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 薄曇りの空が暮れかけてくる頃、俺はまた市場で買い込んだ物を抱えて歩いていた。一日に何度もお買い物とは、俺は何をしている?小屋にいてもクノは黙ってしまったし、リスは寝ているしで何もすることが無いのが悪いのだ、うん。

 今度は服と桶、布を少々。全て中古だが、今あのボロ小屋にある物よりは遥かにマシだ。とにかくあの薄汚くて、いやがっつり汚くて辛気臭い空間を何とかしたい。まず着ているものから変えてやる。

 戸口の布を捲り上げて中に入ると、リスの寝床の横にボロ布を広げて、クノも横になっていた。衣類を隅に置いて、桶を片手にドブ川に向かう。なみなみ水を掬うと、軽く手で払う。水を澄ませるついでに、温かくもしておいた。これであの小汚い二人を拭き清めれば、まあ多少は見られるようになるはずだ。

「おい、クノ」

 小屋に戻り声を掛けると、クノはゆっくり起き上がった。相変わらずぼんやりした眼差しで俺を見上げている。

「まず着ているものを脱げ。それから……」

 言い終わる前に、クノはボロ布を留めていた紐を解いて服を脱ぎ捨てた。そのまま仰向けに横たわり、目を閉じる。

「……なあ、クノ」

「…………」

「そういうのは要らん。湯を持ってきたからまず体を拭け。終わったら服を買ってきてあるから着替えろ」

 そう言うと、クノはきょとんとした目で俺を見た。こいつは……。

「自分のことが終わったら、リスも拭いてやってくれ。俺が居ると気になるなら、外で待つようにする」

 それだけ伝えると、俺は外に出た。日が暮れて寒さを増した風が吹き付けるが、悪魔の俺には何の影響もない。周りの小屋から時折視線を感じるが、明らかに場違いな身なりの俺が居たら気にもなるだろう。好きにするがいい。

 それにしても、クノのあの行動。貧民の若い女で、子は居たようだが夫の姿は無い。まあ、どんな生活だったのかは想像に難くない。体を売るか、そうでなくても犯されるか。おとなしく体を差し出す方が苦しくない、と学んだ姿。まったく、気に食わん。

 空に一番星が輝き出してから小屋に戻ると、リスも起き上がっていた。クノに濡らした布で髪を拭かれて、気持ち良さそうに目を閉じている。二人とも俺の買ってきた服に着替え、寝床の布も新しくなっている。それだけでかなり印象が変わった。心なしかボロ小屋の中が明るくなったようだ。今まで着ていたものは後で洗っておくか。……いや待て、なんで俺が洗わねばならぬ?自分達でやれば良い話だろうが。俺は夕飯でも作って……待て、それもこいつらがやれば良い話だな?どうにも調子が狂う。しっかりしろ俺。悪魔としての自覚を持て。

 リスの髪を拭き終えたクノが、土剥き出しの床に深々と平伏した。リスもそれに倣って頭を下げる。

「旦那様、どうお礼を申し上げたらよいか……」

「だからそういうのは要らん。俺は俺のやりたいようにやっている。お前等も好きにしろ」

 顔を上げたクノは、むしろ不安そうな表情を見せている。こいつにとっては、いっそ殴られでもした方が分かりやすいのだろう。気まぐれな暴力と侮蔑の代償に、錆だらけの銅貨を投げつけられ地べたに這いつくばってそれを拾う。封印される前、貧民共を踏み潰す側からその姿を見ていた。二百年経っても人の世の有り様は変わらぬか。

「あの、これ」

 顔を上げたリスが俺に何か差し出してきた。小さな手に握られているのは、例の忌々しい聖印だ。

「それも要らん。お前の好きにしろ」

「えっと」

 困ったように手を差し出したままのリスの横にしゃがみ込み、改めて聖印をじっくり見てみる。純銀製で凝った細工が施されていて、宝石まで使われている。表面がくすんでいるが、少し磨けば良い値で売れそうだ。

「リス、お前が拾ったものだろう?お前に所有権がある。売るなり何なり好きにしろ」

「うん」

 リスはおっかなびっくり聖印を握り込むと、灰色の瞳でじっと俺を見つめてきた。

「だんなさま?」

「別にお前の旦那様ではないな」

「あの、お名前、おしえて?」

「名は明かせん。呼びたいように呼べ」

 名は契約を縛るもの。悪魔の名を押さえれば、人が悪魔を支配することもできる。おいそれと口にできるものではない。少し目を下げて考えていたリスは、ぱっと顔を上げてにっこり笑いこう言った。

「おとうさん!」

 ぶふっと鼻から息が吹き出た。人間だったら盛大に鼻水を吹いているところだ。悪魔を動揺させるとは、やるな貴様。

「おとうさんではない。やめろ」

「じゃあ、なに?」

「好きに呼べ……いや、旦那様で良い。旦那様と呼べ」

「うん」

 隣でくっくっと声がするので見たら、クノが目尻に涙を浮かべて笑っていた。この野郎……。そういえば、こいつの笑顔を初めて見たな。汚れを拭って少し輝きを取り戻した金髪と、青い瞳。明るい表情をすれば、それなりに見れた見た目になるものだ。

 まあいいさ。こいつらの願いを聞き出すまでの間、辛気臭いよりはマシだ。楽しげに笑い合うリスとクノを横目に、俺は消えそうな熾火に薪を一本足した。

ここまでがカクヨム既投稿分です。読んでくださる方が多いようであれば続きを公開していきたいと思っています。ブックマーク等していただけましたら幸いです。

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