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 干し肉の塊一つ。豆を一袋。萎びた根菜をいくつか。塩。香草。それと良く切れるナイフ、油で艶が出るまで磨かれた木皿と匙。まとめてズタ袋に入れて、ぶらぶらとドブ川に向けて下っていく。予想通り、あの聖印は良い値で売れた。同じ重さの銀貨とまではいかないが、貧民共の店で買い物をするには多すぎる額だ。残りはどうするか。服でも買ってやるか。あのボロ布をいつまでも見ているのも辟易とする。まったく、手間のかかることだ。

 小屋の中を覗くと、リスは相変わらず寝ていた。クノの姿が見えないが、食器が消えているので洗い物にでも行ったのだろう。……洗い物もあのドブ川か?

 寝床の横に座り、布に埋もれたリスの顔を見る。昨日よりもぐっと赤みが差して、元気そうに見える。ベタベタした髪が顔に貼り付いているが、貧民にありがちなシラミやノミは見当たらない。寒すぎて人間より先に寄生虫共が死んだか。皮膚に潜り込むダニの類も付いていないようだ。これなら、飯さえ食えば回復するだろう。

「……おかえりなさい」

 クノが戻ってきた。鍋と食器を抱えている。戸口に突っ立っているのは、警戒、とは少し違うか。俺にどう接していいのか分からない様子だ。

「うむ。リスはよく寝ているな」

「はい」

「…………」

「…………」

 ダメだ、話が続かん。俺が立ち上がり場所を空けると、クノはまたリスの横に座り込んだ。もうこいつらは勝手に二人の世界に浸っていろ。俺は俺で勝手にさせてもらう。

 クノが洗ってきた鍋に水を張り、豆を浸す。浸水が必要な豆ではないのでそのまま火にかけ、香草を一つまみ。沸いてくるまでに干し肉を細かく削っていく。根菜はざっと洗って皮ごとぶつ切りにし、最後に入れる。きつめに塩漬けされた干し肉で味は付くが、もう一つまみほど塩を入れたほうが良いだろうか。

 料理していると、クノが不思議なものを見る目で俺を見てきた。何だ?悪魔が料理するのがそんなに珍しいか?珍しいな?少なくとも二百年前にはやっていなかった。……いや、クノに任せたら何が出てくるか分からんからな?さっきの味無し麦粥でこいつに期待してはいけないと学んだ。それに俺は万能の悪魔。料理くらいどうということはない。まあ、とりあえずリスが回復するまでの間の話だ。

 鍋が煮えてくる頃には、リスも目を開けていた。横たわったままクノと、俺を見比べている。クノが何事か小声で囁きかけると、リスは小さく頷いた。意識ははっきりしているようだ。

「さて、クノ。これをリスに食わせてやれ。終わったらお前も食え」

 リスのために汁を多めによそってやる。まだ病み上がりの体では固形物は受け付けまい。貧弱な人間共は手間がかかる。クノが抱きしめるようにしてリスの体を起こし、少しとろみのある汁を匙で一掬いずつ口に運んでいく。リスはされるがままにそれを食べていた。この分なら明日には自分で飯も食えるようになりそうだ。

 鍋を火から下ろし、することも無いので二人の様子をぼんやり眺める。子を亡くした母と、おそらく親を知らぬ孤児。割れ鍋に綴じ蓋といったところか。何か気に食わんな。俺を封じた聖印が何者かに盗み出されたと言っていたが、それも含めて作為を感じる。やはり天使共が一枚噛んでいるか?何が目的だ。奴等が大好きな試練か?

 汁を食べ終えたリスは、甘えるようにクノにもたれかかっている。動けないクノにも汁をよそってやると、おずおずと頭を下げてきた。

「ありがとうございます、旦那様」

「感謝される筋合いではない。お前がさっさと願いを言えば良いだけのことだ」

「はあ」

「…………」

「…………」

 いやだから願いを言えよ。何なんだ本当に。頭が弱いのか?

 ゆっくり汁を啜るクノの腕の中で、リスはまたうとうとしだした。甘えるようにクノの胸に頭を押し付け、小さく呻き声を挙げる。それを見つめるクノの眼差しは優しい。……気に食わんな。こういうのは不幸な結末にしか結び付かない。天使共が関わっているならなおさらだ。俺との契約の結果として破滅するならともかく、勝手に身を滅ぼされても面白くも何ともない。

「……あの、旦那様」

「何だ」

 汁を食べ終えたクノが、まっすぐ俺を見た。少し緑の挿した青い瞳は、貴人のそれに負けず澄んでいる。

「一つ、お願いが」

「ふむ」

「この子を、幸せに。私は、どうなっても構いませんので」

「それはできんな」

 そう切って捨てると、クノは驚いたように目を丸くした。ほら来た。気に食わん。まったくもって気に食わん。

「リスを幸せに、とは具体的に何だ?一生食うに困らん財産を出せと言うなら出してやる。このボロ屋でそれをどう管理するつもりか知らんが、な」

「それは……」

「それとも金持ちの目に留まり愛人になれるよう、絶世の美女にでもするか?あっという間に人買い共に攫われてどこぞに売っ払われるだろうが、それでもここで暮らすよりはマシかもしれん」

 俺が鼻で笑うと、クノは目を伏せた。「幸せに」とか「楽しく」とかいう曖昧な願いは受け付けないことにしている。幸せに暮らすために金が欲しいとか敵を滅ぼしたいとかなら良いが、「幸せになりたい」ではキリがない。死ぬまで付き合って結局「幸せな人生ではなかった」と言われたら終わりだ。具体的で契約完了を評価可能な願いでなければならない。

 俯いたクノは、すうすう寝息を立て始めたリスをあやすように優しくトントン叩いている。

「少なくとも──」

 リスは、今幸せそうだが?そう言いかけて、やっぱり口にするのはやめた。まあ、諦めて他の願いを考えるがよい。

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