えない。
結界を張った者のチャクラを封入した術札を持つ者には、ありのままの姿を姿を見せる結界術が施されていた。
獣道を辿っていくと、瀑布に到着。その裏の岩肌には、蔦がへばりついていて広がり、ぶら下がっている。
そこをかき分けると、一気に視界が開く。
青々とした生命力豊かな巨樹・老樹に囲まれ、深閑として神秘的なその空間には、雨露を凌げる洞窟もあった。
この地は『花果水廉洞かかすいれんどう』と矢ばれている。
微かに甘い香りの空気は、鼻や口だけでなく、全身で呼吸する感覚を与えた。
だから、体力の消耗が他の地行うで修業よりずいぶん少なくてしすむ。
お陰でより長時間、鍛錬することが出来た。
この地でボクは精神統一して術を発動させる根源となるチャクラを練り、術を研鑽し、肉体を徹底的に鍛え、技を磨く。
この素晴らしい地に、老師クーゴが招いてくれた。
この場所を知っているのは、ふたりをあわせても、今のパークスには数人しかいないらしい。そのう ちの何人かはボクも知っている。
時折、ともに修行することもある、ボクにとっては数少ない仲間達だった。
この地を誰であれ、勝手に教えることは厳しく禁じられている。
とはいうものの、教えたところで老師の術札がない限り、この結果以内に入ることは不可能。
ここには、老師とボク、国抜けえして行方不明のロックしか知らないこともあった。
その秘密を漏らすことも、厳しく赦されていない。
ーー某日。
ボクは早朝から洞窟の前でチャクラを練っていた。
澄み渡る大空から陽の光が、煌めき降り注いでいる。
爽風に、木々の葉が揺らされて、さざ波を想起させる旋律を奏でている。
結跏趺坐して、すっ、と背筋を伸ばし、顎を引き、掌を天に向けr両膝の上に置く。
神が恵大自然の生命力を、山の息吹と合わせ、自らの生命r力と同化させていく印象イメージを心の中で思い描き呼吸する。
そのまま、静心。
力を抜いて開いた両手の指先が、ビリビリと痺れてくる。
やがて、その感覚が体中に広がっていく。
頭頂から尾骶骨迄螺旋状にチャクラが蓄積していくのを感じる。
よしっ! 今日は調子が良さそうだ。
ボクがそう思った刹那、秘・密・が口を開いた。「ユキアよ。誰かがこっちに向かってきておるぞ」
それは。丁度ボクの正面に根を下ろしたトネリコの樹から届いた声。
ボクが見上げた先には、目と鼻と口がある。コリから下の脚ーー正確には根脚こんきゃくと呼ばれているーーは、根と一緒に地中に隠れていた。
枝腕しわんという枝の如き腕が何本も生えていてそれぞれに5本の指が揃っている。
目と口を閉じていれば、まさかそれがトネリコの木人だと誰も気づけないだろう。
周囲を見渡すと、山査子、樫、櫟、楡、接骨木の木人たちもいる。
みんなボクには友好的だ。
ここは、木人族達がひっそりと生きる隠れ家。
老師はそれを知ってたからこそ、ここに結界を張ったのだろうとボクは察している。
木人達は、結果からでなければ、この山で平和に生きていくことが出来る。
だから、老師にはとても感謝しているようだ。
特に、トネリコ、山査子、樫は、聖樹とも呼ばれ、法術具、武器、造船等で利用されている。
「フラクシ」ボクは姿勢を崩さず半眼で問う。「誰が来てるのかわかる?」
「わかりかねるな」フラクシは右の枝腕の一本の指先で口元をカリカリ掻いている。「儂らは術士ではないからのぅ。ただこのチャクラの波動は久しぶりじゃなぁ」
トネリコの木人はそう言って、目も口も閉じた。
他の木人達もそろって倣え。
彼ら木人族は、空気や鉱石を含む大地の波動を感知する。
この特殊能力は、木人族特有の者だ。
例外もいるが、概ね平和を愛する種族だと一般に認識されている。
この地に向かってくるのが誰であれ、ここに入れるという事は老師が信用して術府を渡した者だから、警戒する必要はない。
ボクはそう判断していた。ーーが!
造次顛沛、老樹フラクシの影が奇妙に歪んだので、ボクは思わず身構えた。
訝しんで緋隻眼を凝らしじっと見ていると、フラクシの影が地面から、べりっと剥がれて立ち上がったものだから、ボクは吐胸を衝かれてしまう。
影は人の姿を形作り、思わね人物が現れる。
と同時に、影はフラクシのもとに戻った。
「修行中に驚かせてごめんね」
ムルベルは深く当たを下げて謝罪した。
「老師や御三家のところで修業してないみたいだったから、ここかなって思ったの。
久しぶりに来たけど、やっぱりここは聖地なのね。
呼吸するだけで体力もチャクラも回復していく」
ムルベルは目蓋を閉じて、大きくゆっくり深呼吸した。
ボクはそんなことより、ムルベルが出現することが出来た術が何なのかを知りたい!
今直ぐに!
「ムルベルが老師から術札を与えられていたことは知らなかったし、ムルベルがここに来るために使った術も知らない。
一体何の術なの?
行き成り影が地面からはがれて立った時は、さすがに自分の目を疑ったよ?」
「私が発動したのは『隠遁、影踏ノ術』よ。この修行地の主、老師から伝授して頂いた術。
影の中に身を隠し、陰から蔭へと文字通り影を踏みながら移動する隠密術の一つね」
尊敬の眼差しをボクに向けられて、ムルベルは面映ゆそうだ。
「ユキアに会うことを、誰にも知られる訳にはいかなかったから、仕方なかったのよ」
ボクは、父とリビの厳命を守り、流河館を訪れはしなかったから、ムルベルと会うのは約1か月ぶりになる。
ちょっぴり気まずい気もしたけど、叔母の姿を見て素直に嬉しい。
でも、ムルベルの横顔にはどこか翳があって暗いのが気になった。
「で、用件はなに?」ボクはしんぱいにする。
「ユキアに会わせたい人がいるの」思い詰めた口振りは、ユキアの胸臆を窺おうという雰囲気で「今夜、夜が更けてから館に来て欲しいんだけど……?」
ボクは、ムルベルの様相が心配だったこと、自分に合わせたいという人が誰なのか知りたかったこと、父ソウガが、グラヴィスと共に国外任務に出ていたことも手伝い「わかった」短く即答した。
ムルベルは安堵した顔色だったが、
「このことは絶対に誰にも話さないように。ナツヒにも絶対話しちゃダメ。約束してね」
そう念を押し、歩いて立ち去った、
館に戻るだけだろうから、その道中誰かに見られても問題ない。
多分、帰る道すがら山菜や、薬草を採取しながら戻るのだろう。
そうしておけば、サナーレ山に入山した理由にもなるから。
「儂らは何もみなっかったし、何も耳にしていない」フラクシは、二つの目、二つの耳を四本の枝腕で塞いだ。
ボクは「ありがとう」低頭する。
午前中はそのまま花菓水廉洞でチャクラを練り、自重筋肉鍛錬筋トレをみっちり行った後、柔拳術の修練に奮励した。
昼は一旦龍鳳館に戻って昼餉を掻き込み、午後からはナツヒと共に陰陽座に向かい、夕刻まで確り修行に挑む。
一日の修練を終えて城下に戻ると、ボクらはリビの館へと足を向けた。
父ソウガが昴城に不在の時は、義母にその日の修行をどこで行い、どんな鍛錬を積み、その成果はどうだったのか報告するように、国主からそう命じられていたから。
忍者ではないリビに、何故そうする必要があるのかボクにはさっぱりわからない。
でも、父の命令は絶対だった。
父の不在時は特にリビは癇癪を起こすから、ボクは嫌で嫌で仕方ない。
けれども、本心は胸底に沈めて、この日も一日の行動を国主の指示通り報告する。
リビは二人の話を聞くのが煩わしそうに「明日も励め」手を振り、兄弟に下がるよう命じた。
癇癪が出なかったことに、胸をほっと一撫でして、ボクらは足取りも早く龍鳳館へと帰路に就く。
帰館してすぐ湯を浴び、ナツヒと共に居間で夕餉を囲んだ。
部屋の奥左端から中央まで2畳分を占領して、美しい光沢を放つ収納付きの白檀の台座がどっしりと構えている。
その上の右側には、大画面のオスクがあり、ちょうど居間奥側の中央に配置されていた。
オスクの左側に関ても設置されている。
オスクの右側の空いた場所では、観葉植物を育てていた。
居間の中央には囲炉裏があるが、夏になるといつも蓋をされている。
天井には、球形に美しく加工された白蛍光岩が二つぶら下がっていた。
ボク達二人が笑いながら食事する光景を見て、侍女たちも笑みを湛えている。
リビの癇癪に触れずに済んだことを察しているんだなと、ボクは感じてそれが嬉しかった。
食事を済ませるとボクは、
「お休みぃー、今日は疲れたからもう寝る」
とナツヒに告げてから自室に向かう。
仮眠をして少しでも疲れをとっておこう。
明日も、厳しい修行が待っている。
国主が帰国するまでに、一つでも多くの術と技を修得したい。
ボクはそんなことを頭に巡らせていたが、疲れてる筈なのに眠気が襲ってこない。
ムルベルは、ボクを誰と会わせようとしているのかな?
然もそれは何のために……?
今日見たムルベルの様態は、明らかに翳があった。
もしかすると、また新たな問題が発生したのかもしれないな……?
眠ろうとしているのに、次から次へと頭の中を疑問が過り、結局眠れない。
あれこれと思量しているうちに、夜は深く更けていく。
ボクは静かに自室を出て、ナツヒの部屋をこっそり除き、弟が眠っているのを確認してから龍鳳館を後にする。
月は雲に覆われ、黒碧の夜空は暗い。
夜天が暗いのはボクにとって好都合だ。
ボクは人目につかないよう細心の注意を払い、流河館へと急ぐ。
心地よい夜風が、頬を優しくなでてくれる。
流河館は明かり一つ見当たらず、静まり返っていて、人気が無い様に感じた。
ボクに合わせたいって人はまだ到着していないのかもしれない。
ちょっと早かったかな?
然し、流河館の正門が僅かに開き、ムルベルが手招きした。
案内されるまま、月水の間に向かう。
いつもと違って、黄蛍光岩を入れた角灯ランタンの薄明りしか灯っていない。
普段なら解放されている中庭側の奥障子も、ぴったりと閉ざされていた。
ボクの予想は外れ、先客が二人いる。
一人は白髪の男で、目を閉じて腕を組み、ボクが入室したことに気づいてないかのように、沈思していた。
もう一人は、体が描く曲線が女性だと教えてくれる。
でも、神聖ロムルス皇国領、世界で唯一の水中都市ヴェニ・スのカーニバルで観ることが出来る、妖しげな仮面で顔を隠していた。
黒く縁取りされた両眼部分を翼を広げた金の蝙蝠が描かれ、仄かな明かりに煌めく。
白髪の人物が誰なのかは直ぐわかった。
パークスの先代国主、ブウノ・ヴェルス。
この国の造船技術、操船技術を飛躍的に向上させ、傭兵活動範囲を拡大した。
中でも特筆すべきは『影楼ノ陣』だろう。
無論パークスの誇る超高等忍術だ。
ブウノは現在、首都カネレの北方にある小さな村フィニスで隠居している。
ボクが祖父ブウノと会ったのは、祖母ウェールの国葬の時以来だ。
記憶にある祖父は、もっと若々しく笑みを絶やさない人物。
だけど、今の祖父は深い皺を貌中幾筋も刻み、苦悩しているのが見える。
頭髪が真っ白になってしまう位迄。
祖母の国葬の直後、祖父と父は何かひどく揉めたらしい。
それが原因かどうかわからないが、祖父は父に家督を譲って、フィニスから一歩も出なくなったという。
実際には父ソウガが、祖父ブウノをフィニスに事実上閉じ込めたという不穏な噂もある。
何があったのかはわからないけど、噂は真実に近いのかもしれない。
目の前の祖父の姿は、ボクにそう思わせる説得力があった。
それは、ボクの心を締め付け、悲しみで満たしていく。
親子なのにどうして仲良くできないのかな? 一体二人に何があったんだろう?
それを訊いてみたい衝動に駆られたが、祖父の右に座っている白い仮面の女性の事も、果たして誰なのか?
気になって仕方ない。
ムルベルは祖父ブウノの正面に座り、ボクはその下座側、仮面の女性の前に腰を据えた。
女性は、少し俯いて仮面を取り、顔を上げ、はらはらととめどなく涙を流している。
ーーその一刹那、
ボクの緋隻眼から涙が滂沱と頬を伝う。
あまりの驚愕と歓喜に、言葉が出ない……。
そこにいたのは、たった一度だけでいいから会いたくてたまらない人だった。
母タラサが生きている!
母はやつれ、やせ衰えてた。
仮面がなくても、パークス国主の前正室だと、きっと誰も気づかないほどに……。
ボクは直ぐにもナツヒを起こして、母に合わせてやりたいと強く思った。
どうしてムルベルは今夜母や祖父に会えることを、ナツヒに知られてはならないと考えているんだろうか?
ナツヒだって、出来ることならもう一度お母さんに会わせてほしいと願い、涙をどれほど流した事か……。
何故ムルベルは母が生きているのに、リビを新たな母にと勧めたのだろうか?
あの頃はムルベルも母が生きていることを知らなかったのかもしれない。
ボクやナツヒの知らないところで、何かがこっている。
それはどんなことで、目的は何なのか?
次々と脳裏に浮かぶ疑問に、ボクは心も頭も大混乱に陥ってしまった。
パークス国主の嫡子として生まれたボクは、同世代の子供達とは比較にならないと周囲の大人達にも認められている。
趣味が読書と将棋--趣味とは負えないかもしれないが、自分でパンを焼くことも大好きだーーで、それは、大人顔負けの語彙力や思考力をボクに与えてくれた。
ただ、それはあくまでも知識と経験に裏付けされたもので、それ以上でがない。
だから、心と魂は、同世代と同じ。
未経験の場面に立った時は、9歳のボクの心と魂が培った知識と経験等役に立たない。
残念ながら、それは今ボクに、何一つ答えてくれなかった。
けれども、母と祖父の悲痛に撃ち抜かれているとしか思えない二人の姿が、不意に、ある推量へと導く。
それは、ボクの心に恐ろしくも悲嘆に至る痛みを伴う鋭く鏃となる疑念だった。
もしかすると、二人フィニスに雄飛されていたのかもしれない。
これまでも、囚われの身になってその生涯をフィニスで終えた人達がいることをボクは知っていた。
皮肉なことに、フィニス、とは、終わりえお意味する。
「何が、いったいどうなってるの?」
しゃがれた声でボクは呻く。
その声に重ねて、
「ユキア元気にしてた? ナツヒは元気?」
タラサが涸れはてることのない溢れる涙を拭おうともせず、震える声で問いかけてくる。
母が生きていると実感できる声が届くと、ボクはコクンと肯んじるのが精一杯だった。
そこにいる誰もが、胸懐に抱く思いや考えを、どう言葉にすればいいのか戸惑っているのが伝わる波動、沈黙が月水の間を満たす。
ムルベルが小さく咳払いをして、一度首を縦に振り、
「ユキア、タラサ義姉さんは、兄さんに命じられてフィニスに向かったの」
一気にに語り始まめた。
その話によると、フィニスに到着したタラサは捉えられ、そおまま幽閉されてしまったとのこと。
母タラサはまダ27歳と若く美しかった。
そんな母をひそかに慕う者は、少なくなかった。
リビの居館に入りびったている国主を見て、一緒に国抜けしないかと思いを打ち明ける者もいたいう。
そうした者達が、タラサの罪になる。
当時、母は自身も父の忘れられたかのような日々に、寂しさと悲哀、悔しさもあったという。
それはボクも、胸を痛めていたことで理解できた。
ある夜、母は自分を慕う者の一人からの誘いを受け、到頭会ってしまった。
それは直ぐに露見し、激怒した父ソウガに罪とされ、蟄居を命じられてしまう。
が、現実の結果は、幽閉。
「でもっ!」怒って痛言する。「そのことがそれ程の罪なら、兄さんにはそれ以上の罪がある。
パークスの国主が正室を迎えるのは迎えるのは、正室との間に女の子許りが二人いて、嫡男がいない場合、婚儀が終わって三年経っても全く子供がいない場合。
このどちらかの条件が発生した特に限定されているの
なのに兄さんは、国の法を無視した」
数年前、祖父と父が揉めた問題に一つが、リビを側室に迎えたいとの話だったという。
祖父は「家を乱すことになる。延いては国を乱すことにも一因となる」と猛反対したとのこと。
「母さんが生きていてら、リビを迎えることは出来なかったと思う。
猛烈に大反対するにきまってるもの」
でも祖母ウェールと二人三脚で国の梶取をしてきた祖父ブウノの正室を喪った悲しみと落胆は、亜也にも想像以上に深く重かったようだ。
それ故、国主の座を譲ったというより半ば奪われたというのが真相らしい祖父の説得を、父は受け入れなかったという。
「タラサ義姉さんの軽率な行動は、確かに問題だと私も思う。言い逃れは出来ない」
ムルベルの言葉はボクも同感だった、
「でもね、ユキアはまだ子供だからわからないだろうけど、私は大人の女性として義姉さんの気持ちも痛いほどわかるの」
とムルベルは項垂れた。
それに行いても、ボクは何となくわかるような気がする。
大人の女の人の気持ちはよくわからないけれど、母が寂しそうに夕闇の中で佇んでいた姿を、ボクは何度も見ているのだから。
ボクは複雑な心境だったが、それをどういう言葉で表現すればいいのかわからない。
でも一方で、側室を入れる条件を定めた法があることは全然知らなかった。
それを無視した父に、怒りと失望の感情がボクの心魂のの中で大暴れして収まらない。
丸で、猛暑と極寒が胸の奥で同居して、互いの場所を奪い合うかのように。
「結局、私は兄さんに逆らうことは出来なかった」ムルベルの声は自分を責めていた。「ユキアとナツヒには母親が必要だという考えは、嘘偽りのない私の心からの気持ちだった。
だからの命令で、あなた達の母として、リビを勧めたの。
ユキアの口から新たな母としてリビをと言わせるようにとも、命じられていた。
リビを元々私の友人だったことにするようにも命じられていたの。
そんなのは全部嘘っぱち。
でも四獅王グラヴィスの妻として、主人の立場を苦しめることも出来ないと思ったし……。
だけど、兄さんに手を貸した私も同罪」
ムルベルはるると涙を零し、ボクに語り続ける。
「兄さんはあなた達子供二人からの頼みを受け入れてリビを正室にしたと、自分を正当化した。
挙句、リビを側室にしたことも正当化できた。
ひどい話よね……」
叔母の声から怒気が滲んでいるのをボクは胸底で感じ取っていた。「兄さんは義姉さんのことは赦せなかったくせに、相手の二等上忍の男は赦した。
その男は一命を得て喜び、父ソウガに生涯の忠誠を誓ったという。
この国主判断を知った一部の者達は、その度量の大きさを称えたという。
でも、それを知った男の母親は「愚かな私の息子は、戦場で国主の盾となってその命を落とすでしょう」と嘆いたとのこと、
真相の一部を知ったその男と母親を、コウザンの根の者として配置した。
無論、真相の一部を口外すれば、親子に命はない。
「兄さんは計算ずくで男を赦した。いずれその男の母親が言ったとおりになる」
ムルベルは苦々しく吐き捨てた。
父ソウガは、母タラサの罪の原因が自分にあるとしても、それを許せなかったんだな……。
そのことで却って自ら法を破ったことが非難されたり、自分の恥をさらすことも耐え難かったに違いない、とボクは思う。
だから、母を幽閉することも躊躇ためらいいなく実行に移せたんだろうな。
命を奪うことはさすがにできなかったみたいだけど、その代わりに戦場で儚く散ったことにしたのか。
父とリビはボクとナツヒを騙した。
わざわざ母の国葬までして。
そうすればリビを正室にできるから。こうした一連の件を知っているのは、四獅王とクーゴ、ラピス、ムルベルだけらしい。
タラサは例にの仮面をしてフィニスで捕らえれれ、獄中でも使用していたのだという。
そこは平屋のち佐那館を改装したもので、入り口は一つ。
小さな窓が奥の間の手の届かない高いところにあるらしい。
食事は、入り口わきの小さな扉から差し入れられるそうで、仮面を外しても良いとされたのは、それを頂く時と睡眠の時だけ。
娘から真相を知らされたーー殆ど蟄居状態のーー祖父ブウノが、極秘のうちに連れ出してくれたのだとムルベルは言う。
「ユキアも知っている通り、リビは正室の地位を手に入れると、私に難癖をつけ始めた。
ユキアやナツヒに近い私が全てを知ってるのが、リビにとって不安の種だから、私を排除しようとしたんだと思う。
その思惑通り私は登城禁止となって、ユキアとナツヒとの接触も禁じられてしまった。
あなた達二人が幸せなら、私はそれで良かったの。
でも、あの女がユキアに酷い仕打ちをしていることを知って、私はリビを正室にしてしまったことを、死にたくなるほど悔やんだ。
今更悔やんでも、悔やみきれない……・
ユキア本当にごめんなさいーー」
ムルベルは、両手をついて頭を下げ歔欷した。
母は、泣きじゃくりながら自らの非を認めた。
「ムルベルが悪いわけじゃない。
ユキアとナツヒにも悪いことをしたと思ってる。
でもお父様とムルベルのお陰で、こうしてユキアに謝る機会を頂けて会えたことは本当に良かった。
お父様、ムルベル心から感謝します」
母は、その美顔を歪め涙をぼたぼた落とし、頭を深く垂れた。
祖父は眼眸を閉じ腕を組んだまま「礼には及ばぬ。儂にはこの程度しかできぬ故」再び沈黙してしまう。
母は身を震わせて「ユキア今夜話したこと、耳にしたこと全部誰にも話してはなりません。
ナツヒにも教えてはなりません。
もし今夜のことが国主やリビに知られたら。お父様も、ムルベルも、そして私も……今度は命を奪われてしまいます」
全ての真実を知り、ボクは戦慄していた。
父とリビの赦せない裏切りを知った。
母と叔母の悲しく切ない裏切りを知った。
決してボクと目を合わせず、息子ソウガを大喝一声出来ない、祖父の無力さを知った。
誰も父に逆らえないという峻烈な現実が、氷の刃の如くボクの喉元に突き付けられている。
ボクが全てを知ってしまったことを、父とリビが察知したら、確かに母が言った通り、想像もしたくない結末へと向かうだろう。
ナツヒに教えてはならないこともわかる。
信じていた大人達から裏切られてたことを知れば、ナツヒは壊れてしまうかもしれない。
ボクだって今、心と魂がバラバラになって、自分が自分なのか、残酷な真相が真実ほんとうなのか分からなくなりそうなのだから。
悪夢のように襲ってきた現実から、救い出してくれる大人は、もう誰一人存在しない。
この悲劇がいつまで続き、おびえる日々をどれだけ過ごせばいいのか、想像も出来なくて。
思いもよらず、お母さんと、ブウノ爺とムルベルから、たとえ本当の話だとしても、あまりにも危険な情報を与えられて、ここにいる人達とボクは、同じ立場になったことを認めるしかない。
そう気付き、ボクは生きた心地を喪い怖くて怖くてどうしようもなかった。
でも同時に、
ーーお前は、自分の事を生んでくれた母親のことをもう忘れたんか?
と激怒した父ソウガやリビの罵詈雑言と暴力がまざまざと脳裏に甦り、激烈な悲憤慷慨にいら立つ。
どうしてボクがこんな思いをしなければならないのか、理解できない。
これからどうやって、何の為に生きればいいのかもわからない。
厳しくつらい修行を積み重ねて、術や技を会得する必要なんてない。
父を喜ばせる必要もなければ、一人前の侍忍者になる気もなくなってきた。
国主の父が僕を裏切ったのだから。
母やムルベルも祖父も、なんで僕を巻き込んだんだろう。
こんなにも怖くて、苦しくて、辛くて、悲しくて、痛い人生なら、ボクは生まれて来ない方がずっとずっと良かった……。
目まぐるしく考えていたら、脂汗が噴き出て、身体がガタガタと震え、急に全身がずっしりと重くなった。
強い力で下から引っ張られ、ずるずると沈んでいく不快な感覚に襲われる。
丸で、どこまでも奈落の底へと堕ちてくように。
ボクは再び自問する。
母、ムルゲル、祖父、大人達がどうすることも出来ないのにすべてを知っても何もできない無力の僕に、どうして真実を伝えたのだろう。
得体のしれない何か酸っぱいものが込み上げてきて、ものすごく気分が悪くなり吐きそうだった。
突如ーー視界に片隅にぽつん……と、小さな真っ黒い点が視えた。
それはじわじわと拡大して、目の前に映っていた全てが歪み、原形を失っていく。
終には、全く何も視えなくなってしまった。
恐ろしく静かな漆黒の『闇』が、目の前に果てしなく無限に広がっていた。
他人事みたいにボクは思う。
目の前が真っ暗になるって、こんな感じだったのかと。
それは、ボクが生まれて初めて見たもの。
それは、それこそが『絶望』だった。
恐怖、悲憤、失望、増悪。あらゆる負の感情が入り混じった世界。
ボクは暗闇の中で、立ち尽くすほかに術も無く……。
ーーその深奥から微かに届いた声があった。
ボクはその方向を探す。
するとそこには、夜空に灯る小さな小さな星の輝きに似た、消えてしまいそうな『光』があった。
光はボクに問いかける。
ーーもう一度だけでいいから、お母さんに会いたいっ願っていたのに、いまはもうその気持ちはなくなったの? じゃあ、お母さんは死んだってことでよかったの?ーー。
光はボクの心魂を真っ直ぐに深く貫く。
ボクの心魂は、思わず光に向かって叫び声をあげた。
「違うっ!」
とその時……すぅーっと、視界が開いた。母も、ムルベルも、祖父も、皆涙している。
ボクは気付く。
ここにいる大人達も、恐怖と怒り、きっと後悔も含めて、苦しんでいるのだという事に。
それでも将来を見つめ、勇気を振り絞って真実をボクに伝えたのだという事に。
ボクも勇気を振り絞ろう。
もっともっと強くならなければ!
大切な人、弱い人を、理不尽な暴威から守り抜ける侍忍者になりたい。
それには忍術、武術の鍛錬に、より一層励む事が、今のボクには大切で重要なことだ。
一日も早く、少なくとも父ソウガを超える侍忍者になる為に。
「ムルベル、本当のことを話してくれてありがとう。ボク今夜のことは誰にも言わない」
不安、悲しみ、怒り、複雑な感情が渦巻く中で、涙が止まらないのだろう。
ムルベルはほんの少しだけ微笑んだ。
「ブウノ祖父じい、危険を顧みず、お母さんに会わせてくれてありがとう。
本当に嬉しかった」祖父は相変わらず目を閉じたま、無言で少し顎を引いた。
ボクは母に向き直って、赤心から伝える。
「お母さん生きててくれてありがとう。ボク絶対に国主より強い侍忍者になって、お母さんを自由にするから待ってて!」
まだ9歳のボクが遊び対盛り、甘えたい盛りの幼い子供だとお母さんはわかっているのだろう。
そんな僕の誓いに母は嗚咽した。
でもーー、漆黒の闇に初めて襲われたあの日から約2年経った頃、到頭母は金を破って国抜けした。
一等上忍の男と共に。
ボクは最初それを知った時、再び母に裏切られたと思った。
深く傷つき、ボクは悲嘆にくれるしかない。
でも、母は『母を訪ねて三千里』という外つ国の本に、ユキアへ、と紙片に書き、それを挟んで残していた。
祖父からボクにそれが届く。
言うまでもなく、極秘裏に……・
ボクは父ソウガと、リビの厳命で刺客が放たれたことを知り、母の命を救おうと決心。
迷わず、後を追って国に毛を決行した。
然し、その行方を掴む前に、国からの追手によって捕らえられてしまう。
掟を破った理由を、ボクは『自由になりたかった』と話し、本心は語らなかった。
父とリビは、ユキアの母タラサへの思いが強いことは知っていたので訝しんだ。
その反面で二人が隠す真実を、まさかボクが知っているとは思ってない。
ボクの悲しい噓を、二人は信じた。
ボクが国主の嫡男であったこと、パークスの忍術や技を外つ国人に見せてなかった事も幸いし。辛うじて許しを得た。
でも、国抜けをしたという厳然たる事実は、決して消し去ることは出来ない。
その罪は、ボクの未来に暗い翳を落ちしたが、収穫もあった。
国抜けしたある日のこと。
ボクはメシア教カットリチェシモと、聖母マリアの存在を知る。
以来、聖母は、ボクの心の支え、魂の安らぎとなってくれたのだ。
読んで頂きありがとうございます。
駄作ですが、ご感想を頂けると喜びます。
これからの物語も是非読んで頂けますように・・・。 m(_ _)m